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「犯罪」、「罪悪」の著者による長編、というか実際のボリュームは長めの中編といったところか。
著者特有の無駄を排し、抑えた文体は独特の雰囲気を生む。
主人公が主題となる行為を行うに至る背景を知ることは読者の読解力に任されており、私も推測することしかできないのだが、その部分を除いても(というかその部分もすべて込みで)本書は読書人としては必読だろう。
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さらさらさらりと読了。
前に読んだ『謝罪代行社』と似た雰囲気。何かいろいろ寄せ集められた感じ。色で世界を見ていた子供時代、の伏線がどこにも活きてこない。ラストに向かって収束しない。異質なゼバスティアンの人生に纏わる静かなる緊張感がメインテーマなのかと思いきや、最終章で突然迫力のない法廷劇になってやや肩透かしな雰囲気で終わる。普通にさらっと読めるミステリー。
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2015.4.29.この作家さんの作品は三作目で長編。すごく期待して読んだのだが、難しくてさっぱりわからなかった。
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普通の推理小説と思って読むと肩すかしを食らうと思う。
森博嗣の小説のように、文章が研ぎ澄まされてる感じ。
読み方が浅いのか、タイトルの意味は分からなかったけど、一連のことがエッシュブルグが表現したいことだったという理解で良いのかな。
「悪とはなにか」という問いは、刑事事件弁護士という著者の立場ならではの、骨身に応えるものだと思った。
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この作家は謎に満ちている。しかし、この現役の刑事弁護士でもある作家が生きてきた舞台は法廷である。謎に満ちたできごとを真か偽かに切り分けてゆく論理と証拠の世界である。多くの法廷出身作家たちは、謎を切り分けることで真実を暴露させてゆく小説的快感を法廷ミステリー俗にいうリーガル・サスペンスに取り入れるのが常道だと思う。しかし、このシーラッハは一筋縄ではゆかない。
刑事弁護士というよりもむしろ純文学作家のように見える。そのくらい際立った小説文章であり、描写力であり、推進力を持った作品をぼくらは今手に取っている。奇跡的とでも言いたくなるくらいの冷徹で選択的で妥協なき文体により、切り出されてゆく事象は、描写されていることを単に読み取るばかりではなく、なぜこの事象が選択されて記述されているのか? といった作品の裏に心が彷徨う。
あらゆることに意味があるに違いないと思えば、交わされるような場所と時間。主人公は、あらゆることを色でしか理解認識できないという特異性を持つ。貴族の生まれだが没落し、城を売りに出し、彼は写真家として成功し、芸術の極みを求め、人生を彷徨する。彼が求めるものは何であるのか? 小説史上最も理解しにくい主人公と言っていいゼヴァスティアン・フォン・エッシュブルクという人間は果たして何者であるのか?
作家は日本の読者に向けてのメッセージでさらに謎を深めて見せる。まるでそれすらもが小説の一部であるかのように。そして表紙のモノクロームの写真は、作者の提供した謎めいた女性の表情でありながら、小説で行方も正体もわからない被害者の少女を思わせる。現実世界に作品世界がじわじわと滲み出てくるような怖さと錯綜とを持っているのが本書なのである。それこそが禁忌(タブー)ではないのだろうか?
インスタレーション。すべてが禁忌に挑んだインスタレーションと言える本であり、また主人公の物語内部で行われたそれであるのだろう。複層構造の現実と物語が鏡面のように反射して心に不確かさをもたらす。これは、読書の未体験感覚を味わいたい方に挑戦する作者の、激しく意欲的な力作なのである。
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いるいる。こういうアーティスト。
一見しただけでは本質が見えず、けど惹きつけられて止まない。
テーマを二重三重に覆い隠し、なのにそれをとんでもない手段で世に送り出す。
シーラッハもまた。
こちらは好きか嫌いかだけでいいのだ。
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共感覚・チェスの自動人形・サディズム・写真・「罪」とは何か・家族や恋人との愛憎・存在の曖昧な女…ちりばめられたピースは、結局カチッとはまらない。全体に何が描かれているのかも見えない。なのに面白くて読んじゃうのはなぜ?
普通ならこれは伏線だなと意識される描写が、ことごとくどこかに漂って行ってしまう。なんとも頼りない感覚が、どういうわけか刺激的だ。弁護士が登場する中盤、やけにわかりやすくなり、やはり最後はすべてが収束するのかと思えば、全然そうではないのだった。
アーティストのインスタレーションが苦手、というより、よくわからない。それって何を表してるの?何のため?などと言うのは野暮なのだろう。芸術家がみな主人公のゼバスティアンのようだとは思わないが、造型に妙な説得力がある。
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ジャケ借り。
これは面白かった。かなり面白かった。
ミステリではないミステリ?
流れる雰囲気が、アンドレ・ジッドみたいだった。
フェルディナント・フォン・シーラッハの他の作品も読みたい!
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かなりひねりの効いたミステリー。法廷劇の姿をとって謎が解き明かされるのだが、物語の前半は、少女を誘拐し殺害したとされる容疑者エッシュブルクの半生が描かれている。
ゼバスティアン・フォン・エッシュブルクはドイツの名家の末裔。常人より多くの色彩を感じることができ、文字に色を感じる共感覚の持主である。エッシュブルクは、古い、不幸な家を出て、ベルリンで写真家になり、世に認められる。やがて、商業的な写真に飽き足らないようになり、インスタレーションを手がける。そしてある日、警察にかかってきた、助けを求める少女の電話によって逮捕されてしまう。刑事の強要によってエッシュブルクは少女の殺害を自供する。起訴されたエッシュブルクは、ベテランの刑事弁護人ビーグラーに弁護を依頼。ここから法廷が舞台となり、ビーグラーによる真実の解明が展開されるのである。
前半、没落した名家が息を引き取る様子、崩れる不幸な家庭の冷たさ、それを見ているエッシュブルクの孤独な視線と世界に対する違和感が簡潔な文章で淡々と描かれ、引き込まれる。ミステリー臭さを感じさせないので、後半の急転に驚かされる。精神的なドラマか人間性の真相を照らす物語を読まされる気になってくる処へ、スキャンダラスな殺人事件を主題にしたミステリーが現れるのだ。
もちろん前半はミスリードの為の仕掛けであり、エッシュブルクの動機に筋道を通すための伏線なのである。読後に点検してみれば、よく計算されていると感心する。計算されているだけではなく、「千円札裁判」などを念頭に置いてインスタレーションのことを考えてみると、作者の描いた射程が意外に遠くまで届いていることがわかる。
全体を通して、エッシュブルクという非凡な人格の悲しみがじんわりと伝わるし、ビーグラーの偏屈さも面白い。作品を巡って考えに沈むこともできる、見事な一編だと思う。しかし、このひねり具合が万人に受け入れられるかは疑問だ。また、エッシュブルクの共感覚が後半にそれほど生かされない恨みもある。インスタレーションを素材としたからには、この作品自体がルールを越えて溢れ出てきても良かったのではないか、と思ったりもする。
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『うらを見せおもてを見せて散るもみじ』良寛和尚の句わもシーラッハ氏はみせてくれました。
すごいや、人間は。
時間をおいてまた読みたい本です。
そうか…この表紙………
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一行目:「一八三八年のあるうららかな春の日、パリのタンブル大通りで新たな現実が作り出された。」
やっぱり長編より短編がいいな。ただ、今回の長編は悪くない。
主人公エッシュブルクの半生が淡々と綴られる。が、次の章で突然逮捕されている。目撃情報だけの、遺体もない殺人容疑。弁護士ピーグラーはどうするのか。
焦点はなぜエッシュブルクが自供したのか、また否認するにも理由をいわないのか、だ。
解説が単行本には珍しくついている(今回は正解だったと思う)。
確かにムダが削ぎ落とされた文章となっている。さらに表紙を著者が指定したのだという。そう、表紙こそが本当のネタバレなのだ。
これまでの短編が、「魔がさすー」、要はどれだけ平凡な人間でも犯罪と背中合わせである、というところに魅力があったのに対し、今回は非常に特殊な主人公とその物語になっている。
また、以前のような短編も読んでみたい。
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生い立ち飲みましょう部分が長いなあ。
これは正義なのか?主人公が自分の欲求を満たそうとする実験でしかないように感じた。
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…いかん。図書館返却の期限に追われていたので、かなり斜め読みに読んでしまった。特に前半は、なんだかまどろっこしいような、情景描写が多いような気がしたので…。
それが後半になるとがらりと雰囲気が変わってくる。で、ほかの方のレビューを読むと、前半こそじっくりゆっくり読むべきだったのではないかと感じる。
なので…終わったときには「?」の嵐。感慨という感慨もあまりわいてこない…。
そして、いまこのレビューを書きながら、左手に表紙を見ると、この表紙はこうやって遠景から見るべきね、とわかったことは収穫。
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ゴヤの「裸のマハ」からインスピレーションを得た主人公の写真家が、警察や世間に対して仕掛けた笑うに笑えないインスタレーション、結末やいかに・・・、というお話。実話を元にした物語らしい。
すっかり引っかかってしまった真面目で正義感溢れる刑事が哀れでもある。人の善悪とは何ぞや?という命題を我々に突きつける。そして、美とは?裸とポルノと芸術の境い目はどこにある?
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まだ素人くさい。
やっぱり長編を書くタイプの人じゃないと思う。
筆が進まず、苦労して長くしてるのが感じられる。
内容もねぇ。
犯罪のような犯罪じゃないような、芸術のようなそうじゃないような。
著者としてはもっとアートな作品に仕上げたかったんだと思う。
でもその想いも力不足で未踏に終わり。
やっぱり短篇を書いていくべきなのでは。