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ディレイニーの短篇コレクション。
既に同じ『未来の文学』から刊行されている『ダールグレン』はある種の奇書とも言うべき本で、訳が解らないのに妙に面白い作品だったが、短篇の方はキワモノ的な部分は殆ど見られず、SFらしいSF、幻想小説らしい幻想小説が揃っている。つまり、『ダールグレン』の先入観を持ったまま読むと驚くw
味わい深い短篇を、今時珍しい四六判二段組にぎっしり収録しているので、読み応えは充分だった。また、ディレイニーのかなり詳細な経歴も併せて収録されている。
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トンガったSFを刊行し続ける国書刊行会「未来の文学」シリーズの最新刊は、かつてサンリオSF文庫等で出ていたディレイニーの伝説的中短編を1冊にまとめたもの。解説も含めて全580ページ・上下二段組みの美しくかつ迫力ある装丁です。
収められた作品は、純然たるSFからファンタジーまでと幅広く、比較的ダークで閉塞感に満ちたテーマが多いです。とはいえ、そんな暗めなストーリーであっても煌びやかな言葉とイメージの奔流で描き出す、ディレイニーの特徴がよく出た作品集。
鴨ごときの貧弱な理解力では、正直なところ何が描かれているのか、何が示されているのかわからないところも多々あります。が、そうした「わからなさ」加減も含めて、言葉の魔術師・ディレイニーが繰り出す眼も綾な世界に飲み込まれて気持ちよく酩酊するのが、この作品の楽しみ方。手練の翻訳家陣による美しい日本語訳があってこそですね。
明確な結末が提示されない話も多く、すっきりわかりやすいSFを求める人には不向きといえますが、そもそもそうしたSFを読みたい人はディレイニーには手を出さんでしょうなぁ(笑)
最後に収録された中編「エンパイア・スター」は、それまでの短編の醸し出す暗さを一気に吹き飛ばす壮大かつ爽やかな少年の成長譚。前半の短編を読んで今ひとつ波長が合わないと感じた方も、ぜひこの「エンパイア・スター」だけは読んでみてください。イメージが変わります。この作品に込められた寓意は、他の作品からも頭一つ抜きん出て難解です。が、それでもひとつの冒険SFとして十分楽しめます。そんなところも、ディレイニーの魅力の一つですね。
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四六版二段組で約六百ページの短篇集。本邦初訳や新訳を含むSF、ファンタジーのジャンルに属す短篇小説が十五篇、それに「あとがき」のあとに、唯一の中篇「エンパイア・スター」(新訳)が収められている。ディレイニーに馴染みのある読者なら収録順に読むのが順当だが、巻頭の「スター・ピット」に抵抗を感じる向きには、後ろから読むことをお勧めしたい。猫好きだったらディ=クという名の仔悪魔猫が重要な役割を受けもつ巻末の「エンパイア・スター」がお勧め。未熟な若者が成長してゆく姿を描く人格形成小説(ビルドゥングス・ロマン)と、二大勢力の長きにわたる宇宙戦争の経緯を描くスペース・オペラが一つになった構成で、ディレイニー初心者にもとっつきやすい。
神のごとき全知視点を持つ結晶体ジュエルが語るコメット・ジョーの物語は、宇宙の裂け目を何度も往き来することで、時空を異にする多観的(マルチプレックス)な世界が生まれるという論理構造を応用した並行宇宙ならぬ多元宇宙を描く、いかにもSFらしい稀有壮大なロマン。売り出し前のボブ・ディランに前座をつとめさせたこともある元フォーク・シンガーのディレイニーらしく、オカリナとギターのセッションが繰り返し重要な場面に登場するのも愉しい。エリオットの詩句や、オスカー・ワイルドとダグラスの引喩、多様な語りの文体の採用といった文学的技巧も駆使され、SFファンでなくてもその面白さを堪能できる仕上がりとなっている。
逆にニュー・ウェイブの旗手と呼ばれたディレイニーらしさを味わうなら巻頭の「スター・ピット」だろう。今は、スター・ピットで宇宙船の修理格納庫を自営するヴァイムには捨ててきた過去があった。過度の飲酒癖が災いし、幼い息子を置いてコロニーを出たのだ。その原因が生態観察館(エコロガリウム)。生態サイクル学習用の「水槽」だ。その時代ゴールデンと呼ばれる一部の人間を除き、スター・ピットを越えて宇宙へ出ることは不可能だった。外に出れば狂死する運命にある自分と閉鎖空間に生きるエコロガリウム内の生物のアナロジーがヴァイムを苦しめる。閉鎖的サイクルからの脱出願望とその不可能性を主題とする「スター・ピット」の漂わせる遣り場のない閉塞感は黒人の同性愛者である作家自身のものであろう。
ライヴァル関係にあるロジャー・ゼラズニイのスタイルを模した「われら異形の軍団は、地を這う線にまたがって進む」は、ヘルス・エンジェルスまがいの集団がコンミューンを営むカナダ国境地帯が舞台。全世界動力機構に属し、電力網整備に携わる主人公の、反動的なマイノリティに寄せる共感と任務との間で生じる葛藤を主題とする異色作。分かるものには分かるゼラズニイ的要素をふんだんに盛り込んだ文体模倣が痛快。蝙蝠状の翼を持つ翼輪車(プテラサイクル)「箒の柄」で月に向かって上昇し、エンジンを切った後の滑空にどこまで耐えることができるかを競うチキン・レースなど、他の作品とは明らかに異なる視覚イメージに多才さを再認識させられる。
ヨーロッパ放浪中、原稿料を使い切ると海老漁船に乗って稼いだ経験がそうさせるのか、主人公には漁師はもちろん、手を使う仕事に従事する人物が多い。��体と技術を駆使して危険な作業に携わる「男」(トランス・ジェンダー的世界を描くことも少なくないので括弧つきだが)の仕事上の葛藤や、そこから解放され、他者と交わるときに感じる開放感や軋轢、といった心理は、SFに限らず、どんな小説にあっても物語を先に進めてゆくための推進力となるものだが、ディレイニーが描くとそこには詩的な美しさが現出する。命を賭けて海底の谷間に電力ケーブルを設置する両凄人の傷だらけの栄光と挫折を描く表題作「ドリフトグラス」、旧世界の神とキリスト教の神の暗闘に、狭い島に生きる青年の懊悩を絡ませた「漁師の網にかかった犬」に見られる海に生きる男の背中に漂う悲哀は、まるでギリシア由来の神話や悲劇を思わせる。
SFは高校時代に友人の勧めで一通り読んだが、あまり好い読者ではなかったと記憶している。だから、ディレイニーについても全く知らなかった。新聞の広告を読んで久しぶりに興味が湧いたというのが正直なところだ。読んでみて驚いた。とてつもなく面白い。しかも発表された年代は60年から70年代というのに、少しも古臭くなっていない。軋みを上げる体制になすすべもなく翻弄されている現代に比べ、抑圧に対し真摯に悩み、果敢に行動する人間を描いている点、むしろすぐれて今日的といってもいい。長篇『ダールグレン』も是非読んでみたいものだ。
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神話的SF作家ディレイニーの全中短篇を網羅する決定版コレクションがついに登場!「時は準宝石の螺旋のように」等珠玉の名作群に、最高傑作「エンパイア・スター」を新訳で収録。詩と思索と愛と暴力の結晶体、全17篇。
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ディレーニーの短編のほとんどを含む決定盤短編集『然り、そしてゴモラ』(2003)に短めの長編『エンパイア・スター』を抱き合わせた日本独自編集版。『エンパイア・スター』の日本語訳はかつてサンリオSF文庫から1冊本で出されていたし、原書もエース・ダブルという2つの長編を抱き合わせた体裁の叢書で刊行されたということもあって長編扱いだが、本書冒頭の「スター・ピット」と同じくらいの長さなので、ノヴェラ=中編というべきだろう。ハヤカワ文庫の短編集『プリズマティカ』には別訳で収録されていた。ということでサンリオSF文庫の『時は準宝石の螺旋のように』とハヤカワの『プリズマティカ』を合本としたものがこの『ドリフトグラス』とおおむね等しい。おおむねというのは2編本邦初訳が含まれているからであり、この初訳を担当した小野田和子がさらに4編を新訳し、『エンパイア・スター』は酒井昭伸による新訳(つまり3つめの翻訳)が収録されている。
そしてオマケがある。ディレーニー自身による短編集あとがき、高橋良平による「ディレーニー小伝」、伊藤典夫による「時は準宝石の螺旋のように」に関する短いエッセイ、そして酒井昭伸による『エンパイア・スター』の補注。
これらをタイトルをエンボスした白いジャケット(ビートルズの『ホワイト・アルバム』みたいだ)に包むと、黒い『ダールグレン』の姉妹編のような体裁になり、しかも辞書のような厚さ。これは電子書籍では味わえない悦楽である。
「スター・ピット」はじめ、宇宙時代に遠宇宙に行くためには(あるいは深海に潜るには)特殊な能力(あるいはある種の障害や身体改造)がないとだめという設定のもと、その力のない主人公は宇宙の場末でしがない商売をしているという閉塞感の強い短編が多い。という印象が前半を覆っている。22歳の時、自殺衝動にとりつかれ、精神病院に入院したことのあるディレーニーにはこういう側面が確かにあるのだ。だが、われわれのよく知る「華麗な」ディレーニーとしては中盤に収録された「時は準宝石の螺旋のように」がやはり白眉である。
ホログラムはいまはお札にまで印刷されているようなものになったが、これが書かれた1960年代にはまだまだ未来的な技術だった。ディレーニーは立体視するというよりもホログラムに蓄えられた情報においては部分に全体が含まれているという点に注目している。むしろフラクタルな認識といういうべきだろうか。「時は準宝石〜」はホログラム的認識を得てのし上がっていく暗黒街の男の肖像を切り取ったスタイリッシュな作品。
それからSFではなくておとぎ話の「プリズマティカ」、このあたりがやはり鮮やかだ。
「エンパイア・スター」もまた見事だ。田舎の星に住むコメット・ジョーが宇宙帝国の中枢エンパイア・スターへのメッセージを託される。この作品で重要なのはホログラムに似て、シンプレックス、コンプレックス、マルチプレックスという概念だ。酒井昭伸は単観、複観、多観という漢字をあてる。田舎の惑星の単純な認識しか持たないシンプレックスなジョーはメッセージを託されるもののメッセージが何かはわからない。ジョーの認識力がコンプレックス、マルチプ��ックスとなるにつれて作品世界の複雑なありさまがホログラムのように立ち上がってくるのだ。
この壮大な話を現在の出版界だったら10倍の長さの長編にするように編集者が求めてくるに違いない。それはそれで面白いかも知れないが、ある種の凡庸さに陥るに違いないという気がする。マルチプレックスな読者なわかるだろうとばかりに断片を示すやりかたは、原板を細かく分割してもそのひとつひとつに全体像が記録されているというホログラムのように部分で全体を示す魔術であり、多彩な光を放つプリズムのように作品を結晶化させているのだ。
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難解は難解なりに、自分の想像力の乏しさを痛感しながら、引きずられて読んでしまった。時間はかかったが。「時は準宝石の螺旋のように」「プリズマティカ」「漁師の網にかかった犬」「エンパイア・スター」が良かった。スタージョンやトマス・ディッシュの影響を受けた作家であることは頷けた。
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これはですね、ぼく高校生の頃一番好きだったSF作家です。なかなかスゴイんですよ。アメリカのSFの世界では最強なのが、やっぱり白人の男性なんですね。ところがディレイニーっていう人は黒人でしかもゲイなんです。なのでいくつかの点ですごく差別を受けていたんですけど、天才的な筆力があるんですね。
これは、彼の中短篇を網羅した本なんですが、ともかくかっこいいんですよね。しびれました。「こういうSF書きたいな」と高校生の頃夢中になって読んだものが、今こうして、こんなに分厚い本としてまとまっています。
(石田衣良公式メルマガ「ブックトーク『小説家と過ごす日曜日』」21号より抜粋)
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正直なところ、どの作品も頭の中にすっと入ってこない。難解なわけではないのだが、何か奥底にしまわれた何かを隠されたまま物語が進行しているような感じがする。何回か読めば理解できるようになるのかなあ。ちょっと無理かもしれない。じぶん好みの作品を挙げたいところだが、どの作品も自分の理解の範囲を越えているため、何も挙げられない。
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初ディレーニー。うーん、むずかしい。描写されているシーンはわかるのだけれど、それが何を意味しているのか読み取るのかむずかしい。
マイノリティーと犯罪者、半端者、不愚者などごちゃ混ぜに描かれていて荒んだ底辺の世界が描かれていることが多く共感なんてものは軽く吹き飛ばされます。バラードのような抽象絵画的なものでもなくゼラズニイのようにスタイルでキメるでもなく謎で若干不快。著者自身が黒人であり同性愛者。作品の発表時代は60年代から70年代でまだまだ露骨な差別もあったことと思いますが、それを汲み取ったとしてもディレニーのハードルは高いぞ。一度読んだだけではよくわからないけど、もう一度読みたくなるか?というとそうでもない作品が多いのがこのハードルの実態か。しかし、著者によるあとがきが素晴らしい。このような創作過程を経て作品は出来上がってくるのだなと、また自分が文章と向き合う時に必要な姿勢なのだなと痛感。だからといって面白いものが出来上がるかは別の話というのが世の中の恐ろしいところ。