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清朝の西太后のストーリー
西太后と言えば、あまりよい印象ではなく
どちらかというと悪女的。頑迷な支配者。
魔女的。独裁的なイメージがありますが
この本によると、中国の近代化を推し進めた
改革者であり、正直であり柔軟な指導者であった
とのことであります。昔映画でみたラストエンペラー
とこの本で清朝の最後の歴史なんかが良くわかる感じ
がします。
中国の歴史も少しいろいろと読んでみようかと思います。
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今まで西太后に間違った人物評価をしていた。特に日本にとっては、自国の都合いいように悪く言いがちなことを差し引いても、腹黒い黒幕と思っていた。かくも歴史とは恐ろしい。女性としても為政者としても素晴らしい。中国でも彼女の再評価がなされることを祈る。また日本の恥ずかしい所業も、改めて知ることになった。いろんな意味で重い本である。
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本書では慈禧(西太后)が女性であることなど数々の困難に会いながらも中国の近代化を推し進めた英雄として描かれる.ちょっと持ち上げすぎの感は否めない.電気、電信、鉄道などはなにも慈禧が発明したわけではない.どのみち取り入れられるものである.もっと有能な指導者がいても良かった気がするが、ましな男がいなかったということか.
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読了して印象に残ったのは教育の役割ということであった。
絶対君主制というと未開の地でのみ成立する、遅れた統治形態だとみなしがちだし、実際そうなのだけど、識字率が1%にも満たないような世界では、君主の子に家庭教師をつけ、帝王学を教育するということで、ある程度以上の治世が担保されてきたのだろう。実際、中国の皇帝はお飾りでなく、国政の全てを決済していたという。
西太后時代の中国が欧米などの列強の食い物にされた最大の要因はやはり絶対君主制の非効率さだろう。英国のように立憲君主制をしく国では、国民の代表である優秀な議員が話し合って国の行方を決めていく。皇帝一人の能力がいかに優れていようとも清がやぶれさったのは必然だったのかもしれない。
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★2015年7月27日読了『西太后秘録(下)』ユン・チアン著 評価A
現代中国の基となる諸制度を革新的な取り組みで清朝統治下で導入しながら、女であるがゆえに?あまりに長く強大な統治を満州族が続けたがゆえに?歴史的には政敵からの根拠のない誹謗中傷によりおとしめられた世界三大悪女の一人とされる西太后(慈禧大后)を再評価する作品である。
分かりやすく言えば、西太后(慈禧大后)は、日本の明治維新をたった一人で計画、実行へ導いた中国近代化の母であると著者は主張する。
上巻での欧米列強の中国侵攻、日清戦争の外患と清朝内での苦難と実権を握るまでの物語に加えて、この下巻ではさらに過酷な試練を歴史は与えていたことを物語る。
下巻では、日清戦争に破れて莫大な賠償金を日本から背負わされた清国に、欧米列強はさらに租借という名の事実上の占領を押しつけた。光緒帝と慈禧大后は戊戌の変法(科挙試験制度を中止など)という清国の近代化を試し始め、康有為という有能な官僚が形にして実行するが、ことを急ぎすぎて様々な問題が噴出し、さらに袁世凱を使った慈禧暗殺を画策した康有為はとうとう失脚する。結局、康有為は、伊藤博文を通じて日本と取引をして、光緒帝を隠れ蓑に自分と日本の利益のために画策をしていた可能性が高いと著者は断じている。
一時期、光緒帝に施政を譲った慈禧大后は、その実権を取り返すが、それが、列強の北京侵攻を招く。これが引き金となり、列強から北京を守るために、義和団という無法集団を自らの庭に招き入れることとなり、清国内の混乱に拍車をかけることとなってしまう。
結局、慈禧大后たちはさんざんな目に遭って、西安まで逃亡せざるを得なくなり、その移動時の苦難は大変なことであったようだ。
また、その後、列強との講和がなり、北京議定書が調印され、列強が引き上げてから、清国国内は落ち着きを取り戻した。1901年からは、西安滞在時から諸制度の改革に本腰を入れ、北京に戻ってからはますます中世のままだった中国の近代化に取り組み、鉄道、電気、電信、電話、西洋医学、近代式の陸海軍、貿易、外交、教育制度の改革、新聞出版界の改革、さらには直接選挙制による立憲君主制への移行も実行した。
慈禧大后のすごさは、それらの改革を穏便に進め、ほとんど犠牲者を出さずに次第に変更導入していったところであり、女性の解放も中国の悪弊であった纏足も次第に無くしていった。
最後、1908年に彼女は改革の途中で息絶えるのだが、その清国の最期についても予測していたかのような素晴らしい仕掛けを施して、世を去っている。最期の瞬間まで、先を読み続ける希有の女性であったことが分かる。自分の死の前に、養子である光緒帝を先に毒殺し、後顧の憂いを絶ってから自分が死んでいる。また、後継者も後見人も決めてから、さらに最期の清国の死に水をとる皇太后までしっかり指名しているのだ。
慈禧大后が当時の中国人がどう思われていたか、慈禧大后政権下で中国に育っていたノーベル賞作家のパール・バックの言葉に言い表される。「中国の人々は彼女を愛していた。み���ながみんなと言うことではない。革命家、つまり現体制に我慢ならない人たちは心底彼女を憎んでいた。でも、農民や市井の人々は彼女を崇拝していた。」彼女が逝ったと人々は知ると「これからはだれがわたしたちを心配してくれるのか?そう言って彼らは泣いた。この言葉こそが支配者に下された最後の審判ではないだろうか」
そして、慈禧大后の死の4年後に1912年に268年続いた清朝はその幕を閉じることになる。
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ワイルドスワンのようなリアルさ、蒼穹の昴のような雰囲気、はないが、西太后のよいところがたんたんと書かれている。康有為の側にたって書かれたものも読んでみたい。
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西太后は歴史上有名で、教科書にも出てきて名前は知っていましたが、どういう人物だったかは全く知りませんでした。
近代中国の礎を築いた人だったのですね。
この本の最後に蒋介石や毛沢東もにも少しだけ触れられています。
この二人は思っていた人物ではなかった。
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真実を探る歴史探偵と自称するユン・チアン。世界中で大ベストセラーになった「ワイルド・スワン」に続いて読んだ。
北京脱出の前に、光緒帝の側室珍妃に自害を命じ、命乞いをされ、
井戸へ投げ込むように、宦官に命じたという。
一方、死の数年前には、清朝の存亡を賭け、国会開設と選挙制導入の政策を打ち出していたという事実には、驚く。
二千年にわたる絶対君主制、二百六十四年に大清国の歴史に幕を引いた女性である。
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ユン・チアン著、川副智子訳『西太后秘録 近代中国の創始者 下』(講談社、2015年)は西太后の伝記の下巻である。西太后の功績に違法ドラッグである阿片撲滅がある。西太后は阿片への強い嫌悪を表明し、阿片が中国人に与えている損害に触れ、この悪習を絶たせるための点数制のプランを作成した(197頁)。阿片戦争の問題意識に応える施策である。
オーバードーズや大麻グミなどの危険ドラッグが社会問題になる日本も見習う価値がある。日本では2023年12月13日に東京都目黒区の小学校で薬を過剰摂取した児童2人が救急搬送された(「薬の過剰摂取で児童2人搬送 東京都目黒区の小学校」産経新聞2023年12月15日)。
西太后は戊戌の政変を潰した人物として評判が悪い。これに対して本書は西太后が戊戌の変法を始めたとする。本書は康有為を野心家と位置付ける。戊戌の政変は日本の明治維新を参考にしたと説明されることが多い。やり方を学んだという日本の工作員のようになっていた。李氏朝鮮で近代化を主導した金玉均ら開化派は日本に国を売り渡そうとした売国奴という低評価がある。そのような見方が康有為に成立してもおかしくないだろう。
西太后は手放しで絶賛できない。戊戌の政変では冤罪で処刑している。「処刑された軍機章京のうち二人は康有為の仲間ではなく、陰謀にもむろん関わっていない」(77頁)。西太后は光緒帝が西太后を排除する陰謀に加わっていたことを隠すために裁判を行わずに即刻処刑した。