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最近、聖書の「狭き門より入れ・・・」のフレーズを、結構聞いてたので、
ふと、図書館で目について借りてみた。
これは、10代後半の、恋愛と、自分の生き方のバランスに悩み苦しむころに読んだら、なんだか、カッコイイ自分になれそうな感じ。
自分の体と心を持て余し、つい、欲情を汚いと思ってしまう頃に読めば、一つ大人へなれるのかな。
おばちゃんが読んでも、しょうがないわ(ToT
信仰と愛の関係が反するものであり、
自分を破滅に導く(本人的には救いか)ほどの信仰心や、神への思いなんかは、日本人的な私にはイマイチ理解できない。
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恋愛小説のようで、恋愛小説ではない。宗教色の強い作品で、ジェロームとアリサの軋轢を描いている。若干、
お互いに病的になってしまう不思議さはあったけれども、文章の美しさはピカイチでした。
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ヒロインのアリサの気持ちに共感できなくて
「えー!えー!なんでそっち行っちゃうの!?」という
気持ちになりつつ読了。
私自身が人生や生活の中で「宗教」に重きを置いていないせいかな?と
読み進めて『訳者あとがき』の中の石川淳氏の文章の引用に
納得した。そうか、アリサは人の世に幸福を求めていなかったのか…。
小説より作者ジッドの人生のほうが波乱万丈ですね。。
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キリスト教の教えは私には馴染みがなくてほんとのところは理解できないけど、純愛とは、魂の至高の実現とはなんだろうと考えさせられる。悲しいけれど、美しい。
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彼女「を」愛そうとしたジェロームと、彼「と」愛そうとしたアリサ。あーこりゃ叶わんわ。悲恋だわ。同じものを見ているようで方向が正反対だった愛のおはなし。解説が秀逸。
にしても、こんな小説を書けちゃうジッドって何者……?
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この題名の本がまさか恋愛の本だとは思ってもみなかった。
この手の愛のあり方は、自分には苦手というか、理解出来ないもの。
好きな人を他に譲ろうとしたり、好きだからこそ、敢えて会わないとかの自己満足的行動(かと言って日記においては自分の取った行動を悔いている)は本当に分からない。
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【G1000/5冊目】取り敢えず産まれてこのかた1度たりと聖書に触れたことのない人にとっては脚注を読んでもほぼ言っている意味がわからないが、少なくともこの作品の読者として想定されている層にとっては基本的な素養として持っていることを前提としているはずである。さて、狭き門であるが、タイトルから真っ先に思い出すのが「狭き門より入れ」という聖句であろう。とは言え、この作品における狭き門というのはアリサが独り善がり的な信仰心を胸に一人で達した神に殉じる境地といえるのではないだろうか(と勝手に想像する)
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信仰と幸福の対立の物語。本当に徹底して信仰を実践すると救われるものも救われなくなってしまう、だから歴代の宗教は愛や慈悲というものを超越的なものに対置したのだ、というような説明を聞いたことがあるが、まんまそれを描いたようなストーリー。真の信仰と比べたら、幸福は彼岸のものではなく地上のものであるということを思い出させられる。けれども、悲痛な結末の印象は薄く、それよりも全編を貫く清廉さの方が強く残った。情景、心情、ストーリーのすべてがあまりにも清廉。この極端に汚らわしさを排除し美へと偏った小説を読んでいると、宗教というのは人間の美しいものを美しいと感じてしまう感覚のもとに道徳と幸福の妥結を図ったものなのではないかという発想さえ浮かんでくる。潔癖主義的な物語だが、とても刺激的だった。訳も煩わしいところが全然なく、非常に良い。
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だれも信じないかもしれませんが、わたしがはじめてすきになったフランスの作家はジッドです。『田園交響楽』と『地の糧』、『一粒の麦もし死なずば』がすきです。
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すごかった。
とにかくオモシロかったけど、なにがなんだけ全然わからない。
いや、分かるんだけど、納得はいかない。
でもとにかく、おもしれえ。
若い男女がいて、プラトニックに愛し合っていて、
両思いなんだけど、なぜだか女の方が現実的にいろいろな意味で愛を受け入れない。
「それだめなの。許されない」
みたいな。それがなんでだか、主人公の男も分からないけど、こっちも皆目分からない。
分からないんだけど、「それがなぜか」という方向ではなくて、
「で、ふたりはどうなっていくか」ということのみに爆走していく物語。
雑に楽しんで読んでいく分には、そのあたりが「狭き門」なのか、
実は愚者たる自分には明確にピントが合った形では分からない(笑)。
でも、なんだかその、経済的に言うと全く合理性の無い不幸みたいなものが、
狭き門だとすれば、いやあ、かなり狭い門です。入りようが無いのでは(笑)。
そして瞠目すべきは、それでいて無茶苦茶オモシロイということ。
ちょっと三島っぽい、ヤバイおもしろさ。
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ストイックな在家信者のキリスト教徒女子と、神学校に通う男子の、みずみずしくも儚い恋物語。
キリスト教圏で敬虔な信者の方々には響く話かもしれないが、信仰心がない、せわしい現代人からすると、なんともまどろっこしくて歯がゆい恋。
プラトニックな初恋を懐かしむにはいいかもしれないが、一言で締めくくると童貞と処女は面倒くさい。怒られるかもしれないが。。。
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愛する二人、ジェロームとアリサ
しかし、妹に遠慮したり、遠距離になったりで
結局恋が実らず、、
手紙のやりとりで話が進んでいく構成
アリサの信仰心がゆえに、自分の内心の美徳を重視し、二人が一緒になれなかったということなのかと思えたけど、
もしかしたら、ただ単純に好機を逸したということかもしれない
恋だ愛だは、好機が過ぎたら潔く諦めるべきという教訓的に読むのもありではないでしょうか。
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神が主体ではなく、あくまでも愛のありかたを語る。
妹がいなければ、妹が愛さなければ、物語はなかっただろうな。
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愛と信仰の間で激しく葛藤する悲劇の物語。
ヒロイン、アリサのジェロームへの愛の深さ故に距離を置くに至る心理は、自分が身を引くほうがジェロームの為になるという考えからだが、かなり曖昧な理由であり、やはり本質は信仰心ゆえの、あえて困難な道「狭き門」を選ぶことがその理由と思われる。それにしても死の床にあったアリサがジェロームに読まれることを承知で手記を残すことはジェロームを深く後悔させることになると考えるのが普通であり、そこはやはり自分のの愛の深さをジェロームにどうしても伝えたい欲求からくるものか。そう考えると愛故に身を引く慎ましさよりも自身の信仰心を貫くヒロインの身勝手さが周りを巻き込む悲劇に発展したとも言えます。時に信仰心はこの上ない狂鬼を産むものなのか、それも含めて人間の業とも言えるものなのかと考えさせられます。
三角関係と死別、死後に披露される真実を語る日記。これはまんま夏目漱石の「こころ」ですね。
本作も解説がかなり充実しており、本作と作者の実生活との関係を考察しており読み応えがあります。
訳者あとがきで題名に拘ったことを記していますが、題名が「狭い戸口」とならなくてよかったです。
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主人公ジェローム。親戚のアリスのことが昔から気に入っており、結婚を希望している。しかし女の方は人間同士の恋愛結婚は、天国への扉を妨げると思い込んでいて、のらりくらり。本当にそう思っているのなら、外国にでも行き姿を消し、きっぱり連絡を取るな。建前は拒絶しておきながら、押しまくればいけるんじゃね?的な匂わせがイライラする。それとも生理的にこの男が嫌で、しかし親戚だから、「神様が」ってことを建前にして、男から距離を置いてるのか?それもなー、男の方の空気読まなさに恐怖。