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帯に「毒親論を手放し、その先へ進むために!」とあるので、毒親から逃れたその先の話なのかと勝手に思ってしまいました。
本書の実に3分の2以上のページを割いて、「自分の人生がうまくいかないのを親のせいにしていないか」「毒親毒親と言っている人は反抗期に乳離れできずに親を責めている人と同じ」「すべての親も見方を変えれば毒親になりうる。逆に毒親じゃない親なんているのか。」と、「自称毒親持ち」の人を断罪しています。
読んでいるだけで悔しくて吐き気がして著者に対する怒りすら湧いてしまいました。
私は、自分の人生がうまくいかなかったとき、人とのコミュニケーションの取り方で悩んだとき、その原因の一端が親にあると気付いた。アダルトチルドレン関係の本を読んで慰められ、「毒になる親」を読んで親と戦ったこともある。それでも親は変わらない。変えるなら自分自身しかないと思い、親と絶縁して(距離を置いて)自分の人生を取り戻した。今は幸せな生活を送っている。
それでも、親の言動が時々フラッシュバックしてつらい時がある。幸せなはずなのに誰かに責められているような気持ちになる時がある。絶対にああはならないと誓った自分の親とそっくりな口調で子供を叱りつけてしまい、そんな自分に気付いて愕然としてしまう時がある。このまま一生自分の親とは絶縁したままなのかと瞬間的なさみしさや不安や絶望に襲われることがある。
そんな状態を何とかするヒントになるのかもしれない、そう期待してしまった。毒親論の「先」にある生活についての本かと思った。
しかし全然違った。
この本は、「毒親論」の「先」ではなく「前」に、まずは毒親毒親と決めつけようとするのではなく、そうじゃない可能性を考えてみるのに良いかもしれない。そして自分自身が変わってみる。もしその時点で救われる人がいるのなら、毒親論に進む必要はないですね。
ただ、多くの人はそれができないから「自分の親は毒親だ」と認定することによって、人生の推進力を得るのだと思う。「毒になる親」を読んですでに親と対決し、現在は自分の安定した生活が(とりあえず)送れている私には全く必要のない本でした。
最後の一段落、「毒親についての話はいくらでも聞くけれど、そんなことをしても何にもならない。自分自身のパーソナリティの発達の可能性を信じ、今できることから始めてください。方法がわからないなら、直接私に聞いてください。みなさんたちと関わってきたおかげで分かったことをお伝えします。」って、その方法が知りたくてこの本を買った人も多いのではないかと思われるのに、具体的な方法やヒントは見つけられませんでした。
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毒親、最近かなり浸透してきた言葉です。
でも、われわれにとって大事なのは、
自分たちがそれをどうやって乗り越えていくか。
毒親のせいにしても仕方がない。
自分がどうするかが大事だと。
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身近で元気で生きている親は「毒親」にされることが多い。特に強烈な個性を持っている親はみんな毒親。以前岡田尊司著の『母という病』で感じた矛盾がまさにそれであること、本書を通して言語化され明瞭になった。毒親、ACなどの概念はそもそも過去からの独立宣言の目的で確立された概念であったはず。罪悪感や自罰感情からは良い方向への変化は生まれない。現在の自分というかけがえない存在をあくまでもサバイバーである本人にスポットを当て自分自身を取り戻すための人生を生きるべく叫びとして昇華させていけるのが最終的な理想なのだが。
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借りたもの。
昨今、取り上げられ認知度が高まった「毒親」
機能不全家族の問題に取り組んてきた著者の元には、「自分は『毒親』に育てられたため、苦しい」と自己申告してくるクライアントが多くなったという。その事に警鐘を鳴らしている本。
本来の「毒親」問題とは、“犯人探し”が問題ではなく、それと向き合い自身を成長させていくことが認識されていない事を著者は懸念している。
また、「毒親」の定義が曖昧な事から“普通の親”をそう見てしまうことを指摘。
その根本的な問題に、現代日本人の「私」ノイローゼ、“承認欲求”の過剰反応があるという。(普通の親を毒親と見なすのは、自分のことを認めてくれない親、というスタンスがあるのかも知れない。)それを明治維新以降夏目漱石とその作品『明暗』を取り上げ、分かりやすく解説してくれる。
別に親を敬えとか、訓戒を述べている本ではない。(自身も親も、敬われるのは死んで美化された時だろう。)
原因が自分の親、それが毒親で結構。
それから自分をどうしたいかを考えるための、人によってはちょっと厳しく感じるだろうが、その力の一撃を受けてバランスを取ろうと思う本。
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AC概念を輸入した筆者が昨今の毒親論に物申す的な内容。毒親論は運命論で、「毒親だからしょうがない」という使われ方を批判している。それはそれでもっともなんだけど、先生が救いたかったのは毒親論に安住する人じゃなくて、人知れず毒親に苦しんできた人じゃなかったの?という。そういう毒親論を踏み台にして生きていける人達ではなく、毒親論のはるか辺縁の(言葉は悪いけど)甘ったれ達相手にシャドウボクシングしている感じで、読んでてちょっと辟易。
結局、毒親を定義的に議論しないから概念が拡散してしまっているよね。
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「毒親の元で育った子ども」へのメッセージ。
「毒親」という言葉が定着したことにより、加害の実態が見えやすくなったというメリットがある一方で
簡単に「毒親」の一言で片付け、思考停止してしまうことへの注意を促す。
「あなたが毒親の元で育ったのはわかった。で、これからどうするの?親をこれから変えるのは無理だよ、あなたが変わらないと」
「毒親」以外でも、過剰な自責論が時代遅れと認識されつつある一方、反動で過剰な他責論に移行する論調が増えつつあるように思える今、こういった切り口の本をもっと読んでバランスを取りたいなと考えさせられました。
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とてもいい本。昔の私の紐解きができたし、私の知ってるあの子もきっとソレに当たる。あの子にもこの本を読んでもらって自分の人生を生きて欲しいなと思った。
親がどう接してきたかは、もう関係ないよね。
って、これはもう完全に抜け出せたから言えるセリフみたいですね。
まだその世界から抜け切ってない人にはただ責められるだけのツライ本になるかもしれない。