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第8巻。全14巻予定なので、本巻から後半に入ったことになる。
世に知られている通り、第8巻では同性愛を巡る考察が主なテーマ。疑問や考察は巻末にかなり長い解説が収録されているので、それを読むと当時の世相や同性愛者を取り巻く状況がよく解ると思う。
また、『私』が死んだ祖母を思い出す場面はかなり哀切で印象に残った。
ところで、岩波文庫版は割とコンスタントに刊行されているのだが、古典新訳文庫版は一体どうなったのだろう……? 中絶するってことは無いと思うけど……。
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折り返し地点を過ぎてここから後半戦。
これまで少しづつ仄めかされていた同性愛のテーマがようやく前面に出てくる。近代西洋文学で同性愛が正面から取り上げられたのは、これがもっとも早い時期のものだとのこと。
まあ、それはそれとして、本巻もやっぱり主人公がゲスでクズすぎる。男爵と仕立て屋の「アーーッ!」て所をわざわざ隣の部屋に忍び込んで盗み聞きしたり、セフレと毎日あうのは気分じゃないから都合よく夜中に呼び付けて性欲満たしたり、避暑地に来て「あ、おれ、この夏ヤった女14人だわ」とドヤってみたり、そうかと思えばセフレの怪しい素振りで嫉妬に狂ったり。エレベーター乗るたびエレベーターボーイに2500円もチップ払う金遣いも含めて(プルースト 自身も非常識な額のチップを払っていたらしい)、まじで主人公に感情移入できないクズだわ。
だんだんと主人公のクズさを読むのに関心が移りつつ、ソドムとゴモラ後編に続く。
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前半はシャルリュスを通して、男性同性愛の社会と文化を描写。悪意(ホモフォビア)も感じるが、リアリティはある。
中盤の祖母の死の実感、母の変貌の発見は圧巻の筆捌き。
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第4篇『ソドムとゴモラ』第1部「ソドムとゴモラ I」
七巻終盤でゲルマント公爵夫妻を訪ねたことを書いたよね、その時実はシャルリュス男爵の同性愛行為を見ちゃったんだよね。
アパルトマンの中庭でさ、仕立て屋ジュピアンとシャルリュス男爵が出会ったときにお互いに「分かった」みたいなんだ。もちろん「わたし」にも分かったよ。だから二人が入ってったジュピアンの店の中を探れる場所に移動したんだ、もちろんバッチリ聴いたよ!
…で始まる八巻!それで『ソドムとゴモラ』かーーー( ̄□ ̄;)!!
『ソドムとゴモラⅠ』では、男性同性愛について「わたし」の考え(つまりプルーストの考え?)が述べられていく。
プルーストはシャルリュス男爵のモデルになったモンテスキウ伯爵に執着していた(と、澁澤龍彦『異端の肖像』で読んだ)。
そんなプルーストが語る同性愛。「蘭の花とマルハナバチのような求愛の仕草」だとして、実際に蘭の花とマルハナバチの描写と、シャルリュス男爵とジュピアンの描写を混ぜているのがなんか凄いんだけど。
いままでもシャルリュス男爵のことを「女らしさが見える」と書いていたんだが、今回改めて「男性同性愛とは、男性の中の女性の心が男性を愛するのだから、心でみれば同性愛ではなくて異性愛だよね」などと言ってます、そうなのかーー。
❐社交界のこと
社交界でもだんだん地位を得ていった「わたし」。ゲルマント大公邸での夜会で上流社会の交流についてつぶさに観察する。
誰と知り合うか、どの夜会に出るかまたは出てはいけないか。上流階級者たちはかなり辛辣で、自分が認めていない相手や夜会には「出たほうが自分の格を下げる」とはっきりいう。
❐スワン氏のこと、ドレフェス事件のこと
余命数ヶ月のスワン氏は表情にも病症が出てきて衰えも感じるようになった。そして死を前にしてスワン氏のユダヤ人らしさが顔にはっきりとあらわれるようになったという。
スワン氏のことを語るときには「ドレフェス事件」のことも語られる。明快にドレフェス指示を公言するスワン氏だが、反ドレフェス派との別離も起きている。
社会を二分したというドレフェス事件だが、人々は政治や民族的なものだけではなくて「自分の家族が反ドレフェス派だから」「ドレフェス派のほうがかっこういいみたい」「恋人がドレフェス派だったから自分もそうしたけど、別れたから反ドレフェス派にする」などと、人間が何かを決めるやり方の心もとなさを感じてしまう。
□バルベック再訪のこと
「わたし」は、四巻で花咲ける乙女たちと知り合ったバルベックを再訪する。
ホテルに着いてブーツを脱ごうとしたときに「わたし」の目に涙が溢れだす。前回来たときの祖母とのやり取りを思い出したのだ。
この「失われた時を求めて」は、上流階級の上っ面さ、同性愛覗き聞き(作者プルーストが相手にされなかった相手をモデルにした人物)、金持ちぼっちゃんの散財や女性遍歴など、読んでいて困った人たちだなあと思うところもあるのだが、この祖母を思った涙のような繊細で圧倒的な感情もきめ細かに表してゆく。これだから難解な長編でも読み進めていってしまう。
□バルベックでの交流
…祖母との思い出に読者も感動していたが、その後の「わたし」はアルベルティーヌを含めて14人の女性と一時の喜びを味わったらしい、この金持ちボンボンの気楽な遊び人めーーー!ヽ(`Д´#)ノ
□アルベルチーヌとのこと
アルベルチーヌとのお付き合いは、相変わらず「いささかも恋していないが、官能的欲望に身を委ねるために夜中に呼びつけるんだ」などと言っている。この金持ちの坊っちゃんめ!( ̄◇ ̄メ)
あるパーティで、アルベルチーヌが女友達のアンドレと「乳房くっつけて踊る」姿をみかける。同席の医師コタールに「彼女たちは官能を味わっているに違いない」と言われて、まさかアルベルチーヌは同性愛者なのか!?と焦る。アルベルチーヌには「もう別れよう。自分はアンドレを愛しているんだ」などと偽の告白をしてアルベルチーヌの心を試してみたり、同性愛者の友達の話を聞いて心配になり一緒にパリで暮らそう!と決意したり…なんか色々空回ってないか。
なお、このあたりでは実にさり気なく「いまはもうこの世にいないアルベルチーヌ」と書かれているので、アルベルチーヌは老人となった「わたし」よりは早く亡くなったようだ。
□同性愛
『失われた時を求めて』では同性愛表記も多い。バルベックでは、同性愛の女性同士が人気のないホテルのロビーで「まるで自宅の寝所にいるような」行為に及んだらしい、なんだってーー。
シャルリュス男爵もバルベックで静養中。同性愛関係のバイオリニストとのことが語られる。
シャルリュス男爵のモデルになったモンテスキュウ伯爵とプルーストの関係はこちらに書かれていた。
https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4309400523#comment
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この巻のトピックは大きく次の要領
1. 主人公はシャルリュス男爵と仕立屋の男色の現場を目撃(正確には盗み聞きしてしまう)
2. 大公のパーティーで女好きを装う男爵を眺める。
3. そのパーティーでスワンから大公もドレフェス派だと聞かされる。
4. 恋人のアルベルチーヌに袖にされたりして悶々と過ごす。女友達とただならぬ仲ではないかと疑う。
5. 久方ぶりに避暑地バルベックに滞在する。母とも合流し、亡くなった祖母のことを偲び、罪の意識もちょっと味わう。
6. アルベルチーヌがやって来るが始終浮気を疑い落ち着かない心持ちで過ごす。
7. 身分の低い姉妹と仲良くなりお下品に過ごす。
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この物語のテーマでもある記憶。記憶は時とともに変化し、思い込みに化ける。人は変化するものだが、場所や景色も実際に来てみると記憶と異なる…などとつらつら書かれている。
以前にも会う前に思い描いていた人物とあってから実際に見たイメージが異なる…なんて記述もあった。やはり思い込みと現実の間にはギャップがある。
主人公が恋人に焼きもちを焼く気持ちもわからないでもないが、何故女友達にまで?普通はありえないですよね。この焼きもちには読んでいて些か閉口。