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山一証券の破綻のドラマを深く追った、読み応えのあるノンフィクション作品
ある一定の年代以上の皆様はを覚えているでしょう。山一証券の自主廃業の謝罪会見で社長の「社員は悪くありませんから!」という泣きながらの謝罪を。その社長は、前任の社長から引き継いで数ヶ月後たったばかりであった。
山一証券の自主廃業発表のあと、会社を清算や不正を追及する業務を行った業務管理本部のメンバーを中心に調査が行われていったが、そのことを知るひとはあまりいない。そんな、戦に敗れて退くときに軍隊の最後尾に踏みとどまる「後軍(しんがり)」のように、清算業務を行った会社員たちをジャーナリストの清武英利さんが取材したノンフィクションがこの「しんがり」です。
あの山一証券の自主廃業の背景、そしてそれに関わり不正に手を染めた人々、関わり不幸にも命を落とした人たちと色々な山一に関わった人々が書かれています。
最後には、そのしんがりをつとめた人たちの山一をやめたその後が書かれていますが、色々と複雑な気持ちになります。
読み応えもある1冊となっていますし、テレビドラマにもなっているので、ぜひ気になる方は手にとって頂きたいです。
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読みながら、自分がそれぞれの立場だったら何を思い、どんな行動をとったかな、と。
調査報告書読んでみたい。
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山一にこんな信念のしっかりした方々が居て、ようやく真相に辿り着いた。もっと早くに対処出来たなら変わっていたのかな。
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書店の店頭で平積みされていたので衝動買い。当時あまりよくわからなかった「とばし」などの仕組みや、なぜそんなことが起こるのかがよくわかった。
知人の親族の方も実名で登場し身近な感覚。
サラリーマンは大変だ、早く卒業してよかったと思う。
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山一證券破綻の原因となった簿外債務発生の経緯を明らかにするため、倒産発表後に調査にあたった社員を中心とした話。長年働いた会社への思い入れ、真実を明らかにしたい気持ちが人を動かした。一人で簿外債務を管理し続けた大槻の話から調査は一気に進んだ印象。最後は社会への調査結果公表までたどりつき、目的は果たされた。給与もほぼない中で働いた12人の仕事への気持ちは見習う。
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会社の中の論理が外の世界とは違う、ということはよく起こりうることだ。最近でいえば、五輪のロゴマークだって、恐らくデザイン会社の中では許容範囲だったのかもしれない。でも、別な論理というか世間基準とは大きく乖離していた。山一で起こったことは、社会の縮図でもあり、象徴だったともいえる。また、本にも出てくるように、意図的に潰されたという話も聞く。いずれにしても、その中で粛々と戦い続けた人達の姿をしっかりと焼き付けた本だと思う。
きっかけは某企業(本では実名)の転換社債の売り出しだったとか。当人はどのように思っただろうか。
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自分も企業に勤めるものとしていろいろと考えさせられるものがありました。自分はどの立ち位置にいれるだろうか?
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面白かった。山一証券自主廃業は新聞やニュースで見聞きしていたが、その裏でこんなことがあったとは。
やりがいにお金や立場に求めない理想的な姿があったのは、皮肉にも自主廃業した後だった…
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ノンフィクションがこれほど心を揺さぶるとは、改めて感嘆。何も派手な話はないが、愚直に働いてきたサラリーマンの人間模様が丁寧に描かれている。清武さんの文筆家としての腕と、これほどの作品をまとめ上げた胆力や気骨もすごいんだろうなと思った。
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東京に行くため仙台駅の中の本屋で、読みかけの本含め2冊がリュックの中に入っていたにも関わらず衝動買いしてしまった。
サラリーマンという生き方やバブル期以降の企業の変遷について考えさせられる本でした。
なぜこれを手に取ったのか。
読み終えて敢えて理由を付けるとしたら、3つある。
①サラリーマンの生き方の尊さに対する憧れ
いわゆる大企業のサラリーマンになりきれなかった人間として、サラリーマンとしての人生の送り方にある種の憧れや尊敬の念を抱いている。会社に対する誇りや家庭や上司や大切な人を守り支えようと、時に自分を殺し会社に忠義を尽くす姿勢である。
私の人生が今こうしてあるのも、両親はじめ、先祖代々のおかげであり、今の日本があるのも、全ての積み重ねである。ひとりひとりのサラリーマンが今の日本を作った功績であると思う。
②筆者が清武元巨人軍オーナーであること
清武元オーナーと読売巨人軍との衝突を経て、何をされているのか、どう生きているのか、何を思っているのかが知りたかったからだ。
メディアというのはニュース性が求められることから一連の流れのほんの一部しか報道されないが、実際は続いていく。
それを知りたいと思うようになったのは理由がある。東日本大震災での経験だ。今もなお、東北においては大変な想いをされている方々が大勢いる。しかしメディアへの露出がないため、社会の関心は向かわない。メディアというものがそういったものであるし、もっといえば人間自体がニュース性を求めるのでメディアを一概に批判しても仕方ない。日の当たらない部分にいてそこに真実があるからこそ知ってほしいし、日が当たらなくなった出来事や人のことを知りたいと思うようになった。日が当たらなくなったところに、真実や価値があることを忘れないようにしたい。そこに想いを馳せる、寄り添う意味があるのだと思う。
③幕引きという役目
東日本大震災が発生し、私は2011年3月28日から宮城県で活動している。一瞬戻った事もあるが、結局、ここにいる。震災が起きて色々なことが起きた。支援で来た外部の人間は色々なものを置いて帰った。たくさんのものも生まれた。良い部分もたくさんあったが、それによって辛い想いをしている人、負担に感じている人もいるのではないか。自らの選択の結果であるという責任論では片付けてはいけないように思う。引き継ぎや現地化という言葉は、思う以上に時間がかかる。私が今もここにいるのは、自分自身の反省であり、最低限けじめが必要だと感じているからだ。ごく一部であるが特に関わった方々が、失ったものは計り知れないしずっと続いていくが、震災後の人生を充実していたと思ってもらえるようにしたい。ひとりひとりの復興とはそういった意味なのだと思う。
震災からまもなく5年。環境やそれぞれの事情に合わせて、変わっていく時期である。何より大切なのはまず自分自身の幸せである。結果論として、しんがりのように使命を果たす事で人生を充実したと言えるのであればよいが、まずはそれぞれの生活を第一にしてほしい。
���初から関わった人間として、最低限のけじめをつけたいと思っている。
http://kunihiro-law.com/files/open/writing/555d7e5511jn4cpn563ju_pdf.pdf
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物事は始めるよりも終わらせる方が難しい。日本人はそれを太平洋戦争で学んだ。そして山一の破綻劇でもう一度実感することになるとは誰が想像しただろうか?
野澤社長の涙の会見はいまだ記憶に新しい。しかし彼らはその後、どのように会社を畳んだのか、その陰にどのような人間ドラマがあったのか、当事者以外知る人は皆無であったといっても過言ではない。そしてこの著書を読んで全てを知った時、人が正しく誇りをもって生きる意味を学ぶことになるであろう。
会社の最期を看取るのは、親の介護と同じ。損得で考える子供はこの世に居ない。
しんがりの「最後の人」は、転職先に選んだ製造業を「実業」と呼び、金融業を「虚業」と呼んだ。これら表現は、単なる対義語としての使い分け以上に重みのある何かを我々に伝えようとしている。
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久しぶりに小説を読みながら泣きそうになった。小説「しんがり」。山一證券の倒産劇。役員なのに責任逃れをする輩たちへの憤りや、しんがりを務めた人々の社会・社員からの憤怒に敢然と立ち向かった姿に涙を感じる。
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山一證券の自主破綻についてのノンフィクション。
大変お恥ずかしい話ですが、この作品に出会うまで興味もなければ、この自主破綻についてほとんど知りませんでした。当時は世の中について本当に無関心というか、別のことに夢中になっている学生でした。
実際に働いていた社員の方々と同じ目線で書かれている作品のため、当時の実情が良く分かるように感じました。
「しんがり」というタイトルですが、負け戦の最後尾の隊員たちではなく、最初から最後まで、隊の中心であきらめずに隊員のために働いたという重要な役割であったと思いました。
このように最後まで隊のために尽くすことは自分には無理だなと思いました。隊の一員という帰属意識が薄いのかもしれません。責任を負わされているというように感じ取ってしまうのも理由のひとつかもしれないです。同じような事件が山一證券の後もあったと思います。他の事件のとき、その当事者はどうだったのでしょうか。
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TV化されて話題になっていたので読んでみたが、思ったほどではなかった。廃業した会社の清算業務として原因究明を行ったしんがりの社員の方々には頭が下がるが、ストーリーとして興味が持てるかというと少々疑問。TVでみると面白いかも。
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結局よくわからないまま終わってしまって…作家さんには大変申し訳ない気持ちです。
山一証券の破たんをリアルタイムで知った時に、自分はいったい何をしていたのか、その陰で「しんがり」を務めた社員たちがどんな時間を過ごしていたのか、本を書店で見た時に知っておかないといけない気がして手に取りました。
でも、登場人物が絶えず入れ替わり、時間も絶えず前後して、正直訳が分からなくて、「しんがり」を務めた人たちが最後には恨み言も言わずに第二第三の人生をただ前を向いて歩んでいらっしゃることだけが伝わってきました。
作家さん、ごめんなさい。