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中学生時分の私には山一証券の破綻は「突然」のことであり、その意味すらわからなかった。本書を読んで、それは「突然」ではなく「必然」であったことを知る。
「しんがり」の面々から見て取れることは我が国におけるコンプライアンスの「萌芽」だ。
組織の中で生きる人間にとって拘るべきことは何なのか、改めて思い知ることができた。
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熱い男たちの物語。フィクションであるため、悪の部分についてはそこまで言及できなかったのであろうが、山一の
債務隠しのスキームにはうなるものがあった。
自主廃業後、一部のメンバーは転々と職を繰り返す。
自分の思ったこと、正しいと思うことを上司に堂々と
ぶつけるからだ。
最大のテーマは、巨大勢力に向かっていく面白さだと思う。
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1997年、100年続いた大手証券会社、山一證券が、
多額の損失隠しをきっかけに経営破綻。
突然の自主廃業となり、
1万人とも言われる社員全員が解雇されることに。
恐慌状態に陥る中、かつて社内で「場末」と揶揄された業務管理本部で
最後まで、事態の原因究明と顧客への補償のために奔走した12人の社員たち。
多くのスタッフが再就職を急ぐ中、会社にとどまり、信念を糧に無給で働いた
彼らの奮闘を描くノンフィクション。
非常によく取材してあって、事実誤認の無いよう過剰な演出を廃し
理性的に書かれた文章にかえって凄みを感じます。
自浄作用を失って暴走する組織犯罪の恐ろしさがよくわかります。
誰も明確な責任意識を持たないまま、都合の悪い問題を先送りにし続けて、
どう考えてもいつか破綻するはずの事態の進行を止めることができない。
集団であるがゆえの思考停止。
大企業なら多かれ少なかれこういった病理を抱えているのではないか。
そして、そういうものと戦えるのは出世の道から外れた、叩き上げの者達だけ。
カッコいいけど、それはすべてをきちんと終わらせるための戦いで。
やはり帰るところを失うのは寂しいものだなあ。
しかし、いきなり2000億円超の帳簿外債務が発覚して会社がぶっ飛ぶって、
想像を絶するわ。
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1997年に、巨額の簿外債務が表面化し、自主廃業を余儀なくされた山一證券。
その簿外債務は、役員を含む一部の法人営業部門、本社・国際部門のみが関与し、多くの社員が働く国内営業部門等その他の部門には、まったく知らされていないものだった。
それが、自主廃業を発表する野澤社長の「社員は悪くないんです」という号泣会見につながった。
社長は、社員はじめステークホルダーたちに、何が山一證券で起こったかを明らかにすると約束た。
その業務にあたった業務管理本部長以下12名の戦いの記録。
誰のために戦うのか、彼らは法人の山一では神域とされていた法人部門、そして、その商いを眩ます為に利用された国際部門に突入する。そして、当時、神のように絶対視されていた、元会長、元社長、そして多くの役員、元役員等に担当直入に質問をぶつけ、社員でしかもぐりこめないような隙間に隠された資料を捜し、山一證券が廃業するその日までに、報告書をまとめあげ公表する。
そこには、山一證券の隠された取引、自らの責任を認識せず会社のそして時には自らの優先し、決済を与えた役員たち、さらに問題を隠ぺいし先送りにした経営陣。さらに、金融機関に対する検査で問題を把握していたにもかかわらず、その後調査を行わないばかりか、損失を隠蔽する企業への配慮すら暗に要求する大蔵官僚たちの姿が、事実を元に、実名で書かれていた....
もう一つの隠ぺいとの違いを考えた。
東京電力福島第一原発事故については、いくつかの調査が行われている。しかし、その調査内容が食い違っていることについての調査は行われているのだろうか?
一つの調査が真実を書き、ほかの調査は嘘を書いているのだろうか?
おそらくその調査は、調査を依頼し、行うものの視点からは、正しい内容のものなのだろう。
しかし、その調査を依頼し調査を行うものが、事故発生当時もそして将来にもわたって存在する、東京電力という会社また、監督官庁、政府、国会議員などの意思を忖度して行われるとしたら、その調査結果にはバイアスがかかってしまうことは容易に想像できる。
山一證券の調査は、その経緯を明らかにすることのみが優先されるものであったのだろう。
将来にわたって生活を保障してくれる会社は、もうない。
護送船団をまもってくれる大蔵省からは見離された。
そうなって初めて、真実を明らかにしようという働きが、社員のなかにも生まれるのではないだろうか?
起きてしまった事故の現在の状況を隠さず明らかにする。そして、そこにいたる経緯をあきらかにする。
さらに、それらの事実を踏まえ、次は同じような不祥事は起こさないように、しっかりと事業計画を立て直し、原発を再稼働させる。もしくは、原発をあきらめ廃炉にする。
そのような過程を経ずに、問題を隠蔽したまま、旧来の態勢のまま、突き進んでいく今の原子力行政についても、本書は問題点を突きつけているような気がする。
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小学校以前の記憶はほとんどないが、妙な記憶は残っている。
母親に連れられて行った銀行みたいな場所はATMが並んでいた。その機械に入れる通帳に描かれていたセーラー服を着たペンギンの絵がかわいいな、と思ったことをよく覚えている。
その証券会社が自主廃業したのは1997年、このときは小学校低学年で世の中のことなど分かっちゃいなかった。
北海道拓殖銀行に続き、山一證券が経営破たんというニュースをテレビで見ていて、銀行も潰れるんだなぁ。預けたお金はどうなるんだろう、と疑問が沸いたという覚えしかない。
さて、本書「しんがり」は山一證券が経営破たんした後の清算処理の話である。
社員はおろか、役員にさえも伝えられていなかった三千億円の負債は違法行為から生まれたものだった。その違法性ゆえに会社更生法を適用されず、自主廃業の道しか残されなかったのだ。
なぜ、三千億円の負債が生まれたのか。お茶を濁し口を閉ざす幹部たちへのヒアリングを繰り返し、不正の事実を見つけるために決算書を探し求めた。
すべてを知る権利が社員にはある。最後まで筋を貫き唐須ために、事実上会社が消滅した後も残って処理を続けた十二人の部署があった。
大企業にも終わりが来る。会社が潰れるときに人はどう動くのか、という点も見どころだった。
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2015/1/9読了。
全体像が見えにくい大企業であっても人の集まりという点は不変であり、一人一人の判断と行動が企業の行く末に影響を及ぼすことを再認識。
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以前上司に、会社を愛せるサラリーマンになれと言われたことを思い出した。
どういう意味かずっとわからなかったけど、この本を読んで初めて意味が少し分かった気がする。
サラリーマンの生き方、に対する指南書のような一冊だった。
仕事に対して、会社に対して悩みが出来たらこの本を読み返そうと思う。
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「いまさら山一證券の破綻を取り上げる意味があるのか」と、出版社のベテラン編集者が言っていたそうだ(あとがきより)。いやぁ、まったくそんなことはないでしょう。若干下世話な好奇心からとか、大企業の倒産の裏側に興味があるとか、山一と無関係じゃなかった人とか、理由はさまざまでしょうが。出版まで曲折があったとのことですが、読後は、そのベテラン編集者の言葉は単なる建前であって、違う意味があったかもと思ってしまいます。
山一の倒産時は既に社会人でしたが、まだまだ駆け出しで他人事でした。しかしそれから現在に至るまで、倒産まではいかなくとも、事業終了やM&Aが身近になり、リストラも珍しくなくなり、会社員にとってこういったことは他人事ではなくなってきたのではないかと思います。
そういう意味では、もっと人のぬくもりのある、当時の日本の人々が描写されていて、もはや懐かしさを感じると同時にあの頃はよかったなぁと思ってしまうのは年をとった証拠でしょうかね。
しかしながら、企業に求められる社会的責任というのは今も昔も本質的にはそれほど変わっていないんじゃないかと改めて思いました。
蛇足かもしれませんが著者の清武氏、どこかで聞いたような名前だなと思っていたら、かつての読売巨人軍球団代表の方なんですね。そちらの件はよくわかりませんが、元々こちらが本業ということで。
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今から20年近く前になる1997年に廃業となった山一証券会社の社長の号泣記者会見は今も、鮮烈な記憶があります。
廃業と決まった会社に残り、会社が破綻に至った原因を究明した社内調査委員会のメンバー。その委員会の12名のメンバーの活動の経緯を追った記録ですが、文中に魂の‥とある通り心に響く読み物になっています。何故、倒産してしまった自分の会社の破綻原因調査などというなんの見返りもない後ろ向きの仕事を引き受けるのか、普通はそう考えることでしょう。上層部の聞き取りの過程では抵抗勢力が大勢を占めていました。‥多分会社という組織には馬鹿な人間も必要なのだ…そう考え、その報告書が自分をも不利な立場に追い込むことを知っていながら、調査委員会の長を務めあげた嘉本常務。彼に付いていったメンバーは皆同じ心意気の者たちでした。そこには会社の汚い部分とは裏腹の清廉と言う言葉が当てはまります。
これを読むと未だに絶えない会社などの組織にまつわる不正や組織ぐるみの嘘の構造がありありと浮かび上がってきます。経営者などの権力を握るほんの一部の人のモラルの欠如が如何に重大な影響を及ぼすか。そして、それを質してその企業の良い風土を造るのもそこにいる一人一人なのだということを改めて思いました。
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読売の清武代表がかつて担当した山一証券のヤマについて書いたとあって、期待して読んでみた。
飛ばしの手口やらが難しくてあまり理解できなかったのは仕方ないとして、内容が冗長で面白くなかった。
登場人物に華がないというか、魅力がないというか。ノンフィクションなのかフィクションなのかどっちつかずの本という印象。
読む人が読めば面白いのか?
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終盤は登場人物に感情移入できて、熱さを感じることができたが、そこに至るまでがスピード感やメリハリが無くいまひとつだった。
山一証券という会社をリアルタイムで見ていなかったからなのか。
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山一證券が倒産した時に、新卒で電機メーカーに就職した私は、山一が倒産した真の原因や、その後の清算業務に尽力された方々のことなど、思いが至らなかった。自分が就職した業界が、その後、大規模なリストラや構造改革を実施することになることも。
会社は生き物でいつどんなことが起こるか分からない。その当時、とても大変なご苦労をされた方々が、それを不幸と思わず、前向きにとらまえて、未来へと進んでおられる姿は清々しい。そういう気持ちになるまで、一定の時間が必要だったとは思うが、会社に守ってもらう時代は終わり、変化の時代の中で生き抜く力を一人ひとりが身につける時代になったのだと、誰もが感じる世の中になったというのは、一つ成熟度合いが増した社会になったのではないか。
いつの時代も、目立たず地道に努力する人々がこの社会を支えている。そのことに改めて感謝する気持ちにもなった。
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まだ記憶に残る山一證券破綻時の精算業務のお話。
確かに1997年は大変な年でした。準大手である三洋証券が潰れ、絶対潰れることなどないと思っていた都市銀行の一角、北海道拓殖銀行が破綻。
とどめに山一證券の自主廃業が日経の一面に載りましたよね。
自主廃業ってなんやねん!と思った記憶が有ります。
その自主廃業に係る精算業務に携わったギョウカン(業務管理本部)の苦難の道を赤裸々に描いている。
預かり資産を全顧客に返還する精算業務と同時に、自主廃業に至った原因で有る簿外債務を徹底調査する事になるギョウカンの面々。
社長や副社長、経営の根幹に携わったお偉いさんを糾弾しなければならないのだから大変だ。
サラリーマンなら考えただけで胃が痛くなる。
事実を開示して欲しくない経営陣の面々。遂に出来上がった調査報告書を前に内々で済ませようとする旧経営陣。
最初kから最後まで邪魔されながら遂に報道陣に実名入りで全てを公表するギョウカンの面々。カッコいいです。肝が据わっています。
但し山一解散後は順風満帆なサラリーマン生活を送ったとは言い難い調査委員会の面々。
それでも得難い経験をした、充実していたと言い切る人たち。みんな男前です。(女性もいますけど。)一風変わった企業ドキュメンタリーですが読み応えあります。
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1997年山一證券の廃業についてのノンフィクション。
難しい用語が多いため、読むのが大変でした。
ちょっとだけ胸が熱くなりました。
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偉い人は、不正が発覚すると引責辞任しなくてはならない。
私が生まれてから何度総理大臣が代わっただろうか。
何度社長が泣いて謝って次の日に辞任するというパターンの報道を目にしてきたのだろうか。
少し大人になったらこんなにポンポン社長が辞めたら、その下に働いている人は大変だろうなという感覚が自分の中で芽を出すようになった。
この作品中には、「事後処理に携わった者の中に、いわゆるエリートや幹部は含まれていない」という記述が何度か出てくる。
それが、この作品の主題だ。
何をもってエリートなのか。
何をもって責任なのか。
管理職なのか。
プライドを持って働けよと。
消えゆく会社の下で、誰のためでもなく
信念を貫きたいが故に、身を粉にして働く彼らの姿に、
嫌なことがあったらとりあえず辞めることを選択するようになった時代であっても、
追いかけるべき背中として誇りに満ちていてかっこいいなと
実感した。