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内容は、何が自分を幸せにするのか、気分よくするのか、それをわかっていると幸せだよ、というもの。
仕事は、つまらないし、お金はないし…
そんな私が、最近、気分が上がることは、何か。
帰り道、東京タワーや皇居など
パワースポットといわれている場所をとおることです。
なんだか、気分がすっきりするんですよね。
自分を幸せにするもの、気分よくするものを探して歩くのも、結構、面白いかも。
これで、何日間かは…、気分よくいられそうです。
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この著者の名前を見るとどうしても昔テレビでやっていたCM「ウーヤーター」を思い出してしまいます。
さてこの本はそんなこととは関係なく、日々の中で幸福を感じる為のヒントがたくさん詰まった素晴らしい本です。
どれも目からウロコがこぼれるような話ばかりですが、「悩むことと考えることを区別する」というのはかなり心に響きました。
誰でも読めばきっと役立つことが書かれていると思うのでお勧めです。
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鴻上さんの著書「幸福のレッスン」には、「心のバランスを失うことを恐れない」という一節があります。
「えっ、どうして?、心のバランスを失ったら、ちょっと怖いんじゃないの?」と思いましたが、本文を読んだ後、「失う」のと「崩れる」のは違うよねと気が付きました。
「心のバランスを失う」というのは、心のバランスを激しく揺さぶられること。
ものすごく怒ったり、嬉しかったり、悲しかったりすることです。
夢中になったり、一生懸命になったりすことと言いかえられるかもしれません。
鴻上さんは、「大きな喜びをくれるものは大きな苦しみもくれる。そう覚悟して、心のバランスを失うことをおそれないようにする」ことを提案しています。
感情を心の中に閉じ込めていると、感情が壊れてしまうので、感情をさまざまに動かすことが必要だと説明しています。
夢中になったり、一生懸命になったりすることから、逃げてはいけない。
それが、心のバランスを失うことを恐れない。ということだと理解しました。
「私にとって、何が幸福か?」をみつける手がかりをくれる本。
ちょっと壁にぶつかっているなとか、人生の節目という方にお勧めの一冊。
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今月9冊目
★★★
この前この人の読んでん面白かったので。
これはまあまあだな。
自分は幸福か、かなり満点に近いほど幸福だと思う
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自分は、何を幸福だと決めているんだろう。自分は、誰になんと言われようと、自分の人生の中で幸福をどう考え、どう納得しているんだろうと考えたのです。(p.4)
「そんなこと、できません」と泣いている俳優志望の若者は、何を守るのでしょうか。
じつは、出社拒否している新入社員も、投稿拒否している新任の先生も、特別に守るものはないと僕は思っています。守るものがないのに守ろうとすると、人はイメージだけを守ろうとします。つまり、具体的に守るものが何もないからこそ、人は全部を守ろうとして、ものすごく保守的になるのです。(p.41)
中途半端なプロデューサーは、自分の体面とプライドを気にします。「自分から話しかけたら、低く見られる」「話しかけるのは向こうの方で、俺がひょいひょいと歩きまわるのは筋が違う」「話しかけて、スルーされたら恥ずかしい」なんてことです。
そうやって、抽象的な「自分」を守っている人は、たいした仕事をしていません。守るべきものがないので、そうやって抽象的な「自分」を守ろうとするのです。(p.43)
「他人の評価」を、一番大切なことにしてしまうと、終わりがないのです。
「他人の評価」が、つい一番になりやすいのは、明確だからです。自分で自分の気持ちはなかなかわかりませんが、他人から言われたことははっきりしています。
「すごいね」「ダメだね」「なんでそんなことやってるの?」
他人の評価は言葉として伝わってくるので、一番にしてしまう可能性が高いのです。
けれど、絶対に一番にしてはいけません。それを一番にしてしまうと、不安定で変わり続ける「他人の評価」という無限ループの中に取り込まれ、終わりのない迷宮をさまよい続けることになるのです。(p.48)
「有名病」がここまで広がったのは、ネットという、誰もが簡単に参加できる方法が生まれたからです。ネットの存在で、みんな、一瞬、「自分も有名になれるかもしれない」と思ってしまったのです。
ネットで発言し、注目されれば、有名人になれるかもしれない。若ければ若いほど、そう思ってしまうのは無理もありません。
ネットは巨大な「自意識開発装置」です。自分の発言が常に数字で評価されます。自分に関心を向けろとささやく装置です。
ネットを歩けば、ネット世界の有名人に簡単に出会います。彼ら・彼女らは、テレビや新聞、つまりマスコミが求める水準の「なにか」は持っていません。もっとささやかな、もっと身近なトピックでネット上で注目されています。
たとえて言えば、マスコミが求める水準は、世界100カ国を回った旅行者です。けれど、ネットでは、日本国内を数県回っただけの水準でも、誰かは話しを聞いてくれるのです。
「この人がこんなに注目されているのに、自分が注目されないのはおかしい」−−自意識の開発装置であるネットでは、簡単にそう思えるようになります。
ただし、そんなネットでも、注目を集め続ける、何者かでありつづける、というのは、とても難しいのです。(p.88)
「有名になりたい」と思う人は多いので、「有名になりたい」と思っている他人に対しては敏感です。「この人は、有名になりたくて文句言ってるだけなんだ」とすぐに感じ、見抜きます。作品を創っていても「この人は、作品を創りたいんじゃなくて、ただ有名になりたいだけなんだ。作品はただの手段なんだ」と感じるのです。そう思うと、人は、そんな作品を受け入れはしません。ただ、無視するだけです。(p.91)
あなたがもし、「有名病」の重症の患者で、どうしても有名になりたいと思うなら、とにかく「なにで」有名になるか、見つける必要があります。批判ではなく、何を創って・作って・やって・集中して、有名になるのか−−あなたが夢中になれる「なにか」を見つけられれば、結果的にあなたは有名になる可能性があります。
でも、「なにか」に本当に熱中し、興奮し、取り組み、集中したら、やがて、「有名になりたい」という思いはずいぶんなくなるのじゃないかと思います。そして、そうなった時に、有名になっていたり、何者かになっていたりするのです。(p.92)
「集団は苦手だな」と身構えている俳優やスタッフに対しては、他の俳優やスタッフは身構えて接します。人間はそんなに強くないので、相手のことまで面倒を見られないのです。相手が微笑んで心を開いていると、こっちも微笑んで心を開きますが、相手が強張って心を閉じていると、こっちも同じように強張って心を閉じます。
険悪な人間関係は、仕組まれたものだと思いがちですが、多くの場合は、自分が無意識に準備したものです。
「思考は現実化する」という言い方がありますが、それはオカルトとか超能力とかの意味ではなく、「あなたの態度が周りに影響を与え、それがあなたに返って来る」という意味です。
「この人、嫌い」と思いながらその人に接したら、間違いなく相手に嫌われます。あなたの態度の端々に、意識的にも無意識的にも、相手に対する嫌悪が現れるからです。嫌われている相手を好きになる人はいません。
「この人に嫌われる」と思って接するのも同じです。嫌われると思えば、心を閉じます。積極的に開くことはありません。心を閉じている人には、相手は同じように心を閉じるのです。(p.133)
人は見たいものしか見ていません。あなたの日常が何も変わらず、同じことしか続かないと思っているのなら、あなたはそういうものを見たいからです。(p.140)
僕は、年間300本の映画(DVD)や舞台を見ているという奴が現れても、少しもクリエーターのライバルとして怖くはないです。が、年間300冊の本を読んでいる奴は怖いです。映画は受け身でも見ることができます。睡眠不足でウトウトしても、映画や舞台は進んでいくのです。(p.191)
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自分のことがさっぱりわからないので自分の幸福について考えるヒントになればと思い購入しました。
特に印象に残ったのが0か100かを目指さない、悩むことと考えることは違うという言葉でした。
まず68点くらいの自分を目標にコツコツ頑張っていこうと思います。
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著書の他の作品でも紹介されている内容があるので被ることがあると思いますが、シンプルかつ言い得て妙な内容が多く、勉強になります。