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SAPIX(小学部)と鉄緑会について書かれた本。「塾歴社会」というタイトルから、もう少し、出身者の系譜とか構造的な話があるかと思ったが、基本は関係者(塾、学校、出身者)に対してSAPIXと鉄緑会についての「感想」を言ってもらう、というもの。
他の塾についても触れながら今の中学受験(都内)についての概況についてはわかるようになっていて良い。
ただ、インタビューの多くは仮名かつ脚色されていて、著者が麻布高校出の元リクルートだったことを考えると、多くのインタビューは創作(もしくは麻布の同級生や後輩に酒を飲みながら聞いた話を基に構成)されたものではと疑うほど、一般的な話が多く、中学受験についてならマンガ『二月の勝者』の方がよく書かれていると感じた。
鉄緑会が「圧倒的な学力をつけて余裕で東大に合格する」ことを目的としている、というのは本書を読み進めていくと良くわかる。
SAPIXも鉄緑会も、勉強ができる人がいくと勉強ができる、できない人が行ってもついていけなくなる、という当たり前のことを書いていて、鉄緑会の学生講師自身が「講師は頭がいい人ばかりなので、わからない人の気持ちはわからない」と語っているのは(脚色されていると思いますが)非常に象徴的で、いかに事前に東大に受かりそうな学生を確保するかに注力している塾かが伺えた。
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教育業界はどんどん変化がある、から読んだのではなく、著者の別作品を読んでいて興味が湧いて手にとってみた。(正直、ほぼ真逆な方向性)
また、特に鉄緑会を採り上げてて、あの東大進学率が高い塾の特徴をどんな風に出すのかな、と野次馬根性が湧いちゃいました。
個人的になるほどなぁ、と思ったのは、超有名進学校も塾があるからこそ、自分たちのカリキュラムを受験に特化せず洗練(?)しつつ、進学実績を良いものが出せる関係になっていることでしょうか。前振りとして、進学校の先生方が内職で鉄緑会を代表とした塾の宿題をはじめ、あまり快く思っていない考えもあることが窺えて、その緊張感が面白いなぁと思いました。
あと、子どもに通わせたいとは思わないけど(親が大変なので)、サピックスの授業の中身は気になってしまった。。きっと面白いんだろうなぁ。
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内容はタイトル以上でも以下でもない。「サピックス」と「鉄緑会」という太いルートで日本のエリート層が形成されているという状況についてのルポタージュ。面白いです。
現代の知価社会は、様々な素質の中でも「頭が良い」ということに過剰な価値が付く時代。このレベルになると「頭の出来が元々違う」という何とも味家のない結論になる。そんな子女の皆さんが、鉄壁ルートで上昇し、数年で凡庸な平民とは別世界を形成している状況が分かりやすく説明されている。
面白かったのは、日本型エリートがきわめて同質性が高い状態にあること、あまり回り道をしていないことがメリットにもデメリットにもなりうること。とはいえ、エリートの転落みたいな話にはならず、元々の出来と積み上げが違うので部別の人生を歩もうと思えばすぐにできるので、何だかんだで楽しそうではある。
私のように、回り道しかなくて、生きる隙間を探しながら這い回っている者からすれば、なんとうらやましいことか。
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おおたとしまささんのルポ。
サピックス→鉄緑会→東大理3というエリート階級の仕組みがよくわかった。
批判でも絶賛でもなく、両方の立場からフラットにレポーティングしており、とても学歴社会→塾歴社会の構造がよくわかった
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「サピックス→鉄緑→東大」という「王道のエリート教育」の姿を、塾関係者、学校関係者、生徒自身、生徒の保護者という4者の声を集めて描き出し、どんな生徒がこの王道路線を歩むにふさわしいのか、私学教育の役割は何なのかについて考える本。
結論は明快で、要するに出来る子もいれば出来ない子もいるので、出来る子でない限りはこの「王道」を歩むことでかえって潰されてしまうということ、そして潰される子どもの背後には、おそらく弱い、あるいは不勉強な(ブランドにしがみつく)親がいるだろうという事実がある、という話だった。
東京の私学に子どもを通わす、通わそうとする人は読んでも損はない?かも。自分がそうでなくても、周りのお友達の親はこんな感じ、ということを知る意味でも。でもやっぱり親の冷静さ(良い意味での。クールすぎるということではなく。)や懐の大きさが子どもを救うのだと思った。冷静になる材料として、この本はおすすめ。
それにしても、鉄緑生が謙虚な理由、というのは納得した。そういう環境がそうさせてしまうのか、と思った。
著者の、全方位への気の遣いようを感じながら読む本だった。おれは関西だったからなあ、関西の「王道」について書いた本もあるのだろうか。(21/03/23)
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中学受験を視野におおたとしまささんの著作を読み漁っているが、中でもこの本は「我が子に勉強を≒学歴を」求めることの本質を、そして今現状ある塾歴社会の現実をどう考えるのか、問われる一冊だった。
・筑駒合格者の7割、開成、駒場東邦、桜蔭合格者の6割がSAPIX出身。
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・ひとつのジャンルとしての受験勉強に秀でている人は、切磋琢磨する環境の中でできるが、できない人に大量の訓練を行うことは、ただ単に処理能力と忍耐だけが鍛えられ、それ以外の大事なことを失う
・学歴は身分。平等であるべき、という根本思想が、単一のレールを生み、単一のレールだからこそ競争が起き、脱落と遅れの恐怖からエスカレートしていく。それが一種の資格として、平等に開かれた自由獲得への手形となればなおさら
・そのシステムの中で、学校が全人格的教育として自由に個性を発揮できるのは、塾が受験対策を担っているから
・欧米のように、大学が取りたい人をはっきり明示する、アドミッションポリシーを出すなど、受験の基準やあり方を多様にする大学受験改革が進んでいるが、それは子どもの文化的・生活的背景の不平等さを炙り出し、格差を広げることになる。そのトレードオフ
・王道を歩んできた人の共通点は、答えを見つけるのが得意、そういうもんだと納得する、いちばんを目指す、謙虚である
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【要約】
日本の教育は、平等性・画一性に基づいて学習指導要領が決められて、中学受験であれ、大学受験であれ、それに則り試験が課されている。この画一性が、逆に子供たちの能力差を浮き彫りにし、競争を生み出してしまった。
元来、塾があるからこそ、学校はその個性を活かし、多様な学びの場となりえた。上述の受験競争により、受験に期待されるウェイトが増え、学校を侵食してきた。また、本来は受験生自身が勉強のスケジュールをたてたり、試行錯誤したり、という中で人間力を鍛えてきたが、塾の台頭により、いかに効率的に答えに辿り着くかがマニュアル化されてしまい、その言いなりになることが受験競争の勝利への近道となってしまった。
また、サピックス→鉄緑会→東大という「王道」は、確かに実績を生み出してはいる。しかし、これだけでは、教育として何かが足りない。「回り道」こそ必要である。その時、名門校の教育力が力を発揮するだろう。名門校とは、単に偏差値が高いとか、東大合格者が多いとか、そういうことではなく、目には見えない教育力を持つ学校なのである。
【感想】
「王道」を歩んできた人たちの特性として、以下が挙げられている。
・「答え」を見つけるのが得意
・「そういうもんだ」と自分を納得させられる
・何でも「いちばん」を目指す
・謙虚
これらは、良い方向に発現すればよいが、悪い方向に行けば、ただの受け身の人生になってしまうだろう。子供にそういう人間になってほしいとは思わない。基礎学力は必要にしても、自分自身で試行錯誤できる人間になってほしいと思う。
「選ぶ基準を世間の評価に求めているのだとしたら、その選択は危うい。人生における選択の善し悪しは、決断したときに持っている情報量やそのときの判断力が決めるのではなく、その後の努力が決める」と著者は述べている。飽くまで子供が主体となって自分なりのフィロソフィーを持って、選択していくことが必要だろう。そのためには、親はレールを敷いてしまわず、様々な経験の場を提供すること(可能性を狭めないこと)、考えるきっかけを与えることが大事だと思う。その上で、選択や選択したあとのサポートをしていくことが、親としての役目だろう。その結果、子供自身が「王道」を進みたいと言うのであれば、それで良いのかもしれない。
これからは、日本独特の平等主義を一旦脇に置いて、各大学のアドミッション・ポリシーを明確化することが必要だ、と述べている。すなわち、「わが校ではこういう学生がほしい。そのためにこういう方針に入学試験を行う」という宣言である。このことにより、これからは偏差値ではなく、子供たちがその個性に合わせて大学に進学する時代が来るのかもしれない。
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視野を広げるための勉強が逆に狭い世界を作っていたことに気づく弁護士が印象的だった。そうした狭い世界でのエリートだけの世界の中で物事が決まっていく現実。
できる子はやればさらにできるからがんばり、でもそこでも上には上がいるからその内輪では謙虚かもしれない。以前会った中高一貫校卒、東大卒のグループと重なった。
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針間貴己さんのお父さん(克己さん)がある日買ってきたという本。
サピックスや鉄緑会がやはり東京の受験の鉄板ということに驚き
とてもリアルな塾事情が書かれている
・要領がよく、東大医学部も涼しい顔をして合格してしまうような生徒でないと鉄緑会を使いこなせない。
・宿題が6〜7時間もかかってしまい、「型」を使うのではなく、「型」を覚えるのに必死になってしまう
・鉄緑会を利用しなくても東大医学部に進む子もいる
・それほど学力なく、部活をがんばりたくて、塾に時間を取られたくない生徒は平岡塾やSEGに通っていたようにおもう。最近はグノーブルも
・筑駒学生:学校は楽しかった。実験もできるし。鉄緑会は数学の受験実践では最適
・鉄緑会は直近で受験経験のある東大生が教えてくれる
・成増塾:高校2年制の部活引退から詰め込むスタイル。門脇 渉先生
・鉄緑生は馴れ馴れしい印象。
・東大は塾繰り人間よりもラグビーを頑張ってきて、1年浪人した人のほうがほしいはず。
・自分にあった塾や学習スタイルを
・一番を目指して理Ⅲに入ったが、医者になる気持ちはなかったり、その先の目的を見失っては本末転倒
・山崎葵さんは鉄緑会入塾下が受験に失敗、駿台にいって私大医学部も仮面浪人で千葉大医学部(バランスの良い人間が多かった)
姉は東大卒も尼さん
・開成生、鉄緑会の1教科あたり2〜3時間で宿題終える。塾はペースメーカー。部活も両立。
・築駒は自由な校風。鉄緑会の内職も
・桜蔭は鉄緑式回答は減点
・小学生はくもんをしていて、鉄緑通いながら東進の東大特進に数千円で通って無料で自習室
・デッサンやかけっこが苦手でもそれほど追求されないが、勉強は努力不足と言われる。勉強することとできることは違う、ほどほどはできなくてもいいからすることが大切だと著者は思う。
どの塾を選ぶかはその子次第。
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有名私立に通学していても塾に行く必要があるなんて。鉄緑会のことを初めて知った本。勉強のやり方がわかっていて量をこなせる人ならいいのかな。回り道してるエピソードとかは親がどうにかしてあげたら良かったのにとも思えた。勉強だけじゃダメだぞ、とかいうけど勉強は大事だから難しい。
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塾歴、残酷な言葉なのかもしれないけど、今や学歴以上の価値がある、と思われることも。
受験に追われ続ける、という側面を加速しているのかもしれないけど、一番は向いたところに行く、なんだろうな。。勉強や学習には向き不向きがあるから子供の適性、ほっといてもできる子に何を与えることごできるのか、その根源的な問いの一つの解なのかも。