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期待外れ。上田万年が具体的に何をしてそれが日本語にどのように影響したかが全くと言ってよいほど描かれていない。
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おそらく筆者の興味というか、専門は本書の前半にある。前半はおもしろくてたまらなかった。一方、後半になると、論点がずれるというか、興味が四方に散らばっていて、いまいち何を論じたいのかよく分からず読み進め、ついには読み飛ばすこととなった。最初の導入は最高に読ませるけど。
なお、文はもう少し推敲してほしいところ。ところどころ読みにくい。
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2016.11.19市立図書館
明治時代に日本語を巡ってどういう動きがあったのか。明治の文豪東西の横綱として並び立つ漱石と鴎外は、日本語の整備という立場においては真っ向から対立していた、というようなことはこれまでなかなか気が付かずにきたが、興味深い。保守(旧守)派と進歩派のせめぎあいはいつの時代にもある(そして寄せては返す波のように繰り返される)のだなぁ、先に読んだケンボー先生と山田先生のようなライバル関係もあったのだなぁと、おもしろかったのだけど、時間切れで半分も読めずに返却。江戸までの手習いや素読の世界から近代国家の基盤となる学校教育のなかの「国語」へと、どういう理想や論理にもとづいて整備が進められたのかといったことまでじっくり取材されているので、腰を据えて読みたい。また順番待ちして借り直すか、待っている間に文庫になるか…
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上田万年の生涯やそのまわりを、いろんな資料を丁寧に引用しながら追っていく。
よくよく考えてみれば、いろは〜順だった仮名を、50音表に落とし込むって、すごい発明だったのだ、と思った。(これは万年の偉業ではないけれど)
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上田万年(かずとし)
バジル.ホール.チェンバレンの弟子。博言学、言語学者
明治元年(1867年)生まれ。
齊藤緑雨、尾崎紅葉、正岡子規、幸田露伴、宮武骸骨、南方熊楠、夏目漱石....も元年生まれ。
武士の時代が終わって30年、候文を止め、皆がわかる言葉を作る。我が国の国字と国語をどのようにするべきか?元年生まれの上田達が、言文一致の国語を作ろうと翻弄する。
森有礼、新島襄、内村鑑三、森鴎外、西周、前島密、福沢諭吉、西村茂樹、外山正一、
歴史上の人物の各々の意見を読むにあたり時代背景が浮かび上がり面白い。
ひらがな派や、ローマ字派、漢字派等?今更ながらびっくりです。
徳川期の旧文章は漢文。漢文訓読体。
公式文章として、そのまま昭和20年1945年まで使われていた。
「言文一致」に以降するために、文学の影響が大きいことは承知していたが、小学校唱歌、童謡もしかり。
猪瀬直樹氏の「唱歌誕生」を読んでみたいと思った。
話が山盛りで読みにくく時間を要してしまったところが残念。
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●「日本語を作った男」とはどういうことかと思ったが、現代日本語の発音を反映する新しい仮名遣いを使うことを決めた「国語」を作ることに上田万年という男が邁進したということであった。
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上田万年(かずとし)という人だけを扱ったわけではない、上田万年の伝記。明治時代~昭和初期にかけての、日本語の文字や表現をめぐるいろいろな事件が取り上げられていてとても興味深いし実際面白い本である。
板倉聖宜著『脚気の歴史』(仮説者)では、最後まで(自分が真っ先に勉強したからという自負心で)西洋医学のみにこだわってかえって脚気患者を増やしてしまった優等生の医学博士森鴎外(森林太郎)が、この本では、やはりこれまた文学博士として日本語の変革にブレーキをかける役をしていたことがよくわかる。誰彼かまわず論争を挑む姿は…自分が一番にならないとすまなかった超優等生が森鴎外だったんだなあ。悲しい人だ。ま、面白い作品は書いているけどね。
その点、上田万年は、なかなか頼もしい人だったようだ。
本書には、政治家や文豪など、名前も作品もよく知っている人、名前(作品題名)だけ知っている人、名前さえも知らない人たち有名人がたくさん出てくるよ~。みんないろいろつながっていたんだな。