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彼女の言い分が絶対に違うとは言い切れない。
理論は破綻していないので、これだけ読んでも真実はまだわからない。
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2016/02/05-02/11
①泥舟にこれほどまで泥を塗るのはなぜかと考えてしまう。恥の上塗り。
②男性に対する女性の業の深さを感じる。自分をステージに立たせた後、引きずり降ろされた恨み辛みをこれでもかとてんこもりされている。
③近年稀に見る"怨みの書"
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全部真に受けてはいけないとは思うが、これが小保方さんの言い分なのかなと。どうしてこうなってしまったのかは何とも言えないけど、学会というか、科学の世界も結構怖い世界だね。保身に走るのはどこの世界でも同じだけど。小保方さんはこれからどうやって生きていくのだろうか。
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STAP細胞にまつわる一連の騒動の中心となった小保方晴子さんの手記。
STAP細胞に関しては、未だに不透明ですっきりせず、実際のところあるのかないのか、様々な分野の利権に絡むことから、都市伝説的な憶測が飛び交っている。
本書では、多くの人の役に立つ研究をすることを夢見ていた小保方さんが、早稲田大学時代、東京女子医科大学時代、ハーバード大学時代、理化学研究所時代からSTAP細胞の発表、論文の撤回と研究者として歩んできた人生に沿って書かれている。
率直な感想は、研究者になることを夢見て、研究が大好きで、研究者としての成長に一生懸命ぢった小保方さんが、かわいそうという言葉では表現できないほど悲惨で、どこで道を踏み外してしまったのか、なぜ彼女がこんな酷い目に合わないといけないのか、憤りを感じる内容だった。
あくまでも小保方さんから見た今回の騒動、小保方さんの主張する真実にしかすぎないとしても、STAP細胞の発表当初から、今までの研究者には見かけない若い女性であることや、研究室に貼られたシール、割烹着姿での研究など、研究成果とは別次元の報道ばかりを先行させ、論文のミスや写真の使い回しが発覚すると、手のひらを返して、まるで魔女狩りをするかのように個人を追い詰める報道、雑誌記者等のマスコミの取材の名を借りた誹謗中傷やいじめは、酷すぎて涙が出そうになった。
特に本書にも実名を挙げられていたNHKと毎日放送の記者は、自らが考える善悪に沿う形で記事を書き上げるためには、相手の精神的な苦痛や自由、常識や日常生活すら当然に奪ってもいいものとして取材している姿が目に浮かんだ。
また、STAP細胞の研究は、なにも小保方さんだけが行っていたわけではなく、現在は山梨大学の若山教授の指導のもと行われていた研究で、実験に使用されるマウスの提供や、特定の手技(専門的なことでわからないが)は小保方さんにはできない手技で、その若山教授にしかできず、小保方さんは実験風景も見せてもらえることはなかったそうだ。しかも、見せなかった理由は、小保方さんに手技を教えると自分のところから離れていってしまうからという身勝手なもの。疑惑報道が始まってから、取材陣に情報をリークしたり、調査委員会とも繋がっていて小保方さんに責任を擦り付けるような情報を提供していたのも若山教授という確証があるようだった。
読み終えてからもなお、STAP細胞に関しては、本当のところはどうなんだという思いを払拭することはできなかったが、研究者どおしの嫉妬や、自らの保身しか考えない組織、一方的な報道に左右された世論に先導される大学、一旦悪者と決めるとそれしか見えなくなる人間の愚かさ、標的となった一人の人間を執拗に攻撃し、都合のいいように情報を切り貼りして報道するマスコミなど、ドロドロでヘドがでるような世界を垣間見ることができた。
個人的には、小保方さんやSTAP細胞の存在を信じたい気持ちが大きくなる本だった。
最後に、小保方さんをはじめ、STAP細胞の研究に携わった、健全で一生懸命であった研究者にエールを送るとともに、自ら命を絶ってしまったとされている笹山教授のご冥福をお祈りします。
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小保方氏の早稲田大学時代から、東京女子医大時代、理研時代までと、ネイチャーへの投稿から調査委員会用の実験、ネイチャーの論文撤回、博士論文撤回に至る一連の流れについて本人によりつづられた書籍。小保方氏視点でしか語られていないため、真相はわからないが、生物関連の研究における組織体制(例えば、GDがえらく、PIになれなければ自身がやりたい研究などできないこと)についてはどうかと思う。また、若山氏が担っていた研究部について把握することなく、論文を投稿し、いつのまにかヒーローになった(させられた)当事者意識の低さには驚かされた。世界レベルの研究機関ではこれが普通なのであろうか。本書を通じては生物学の知見を得られるだけでなく、報道とは何かということを考えさせられる。ヒーローからヒールになってからの報道陣の報道姿勢は大きく変貌していったのであろうということが見てとれる。
小保方氏については賛否両論様々な意見があると思うが、個人的に読み物としては分野も異なることもあり、勉強にもなったという点で興味深かったと感じている。
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学者というのは世間知らずのせいか、どこか歪んでいるのかもしれない。この本の内容は真実かどうかはわからないが、ここまで恨み事(本の中では否定しているが)を書く以上、真実の部分を含んでいるはずだが、まだ釈然としない事が多い事件だ。
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読み物としては、どうかと思いますが。これを読んでいて芥川龍之介の「藪の中」を思い出しました。結局、STAP細胞騒動はなんだったのかは、50年過ぎて歴史を振り返ってみたときしか解らないんでしょうね・
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メディアはこの本について良いようには報じていないが、それも当然。メディアバッシングが多々見られる。それをいいように報じるはずがない。
いままで、理研側の一方的な報道ばかりだったので、ほかの側面から情報が得られたのは良かった。
研究者は雇われの身だし、(特に日本では)叩かれた人の再雇用が難しい世の中。雇用する側もされる側も。しかも、研究者の発言する機会が与えられない。発現しても、言い訳だとぶった切るのみ。そんな中、研究者個人のみを叩くのは何とも卑劣な…。
【起】第1-3章
まずは、小保方氏は研究者以前に、学部生としての心構えが甘かったと感じた。ただ、周りの先生など、研究環境には恵まれていたようですし、素質はあったように思った。そのおかげで、博士号取得できた(取り消されちゃったけど)のだと思う。博士号取得は、本人の努力は当然だが、指導教員や研究分野、研究環境にも大きく左右される。そういう意味では恵まれた環境だったのでしょう。
【承】第4-7章
読む限り、ほぼ独力で博士論文を作成しているようだ。もっと指導教官や周りの人に指導を仰ぎながら、論文の書き方を勉強すれば、早稲田大学などの学位取り消しも難しくさせることができたのではないだろうか。小保方氏本人でも認めているミスもある。研究そのものだけではなく、学会発表や論文作成についても、学生のうちにたくさん勉強しておけば、良かったのにと思う。小保方氏の周りに先輩たちもいただろうに、先輩たちを見て考えてこなかったのだろうか。もったいない。
【展】第8-11章
山中さんも言っていたが、博士卒なんてまだ研究者の卵。そんな中、小保方氏に対し成功へのレール(実際は理研自身のためのだけど)が敷かれ始め、彼女自身も周りも戻れなくなってきた。
自分も理研が隣接する大学院で理研で研究する学生を見ていたが、彼らは大人の組織の中で背伸びして、研究しているように感じた。それらを見てきて学生のうちぐらい、もっと純粋な気持ちで研究したほうがいいように感じた。研究発表や会話を聞いていて、見栄っ張りとまではいかないが、自信過剰なように感じた。そうでもしないと押しつぶされるような環境なのだろうと感じていた。組織が大きくなると、そうでもしないともたないのだろうか。
そして、メディアの言わないというウソ。メディアはSTAP細胞はなかったことになってほしかったのだろうか。結局理研は収集を付ける事を目的に、対処してしまった。小保方氏も言っているが、科学は、監視しようがしまいが結果は嘘をつかない。監視カメラなんてナンセンス。メディアへの口実に過ぎない。
【結】第12-15章
ここでは、ドロドロの研究業界が垣間見られる。また、小保方氏は少なくとも純粋に探求心から研究していたことは伺えた。
STAP細胞の研究は結局打ち切りになってしまった。小保方氏たちが発見した細胞がSTAP細胞じゃなかったとしても、研究を進めていけば、同じような細胞の発見に至る可能性はあったのではないだろうか。打ち切りに至らしめたメディアは国益を損なった。噂ではアメリカのバカンティ教授がSTAP細胞の研究を続けている。STAP細胞はiPS細胞同様��多能性(万能性は間違い)細胞である。それが日本で成功させた場合の事を考えたことはあったのだろうか。STAP細胞は完全にアメリカに取られたも当然。メディアが科学研究の足を引っ張ってしまった。
科学の進歩にメディアなんかが、ブレーキをかけないでほしい。小保方氏を取り上げ始めたころから、本質を見失って、”リケジョ”だの”割烹着”が注目されていた。果たして、STAP細胞を理解していたものはどれくらいいたのだろうか。未だ”万能細胞”を使っている時点で、勉強不足だ。ES細胞、iPS細胞、STAP細胞すべてを”万能細胞”を称する。ES細胞が万能細胞だったら、iPSもSTAPもいらない。
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読んでいくと彼女の学生時代から階段が用意されているかのように順調だったけど、上司が進めてくれた部分があったり、教えてもらえなかったりして彼女自身のスキル向上などの不十分さは自覚があったようだ。彼女自身で研究がきちんとコントロールされていればせっかくの彼女自身のアイデアがこのような経緯を進むことはなかったかもしれない。そういう点では彼女の甘さもあったのではないかと思う。
けれども、研究者の世界のあり方、理研のあり方、メディアのあり方、大学のあり方には問題がある。こんな状況がこんな社会がこれからの人材を育てていくことに不安を感じる。研究の世界だって、あるにせよないにせよ昔から先人たちが失敗を続けてきた上での今の成功や発見につながってるのだと思うし、実際のところ、彼女を悪者にして、何が真実かを追求していないこと、本当の論点がずれていること自体悲しいことだ。
彼女自身まだ若い。少しでも彼女自身の人生が良い方向に進むことを願う。
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最近読んだ本の中では、ダントツに面白い。マスコミの個人に対する、取材という名の暴力。日本人の空気に流される考え方。など、現状の日本問題を浮き彫りにしていると思う。別途、この事件に巻き込まれるまでの、学生時代から留学中の話も結構面白かった。
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あのSTAP細胞騒ぎは何だったのでしょうか。持ち上げられたかと思えば、皆でバッシングして彼女の研究生命を絶ってしまったことだけは新聞報道がなされた記憶があります。
最近知ったことですが、米国ではSTAP細胞が追試実験により確かめられて学会での発表までされているようですね。その記事がネット上にアップされるや否や、消されるそうですが。。。そんな思いをしていた私は、あの騒ぎの中心にいた、小保方さんの言い分を是非聞いてみたくなりました、それがこの本です。
これを読んでわかったことは、彼女がやりたかったことはネイチャーに論文が掲載されて箔をつけることではなく、純粋に世の中の人のために役立つ研究をしたかったことだと理解しました。若くしてネイチャーの論文に掲載されることを快く思っていなかった人も大勢いたのでしょう。彼女のような優秀な研究者が表に出てこれないのは、非常に残念に思いました。
以下は気になったポイントです。
・マウスやヒトなどの哺乳類の体は様々な種類の細胞で構成されているが、もとは一つの受精卵が細胞分裂を繰り返して形成されたもの。受精卵は最初、「全能性」と呼ばれる、発生に必要なすべての組織を形成できる能力を持っているが、数回細胞分裂すると、胎盤などの杯体外組織を形成する細胞と、退治のみを形成する細胞にわかれる(p16)
・iPS細胞は、分化した細胞に特定の4つの遺伝子を人工的に発現させるだけで、細胞の初期化を起こさせることを発見、人工的な多能性幹細胞を作成することに成功した成果(p16)
・生命科学分野では、ネイチャー、セル、サイエンスが三代誌と呼ばれ、人生で1回掲載されるだけでも研究者として将来がある程度約束されると言われるほどの権威がある雑誌(p56)
・博士論文は、最終でないバージョンのものを間違えて製本所に持って行ってしまい、これが大問題になってしまった(p73)
・STAP幹細胞は、若山氏・小保方氏・バカンティ先生・小島先生=51:39:5:5の特許配分と申請された(p103)
・若山先生の実験には、コントロール実験と呼ばれる対比のための実験が行われていなかった(p105)
・研究論文において、もっとも栄誉ある立場はシニアオーサーで、最後にのる名前であり、論文の誉れも基本はシニアオーサーに与えられる(p121)
・ネイチャーのアーティクルには、若山先生しか成功していない幹細胞株化のデータを、まるで最大の発見のように最後に載せることになった(p125)
・2013年12月21日、ネーチャーから正式にアクセプトの報せがきた(p131)
・小保方氏の後に行われた笹井先生による、iPS細胞との比較の説明がわかりやすかったようで、報道ではiPS細胞よりも簡単に万能細胞ができると大きく紹介されることになった(p137)
・論文の撤回は、日本と世界では意味合いが全く違う。論文が撤回となったら、彼らは職を失ってしまう(p159)
・理研本部は、不正判定を受けた図表の実験が行われたのは、小保方氏がユニットリーダーではなく、若山先生という指導者のいる研究員の立場であったことを分かり、懲戒の判断がつかなくなった(p180)
・取材に対して、返事をすると都合のよいところだけ抜粋して記事に使用され、返事をしないと「返答がなかった」と報じられた(p183)
・検証実験(2014年12月19日の記者会見)では、STAP現象が再現されなかったのではなく、目視で判定できるようなキメラマウスができなかった、のが結果であると考えている(p238)
2016年5月21日作成
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ざっと読んだのでメモ程度に。
発売前、宣伝なのか同じ出版社系列のWebサイトにこの本を紹介する記事があったので読んでみた。その文体は現実離れした、小説のような雰囲気を醸し出していた。私が求めていたものとは違うと思い、買う気がなかった。しかし怖いもの見たさか読んでみることにした。
ざっと読んでみると、私の予想は一部外れていた。各章の頭に、小説っぽい文が取って付けたかのようにちりばめられていたが、全体の内容は淡々と読み進められた。少なくとも小保方さんが語った内容をベースにしているとは思った。
その中でも気になったのが、実験の過程で小保方さん本人はおかしいと気付いていたが周りの声に流されて進んでしまったことと、アカデミアの権威たちの手のひらの上で転がされて進んでいったことの2点である。前者は自分の意識を高く、後者は低く見積もっている。つまり、矛盾しているのである。論文の報道会見から弁護士を伴った会見まで小保方さんを見てきたが、後者の想像は容易にできても、前者の想像は全くできなかった。本人はその意識がおそらくないだろうが、上司(の中でも特に男性)の心をつかむのがとてもうまいというのは、本を読んでみても窺える。とはいえ、そうふるまいつつも、「私は気付いていました!」というのは、“いいとこどり”すぎるのでは。
私個人の意見としては、こういう本が出版されることは腹立たしいことだと思う。しかし同時に、「確実に売れる」と思ってもいた。だから、あの『絶歌』を売り出した太田出版のような出版社ならやりかねないと思った(ブックカバーのデザインがそれを彷彿とさせることも含めて)。週刊現代などの媒体を持っているとはいっても、まさかあの講談社が出版してくるとは思わなかった。それがこの本で最も衝撃を受けたことだ。
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2016.2.14.最初、この本が出版された時、何を馬鹿な…と思い、以前出版され物議をかもした少年Aの『絶歌』と同じ位置付けをしていた。でも、読んだ方々の印象を聞き「少なくとも言えるのは、うまくいっているときには祭り上げていた大人たちが、事が起こるとさあ〜!っと引いていったことがわかる本だ」という感想を聞き、とりあえずよんでみようと思った。読んでみて、なるほどのお(涙)〜と思った。ずっと不思議だったことが、詳しく書かれた手記によって紐解かれたように思った。一番、印象的だったのは世間にとっては小保方さんのネイチャー発表に関わる一連の出来事が最終的なことであったにもかかわらず小保方さんにとっては出発点であったことだ。一連の騒動において、命を絶たれる最後まで笹井さんが小保方さん側に立たれていたことが不思議でたまらず、小保方さん自身あんなことがあっても自らの主張を変えないことも不思議でたまらなかったが、なるほどこういうことだったのか…と深く納得した。私は、須田桃子記者のドキュメントも読んだが到底今回の騒動を納得できなかった。それがこの本を読むことでようやく解決でき、すっきりした。小保方さんが研究者として未熟であったことは疑うべくもない。しかし、本人はそれを認めており、だからこそスタップ細胞は彼女にとって始まりだったのだ。到底、ある特定の人物に責任転嫁する内容には思えなかった。うまく立ち回った人が確実にいることが大変、よくわかった。
卒論など、~論という物を書いた事がある人だったら納得できると思う。~論を何か新発見のために書く人ってどれだけいるだろう。大多数の人は、学位、修士号、博士号を取るために書くのである。私が学生の時はパソコン自体がなかった(笑)のでコピペはできなかったが、資料丸写しの中でいかに自分の独自性を入れるかということに非常に苦労した思い出がある。博士号となればもう少し高度ではあろうが、おそらく(小保方さん以後のそれまでの他の偉い教授の論文にまつわる不祥事を見るに)コピペはある程度当たり前のものと黙認されていたのではないか。1%に満たない天才の方々以外!の学生による論文は、あくまでその先の席を得る手段として読み捨てられ、スルーされてしまっているのは間違いないと思う。割合に関しては、もちろん正確な数字はわからないが。
この本を読む限り、小保方さんにとってスタップ細胞はあくまで理研に職を得る手段であったのだろう。論文を書きながらもおそらく小保方さんは世紀の大発見…とまでは思っていなかったと思う。しかし、それを自らの終着点としたい上司がいた(笹井さんではない)。功を焦った上司、自らを客観視できず、舞い上がってしまった研究者によってもたらされた悲劇といえるだろうなあと、この謎を自分なりに解読できたように思った。
今は失笑と共に何度となく取り上げられる「スタップ細胞はあります!」という小保方さんの言葉と「それでも地球は回っている」という言葉が頭の中でオーバーラップする。
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『あの日』発売から1週間たって、どの書店にも見当たらない。 遅かったか!
市の図書館でリクエストしたところ、1週間足らずで新品をゲット。ありがたい!感謝、感謝。
さて、この本。
STAP細胞の発表以来、この著者、小保方晴子氏に少なからず好感を持っていたので、是非読んでみたい1冊であった。
さて、内容は…
STAP細胞事件で、一連の報道には出てこなかった裏の部分が刻銘に手を取るようにわかる、見事といっていい暴露本。
暴露の対象が、関係する研究所、大学、メディアまでに及んでいるが、さらに、それぞれに関係する人物の個人名まで挙げているのには恐れ入る。
語り口は、著者である女性の口調・表現ではあるが、言っている内容は実に辛辣にズバッと言いのけている。しかも、何回も何回も繰り替えし…..。
2部構成となっており、前半のサクセスストーリーに対し後半のSTAP細胞事件による180度逆転する転落人生を対比させ、互いを効果的に強調させる演出となっている。
前半で、著者に割烹着を渡す祖母の言葉“研究はみんなのための仕事や、思い通りにいかんでも、心正しく1日1日頑張れば、それでええんや”がこの手記のモチーフとなっており、全編を通して貫かれている。
多くの出版社からのオファーを押しのけて、著者を説得し、講談社はよくやったとおもう。
暴露本について廻るバッシングはある程度覚悟の上と思われるが、
転落のはじまりが、投稿論文の疑義であり、この手記発行に際し、ひとつのミスも許されない。
著者はもちろんのこと、講談社のスタッフ陣の入念なチェック体制が想像できる。
題名・表紙・装丁の抑え気味の表現がそれを物語っている。
【補足】
(コメント欄記載内容をデビュー欄に転記)
『あの日』は、図書館に返却して今は手元にはないが、読後の強烈な印象としていまだに残っていることは、
小保方氏は、あの白い巨塔とも言える“理化学研”の最大なる犠牲者なのではないか?という思い。
小保方氏は、早稲田大学大学院時代にアメリカに留学し、ハーバード大学医学大学院のチャールズ・バカンティ教授に就いている。
そこでは、マウスの背中にある胞子様細胞を培養することにより、iPS細胞やES細胞などのいわゆる生体幹細胞を造りだす研究がおこなわれていた。
彼女は、細胞の抽出を主に任されていたが、ガラス細管を使って抽出した細胞のいくつかが、元々マウスには存在しない幹細胞に変わっていることを発見した。
このことを知った理研の笹井副センター長(当時)が、小保方氏を理研に呼び寄せ、ユニット・リーダーに仕立てる。
このときのことを、彼女はバカンティ氏には反対されたが行くことになってしまったと回述している。
さらに笹井氏は、小保方氏を、理研の若山氏(現山梨大学教授)に引き会わせている。
彼女がハーバードで発見した幹細胞は、それだけでは初期段階であり、これを生きたマウスに戻し増殖させる、すなはちキメラマウスやクローンマウスを作製させなければならない。
もちろん、本命は“多機能細胞”や“万能細胞”ともいわれる、人間への生体幹細胞である。
若山氏は、『杯操作』と呼ばれる顕微鏡下でマウスの卵を使った実験やキメラマウス作製の第一人者であった。
・・・・・
そして、笹井氏は、この一連の研究をSTAP現象並びにSTAP細胞と自ら命名し、ついに2014年1月学術雑誌“ネイチャー”に発表した。
しかし、発表直後からさまざまな疑義や不正が指摘され、同年7月ネイチャーの論文を撤回し、さらに同12月、事実上STAP現象・STAP細胞の存在そのものが否定されるに至っている。
以上のことは、『あの日』にも記述されているし、各種情報にて既存の事実になっている。
さて、この本に疑問を呈することは・・・・・
①笹井氏のコントロールの元で、小保方氏が若山氏と研究を進め、ネィチャーに論文を発表するに至るプロセス。
本当に、キメラマウスはできたのか。生体幹細胞はできたのか。できたとしたら、どのようにして・・・・・。
②そして、疑義が発覚してから、論文を撤回するに至るプロセス。
小保方氏による記述では、論文に使用した顕微鏡写真が間違っていたとのことであるが、何故こんなに脆くも論文そのものの撤回に至ったのか。
これらの過程・背景の明確な記述がなされていない。
小保方氏いわく、すべて若山氏の管理下にあったとして、彼女の知るすべもないと、ブラックボックスとして扱われていることである。
③さらに、一番のキーパーソンであるべき笹井氏の自殺に至る状況など一切の記述がない。
小保方氏は、『笹井先生がお隠れになった。8月5日の朝だった。金星が消えた。私は業火に焼かれ続ける無機物になった』とだけ記述している。
どなたかのレビューで、“藪の中”とあったが、実に的を得ている。
私の個人的見解であるが、
STAP現象・STAP細胞がここまで否定されてはその再起はまず無いだろう・・・・・と考える。日本ではであるが。
日本以外では何とも言えない、再起の可能性はあるかもしれない。
特にアメリカでは、既に、マウスの筋肉細胞に刺激を与えることにより幹細胞に似た『iMuSCs細胞』が生成したとの発表がSNSで注目を集めている。
『あの日』が未読であるならば、是非、一読されることをお勧めしたい。
特に、前半のサクセスストーリーの部分は、暴露的でもなんでもなく、医学・生理学に興味のある方なら尚更、爽やかで格調高い内容となっている。
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彼女は今どんな日々を過ごしているのだろうか。毎日新聞、NHK、文春の記者たち。悪意をもって内部リークをしていたとされる理研の人物、早稲田大学、そして若山氏は。世間と同じように、もう終わったこととして普通に生活しているのだろうか。
報道されることが真実とは限らないのに、正義を語り糾弾する人々に怒りを感じる。子どもにいじめは悪だと説く大人による公然のいじめの記録。
小保方氏に対しては、随所に研究者としての甘さが見られる(とくに報道されたノートの稚拙さ)が、少なくとも彼女は自由な発想をもち、自分の頭で考えることができる女性である印象を受けた。
改めて思うことは、あの再現実験が、科学の検証を目的としていたのではなく、小保方氏が犯人であるかないかを検証するものだったということ。
そして新たに知ったことは、小保方氏が担当していた実験部分のSTAP現象の再現性は確認されていたという点。STAP細胞作製成功の基準と定められていた多能性の確認の実験は若山氏の担当部分であり、その協力を得られず「キメラマウスができなかった」ために検証実験の全てが失敗に終わったと判断されたということ。
共感を得た部分は「科学はもっと優雅なものだと思っていた」と言う小保方氏の言葉に、相澤氏が「こんなどろどろした業界なかなかないぞ」と答えていたこと。
日の目をみる研究者は一握りなのだと思う。論文は先に発表したものがち、精神力の強さも求められるのだろう。そんな中で、若山氏は目指すものを見失っていたのではないのだろうか。彼が守りたかったものは何だったのか。それは守れたのだろうか