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荻窪にある、6次元のナカムラクニオさんの本。行ったことはないけど、存在は知っていました。
本のタイトルに引かれて、買ってからすぐに読み始めましたが、これは2014年にやりたいな、、と思ってたことが詰まってた本な気がします。
本書では、6次元の説明や開催されたイベント以外にも、これからのカフェや場とメディアについての考察、本周辺の話が書かれています。
場やメディアをつくりたいと少しでも思う人は、絶対読んだ方がいいと思う。
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六次元カフェにいきたくなる本
表現の例えが新鮮。筆者の知的な部分が見える。
カフェは時間という液体を飲むためにある。
目は見えてもビジョンがないなら、何も見てないのと同じ。
想像できるものはすべて創造できる。
新しい居場所(つなぎ場)の考え方が記載されている。
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知り合いのブックカフェのオーナーが「店が儲からなくて困る」といったことをボヤいており、なんか出来ないかな、と手にした本。
ブックカフェは元より、喫茶店というのは、「たまり場」なんだと本書では書かれている。
会社や家族ではない、「偶然的コミュニティ」それが「たまり場」であると。
それは、歴史を遡れば、純喫茶や社交サロン、寺や神社へと辿りつく。
老若男女、価値観や年齢の違う人同士が集まる場が「たまり場」
そんな「たまり場」に本棚を置く理由は、もちろん、時間を潰すということもあると思うけど、楽しみを共有するということが本当の理由なのでは?
本書では、読書会のことにも触れていた。
「本来一人で楽しむ読書をみんなで共有する。友達でも同僚でもない関係。ネットで知り合った『ネトモ』の面白さは、理解するのがちょっと難しいかもしれませんが、確実にあたらしいコミュニティをつくり出しています。
読書会があたらしい居場所をつくり始めた今、人の興味は、『モノづくり』から『場づくり』へ移行しつつあるのかなと感じます。」(p.150)
オーナーが悩んでいるカフェは、空間は、とても素晴らしいものがある。
足りないのは、何かをして生まれる「場」かな?
読書会とか、何かテーマのあることを定期的にやっていけば、流行るんじゃないかな〜。
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「ブックマーク」読者の方のメールに書いてあった本を図書館で借りてみる。
著者のナカムラさんが、死ぬまでにやりたいことの3つ「カフェと古本屋とギャラリー」を、突然会社を辞め、やってしまったのが、東京の荻窪にある「6次元」という場所。
その「6次元」を開くまでの話が少しと、開いてからの話がたくさん。基本は縦書きの本だが、合間に横書きのあれこれが入り、ちょっと不思議なつくりの本。
「6次元」という場につながった人たちのコメントが、「あなたにとって、6次元とは何ですか?」の問いに対する答えの形で、本のなかの数カ所にまとめられていて、そのコメントを寄せてる人にいろいろと"肩書き"がついてて、これって"肩書き"があるからいいのかなーと思ったりした。かすかに"内輪"な感じを受けるところもあるが、この本を読むかぎり、ナカムラさんという人は、常連でかたまらないように、あえてずらすこと、違う人や風を入れることにも気持ちを向けているようだ。
▼どんな本も開かれないならばその存在はないのと同じ。
どんな空間もドアが閉ざされたら死んでしまう。
どんどん新しいドアを開けるような場をつくりたいと思っています。
近い将来やってくるのは「自給自本」の時代。
誰もが、自分が編集した1冊のように、空間であそぶ時代がやってくると思います。(p.191)
「本」て、何やろうなという意味で、このコメントも印象に残った。
▼6次元で、本の出版トークをやっていくうちに一番不思議だと思ったのは、1500円の本を売るのは難しいのに、1500円のトークには、人がたくさん集まるということ。少し高い2000円でも集まる。2000円の本って言ったら、ますます誰も買わなくなるのに。簡単に言ってしまえば、大切な話を聞く2時間は、1500円の価値があるってみんなが思っているわけです。忙しいから読むのが大変だっていうこともあるかもしれません。でも、これって本を買う行為そのものなんだと思います。(p.94)
たしかに、1500円の本も2000円の本も、売るのは大変だ。私自身、そういう値段の本はめったに買わない。でも、半額セール!とか値下げをしたからといって売れるわけでもない。たとえば「1500円」や「2000円」を払うとき、どういう場面に、あるいはモノに、私は「これなら」と財布を開くのだろう? そんなことも考える。
(11/27了)
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本屋読みたい本メモ。
人を引き寄せる注目のブックカフェ+ギャラリーマスじゃなくても広がる「下から目線」の拡散力(帯抜粋
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知合いより推薦の本。
いわく「鼻につくかも」との通り、自分語りの多さと、業界人にありがちの言葉遊びについ「虚業」という言葉が頭に浮かぶ。
大人になっても「サークルの部室」があれば、そりゃ楽しいけど、それこそサークルのように似たもの同士ばかりで集まっていないか。
それでもコミュニケーションの場として機能してるので良いとして、広めるならば、もっと、場の作り方に重きを置いた本であっても良いのではないか。こういう特別な場を作れた自分に酔ってしまっては、波及効果は得られないのでは。
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6次元は聞いたことあって、たまたまほかの本を探しにいったところにこの本があったから買って読んでみた。
最初のうちはふむふむと思いながら読んでいたけど、だんだん鼻についてきて読み進めるのがしんどくなった。
うまく言った風なもっともらしい造語が多すぎて吐き気をもよおすというか、うまく言えた自分に酔ってる感が気持ち悪かった。この本でもっと自分をアピールしてでっかいことやってやるぜ感が透けて見えてきて、気持ち悪かった。
ブックカフェもいまちょっとしたブームだから、今のうちになんとか食い込んどかないと、と思っているのだろう。テレビ的使い捨て精神。
ああー透けて見える。気持ち悪い。
本を商売に使われるのは、本当に気持ち悪い。
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個人的にすごく心に残ったのが、「ブックバン(BOOK BANG)」としてまとめられていた、「本は、もはや紙の束ではなくなりつつある」という話。
★読む人がコンテンツを得る手段を仮に「本」と呼ぶなら、本のトークイベント、検索する作業、ツイッターを読む行為、ブックカフェという場、これらはすべて「本」である
⇒では、今、本とはなんだろう?
今後、自分なりに考えを深めていきたいしもっと本の業界のリアルに触れたいなぁと思いました。
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昨今、人と人との「繋がり」とか「絆」が大事だという話が世の中に多い。それ自体が間違っているとも思わないし、大事なことだとも思うのだが、大切なのは日々の生活、何気ない日常の中にそれをどう根付かせるかだと私は思っている。
「6次元」の取り組みはナカムラさんにとっては日常の中にその「繋がり」の感覚を取り戻す作業だったのかもしれないが、残念ながら筆者にとっての「日常」は、多くの読者にとっては「非日常」の世界だ。
“発想”と“実行”の間に隔たりがある場合、正しいことや理想的なことを真面目な顔で言われてしまうと、正直引いてしまう。それは確実に読み手であるこちら側の問題であり、そもそも“そんな人たちは相手にしてませんよ”ということなのかもしれないが…。
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No.594
素晴らしい気づきのかたまり。
あなたにとっての6次元とはなにか?
読の意味を拡張させるブックバン。
カフェは「、」、家は「。」
人と人をつなぐ場を考えている方にはぜひ!
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おしゃれな一冊。
できれば、「6次元」(この本で語られる“つなぎ場”となる喫茶店)が出来るまでの苦労、構想、試行錯誤がもっとあっても良かった。大半は成功例で、やや“鼻ニツク”感が否めない。
著者が死ぬまでにやりたいこととして挙げた「カフェ」「古本屋」「ギャラリー」、その実行例がこの喫茶店であるが、やっていることは常々浮遊していて、おそらくこの現状にとどまることはないのだろうなと思わせる。興味を持ったなら5年以内に訪ねる場所ではなかろうかと、そこはかとない“儚さ”を感じさせる。
電子書籍になじめない“紙”世代としては、古本屋としての機能、図書の管理、ディスプレイ方法の例は楽しい。そういう点では、読後も蔵書として持っておきたい一冊(となるように著者も意識して作ったと思われる装丁、編集、挿画等が楽しい)。
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荻窪のカフェ「6次元」のオーナーがその2008年12月のオープンからの軌跡を辿ると共に、カフェやメディアそして人の集まりの歴史を俯瞰し都市型コミュニティの在り様を考察する。村上春樹、田口ランディからキノコとか苔などイベントのネタにも色々あるようです。このあたりが、都市型たる所以ですね、荻窪「6次元」、ぜひ、行ってみたい!
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フォトリーディング67。
ばらばらになった世界をつなぎとめる場、もう一度来たら同じものはない場、作りたいな〜。まずは、6次元体験したい。
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昔から、本などを通して、いろんなバックグラウンドの人たちが集まれる居心地のいい場所を作れたらいいと思っていた。そんな私の妄想を、著者の彼は見事に実現していた! 『6次元』の空間を最大限に生かすために、彼が生み出すアイデアや分析がとても興味深く、1つ1つ頭にメモをするように読んだ。ずっと手元に置いておきたい本。
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都市型茶室と位置づけるカフェ「6次元」を始めるに至ったわけ、カフェとはなんぞや、読書とは、ほんとはなんぞや、そして仕掛けているいろいろなイベントのこと。想定も中身もかなり癖があって、読み手を選ぶかなあ。
読んで気がついたことがある。僕はわかったようなわからないようなことが大好きで、しかし、わかったような気になるがわからないモノの名づけ方が苦手だということだ(店名のことじゃないよ)。しかしモノには名前を付けないと人に伝わらない。でもつけたくない。これが自分と他者のコミュニケーション阻害の一因だろうなあ、と。表現されないと気づかないが表現してほしくない。そんな感じ。ああうまくいえない。