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瀧本哲史氏の著書で読んだのは、これが3冊目。タイトルが気になって買った本。読んでよかった。比較対象であげられている本の片方しか読んだことがないパターンが多かった。今まで、あるテーマの知識を増やすために複数の本を読むことはあったが、本同士を戦わせて読むという考えはなかった。
自分も将来こんな本が書きたいと思った。
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なるほど、この本にはそういう読み方があったのか!と目からうろこが出ました。
着眼点が面白くて、知っている本でも新しい読み方を提示してくれました。
読みやすいけれど読みごたえがある。
古典的作品から、漫画まで、多岐にわたるジャンルの本同志を「戦わせる」ことで、その本のもつ性質がよく見えてくる。
全部をつぶさに読んだわけではないけれど、批判の仕方、本の読み方、そしてその分野での新しさの追究の仕方についてヒントがちりばめられています。
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ある分野の理解を深めたいときには、その分野で“権威”とされている本を何度も読めば足りるのではなく、その分野の両極の考え方を知る必要があるというのを最近思っていたが、本書を読んでその認識を強化した。
この人は『タッチ』を論じさせても面白い。
しかし読みやすい文章を書くよなー。
個々の本の紹介も参考になった。
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連載中から追いかけてたけど、1番このシリーズが未知なことの割合が高く興味深かったように思う。いつもの冒頭のこのままではもうダメです煽りもなく、手っ取り早く本題に入ってたし。これどうなの、格闘する価値もないやつでは、と思うものもなくもないけど、とりあえずいくつか読んで見るつもりでおる。
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<目次>
はじめに
第1章 心をつかむ
第2章 組織論
第3章 グローバリゼーション
第4章 時間管理術
第5章 どこに住むか
第6章 才能
第7章 大勢の考えを変える(マーケティング)
第8章 未来
第9章 正義
第10章 教養小説~大人になるということ
第11章 国語教育の文学
第12章 児童文学
<内容>
毎回2冊の本を対比させながらその本の魅力を語る。各章の最後にその分野のブックガイドが付く。なかなか面白い企画でした。多くの本を読んでいないと書けない本でしょう。『1984年』はかつて読みましたが、何が何だかわからなかったのですが、著者の読み方を読むと、再読したくなりました。
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マンガや児童文学までも理路整然と分析してしまうところは面白い。
ハリーポッターにイギリスの伝統や価値観を見出すあたりは、知識の高さが伺えます。
知識量が多いと、本の印象や受け取り方も変わるんでしょうね。
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別にどんな読み方をしたって構わないけど、読書って楽しい。もし意見と意見がぶつかりあうのなら、そしてそれを観戦し、自分の思考を推し進めることができるなら、もっと楽しい。
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こういう本の読み方もあるんだなぁと読み進めていたが、確かに本の内容に突っ込みつつ読んでたわ、私も。
本のラインナップも「やはりこれが来るか」という定番と「へーこんな本あるのか」という組み合わせで楽しい。
ただ、そもそもこのような読書を為すためには、基礎体力というかある程度の読書量が必要なんじゃなかろうかと思う。
最低でも年100冊超える人じゃないとこういう読書方法は難しいんじゃないかな。今の時代そういう読み手って居るのかな。
本を読むことを仕事ととしている。あるいは必要があって本から情報を得なければならない人くらいじゃないのかな。
趣味レベルの読書だと、年100冊を超える人は少ない気がする。
いや、そもそも読んだ母数が少ないなら、本を読み比べての格闘技はできないから、たくさんの本を読む方向けなんだろうけど、そんな人ってそんなにいるの? ニッチ層を狙うのかと驚いた。
私が知らないだけで、本を読む人自体は減っているけれど、読む人はたくさん読むというように二極化しているのかもしれない。だといいなぁ。
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読書とは、単に受動的に読む行為ではなく、「本当にそうなのか」と著者の考えを反証し、自分の考えを作っていくという知的プロセスである。
同じテーマについて異なるアプローチから書かれている2冊の本を軸に「格闘」していくという視点は、他の書評(本)にはあまり見られないものであり、参考になる。
各章末にもブックガイドがあり、読書の幅を広げてくれる。
本を読んで、「ただ読んだだけ」で終わらせないこともまた重要。
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書物や引用物を読む際には、データや文脈や時代背景を確認することが重要であることを説いた本。「自分の頭で考えて読書しましょう。」というメッセージ。また瀧本先生は、文学作品の抽象化に長けていること、インプットされている知識量が膨大であることを再認識した。
興味を惹いたのは、「正義」について。そもそも格差是正が是であるという前提などを疑っている。
・正義について
正義論(ロールズ)
組織を作る際、ヒトは自分の地位が有利になるよう仕組みを作るものである。しかし、「無知のベール(自分がどの立場になるか不明な状況)」の下では、「最悪のシナリオになった際に、最大の利潤を得られる仕組み(最悪の展開でも、まあ悪くないかと思える状況)」を選択する傾向にある。(ゲーム理論における「マキシミン原理」)
かくして、利己的な判断が全体で見ると利他的な組織(相手の気持ちを慮るという感情論でなく、自分の利潤を確保する勘定論なのに良い組織)が完成するはずであるという架空の設定における話。
→批判としては、前提としてなぜ国家を作る前提にあるのか。無知のベールおよびマキシミン原理が発動することに蓋然性があるのか。
アナーキー・国家・ユートピア(ノージック)
国家を成立させるにあたり、自己の利潤を最大化させる「万人の万人に対する闘争」状態ではないことを前提に、ヒト同士が自分の身を保証するための保証協会を作り始めるという仮説。これは「維持費は加入者数に比例しない上に、多くの人が入っている方が信頼度が増す」という規模のビジネスとなるため、大手が中小を食う&ユーザーが大手に乗り換えるため、いずれは1つの協会に統一される。そして、この協会によって守られていること以外は個人の自由であるというユートピアが完成するという話。アナーキーは無政府国家、ユートピアは桃源郷の意。
→個人の理性を信頼し、国家から取り返した正義を個人に託した型。前者の正義論は、仕組みを構成員の一致で決める方式なのに対し、後者は構成員に保証協会の選択権が生じるため、現実的であるという意見がある。
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さらっと読み終わったものの、なかなか難しいことが書いてある。内容が理解できないという訳ではなく、実践するのが難しい。と言っても、そんな特別なことではなく、読書を漫然とするのではなく、一文一文に対して批判するつもりで読みましょうといったこと。
ただ、筆写並みに批判できるかと言えばなかなかそうもいかない。やはり、ある程度の読書量があって初めてそういう読み方ができるのではないかと思う。人それぞれ際はあるものの臨界点を突破するだけの読書量が必要だと感じた。
さらに、どのジャンルをどうカテゴライズするかといった図式が、自分の中でMECEになっていないと、本書のような対立形式で読む・表現することはできないだろう。
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瀧本氏の著作は初めて読みましたが、読書量とともに分析力に驚かされます。
各々のテーマについて割かれるページ数は少ないので、少し物足りない感じもありますが、背後にある知識量が膨大であることが良く分かりますし、物足りない部分は読者自身が挙げられている本を読み、本と格闘することで埋めていくべきですね。
自分でも問題意識をもって読書はしているつもりですが、読後にそれを整理し、分析し、また対照的な主張をしている本を読むことで、自分の理解を確かにする、という点が参考になりました。
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書籍紹介。ブックガイドに当たる内容ですが
面白いのは、あるテーマ設定で異なる
コンセプトの2つの書籍をピックアップして
紹介しているというところです。
ただ、設定されているコンセプトが、またこの著者の本は
大体そんな感じがするのですが、少し野心的というか
頑張りすぎていて(もっとガンバレというメッセージ)
もっと肩の力を抜いて、読書を楽しめばいいのに
と思います。
この本で紹介されている本で、読みたいなあと思う本は
この2つくらいかなと思います。
ロールズの『正義論』
ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』
それ以外はあまり印象に残らずです。
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武器となる読書術、読むべき書を呈示する、知的実践の書。
〈「読書は格闘技」という考え方に立つと、「良書」の定義も変わってくる。
普通、良書というと、書いてあることが正しいものであり、正しい考え方であると思われる。
しかしながら、書いてあることに賛成できなくても、それが批判するに値するほど、一つの立場として主張、根拠が伴っていれば、それは良書と言える。
私は筋金入りの資本主義者であるが、そうした立場からしてもマルクスは読むに値する「良書」と言えるのだ〉
心をつかむ、組織論、グローバリゼーション、時間管理術、どこに住むか、才能、マーケティング、未来、正義、国語教育の文学等々、今を生き抜くために知っておくべきテーマについて、立場の異なる「良書」を能動的に読み、自らの考えを新たに形成していく。
格闘技としての読書体験を通じた、実践的な力が身に付く読書術とは何か。各テーマにおける必読の推奨ブックリストも収録。
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本屋に行けば「ブックガイド本」というジャンルの書籍が並び、雑誌『サイゾー』でも「本特集」は人気の企画のひとつ。いったい、どんな本を読めばいいのか? という指針を探している人は少なくないようだ。しかし、ブックガイド本を読むくらいならば、そこに紹介されている本から手を取るほうが早いのではないだろうか? いったいなぜ人は「ブックガイド本」を手にとってしまうのだろうか?
『武器としての決断思考』(星海社)、『僕は君たちに武器を配りたい』(講談社)などで知られる瀧本哲史の新著『読書は格闘技』(集英社)は、「組織論」「グローバリゼーション」「教養小説」「児童文学」など、11のテーマごとに読むべき本を紹介するブックガイド本である。本書の中で、瀧本は「読書は格闘技」であり「書籍を読むとは、単に受動的に読むのではなく、著者の語っていることに対して、『本当にそうなのか』と疑い、反証する中で自分の考えを作っていくという知的プロセス」と持論を展開する。瀧本は、いったいどのような形で「格闘」を繰り広げているのだろうか? いくつかの例を見てみよう。
本書の中で、瀧本はテーマごとに、アプローチの異なる2冊の本を取り上げる。「心をつかむ」というテーマであればカーネギーの名著として知られる『人を動かす』(創元社)とロバート・B・チャルディーニの『影響力の武器』(誠信書房)を、「組織論」というテーマであれば、ジム・コリンズ、ジェリーポラスの『ビジョナリー・カンパニー』(日経BPマーケティング)と、マキャベリの『君主論』(講談社学術文庫)をそれぞれ「マッチメイク」している。では、瀧本の立場はその2つの間に立つレフェリーなのだろうか?
褒めるところは褒め、批判するべきは批判する瀧本は中立を保つレフェリーに似ている。しかし、彼の役割は、勝ち負けをつけることではなく、2つの書籍にどんな使える「武器」が眠っているかを掘り起こすこと。『フラット化する社会』(日本経済新聞出版社)と、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』(集英社)を紹介する「グローバリゼーション」のページでは、2004年に刊行され、もうすでに「古典」と化している前者を「どこが古くてどこが新しいのか、何が一時的なブームで何が大きなトレンドなのかを自分で考えるための素材」として紹介し、アメリカ中心で描かれ、事象を単純化していると批判されることも少なくないる後者を「この20年間を冷静に振り返ってみると、各地域で『文明の衝突』とみられる紛争が数多く起きている」と擁護する。
また、「教養小説」のテーマでは、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』(岩波文庫)とともに、なぜかあだち充の『タッチ』(小学館文庫)が取り上げられる。「主人公が大人になるまでの過程を描く小説」と定義される教養小説というジャンルにおいて、両者を比較して見えてくるのは「大人」というイメージの変遷。方やヒロインの朝倉南をモチベーションとして、甲子園に出場しても野球を続けることに「疲れた」という個人的な自己承認の物語である『タッチ』に対し、「意識高い系学生」に似ているというヴィルヘルム・マイスターは旅をしながら新たな人物に出会い、��己を形成し、再び日常へと戻る。時代ごとに、「大人になる」という定義は異なっているようだ。
瀧本にとって、読書は、著者の高説を賜るものではなく、「武器」を引き出し「世界という書物を直接読破」するためのツールである。2冊の本を取り上げることによって、複眼的にテーマに迫る瀧本の姿勢から見えてくるのは、彼がどのように「世界を読解しているか」ということ。だから、文芸としての「読書の楽しみ」や狭い意味での「教養」はここには描かれていない(瀧本はあとがきで「教養について考えるのであれば、『自分にとって』読むべき本、読む必要のない本を判断することが『教養』と言えるだろう」と語っている)。
書物を読みこなすのではなく、世界を読みこなそうとしている瀧本の記した『読書は格闘技』は、単なる紹介には終わらない魅力を持っている。では、そんな瀧本の「格闘スタイル」から、読者はどのような武器を取り出すのか? ただのブックガイドにとどまらず、読者はそんな「格闘」に迫られることだろう。