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神戸の「紙の教会」のときの神父や地域住民との人間関係のつくりかた。
あるいは、実績(認定)のため自費で別荘として「紙の家」をたてた行動力。
「ボランティアは自分のため」との一言も、かつての講演を思い出す。
加えて、UN等の国際協力への思いの強さが印象的。
日本人は英語力や、多民族・価値観での説得経験に乏しく、またゼネラリスト軽視というところはあるが、もっとUNに人を送るなどしてプレゼンス発揮&活動を拡げよと。なるほどな。
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2014年にプリツカー賞の栄誉に浴したバンシゲル
紙の建築を発想したきっかけの勿体無い、エコロジー、ボランティア、災害支援に着手した物語
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日本人で、こんな建築家がいると知ったことは、驚きでもあった。
紙の家を作っている坂茂である。
阪神大震災の時に、「紙の教会」を作り、避難所を紙で作った。
紙といっても紙管である。
そこから、紙は「進化した木」だという。
アフリカ ルワンダの難民シェルターを作っている。
実に行動力がある。環境に優しい、そしてその地域の実情にあった建築を追求する。
そのなかで、ボランティアは、「やってあげる」ものでなく、「自分自身のためにする」という。
相手の立場に立った援助が必要。日本の震災の時のプレハブをアフリカに持っていって、果たしてよろこばれるだろうか?共問いかける。
最後に、北朝鮮にまでいって、建築家として手伝うことができるかと北朝鮮まで行く。
その行動力に、驚くばかりだ。
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わたしの好きな建築家は坂茂さんです
学生時代から社会人になってからもずっと「好きな建築家は?」の質問に対して「坂茂さんです」と答えてきました
坂さんの作品からはおおらかさや優しさが感じられるから好きでした
それって建物のデザインだけじゃなく、素材や光や、あらゆるものから来てるんだろうなぁ
となんとなく思いながら好きでいました
だけどこの本を読んで、
私は坂茂さんのことを何も知らなかったことが
はっきりわかった
成し遂げたいことに対する意志の強さ
行動力、計画性、環境や世界平和に対する思い
自分にできることを考え続けていること
常にチャレンジングな姿勢であること
好きなところというか、
漠然と持っていた敬意が解像度を持って確かなものになった気がします
傲慢なのではなく、謙虚でありながら
常に「自分にできないことはない」と思っている感じがあった
それから坂さんが、全員を「さん」付けで書いていたことが印象的だった
自分が関わったことがある人なら当然か?
と思うけど、概念化しつつあるくらい昔の巨匠に対しても。
わたしはこれから建築家全員の名前に「さん」を付けて呼ぼうと思いました
敬意を表しつつ、逆に身近に感じられる気もします
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著者が「紙は進化した木」と表現するように、実際の建築に活用されている豊富な事例とともに紙素材の可能性を感じることができる一冊でした。
特に著者が多用する紙管は、太さも長さも自由自在で建造物に使えるほどの強さがあり、木材よりも安価で、防水加工を施せば十分長期間の利用が可能。軽く持ち運びも容易で世界中で製造可能であり、さらに取り壊すことになった場合は解体も簡単で材料はリサイクルに回せ、経済的かつ環境負荷も低い点も特徴だそうです。
紙管の種類と製造方法
https://tateyamaseishi.com/column/column1.html
一例として、著者がハノーバー万博のパビリオンの建築設計を担当した際に、一般的な設計と異なり完成時ではなく解体時をゴールに置いていたという話が印象的でした。半年後に解体することがわかっていたので、なるべく廃材が出ないようほとんどの建築材料をリサイクル・リユースできるような素材と工法を厳選して作り、ドイツの紙管メーカーが解体した後に引き取ってリサイクルするというところまで最初から契約に入れていたと言う徹底ぶりには驚き、建築に限らずモノを作ることに携わる人間は、作る時から「最後にどうなるか」を考えてエコデザインすることが重要だと学びました。
また、個人的には、著者に対して紙の建築実現を支援した構造家 松井源吾先生とのやりとりも学び・気づきがありました。構造設計の世界はコンピュータ化が進んだ分、計算部分がブラックボックス化してしまい、構造設計を依頼した建築家側も「なぜそのようになったのか?」もよく分からず結果だけを受け入れることになってしまいます。一方で、松井先生は昔気質に手計算をしてくれるので、結果を導くプロセスが目の前で視覚化され、構造の流れも分かりやすく、建築家側も途中の段階で色々意見を出したり考えたりする余白があるので、その中で新たな可能性やアイディアが出てくるそうです。AIの台頭でより高度に自動化が進み、物事のスピードが上がり人間が背負う苦労が減るのは良い面もありますが、ゼロイチのデジタルになることで失われる余白がある事は公私ともに心しておきたいと感じました。