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私にとってニーチェは、哲学者の中で、一番分かりやすくて、好きな人。『まんがでわかる』シリーズは、読みやすくて好きなので、多分すべて読んでいるはず。この本も理解しやすい!
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図書館で借りた本。
短大を卒業後、就職浪人になり、レストランでアルバイトをしていた主人公ふみは、ある日ニーチェのストラップを拾った。飼い猫のプンタがストラップを加えて行った先は猫じいさんの家だった。猫じいさんからニーチェの言葉の解釈を聞かされながら、自分で問題をクリアしていく。
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ニーチェの入り口に。
よかった!より強く楽しく生きていくために、よりニーチェを学び、自分で納得の選択をしていきたい。
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ちょうど哲学の本を読み始めたところだったので、ニーチェの時代背景も理解した上で読んだので、内容が分かり易く入ってきた。
「道徳」という言葉に縛られて、無条件に善悪を判断してしまうことに警鐘を鳴らしている。
全ての価値観を一旦捨てて、自分と向き合うことで自分にとっての善悪を見極めて、自分の人生を選択していくべきという考えには共感する。一方で、性欲などに対しても正直であるべきとする考えには、やや違和感も感じてしまう。哲学とは難しい。
・知識、経験、生活といった自分なりの事情から世界を見て、重要と感じるものは大きく扱い、そうでないと感じるものは小さく扱う、という判断を日々重ねているわけだ。従って一つのことについての人々の解釈や評価は、すべて異なってくる。その結果「これこそ公平で正しい」と呼べる解釈や評価はどこにもない。「客観的な正しさ」などなく、誰もが主観的に判断しているに過ぎない。
・常識や道徳でも同じことかいえる。日本では正しいとされる常識や道徳が、外国では理解できない非常識や悪習と見なされる場合もあるのは、生活・歴史・文化が異なるからだ。
・考えることをサボりたい人ほど、常識を持ち出して物事を決めつけようとする。
・道徳は、人間の自然性に反する考えや命令を多く含んでいる。
・同情は自分と対等と認めている相手、あるいは自分ょりも格段に上だと感じる相手に対しては芽生えない感情だからだ。同情の相手は必ず、自分ょりも弱く見える人なのだ。ー人は同情することによって相手より上に立ち、自分の力の強さを実感し、何か有用なことをしてやれるという事実に、ひそかな快感を覚えているというのである。
・同情は軽蔑に等しい。誇り高い人は同情する相手を憎み、復讐心すら抱く。
・弱者は自分の弱さを肯定するために、報復できない無力さを「善良さ」、臆病で卑怯なことを「謙虚」などと言い換えて賛美してきた。そういう立場を進んで選択したものを「強者」として称える。こうした弱い群れの価値観に無意識に従う本能を「畜群本能」と呼ぶ。
・畜群本能を持つ人々の間では、「持たないこと、貧しいこと」こそが正義となり、禁欲主義こそが理想の生き方となる。しかし、禁欲主義は人間の自然な欲望に逆行するため、禁欲的な生活は神への信仰の厚さの表れという図式が定着する。
・二ヒリズムとは簡単に言えば、既存の価値を否定すること」をいう。「絶対に正しいことなどこの世に存在しない」という哲学的な立場。
・弱い人はニヒリズムに耐えられず、「他人(メディア、有識者、親、友達、上司等)の価値観」にすがり、「他人の人生」を生きるだけで、自分の人生を生きられない。
・強い人はニヒリズムを受け止めて、自分の内面を徹底的に見つめ直し、本当に心身がはんのうするものに気づき、自分にとって価値ある人生を生きる。
・昔から善悪は決まっているとして疑わず、伝統や因習に唯々諾々と従うとき、自由からは遠い場所で主体性を失っている。
・人々がいつの間にか設定している別次元の理想的世界が「背後世界(天国など)」である。背後世界を設定すぃて物事を見れば、現��の仮の姿(仮象)であり、それは必ず否定する結論が導かれる。到達できない理想を求める限り、人は自分の生を受け入れ、謳歌することができなくなる。
・ニヒリズムに甘んじている人は、いつも他人に認めてもらいたいと思う気持ちを抱いている。人の価値観にすがっており、自分で自分の価値を十分に見出していない。だから、他人からハンコを押してもらいたがる。自分らしい人生を生きることを考えるとき、この状態は危険だといえる。自分の価値を自分で見出していないということは、自分がすべき仕事に専念していないことをも意味する。「自分がやるべき仕事じゃない」などと疑い、よそ見しているようでは、自分の価値と向き合っているとはいえない。
・「今の自分はこれまでの自分から生まれできたものだ」と現実的に考える。辛いことや耐えがたいことに遭遇するのが人生というものだし、それらもまた今の自分を形成する要素の一つ。過去の自分という全体が、今の自分という全体につながっている。見たくない部分から目を背けるのではなく、しんどいことをも自分のものとして受け入れたとき、新しい強い自分が生まれてくる。
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ニーチェいわく、他人のノウハウ等ばかり学ぶのではなく自分で考えて生きろとのこと。
また、他人や理性など関係なく、自分のしたいように生きろと彼は言う。
彼は自分1人だけの世界に生きていたのだろうか。
自分のことだけを考えて、したいように生きるのであれば動物となにも変わらないではないか。
これらの文言が彼の意図しないところで拡大解釈され、ナチズムに利用されたこと。
さらにその書籍を改竄したのが唯一の肉親である実の妹だと言うことからも彼の哲学の限界が見て取れるのではないだろうか。
私は自分の頭で考えた結果、皮肉にもニーチェの意見には合わないということがよくわかった。
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価値社会の基礎教養を素早く知るためのマンガ。
以外読書メモ
1 人は各自の視点から遠近法で世界を見る
大事なものは大きくそうでないのは小さく
常識や道徳も誰かの遠近法
2 同情 自分の価値を高めるために人を利用
同情は軽蔑に等しい
自己愛で満たせない人のなぐさみ
奴隷道徳 弱さを善として振る舞いを説く
3 全てに意味がない ニヒリズムを越える
ニヒリズム 既存の価値を否定すること
強い人は自分の内面を徹底的に見つめ直す
弱い人は誰かの価値観にすがる
4 真実の世界に対する幻想が人生を平凡に
真実の世界という設定を外す
キリスト教や西洋哲学の真理を否定
与えられた世界で人生をひたすら味わう
5 自分の価値は自分で見出すしかない
自分で自分を愛せるか
そのベースがないとSNSに揺さぶられる
6 ルサンチマンで卑屈になれば成長は止まる
ルサンチマン 強者に対する怨念や復讐感情
7 本当の自分の答えは身体が知っている
理性や思考より身体で感じる素直な思いで
前例なしで自分の意思で変化を受け入れる
8 人生を一瞬でも肯定出来れば全て肯定可能
全てが運命 困難や不遇も愛する
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読む前に予想していたよりもずっと身近な感じ。どう生きるかという問題。けっきょくどう捉えるか次第というところはアドラーとも似てるかな。
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マンガにすることにより、本来難しいことがかなりわかりやすく書かれている。他人に同情することが上から目線と同じ、という考え方はなるほどと思った。同情する相手というのは必ず自分の方が優位であるから、というもの。
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ニーチェの考え方の大枠は理解できてすぐ読み終わる。漫画のおかげで哲学というとっつきにくいイメージの分野を身近に感じられるので入門書としてはおすすめだと思います。
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良かった。
ニーチェに関して無知だったが、やはり哲学は面白い。
哲学の本は難しい(言葉)というイメージがあるが、漫画から入るのもいいかも。
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ニーチェは同情を嫌った。相手を格下と見なし、全く脅威を感じていないときに生まれる感情だから。相手を対等と見なしているなら同情しない。同情して快感を得ている
考えることをサボるやつほど常識を持ち出してものごとを決めつけようとする。
人は同等(軽視している)だと思っていない人間を憎まない。同等もしくは一段優れたと認めたとき、初めて憎む
自分の考えや行動を何かのためと考えるのはやめよう。自分の好むことをはっきりと知り、世間や他人の評価などは気にせずにそれを追及するべき。
何かのためには生きてる限り、(給料のために働くとか、ダレカノタメニなんかするとか)その誰かや何かが消えたとき深い空虚を感じる。ニヒリズム
義務でやるな、せっつかれてやるな、嫌々やるな
人の価値観にすがるな
勇気を出してニヒリズムに向かい合い、人に判断を頼ることはやめよう。
自分自身で価値のあるものを見いだそうとせず、脳ミソを使うかわりに他人から与えられた別のものを拠り所にしない
手軽に拠り所 伝統、社会的地位、アイドル…
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自分の生き方を改めて見つめ直し、見直すことができました。
自分に正直に、素直になること、また、やりたいこと、心から楽しんでいろんなことやっていくことを実践していこうと思いました。
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コマ割りがちょっと少女漫画っぽい。
ニーチェの8つの思想の入門に。
ノウハウに考える力を奪わせるな。
一流の仕事人は仕事そのものが自己表現。
身体と精神は分離できない。
自らの行動=運命。
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同情
同情とは見下した相手にしか生じない感情であり、上から優越感を感じているに過ぎない。友には“戦場の寝床”のように、ただ寄り添えば良い
神は死んだ
神とはキリスト教の神に限らず、真理や善などの、絶対的価値のこと。
畜群本能
弱者が強者を批判するために群れ、保身のために「善」を作り出す。
その弱い群れの価値観に無意識に従ってしまうこと。→本当の正しさなどない
背後世界
人間の生きる現実界の背後にある世界。天国や地獄のこと。
こうした設定を作り上げることで、弱者は善を推奨し悪を弾圧し、秩序を作り上げた。
本当の自分や理想的な結婚生活などの背後世界を設定することで、現実は仮象となり否定され、苦しみが生まれる。
遠近法
自身に近いものは大きく見え、価値が高く見える。遠いものはその逆。
つまり物事に絶対的価値などない。=ニヒリズム
快楽主義
背後世界主義者たちにとって、それは「俗世のこと」で忌むべきもの。
しかし自分で自由に考える場合はどうだろうか。
自分にとっての価値
時給などの客観的価値ではなく、その仕事を当人が楽しめるかどうかなどの主観的価値であるべき。他者からの評価に振り回されるのではなく、自分なりの意味や充実を見出し、自分を愛することが必要である=人に判断を頼るな!人の判断基準に縋るな!ということ
怨恨(ルサンチマン)
誰かに敵対心や嫉妬を抱くが、勝ちえないために、「弱い自分たちこそ正しい」という主義を作り出す。(ex正義は全て報われる)
ルサンチマン自体が批判されるべきではなく、問題はその空虚性である。ルサンチマンは強者への敗北を認めないことから生まれるため、自発的な価値ではない。
今の自分の置かれた境遇は100%自分のせいなのである。
力への意志
あらゆる物事、ただ自己を増幅させようという「力への意志」を持つ。この世界はそれらの力のせめぎ合いで成り立っており、その中で最たる強さを持つものが「神」とされる。
しかし力は常に他の力とせめぎ合っており、絶対的な神は存在しない。
物心論
ニーチェは伝統的西洋哲学に反し、体を心の上に置いた。というよりも、肉体と精神という言葉が生まれたことでそれらは分裂しただけであり、そもそもは1つのものに過ぎないとした。ともあれ心は道徳や倫理などの社会的・客観的な価値を考えてしまうが、肉体は正直に自分の欲求を表現する。どちらが大いなる理性足り得るだろうか。
運命愛
ニーチェのいう運命とは、自分の選択と行動に導かれるものである。今の運命は全て過去の自分の行いから生じた所であり、未来の運命は今の自分の行いから生ずる所である。つまり全ては必然でしかない。
→そのため客観的価値ではなく、主観的価値に添うことで、自分の運命を愛することができる。
そもそもあらゆる物事に絶対的価値など存在しない。物事を相対化し価値づけるのは人間の驕りでしかない。良い出来事も、悪い出来事も全て恣意的に決められたものに過ぎない。
全てが等価値で無価値ならば、良いも悪いもないそれらを一切受け入れることで、苦難の末人生でさえも愛おしく、自分の運命を愛することができる。自分の人生の日々を丹念に愛すればただそれだけでよいのだ。
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哲学者であるニーチェの考え方を、わかっているようでわかっていないのではないかと思い直し、読むことにした。
最近、「羽合(しゅうごう)」という考え方を取り入れている。それは、色々な考え方のイイトコ取りをするというもの。今回もニーチェの考え方がすべてわかったわけではないが、参考にしたいことが2つつあった。
一つ目は、人間は道徳心にとらわれすぎていること。「~しなければ」「~した方がよい」という考え。ニーチェはそれを「自然ではない」と言っている。もっと自分の欲に正直になっていいと。
二つ目は、良いことだけでなく、悪いことも受け入れる「運命愛」を持つということ。
ニーチェは幼い頃に父親や弟を亡くした。20年以上もの闘病生活も送った。そんな境遇にありながらも、全て起こることは美しいと肯定できるニーチェがすごいと思った。
「運命愛」の内容を読んだ時、思い出したことがある。頸髄損傷のYouTuberさんだ。
彼女は受傷後、5年の歳月を経て前を向けるようになったと話している。マイナスなこともちゃんと受け入れて前向きに生きているのだ。
彼女こそ「運命愛」に溢れた人だと思う。
この本は、また時間をおいて再読したい。