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徳川吉宗⇛田沼意次⇛松平定信⇛徳川家斉⇛水野忠邦という改革の流れが非常に面白い。
幕府の財政は石高に依存していたので、米の生産量が増えると米の価格が落ち込んでしまい、幕府財政は悪化してしまう。これは経済学で言うところ、需要と供給で説明できるが、当日は経済学的な考えもなく、米価格は増産に伴い下落する一方で、それ以外の産品は供給量に限りがあり、価格高騰していた。
徳川吉宗は米の生産量拡大に注力したが、田沼意次は商人の経済活動を活発化させることで幕府の税収を増やそうとした。商人との結び付きを強めた田沼意次は、既存勢力からの反発を招き、長男が暗殺されてしまう。
田沼意次の政策から一転して、松平定信は商業活動を制限し、質素倹約を是とし、徳川吉宗時代の米中心の政策へ傾倒していく。徳川家斉からの後ろ盾もあったが、大奥の出費にまでメスを入れたことで、大奥が家斉に松平定信を罷免するように進言していた。
松平定信の質素倹約から解放されたように、徳川家斉は大御所政治を謳歌する。しかし、大塩平八郎の乱を代表とする、打ちこわし一揆が盛んになったこともあり、水野忠邦が改革を断行する。贅沢ものの禁止、農村から江戸へ来た貧困層の帰農、株仲間の解散、などを実行し、松平定信に近しいスタンスを取っていく。ただ、上知令など大胆すぎる政策が大名からの反発を招き、水野忠邦が欠席した会議で老中の罷免が決議される