紙の本
感情移入しにくい。
2016/10/26 17:02
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投稿者:せいけん - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分がこの種のゲームをしないせいか、あまり共感できない。中沢新一の他の著作と比べて、言葉遊びの傾向を感じる。ラスコーの壁画とインベーダーゲームの宇宙人やウルトラマンに出てくる怪獣を言葉の世界に出現する魔術的なものとして同一視する理屈は分からないわけではないが違和感がある。ポケモンを贈与の関係として捉え、野生の思考の現代版として捉えることにも同様の思いを持つ。これらには匂いが感じられない。また神話として歴史の深みもない。現実から遊離した情報量の希薄な電子の世界の遊びである。社会学的な考察として読めばそれなりだが、首をひねる。別にポケモンに恨みはないし、ウルトラマンは好きだけど。
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対象a、野生の思考については一読しただけではその意味するところが掴めたようでいていざ言葉にしようとすると曖昧となる。贈与論はまさにその通りで、田尻さんのインタビューから交換ありきで生まれたと知って驚いた。
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中沢新一といえば中学校くらいで虹の理論を読んで
こういうモノを書いて見たいと思わせつつも、
あまりにも胡散臭すぎて直視するのが恥ずかしいそんな作家であった。
今回もポケモンの神話学ということで
胡散臭さは満載ではありますが、
率直に言って氏がポケモンを満喫しているのがよく分かってわりとなごむ。
おおむねフロイトの話で目新しさはないものの、
ゲームとデータで構築された世界に文化としての意味を与えたのは
ひとつの道しるべとして評価できるかもしれない。
消費される対象というだけではなく、
生産される場としてインベーダーゲームから辿っていくのは、
いかにもアカデミズムの手つきだが、
この人は根が山師だからまぁ、いいんではないか。
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丁度一年前(2016)だと思いますが、ポケモンGOというゲームがダウンロードできて多くの人がやったと思います。ポケモンというのは長寿のゲームで、娘も以前、やっていたのを記憶しています。
説明してもらった限りでは、ジャンケンをかなり複雑にしたゲームだと思いました。ジャンケンはツールが3つしかありませんが、ポケモンには多くの属性があり(この本で、それが15であると知りました)相手と戦う場合に、その属性を考慮した上で、戦略を練るそうです。
そんな私が本屋さんで、この本をネットで見つけました。ポケモンの裏話でも書いてあると思ったら、思いのほか難しい内容でした、でも、私がイメージしていた、ポケモンのバトルは、ジャンケンの複雑化したもの(本では五行説についても引用していました)であることが説明されていて嬉しかっです。
ゲームは多くの人が楽しめますが、多くの人が楽しめるゲームを設計するには、複雑な頭が必要なのでしょうね。
以下は気になったポイントです。
・水辺でおたまじゃくしやザリガニ取りをしながら、片手でゲーム機のポケモンと遊ぶ少年たちがでてくる、というイメージは、20年後に、そっくりの光景がAR(拡張現実)を使った最新テクノロジー(ポケモンGO)によって再現されている(p5)
・ポケモンのアイディアのもとになる体験は、小学生時代に通過してきた世界から来ていることが多い(p18)
・ポケモンプレーヤーの最終目標は、生息するすべてのポケモンを採集・記録した図鑑をつくることにある(p94)
・ポケモンは、たとえ相手と戦ったとしても、相手を弱らせたり殺すことが目的ではなく、新種のモンスターを捕獲・採集することが目的とされているので、図鑑に生きたまま集めていくことに重点がおかれている(p103)
・ポケモンには15の属性(ノーマル、火、水、電気、草、氷、挌闘、毒、地面、飛行、エスパー、虫、岩、ゴースト、ドラゴン)のうち、1つか2つの属性を持っている(p128)
・ポケモンゲーム最大の特徴は、交換にある。自分が捕獲したモンスターを他人のゲーム機に送り込んだり、もらうことができる(p139)
・自分の大切にする対象をトレードに出すという行為を通して、友情の結びつきをつくりだそうとしている(p150)
2017年5月1日作成
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難しくて理解するのがの容易ではない。
哲学的な観点からポケモンについて解析しているのだが面白くなはない。
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ポケモンがなぜ特別なコンテンツなのか知りたくて本著を手に取った。人間が持っている本質的な感性や幼年期の心の働きに大きく関連しているということは理解できた。ただ一方で、「他のコンテンツと何が決定的に違うのか」は理解できず、消化不良な感じもした。きっとGBというインフラと言っても良いくらいの共通ツールを試用しているところや、キャラクターデザイン等が複合的に影響してのことだとは思うが、ではなぜ「他の類似コンテンツ」は現在のポケモンの地位に到達できなかったのか?ポケモンよりも他のゲームに「はまっていた」自分としてはその点を明示してもらうことを期待してしまった。
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ポケモンブーム初期に書かれた批評が、ポケモンGOの波に乗って2016年に改題新版として復活したもの。
ポケモンをタイトルに冠しつつも、前半はフロイト精神分析学によるテレビゲーム全般の分析で、文化人類学的なポケモン論は後半のみ。
特に前半では「対象a」や「死の欲動」など馴染みのない心理学用語が用いられて取っ付きづらい印象がある。
しかし用語の意味が厳密に理解できなくても、同じ主張が何度も繰り返されるうえ、全体でも180ページ足らずとかなり薄い本なので何となく分かった気になって読み通す程度であればそれほど大変でもない。
ただ逆を言えば、この本の主張をきっちり自分のものにしようと思ったらフロイトやレヴィ=ストロースの素養は必須だろう。
後半のポケモン分析については、ためになる部分もあるがいかんせんポケモン初期の本なので、初期のゲームでのみ強調されていた設定(ニシノモリ教授のモンスターボール開発など)が取り上げられていて、現在から見るとやはり説得力には欠けてしまう。
例えば筆者はポケモンの相性やパーティ編成について、レディメードは通用せず一人一人の創意によるカスタマイズが求められると述べているが、この本の発売ののち、ポケモンブームが加熱するにつれてパーティ編成の定石を教える攻略本やサイトが相次いで出現した。有志による検証で各ポケモンの能力値や技の威力が数値化され、攻略のための最適解をプレイヤーは容易に得られるようになった。これらの均質化された情報(本書の言い回しを借りれば「言葉(象徴)の体系」にあたるだろうか)は、無邪気にポケモンの世界で「野生の思考」を謳歌するはずの子供たちから再び野生を奪い取り、合理的な思考の世界に彼らを連れ戻してしまったのではないだろうか。
巻末でポケモンの生みの親であるクリエイターの田尻智氏が指摘しているように、ポケモンというコンテンツは本書が出版されて以降も多方面に非常な発達を遂げてきた。そのことを思えば本書の主張は、執筆当時の初代ポケモンの発売から間もない時期のこと、攻略情報に触れない年齢の子供に限る、と注釈をつけない限りはポケモン世界の一般的な分析として有効性を保ち得ないだろう。
筆者は冒頭と巻末で「平成狸合戦ぽんぽこ」の例を引いて、現代社会で失われたかに見える「野生」をポケモンの中に見出す子供たちを映画内の「狸」に例えていた。初代ポケモンの発売から25年の月日が経過して、ポケモンはすっかり大人向けの、「やり込み」を前提としたコンテンツに変化したように思える。わずかに残された野生すらも理性の檻に譲り渡した、飼い慣らされた狸たちの姿を見て筆者は今何を思うのだろうか。
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「野生の思考」。うん、神話学とかなってなかなかなタイトルですが、サブタイトルのポケットの中の野生って方がしっくる来るかな。圧倒的モンスタータイトルとなってゲームだけでなく、メディアミックスも強大なソフトの誕生から発展を小難しく説いております。ポケモン生みの親の田尻さんのハナシもそうですか、そう取りますとポケットの野生に繋がっていくのですね。と非常に高尚な気持ちであらためて、ポケモンを見ることができます。インパクトからの拡大は、ゲームを超えている。その説明として、ポケットの中の野生は非常にしっくり来る。