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本書の前半ではスノー以前の日本をはじめとする各国の毛沢東に対するイメージを、毛沢東像(写真)の変遷を通したどったが、後半では、エドガースノーによって紹介される『中国の赤い星』の英語版各バージョン、ロシア語版、中国語版等を比較対照し、それらの違いとその原因を指摘するとともに、本書の評価が時の国際共産主義運動から離れてはありえなかった諸事情を紹介している。石川さんは500頁もの『中国共産党成立史』を書いていながら、こんな一見ミーハー的な、トリビアな本も書く。そこに共通するのは、徹底的に調べ、その過程を謎解きのように書いていくというスタイルである。読んでいてわくわくする。とても文才のある人である。スノー以前の毛沢東像で面白いのは冒頭で紹介される、社長然としたかっぷくのいい毛沢東像で、これがどこから来たかを石川さんは追いかけるが、それは結局解決できず、読者にゆだねるかたちで終わっている。この前半部も面白かったが、ぼくが面白かったのは、やはり後半のスノーの『中国の赤い星』のたどった運命である。文革時期に大学生活を送ったぼくも、若いときにこの本を読んだ記憶がある。本はいま手元にないから、どこかで売ってしまったのだろう。しかし、その印象がとても鮮烈だったことは覚えている。それはちょうど文革の時でもあったので、ぼくたちは中国に希望を感じ、その原点である延安の人々を描いた本書をまるで聖典のごとく読んだのである。スノーは当時知られていなかった延安地区をいわば、すっぱ抜き的に記事を書いた。それは当時の波多野乾一ら日本の中国研究者にはおよばないことだった。しかし、それには事前にいろんな準備があった。そもそも、スノーは一人で延安に赴いたわけではなかったし、当時は明かされなかったが、裏では宋慶齢たちが支援していた。しかも、スノーのこの探訪記事は、発表後必ずしも好意をもって受け止められたわけではなく、上はトロッキストたちに批判されたし、共産党に利用されただけだとか、中味をチェックされただのといった批判もあった。たしかに、その後の『赤い星』の修正にはそういう側面もないわけではないが、スノーはあくまでジャーナリストとしての立場を通したというのが、石川さんの主張である。一つ、石川さんらしいと思った箇所は、スノーが1970年に訪中し、毛沢東と会ったときに、毛から自分は「傘をさす和尚だ」と言われたことだ。これは実は中国語のしゃれことばで、その心は「(お坊さんに傘だから)髪の毛も天もない」つまり、これは「自分のしたいようにやる」という意味なのである。それを通訳を介したスノーは、孤独者としての毛沢東のイメージを表すものと解した。これはもちろん間違いなのだが、それは当時傘を持った毛沢東の画像(安源での。これはぼくも見たことがある)が出回っていたことと、当時の国民党軍が傘を持って行軍していたことで(だから、弱かった?その写真も石川さんは挙げている)、スノーの解釈はそうした毛沢東像から来ているのではないかと解釈していることである。それにしても、石川さんは内部本とか発禁本、それに英語版の各バージョン、ロシア語版にまで目を通し本書を書いた。各所でトレビアな印象を読者に与えるかも知れないが、本書全体に通底するのはやはり研究者の姿勢である。