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読了。
ふと思ったこと。
AVを見ることはダメなんだろうなと思う。
キリスト教で、「女性を見てやましい心を持った人間も、姦淫したのと同じ不貞になる」とあった。「えっ」とおもったが、納得もできる。
売買春のことよく考えるようになった。たぶん娘がいるからだろうなと思う。これが男の子であれば、これほど悩まなかったなと思う。
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凶悪なレイプ事件でも暴行だったり、ワイセツな行為とかいたずらとか、なんだよそれ正確に表現しろよと思うことが多すぎるこの国。痴漢にあうだけでもどれだけ怖くて気持ち悪くて傷つくか、飲み会の下ネタがどれだけ不愉快か。なんでそんなに平気なんだろう。平気は兵器だよ。女にとって。ところで北原さんの友達も言ってたらしいけど、佐藤さんっていい人なんだね。
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佐藤さんに聞いてみたいこと:
得物を捕ってくる性としての男性という役割はもう終わりでいいです。
地球を守り、みんなでうまく暮らしていくための知恵を持つこと。
欲望をうまく飼いならすことができることが輝くということ。
男性がそういう性になるにはどうしたらよいでしょうか。黒川伊保子さんと対談してほしい!
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佐藤優さんの対談集なので買ってみたが、途中で放棄したくなった。その謎は、佐藤さんが北原さんを評して「ある意味ピューリタン的」だ。それは「性について語るとか性を解放しようと」言いつつ、「同時に同じくらい抑圧が働いている」(p211)というところまで読んで氷解した。だから、面白くないのである。佐藤さんも同志社で神学を専攻したくらいの人だから、性に対してはやはり禁欲的なのである。禁欲者同士の対話と見ればいいのかもしれないが、ぼくとしてはフラストレーションがたまる本であった。
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インテリゲンツィアすぎて何言ってるかよくわかんなかった。そこまでいろんなこと無理やり意味付けなくていいのではと思ってしまった。
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知の巨人・佐藤優とフェミニズムの開拓者・北原みのりの対談集。
佐藤はこの対談を通して「自分自身の思考がいかに暴力性を帯びているかについて反省」したと語る。
一方、北原は佐藤のことを「差別と暴力を、握り拳のなかで感じられる人」と。
共鳴し合う二人の共通項は「獄中闘争」。
凄まじい経験した二人が共通して語る。
「拘束される恐怖と屈辱感」こそが差別の正体なのだと。執行猶予が終わった後、自由になった後こそが、恐怖で当時のことが書けないのだと。
二人の対談を通して、気付かずに差別する側になってしまうことに愕然とする。
でも、知ることが第一歩なのだ。
自分自身の胸に刺さる、抜き難き一本の矢。差異への拘りに気が付かされる渾身の対談集。
〈以下抜粋〉
「反権力が好きな男性たちの興奮が気持ち悪かった」(北原)
「逮捕されたときには、男は誰ひとりついてきてくれませんでしたよ。助けてくれたのは、三人の女性だけ」(佐藤)
「実はある筋から、私が外務省の悪口を散々書いてるからって、それを原作にアダルトビデオ化しないかという話があって(笑)。ビデオ会社の担当レベルでは興味を示したんだけど、法務ではねられたそうです。中央省庁を揶揄したりしたら、どうなるかわからないからと」(佐藤)
「外務省時代に付き合っていた情報関係のプロたちは、ロリコンとか女性への暴力とかをとても嫌っていました。逆説的になるんだけど、日常的に仕事で暴力を作り出す人間たちだから、私生活では魅力的な人が多かったですよね」(佐藤)
「正義はあると考えるのと、正義を振りかざすのは大きく違うんです」(北原)
「差別を本質的に捉えてない人が発言しても、沖縄人は冷たいですよ。琉球SEALDsに所属する大学生が『二番目の加害者は、安倍首相と日本人だ』と言いましたね。会場の一部は沸いているように見えたけど、私の周りは冷ややかだった」(佐藤)
「夏目漱石の『坊ちゃん』の中に、『日本人はなぜすぐに謝るのか。それはほんとうは悪いと思っておらず、謝れば許してもらえると甘えているからだ』というくだりがあります」(佐藤)
「忘れないけど許すというのが、本当の『和解』ですよね」(北原)
「イエスが捕まったときに男たちは皆逃げちゃったんだけど、女性たちはそばから離れなかった」(佐藤)
「日本の性売買は、どっぷり体制側。そういうシステムが当たり前のようにある世界で、男性たちもシステムの依存症になっているんじゃないでしょうか」(北原)
「今、そういった現場の方々が力を入れているのは、1956年に制定された『売春防止法』の改正です。60年前のジェンダー観でつくられた法律は、性売買に関わる女性を保護・更正の対象としてしか捉えておらず、使われる言葉も差別的です」(北原)
「『あなたの近い人が』じゃなくて『あなたが』『僕が』売春せざるをえないという状況になったときに『僕が』どういうふうに感じるか。そういう方向で立てないといけない」(佐藤)
「女の運動の歴史は、無視と嘲笑との闘いの歴史だ。それが性にまつわることであればあるほど、その闘いは過酷だ。男たちは対等な議論の俎上に、女の声をのせなかった」(北原)
「嘲笑される女から距離を保ち安全圏で正論を吐くフェミニズムでなく、嘲笑される女の横に立つフェミニストでありたいと願うようになった」(北原)
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慰安婦問題に関して,女性の意見をあまり聞いたことがなかったので,北原さんの発言は非常に興味深いものだった.未だに我が国では女性に対する差別的な見方が通奏低音のように流れていると感じている.これを打破する方法は,幼児教育にあるのではないと思っている.佐藤優さんの弁はいつもながら,的確で素晴らしい.矯風会の話も面白かった.
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北原さんの本も佐藤さんの本も読んだことがない。そんな二人の対談。論を闘わすというよりは、共感のなかで話が進んでいく感じ。二人の話にほぼ私も共感。
自分のなかでは曲者的な印象だった佐藤さん。ちょっと読まず嫌いだったかなと思った。2015年の日韓合意が見直されることになると看破していたのはさすが。
なるほどなと思ったのは、北原さんが話していたんだと思うが、女性が性暴力と隣り合わせであることに、男性に思いを寄せてもらおうとするときの「自分の妻や娘がそういう目に遭ったらと想像してみろ」という常套句を突いたところ。自分の妻や娘がでなく、自分がそういう目に遭ったらと想像して対せるようでないと駄目なんだ。妻や娘のこととして感じた思いは、結局父権的でそこにまたジェンダーが宿っているから。
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慰安婦問題からAVの問題まで、対談形式で語られる。女性は欲望の対象であり、その事を前提に社会システムが出来ている。それは、男性が欲求を制御できない事を前提としており戒律や法律で禁止した所で、統制しきる事はできない。北原みのりは、そうした男性的社会を不平等で、作り直さなければならないものと断じ、異常な変態性を軽蔑し、性風俗店をペットショップのように人権無視の上に成立すると言い切る。佐藤優をおおよそ同意しているように見える。しかし、本当にそうか。女性が性の対象となるのは当たり前であり、欲求を満たしたい衝動も、人生に付随する綺麗事ではない側面ではないか。その意味でも、2人は橋下徹の米軍に風俗店が必要との発言に、女性を馬鹿にしていると言うが、私はそうは思わない。
ジェンダー論は難しい問題である。夫婦共働きの世帯収入を得ている子ナシの家族と、夫一人で妻も子供も養っている家族と、これは社会的に平等か否か。また各々の妻の立場も当然ながら異なる。就労のし易さにも性差はある。この本では性衝動の部分が議論されているが、性機能差については論じられない。私見だが、北原みのりの一方的な意見が幼く、彼女の好む言い方を借りれば、性を性欲として記号化してしまっている所為ではないか。
性欲は性差により生じるのだから、性差そのものを社会システムに繋げて、掘り下げて欲しかった。
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佐藤優が沖縄県民を差別誘導しているのは間違いないでしょう。著者の母は沖縄出身のクリスチャンで、彼は同志社大学の出身のようだ。知人から聞いた話では沖縄キリスト教大学という沖縄の大学に通う女子学生は、少ない稼ぎを米兵に貢いでいるそうだ。沖縄の強姦致死事件の犯人も本来は兵役を終えアメリカに帰るはずが、日本人女性が結婚して日本にとどめてしまったがために、軍の管理ができない状態で日本国内に野放しにされてしまったのではないか?一説によるとシンザト容疑者の妻も沖縄キリスト教大学の出身と聞く。
かつてキリスト教が火薬の硝石と引き換えに日本人女性を性奴隷として買い、世界中に売り飛ばしたことについて著者はどう考えているのか?また、からゆきさん問題をどう考えているのか?現在でも横須賀においても沖縄と似たような状態になっていることをなぜ扱わないのか?極めつけは、論調の中で韓国の慰安婦問題と沖縄を同列に考えるように読者を誘導していることである。これは沖縄に侵入していると思われる似非左翼や似非右翼の特徴的な論調でもある。
沖縄県民は太平洋戦争を共に戦った同志であり、集団自決は特攻隊ともに扱うべき愛国心の象徴でもあるが、韓国出身者は他の日本兵と違いすぐに投降し裏切った者が多かったとよく聞く。
さて著者の友人が多いと思われる創価学会の上層部は韓国系の人たちが多いという説について著者はどう考えているのか?誰かがこういったことを国民に伝えこのような作家を追求しないと、沖縄と日本は分断されてしまうだろう。