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僕は芸人が大好きだ。
好きというよりは、尊敬に近いような感情。
生き残るのがとても厳しい世界の中において、「笑わせること」に命をかけて、身一つで戦うその姿は、とてつもなくかっこいい。
そんな芸人の生き様が、痛々しいほどリアルに描かれてる。
とても真似はできないけれど、愛するものに思い切り向き合って後悔なく人生を終えられるようにしなければ。
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全然関係ないけど、カバー写真がぱくたそだったの凄い笑った。読む前は正直もっと心がぐらつくかと思ってたけど、そうでもなかった。私が思ってたハリガネロックと全然違ってることがわかってたら、私がお笑いを大好きっていうアイデンティティまで揺らぐんじゃないかと思ってたんだけども、そんなんどうでも良いくらいに松口さんは真摯でお笑いが大好きな人で、私はそんなハリガネロックだから好きだったのだ。
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魂をこめた文章は、人の心を揺さぶる。
目の前にその人(著者)がいなくとも、そのエネルギーが目に見える。
それは、文章が上手い下手とは(ほぼ)無関係だ。
芸人としての誇りをもって、
漫才とひたすら向き合い極めようとして、
それができずに解散という選択をした芸人が、
それを振り返って綴ることば。
どれも重く、心をえぐられる。
途中からは涙が止まらず、ずっと胸が痛い。
ちなみに、ハリガネロックというコンビに深い思い入れは、ない。
初期のM-1とかオンバトが印象に残っていて、おもしろい漫才をするコンビだとは思っていた。
そのコンビが解散すると、ネットニュースか何かで見たときの感想は、
「あー、ハリガネロックって久々に聞いたな。」くらい。そんなもんだ。
そのコンビの片方、ユウキロックさんが、
水道橋博士のメルマ旬報で連載を始める、と。
その当時から購読していたので、ちょろちょろと読んでいた。
当たり前の話だが、
他人がどんな思いでどんな人生を生きているかなんて、
その人のことばを読んだり聞いたりしないとわからない。
それでもやはり、
そのメルマガの内容を加筆修正して
1冊の本にまとめると、また違ったパワーが生まれる。
読み進めるにつれ、
「あぁ、もうすぐこの物語の幕が下りてしまう」と思い
先に進むのをやめてしまいたい、
けど、
この話の続きも気になる。
なんて矛盾を抱えることができるのも、本の魅力。
よほど魅力のある本でないとそんな気持ちにはならないけど、この作品はそう思わせる。
すべての人が
著者のように何かを突きつめて
他のすべてを投げうってでもそれと向き合って生きろとは思わないし、そんなことにはならない。
けど、自分の好きなものには愛情を注ぎ、
後悔のない人生を送ろうとは思う。
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ユウキロックがコンビを解散して裏方になるまでの話。
まず時系列順じゃないのでわかりにくい。
いつケンコバとのコンビを解散したのか、ハリガネロックのいつ頃がピークだったのか、よくわからない。
で、芸人の文章は大抵オチが付いているのだけど(又吉の純文学でさえ)、これはそれが全くない。
むしろ読んでて伝わってくるのは相方と今一つブレイクしないことに対する苛立ちと緊張感。
本人が神経症だと思うくらい神経質だから余計に。
特に「M-1」や「THE MANZAI」の賞レースはとことん計算しながら、相方の態度も含めて計算通りにいかないから息苦しくなるほど。
とここまで悪いことしか書いてないけど、気持ちは凄い共感できた。
芸能の仕事に関わってる人なら誰しもある葛藤を、余すところなく描いてた。
彼のことはほとんど知らなかったけど、裏方になった彼の今後に幸あれ!
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畏れ多くもありますが、自分の境遇と重なる部分が多く、
3時間ぐらいで一気読みしました。読みながら共感し過ぎて、本を一旦置き「ウォー!!!」と一人叫んでみたり。
闘ってきた男、これからも闘い続ける男の一番濃厚なエキスをお裾分けしてもらえたような読後感。おすすめです。
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M1の昔のやつDVD で見て
ハリガネロックに興味をもったにゃ
解散していて
この本を知り購入したにゃ
読み終わらず
途中で挫折したにゃ
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baseよしもと、まじっすか世代の私。
芸人が解散、引退を決める時にどんな想いでいるのか。
アメトークのカメラ芸人での残念な姿以降、見る機会がなかった。ユウキロックは好きじゃなかったけど、あの世界で彼の目はずっと何を見てたのか。
文体はちょっとカッコつけぎみですが、そういう性格なんでしょうね。
先輩に可愛いがられないキャラクター、打算的な性格、歩み寄れない相方との距離。そういう性格なんだからしょうがない。今までのやり方が間違っていたからって、急にそれを変えたりはできないもの。
正直に語られてたと思う。相方への気持ちも。大上さんにも言い分はあったんだろうけど、聞けないまま終わってしまった。
私はブラマヨが芸人で一番好きで、あのM-1は最高に面白かった。あれがユウキロックのやりたい漫才だったとは。
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これも年末のBRUTUSの読書特集から。
元ハリガネロックのユウキロックがコンビ時代と解散に至った経緯を振り返って書いた本。
最後の方にこの文章を書いた経緯もあったけど、全体的に後悔ばかり綴られていて、つまんなかった。よく有料メルマガのコンテンツになっていたなと思うほど。
ぶっちゃけ、ハリガネロックのこと、忘れていたし・・・。
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新聞で大上さんがアイドルの運営に携わっているのを知り、そこからつながって読んでみました。
松口VS小林。の頃から、大ファンとはいえないけれど定点観測でみてきたので、いろいろと考えさせられた。
笑いとは何か、芸人とは何か、考えれば考えるほど迷路にはまっていく様子がよく書けていると思った。
筆者は漫才だけではなくて、話す技術が高いと思っていたので(アメトークではいまいち発揮されていなかったけれど)、芸人を辞められたのはとても残念。
これほどいろいろ考えた松口さんに漫才を教えてもらえる生徒さんは幸せな気がする。
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爆笑オンエアバトルで優勝した実績もあるハリガネロックのユウキロックさんが書かれた本です。
彼のお笑いや漫才に対する熱い思いや考えが赤裸々に語られた貴重な一冊です。
現在はコンビを解散して、お笑い講師などをされているみたいですが、今度はその蓄積されたお笑いのノウハウを書籍化してほしいなと思いました。
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アツい。芸人へのリスペクトが深まるし、自分の仕事への熱を取り戻させてくれます。3人の先輩の言葉がどれも素敵でした。「何か新しいことやってるか? 誰もしてないこと探してるか?」、「解散したら0になる。また地べたから這い上がってこい!」、「面白いやつは絶対売れる」【2020年8月13日読了】
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居続けるためには、代わりのいない存在にならなければならない。俺がいなくても地球は回り続けている。所々にずしっと響く重たい言葉があった。
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ハリガネロックって誰だっけ?っと思い、Youtubeで見てみました。確かに見た事あるなあという程度でしたが、知っていました。
お笑いの頂点に近い所迄上り詰めながら、納得の行く所まで登れず、コンビ解散までを綴った本です。
お笑いは人を笑わせる事が仕事な訳ですが、自分が面白いと思える、笑える瞬間はまた別の所に有る訳で、他の表現もそうですが本当に厳しい世界だなあとため息が出ます。
しかしこの作者のユウキロックさんは、相方が覚醒するのを放置してじっと待っていましたが、それはあくまで自分の考えが正しい。だから自分で気が付いてここまで上がってこい。というとんでもなく上から目線の考え方です。
勝手に期待して勝手にがっかりする。こういう人はめんどくさいなあと読んでいて思いました。察して欲しいなら、空気を察する人を周りに置いておくしか無いですよ。
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90年代後半から00年初頭にかけて、お笑いブーム(ほぼイコールエンタの神様)の少し前のお笑い好きが観る番組と言えば、"爆笑オンエアバトル"でした。
その中でも常にハイスコアを叩き出し、若者の人気をかっさらっていたのが本書の著者であるハリガネロックです。30歳中盤移行〜ダウンタウン世代のホープでした。
哀しくも、解散してしまった(時代性とか選んだ道の厳しさとか)このコンビが解散するまでの履歴を辿る一冊です。
今では南海キャンディーズやぺこぱよろしく"m1王者、プロ漫才師≠お茶の間の人気者"と言う図式は浸透しているように見えます。ただ、この当時は芸、コンテンツ至上主義みたいな風潮が強かったのがユウキロックさんを漫才にドライブさせる要因だったのかも。
哀しくも色々と学びにもなる一冊です。
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*結果と周囲(主に客)からの評価を気にする、チョコマカした方向へ。ずっと北風と太陽の北風な感じ
(どうしてこうなった?)
→結局は美意識(センス)と深淵に向き合う事から逃げた事と運
もともと神経質で小心者な性格、緊張しいで真面目、存在感ではなくスキラー、絶対結果を出さなくてはいけない「貧ずれば」の場面に追い込まれた、父や芸人仲間やケンコバに自分を認めさせる手段としてのお笑いになってきた、復讐心と焦燥感と自己嫌悪がガソリンになってしまった、そうなると手段でありネタ作りが楽しくない、客ウケに走ってしまったがその流れから育ったファンやライブも捨ててしまった、受け身を取れなかった、しかし芸人や吉本という肩書きへの矜持や執着は人一倍。ケンコバとのコンビの形or相方に物足りなさを感じる二つの道しかなかったのでは(自分を受け入れられなかった)?しかし自分を受け入れられないという強い自我がなければそこまでもいけなかったのでは?本当に周りは認めていなかった?beよりもdoに寄り過ぎた、出役よりプロデューサーが向いていた?でも結局は時代や巡り合わせ次第?
今でも最高なのにもっと最高な未来
を描けなかった
「見返してやる」という毒な復讐心と、「何クソ」というスパイスな反骨心の違いはどこか?
周りからの評価に焦点:復讐
周りに対する自分の生体反応:反骨
いや結局運と結果次第かも。何事も中庸が一番。