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この本の中で少なくとも『文学としてのドラゴンクエスト』は語られていない。
最初と終章だけにやたらと“文学”という言葉が乱発されているだけ。
“だそうです。”、“でしょう。”、“と思います。”の言い切れない文書が多く、言い切っているところは、既に公になっている事実のみ。(ドラクエファンなら誰でも知ってるレベル)
単なる個人的な自由研究の成果発表だな、こりゃ。
とても残念。
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力作。村上春樹との比較が面白い。最新作の9,10も偏りなく論じているのが非常に好感。
扱う主題の性質上いくつか致命的なネタバレがあるため、これからDQ本編を遊ぼうと考えている人は注意。
(ただ3のアレだけ変に伏せているのは疑問に感じた)
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読むとドラクエがやりたくなる。
堀井雄二というドラクエのプロデューサーの思想から、ドラクエがどのように形作られてきたのかを類推していく。呪文やキャラクター、グラフィックなどの要素についいての考察をあえて切り落として、「物語」の構造に対する考察を深めた本です。
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とりあえず別のテーマにかこつけて村上春樹を語るのはちょっと勘弁してほしい。そういうのはタイトルで宣言してくれないと。なんか、語りたくなる作家なんだろうなということは理解できるんだけど、村上春樹について前提のない人には色々厳しい。
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ドラゴンクエストシリーズを、物語性に着目して批評しています。特に、作者である堀井雄二を村上春樹と比較しながら考察しているのは面白いですね。
リアルタイムでドラクエシリーズを楽しんできた身としては、大変おもしろく読みました。技術的な側面だけではなく、時代背景とグループ?(Ⅰ~Ⅲ、Ⅳ~Ⅵ、Ⅶ~Ⅷ、Ⅸ~Ⅹ)の関係性など、たしかに、という感じですね。
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自分はドラクエが好きだ。ナンバリングタイトルなら、オンラインゲームの10以外は全てプレイした。著者もそんな感じのドラクエ好きな人なのかもしれない。国民的な作品であるドラクエをこんな風に捉えられるのかという新鮮さがあった。
前から「ドラクエはしんみりした物語を楽しむ、小説に似ている」、「FFは最新の映像技術なんかを駆使した映画に似ている」と思っていた。そういったことがより細かく述べられていた。
「序章」に本書の目的や前提条件などが述べられている。
ドラクエを文学として捉えて、語る(評価する)というのが本書の目的とある。下記2点のようなことも言っていて、ドラクエを小説なんかと同じ舞台で文学として語るという試みのようだ。
(1)ドラクエは長期に渡って大ヒットを続けている。でも、ゲーム作品の場合は数百万本売れても、小説や映画並みに話題にはならない。当たり前に評価するのが難しい。”たかがゲーム”と言った空気がある。
(2)しかし、これだけ売れているのなら、ドラクエは日本人のものの考え方に多少なりとも影響を与えていると言って良いのではないか。作品が作られた時代の日本人の精神性が反映されていると考えても良いのではないか(実際、小説が数百万部売れたら、そういう評価をされる)。
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・本書では、ドラクエと村上春樹とを比較して語られる。堀井雄二と村上春樹は、同じ早稲田大学出身で、同じ頃に世に出た。同じ時代を生き、両者の作品には共通点が多く見られるという。
ドラクエとともに、村上春樹の作品も自分は好きだ。なので、著者の感じていることはなんとなくわかる。でも、こじつけなんじゃないかとも。逆に、同じ時代を生きた作者の作品ならそういった共通点が出るのは自然なことで、それを見出すのが作品を評価するということなんじゃないかとも。いずれにせよ、そのように捉えることができるということは、頭に留めておきたい。
・ドラクエ1が発売されたのは1986年。この頃の時代背景なんかを交えて語られる。この時代を知っている人なら、より良く理解できるのかもしれない。
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何も村上春樹と対応させなくてもよかったのではないか。文学としてとらえるのならばもっと別の視点もありえただろうに。
すべてのドラクエに手を染めるのにはそれだけの時間とお金がかかる。すくなても古くなったものは一つのハードのみでできないだろうか。
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丁寧な文体で理屈を押し付けることなく展開されていく、ドラクエ論。
筆者は堀井雄二さんのことどのくらいご存知なのかしら?と疑問に思った瞬間から、ある個人の意見ではないかと思ってしまった。
だけど、ドラクエが好きだしやったことあるゲームの話題になると真剣に読んでしまう。
ドラクエ30周年に乗っかった本ではないだろうか⁉︎
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文学: 言語で表現された作品
ドラクエはテレビゲームですが、架空世界の住人と会話を交わしながらストーリーを進める、あるいは楽しむという意味では文字を介することになるので、これを文学と捉えて評価する内容。IからXまで登場しますが、これはゲーム評論ではありません。ドラクエという作品を生み出した堀井雄二とその時代背景に主にスポットを当て、ドラクエ30年史を振り返る内容です。
ロールプレイングゲームという分野の先駆けとして評価されることが多いので、ゲームではなく文学として扱っていることと、懐かしさもあって読んでみました。
堀井雄二は意外にも村上春樹と同じ大学で同期ではありませんが似たような時代を生きていて、村上春樹の小説との比較が上手く、文学として上手にまとめられていたと思います。
懐かしく思い出しながら、さっくり読みました。息抜きに良かったです。
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”Fateは文学”を著者が知らないはずはないので、意地の悪い題ではある。DQが文学なら、FFは芸術で、人生は‥は何だろう? 内容は良かったので文学としての〜をシリーズ化希望。
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ドラクエで育って、一通りシリーズは楽しんだ、でもそんなに深く考えたことのなかったような人向けの、シリーズ作品の位置づけ考察。驚くような考察はないけれど、堀井氏がドラクエで何を目指してきたのか、時代との関係してきたのかをやさしく整理してくれる。シリーズで1〜2作やってないのがある、みたいな人が読むと、(やってみようかなと思えて)ちょうどいいかも。
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「ドラゴンクエスト」シリーズに込められた制作者の意図を、堀井雄二の経歴を参照しながら考察している本です。
以前著者の『一〇年代文化論』(星海社新書)を読んだときに、ライトノベルにおいて内面を重視する近代的主体性とは別の人間像が生じていると述べられていたことについて、自然主義文学の〈主体〉でさえも制度として構築されていたという視座からサブカルチャーの歴史を振り返った大塚英志の仕事が踏まえられていないと不満を述べたのですが、本書ではそうした問題もきちんと回収されており、著者自身の立ち位置をもうすこし明瞭に知ることができたように思います。
いわゆる「ロトシリーズ」と「天空シリーズ」については、堀井が作品において「物語の主人公になる」ことをゲームによって実現しようとしていたことが論じられています。そうした解釈の是非はひとまず置いて、そのことの意味がなんなのかという点について、十分に掘り下げられていないうらみがあります。著者は、堀井と同世代の村上春樹を参照することで、文学とサブカルチャーの二つの領域でおなじ問題が現われていたことを確認して、こうした問題のもつ意味についての考察をいわば外部に放り出してしまっているのですが、ドラクエと春樹を接続する議論が若干強引さを感じてしまうことは否めず、そのために本書の議論がどこへ向かっているのかよくわからないといった気分にさせられてしまいました。
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ドラクエを懐かしむために読むのはあり。
でも、村上春樹と結びつけての解説や学生運動の話はその時代に生まれた人なら全員そう言うわけで、評論としては今ひとつ。
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2016年の本なので、ドラクエ10までの内容で終わってます。
ドラクエ開発時のことや、堀井雄二、鳥山明、すぎやまこういちとの関係などは興味深く読ませていただきました。
ただ、ドラクエのストーリーを文学としてとらえるために、村上春樹が登場する部分はあまり興味なく、読み飛ばしました。
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ドラクエのコンセプトは「自身が主人公」「リアルよりわかりやすさ」「物語重視」「一本道からの離脱模索」