投稿元:
レビューを見る
金原ひとみは動物化するポストモダンでも読んだのかい…って感じだった。
ラストは「え」って口に出してしまいました。
投稿元:
レビューを見る
小説家であるママの世界は、「小説が完成した世界」と「小説が完成していない世界」しかない、という描写は、小説家である著者の苦しみや感じ方をも表現しているのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
統合失調症の母の元で寄り添って生きてきた姉妹。しかし、そこには絶対に分かり合えない〝在り方の違い〟があり、母の死を境にその違いが色濃く浮き上がってきて…。
ぞっとする話でした。何が真実なのか、それすらも捉え方次第。母の死因はなんだったのか。姉の母をなぞる行動も恐ろしいし、妹の刹那的な生き方、考え方も恐ろしい。
ふとした瞬間に滲み出る仄暗い闇の気配が、話が進むにつれ色濃くなり、ラストには強烈に迫ってきました。どこか空間がずれたような、倫理観もずれているような…禍々しい世界に巻き込まれた感覚でした。
正反対の二人を取り巻く強烈な違和感が恐ろしいのにラストまで一気に読んでしまいました。人と人は分かり合えないけれど、でも関わりは断てないし、生きていくしかないんだなぁ
投稿元:
レビューを見る
姉妹でも見える景色はこんなにも違うのか。。
怖かった。でも、一気に読めてしまう。最後がなんかモヤッとするけれど。
パニック発作の様子が生々しい。
投稿元:
レビューを見る
小説家だった母は死んだ 自殺それとも病死
残された姉妹の記憶は食い違う
この小説は事実認知の歪みを書いている
起こった事象は見方によりずれてくる
事実を他者と全く同じくは共有できない
クラウドの中から引き出してきた時に
互いの認知のずれに気付いた
姉妹は共依存の関係だった
現実と向き合うと絶望し小説の世界だけで呼吸ができる母
その母に愛して欲しい理有
母に執着をしない杏
寄り添うように生きてきた二人が他者の介在でバランスが崩れていく
杏は、人間は時間が経つと変化すると連続性を否定する
進化、進歩も認めない
だから歪んだ母を、浮気する彼氏を受け入れてきた
その時の母、彼氏は今母彼氏とは違うから
理有は全ての記憶を経験を繫ぎ合わせた
その先に自分がある
しがらみ、役割に縛れている
人と記憶を共有することの脆さ
他者との関係性を独特な切り口で
書いた事がこの本の独自性だと思う
依存から少しづつ離れ個として
生きていく二人がクラウドの中から
何を取り出しどう感じるのかを
考える時、
自分の中の事実が
他者とは共有出来てない
事実とは個人のものなのかもしれないと
考えさせられる哲学的な側面がとても
面白い本だった
投稿元:
レビューを見る
図書館にて。
母親という仕事にもきっと向き不向きがある。
瀕死の母親を見殺しにして、傷を負った2人の娘。
母親は自分が子供を産むことに疑問を感じなかったんだろうか。
自分が小説の世界でしか生きられないことはわかっていただろうに。
懸命に二人が自分たちらしい生き方を探しているのが痛々しく、つい母親目線で見てしまう。
小説家で母親でもあるこの作者はどういうつもりでこの物語を描いたのだろう・・・。
投稿元:
レビューを見る
自分が見ている世界が、どうやら他の人にはまったく違う様に見えているらしいと気づいたのは
いつの頃だったか・・・
世の中に正しいことは一つで
白いものは白いし黒いものは黒い。
そんなシンプルな世界は、それと同時に
あっけなく崩壊してしまった。
同じものを見たって、ある人は美しいといい
ある人は残酷だという。
それはたとえ仲良く育った姉妹であっても同じこと。
同じ母親に育てられながら、全く違う母の姿を見ていた姉妹は母の死因すら共有できず憎しみと混乱に陥ってしまう。
だけど、人はどうしたって自分の見たいものだけを見て信じたいものしか信じられないようにできている。
自分の取捨選択だけを頼りに生きていこうとする姉妹の姿は、逞しさという一点でそっくりだと思った。
投稿元:
レビューを見る
話が回収されぬままというか、開放して終わるというか。ミステリ風なせいかいつもほどのキレや悪意が少なかった気がする。ただただ若い主人公たちについていけなくなっただけかな。
投稿元:
レビューを見る
亡くなった母の呪縛から逃れられない姉妹のお話でした。
評判はよいみたいですが、私には正直よく理解が出来なくて・・・つまらない、というわけではないんですけどね。
沢山の情報の中からどの情報を選択し、どう受け取るのかは各人によって異なるんだ、ということを再認識しただけ、かな。
投稿元:
レビューを見る
金原さんの小説の描写は、一見、不純、不道徳、不潔、背徳、堕落。
でもそれのみを見て作品を否定するのは筋が違う。逆にそれって日本文学の正統な流れをくむものだと思う。川端康成しかり、谷崎潤一郎しかり。中上健次しかり。
だから、現在の「清潔志向」の日本で、金原さんの作品を、さも汚れたものを見るように嫌悪するのは真っ当ではない。
言ってしまえば、文学とはそういうものなのだ。
人間の奥底に潜む汚れて澱んで私たちのような一般人の目に見えなくなっている人間存在の核となるものを取り出すために、あえて汚れて腐臭を放つ泥のなかに手を突っ込み、その「何か」を取り出し、誰にでも見えるように作業をするのが作家の本分だ。
金原作品を読むのは「蛇にピアス」に続き2作目。
相変わらず登場人物の感情の起伏が尋常でなく、また、酒、セックス、夜遊びが女子の日常生活として明確に描かれるさまは彼女の独擅場だろう。
でもしかし、私は「蛇に~」を読んだとき、彼女に日本文学の正統な承継者になってほしかったが、本作品ではそこまでに到達しているとは思えなかったため、あえて苦言を以下に連ねる。
1 女性の綿々たる感情の吐露や行動は、姉の理有、妹の杏ともに突飛な場面もあるものの破綻せずに描き切っているように思う。
しかし、男性の心理や行動の描写が、女性に比べると格段に劣る。どこかから取ってつけたかのような「切り貼り」の人物描写であり、男性の会話が入ると、途端に物語のテンションが下がるように感じる。つまり、男性の描写が力不足。
2 比喩などの使用が自分なりに咀嚼できていないのではないか?
『選んだのが地獄へと続く道であったとしても、「地獄に行くか行かないか決められない地獄」から脱出できたということはある種の解放だ。戦争がいつ起きるかいつ起きるか、と怯えている人が、実際に戦争が始まった時ある種のカタルシスを得るように、私は今、自分が何らかの興奮状態にあるのに気づいていた』(P25)
でも金原さんって戦争を体験したことないでしょ?戦争が起きそうな状況に身を置かれたこともなければ、外国生活でも臨場感をもって見聞きしたわけでないはず。だとすると幾多の表現の可能性からなんで戦争の比喩を選択したの?その必然性は?
3 帯に「衝撃のラスト」と書いてるけど、全然衝撃を受けなかった。(なお、このラスト自体を否定しないけど)。
金原さんは日常と非日常をうまく織り交ぜて描くのがうまいものの、描写の革新性というか、オリジナリティーを獲得しているとはいまだ言い切れないような気がする。
言わば金原さんの現状満足というか自己保身でラストが“落ち着いている”としか思えない。「最新作のラストが前作を超えた」というカタルシスが欠けている。
以上、厳しいことを並べて書いたけど、冒頭に言ったように、金原さん自身には作家としての「まじめさ」「清純さ」が存在するという、ある意味の矛盾が、彼女の作品を面白くしていることは間違いないので、次回作に期待する意味で星4つ。
しかし気になることが1つある。金原さんはこのまま40代、50代になっても、こ���作風を続けるのだろうか?
いや、大きなお世話なんだけど、作中人物がこのままどんどん自分の実年齢と乖離していくのに自己撞着しないのかと思って。
生きるうえで避けえない苦しみを金原さんは書くという行為によって切除していこうとしているのならば、いつまでも女子大生や女子高生を描いているだけでは、人生の歩みを進める自分自身の靄を晴らすのにしんどくなるはず。
西原理恵子さんみたいにやんちゃさを保ちながら自分と作品とを同時に年齢相応に成長させている作家もいるので、そういう作風の変化(進化)も期待したいのだけど。
投稿元:
レビューを見る
「気持ち悪いぬいぐるみ持ってるだけで、同調を求められないんですよ。列に並ばなくても、奇声あげても、ああなんだ変な人か、で終わるんです。変であることって、日本では武器なんですよ」
『人は何のために恋愛をしているんだろう。決して不完全性を克服できないなら、全ての人にとって恋愛は暇つぶし、逃避でしかないんじゃないだろうか。でも、私にとって人生がそれ以上の意味を持ったことがあっただろうか。』
『自殺したママ。自殺を許さない晴臣。自殺を隠蔽した祖父母。自殺を幇助した姉。自殺なんてなかったように振る舞う自分。きっと、皆それぞれの切実な思いの中で、最善と思われる選択をし続けてきた結果が、この今なのだ。』
『関係ないと言ってもらいたい気持ちと、関係あると言ってもらいたい気持ちと両方あって、関係ないと言われてショックを受けている部分と、ほら見ろやっぱり関係ないと思っている部分と両方あった。』
「いいよ。そんなの自分でできる」
「自分でできることを人にしてもらうことに意味があるんじゃねえの?」
『文字、画像、映像、あらゆるデータを無制限に保存できるようになった私たちは、それらがどれも加工修正可能な、不確かなものでしかないと思い知らされた。私たちにできるのは、どの情報を採用するかという選択だけだ。』
『何が正しく、何が間違っているか話し合い、二人にとっての真実の基準を作り上げていけるのではないだろうか。そしてその価値判断の連なりこそが、血の繋がりや性別、年齢や出生などよりも強固で必然的な繋がりを作る要素になり得るのではないだろうか。』
投稿元:
レビューを見る
幸福なのか不幸なのか、不満なのか充実しているのか、引きずっているのか割り切っているのか、曖昧な人々とその世界
投稿元:
レビューを見る
ずっと兄弟・姉妹に憧れてきたと同時に、同性の、特に姉妹という間柄のモデルを身近にいくつか目の当たりにした際の奇妙さが、なるほどこういうことなのかな?と、しかしやっぱり想像でしかない。
金原ひとみの小説のタイトルはいつもなるべくしてなってる感じだが、正直クラウド(SNS的な飽和した情報とそれを取捨選択ふることと、<「きっと、雨が降ってるから涙が出るんだよ」><曇ってきた。はっとして立ち上がり、破れたカーテンの隙間から窓の外を見る。外は晴れていた。雲が出ていたのは外ではなく自分の中なのだと分かった。>という描写)のガールふたり、というなるほどしっくりだが少し寄りすぎてる感じも否めず。
金原ひとみの文章が好きなのは、感情、特に負の感情、の説明の仕方が本当にしっくりくるからなんだな、と再確認した。人を好きになることに対する恐怖を感じる仕組みの解体、それと同時に解体してもなお不明瞭な部分があること。それらを16歳の杏、大学生の理有、彼らが扱うことばで語ってくれる。それが痛々しくじくじくと染み込んでくるのが心地よい。
作中、姉妹どちらも自身の境遇をジェットコースターに例えたり、姉の理有は不思議の国と称していたが、後半にいくにつれてどんどん速度を増して、華麗にはぐらかされて、ぽーんと身を投げ出されて終わった。
置いてけぼりの部分と、ひとりでに潜り込んで行く部分との乖離を楽しむことこそ、金原ひとみの作品読了の醍醐味として、暫し浸ろうと思う。
投稿元:
レビューを見る
可愛くて奔放な妹の杏、堅実な姉の理有。両親のいない二人は、お互いを理解して暮らしている…ように見えるのだか、実は互いに抱いている事実が徐々にわかっていく。
読み終わった時の不思議な感覚、そら恐ろしさ、読み終わるまで一気だった。
投稿元:
レビューを見る
記憶を巡って繋がるアシンメトリーな2人の姉妹の話。それぞれの視点から語られる継ぎ目のグラデーションが絶妙で、2人が持つ関係性に微妙かつ大胆な差異が見て取れる。人が当然覚えているはずであろうことに私も戸惑う瞬間はあるが、そもそも人の連続性の中で、それが薄れたり改竄されたりとするいうことに意識を向けていないという気がする。情報があふれるだからこそ、(それが物語に過ぎないとしても)何か生々しいもので補完しなくてはならない。現代へのアンチテーゼ的作品でもある。