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現地に赴き、数多くの内戦・紛争を取材してきた女性ジャーナリストによる、シリア内戦初期(2012年)のルポである。
著者は、紛争地帯の前線で取材し、シリアで何が起きているのか”、“そもそもこの内戦はなぜ始まったのか”という強い欲求があり、紛争で埋もれてしまう人々の声を聞き、それを伝えようとしている。
一般市民と共に行動し、反政府組織側から見た紛争、そして、「政府」側の立場から見た紛争を記述する。
そこから明らかになることは、激しい戦闘の中で見えにくくなっている、両軍の兵士による残虐な行為である。
被害者は明らかに非人道的な行為を受けているにもかかわらず、紛争状態では、それらの残虐な行為が「正当化」され、戦闘行為も「正当化」されている。
宗派や民族は違えど、自国民同士で憎み、殺し合うという紛争(戦争)の不条理さ、むごたらしさ。
本書を読んで、内戦(戦争)というものには、「明確な始まり」は決してなく、まさに「朝、目が覚めたら始ま」り、そして、泥沼化していく過程もわかる。
本書に記述されたそれぞれの生活や人生、そして、本書には登場しない、もっと多くの人々の生活や人生、あるいは、“そこにあったはずのもの”を考えると胸が痛い。
本書の最後には、シリアの簡単な年表と、2011年〜2015年の「シリア内戦」の「シリア内」とその時の「国際的な対応」も併記されているので、参考になります。
考えて考えても、どうにもならないことですが、やはり、戦争(内戦)がもたらす、人々の日常生活を圧倒的な力で破壊してしまう、その「悪」が恐い。
ただ、1日でも早く、和平交渉が成立し、元の美しい街に戻ることを願うばかりです。く一部ではあるが、それらを思い起こさせる一冊である。
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ちょっと古いが、戦争のリアルを知れる本。政治や歴史という大きな物語の中で、人間1人1人の小さな思いを綴った小説みたいなノンフィクション。
思いの無力さがとても歯がゆく、そして湧き上がる疑問への答えは書いていないしきっと気づいた人が自分で行動して変えて行かなければいけないのだろう。
で、どうしたらいいのか?考えさせられた。
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内戦が続くシリアからの、ルポルタージュ。著者はアメリカ人女性のジャーナリスト。
欧州に住んでいるので、アメリカやヨーロッパによるシリア攻撃の報道がメインである。ところが、戦いや破壊のそもそもの始まりは、宗教の宗派の違いからのようだ。遠い日本では、現地で何が起こってどうして人が殺しあっているのか、ピンとこない人もいるだろう。本書を読むと、戦っている人たちも、もはや誰を相手にどうして戦闘をしているのかわからなくなっている人もいるようだ。政府軍か反政府かに無理やり分けられ、戦闘を続けている。凄惨な拷問や婦女暴行も頻発しているという。
最後の章はアレッポの状況を伝え、なかなか良かった。
個人的には、こういう戦争ジャーナリストは必要だとは思うが、西側の人がわざわざ戦闘地帯に入って行くのは、悲惨さを覗き見したいだけなのではないのか、とモヤモヤしなくはない。
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内戦開始初期(2012年)のシリアを取材したルポルタージュ。
本当は現地に行ってみたいのだが、それはかなわなくなった今、書籍などのメディアを通じてしか、その実情を知ることが出来ない状況のシリア。ただ、一つ困ったことがある。ジャーナリストであれ研究者であれ外交官であれ、その背景がどうであれ、「思い」が先行してしまうケースが多いのだ。思いが先行するということは、そこに判断が生じるのだ。そして多くの場合、その判断が事実を曇らせてしまうのだ。
もちろん、あらゆる立場から書かれたメディアに接することで、自分の中のシリアを作り上げることが出来れば理想的だが、それには多大な時間を必要とする。
その意味で、本書は非常に有益な本だった。目線が「被害に遭った市井の人々(特に女性)」に固定されている以外、”思い”の色が濃くないのだ。だからこそそこで何が起こったのかを、できる限り「そこで起こったこと」に近い状況で追体験できるのだ。
戦争で被害を最も受けるのはいつも、市井の人々である。その事実に対するやるせなさが、読む者にダイレクトに伝わる作品である。