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発掘された100時間の肉声テープ。衝撃のノンフィクション
連続射殺犯・永山則夫。犯行の原因は貧困とされてきたが、100時間を超す肉声テープを託された著者は、これに真っ向から挑む。そこには、家族の荒涼とした風景が録音されていた。少年の心の闇を解き明かす!
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『死刑の基準』と本作と読み進めてきて、子どものころにかけられる愛情がどれだけ人間になるのに必要なものか、つくづく思い知る。母性は本能ではなく、母をもとめる気持ちだけが唯一の本能。
今も毎日虐待の報道がある。
どうしてあんな可愛い子どもを、と他人は思う。
さらに無視、ほったらかし、今でいう放置子は、事件化せず表面化しないだけでたくさんいるだろう。ごはんとスマホだけ与えられ、今だって皆、生きること、社会生活をすることに必死だ!
彼らの心の奥に空いた穴はいつか永山則夫のように愛をもとめて爆発するのではないだろうか。
あのはにかんだ笑顔の写真、どう見ても、やっと彼はほんとうに人間になった、そう思える写真がどうやって撮られたのかということがはじめてわかった。
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烏兎の庭 第四部 箱庭 6.15.13
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto04/diary/d1306.html#0615
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池田晶子著の「死と生きる」の睦田真志の手紙と比較しながら読了。
池田晶子氏がなぜ、永山則夫を否定したのか。
自分の犯罪を生い立ちによるものと責任転嫁しており、興味無しと言い切っている。
冷たいと感じた。
石川医師の鑑定書を読んでからでも同じことを言えるのだろうか。
頭だけで考えれば、池田晶子氏の言うことはもっともだがそこに愛はあるのだろうか?
犯罪を犯す状況まで追い込んだ周りの人間も罰せられ無ければいけないのではないかと思った。
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堀川惠子さんシリーズ(勝手に命名)の最後の1冊。
教誨師、死刑囚からの手紙、永山基準と読み進めてきてこの本が総まとめといったところだろうか。
どこかで救えなかったのだろうか、と思う。
一人歩きしている永山則夫像が見事に崩れた。
仕事柄子供の家庭環境に目を向けることが多いので今まで以上に気をつけて見ていきたい…と思った。
自分にできることはそれくらいしかない。
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気づき
・愛されること、自分の存在を認めてくれる誰かがいることで、初めて自分のことを好きになれる。
・自分も永山則夫の環境であったら自分の事を果たして愛せたであろうか
・無償の愛は、遅すぎることはないのではないか
TO DO
永山則夫を他人事として捉えるだけでなく、自分自身の中に永山則夫を見出し、どうすれば、世の中の解決へつなげることができるのか、考える、ことが問われていると思う。
家族、親友、仕事関係に対しては無論、敵に対しても、無償の愛、見返りを期待しない価値提供を心がけたい。
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愛されているという実感が、人との関係をつくる。自分への自信をつくる。身近な人との愛着の大事さ。何事もそれが土台となるなー。
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1968年、アメリカ海軍基地からピストルを盗み、日本各地でタクシー運転手など4人を次々と撃ち殺した連続殺人犯 永山則夫。
彼が死刑となる前、石川医師より受けた精神鑑定の様子を録音したテープ(49本、100時間超)が2012年に発見される。
本書は、その膨大な記録をもとに、永山の壮絶な生育家庭や犯罪に至る背景を明らかにしたドキュメンタリーである。
彼の精神状態がうかがえる興味深い記述がいくつかある。
「自分が殺した4人が一生、自分の中にいて、自分は5人を生きている、だから自分を書きたいのではない、書くことで4人を殺した罪を償うんだ(中略)自分は弱い人間で、自殺するにも4人殺さないといけなかった」(p.50)
「違うんだ、自分と違う人を持ってきて、貧困でも、こういう人がいるっていうのはね、それは違うんだ……。」(p.401)
他にも、「離人感」(人間としての関係が断絶し、現実感を失った異常心理)(p.388)を覚えるまでに追い詰められていたことや、ドストエフスキーに傾倒しており、自身を『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフになぞらえていたことなどが語られている。
しかし、彼が刑執行の直前に大暴れし、刑務官に取り押さえられて絞首台まで運ばれた事実については記述がない。
だから、小説の印税を遺族に寄付し、基金を設立してペルーの子どもたちを救っていたという話を聞いても、死の直前のこの様子を知れば、結局は刑を免れるための偽善であったのだろうとしか思えない。
本当に罪を償う気持ちがあるのなら、大人しく罰を受け入れるのではないだろうか?
この著者、光市母子殺害事件で被告に死刑判決が出たとき、遺族の支援者たちから「拍手と歓声があがった」ことに戦慄を覚えたという。
それって本当にいけないことなのかな?そもそも、永山の(犯罪者の)心情だけにスポットを当て、同情を買うような生い立ちを披露して、「死刑廃止」を進めようとする論調って正しいのかな?
殺された方の遺族にしてみれば、殺人者がどんな境遇を生きてきた人物であろうと知ったことか!となると思うのだが。
日本のメディアって、どうしてこうも加害者の人権ばかり守ろうとするのだろう。
幼い頃から、永山に愛情を注いでくれる家族がいたなら。極限状況にあるときに、彼に声をかけてくれる人がたった1人でもいたなら。こんな悲劇は起こらなかったかもしれない。
根本のところで、著者と自分の考えとに相容れない部分もあるのだけれど、「永山基準」という言葉ができるほどに死刑問題に一石を投じた世紀の事件について、深く知るためには非常に優れた著作であると感じた。
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分厚い本でしたが
読書初心者の私でも一気に読んでしまうほど、
興味深い内容でした。
一見、極悪殺人鬼に思われる人物でも
その背景に様々な事情があることが
よく分かります。
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永山則夫〈ながやま・のりお〉は行きずりの人を次々と4人射殺した連続殺人犯である。犯行当時(1968年)、19歳だった。1997年に死刑執行。享年48歳。石川義博医師は永山の精神鑑定を行った人物である。
https://sessendo.blogspot.com/2021/11/blog-post_27.html
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つらくて読み飛ばしてしまったところもありつつ、なんとか読了。
みんなが生きるのに必死だったこの時代、親や兄弟だけを決して責められるものではない。そして、現代にもきっと永山のように家族から愛情をかけられず育つ子供たちが大勢いると思うと苦しくなる。
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石川医師が向き合い続け、永山が言葉にし内省を深めていく膨大な時間と知力を尽くした歴史が綴られている。
印象的な言葉
人間の心の奥深さ、そしてそれを本当に理解することの難しさを語りかけているようだった
このとき、この出会いがあったからという宝物を得た人は、たとえそれが家族でなくても道を切り拓くいて行けるはずです
たった一本でもつながっていれば
努力するには愛情や褒められた経験などのエネルギーがいる
非行ということものの多くは、親の仕打ちにこれ以上、我慢できなくなった子どもが止むに止まれず行動で示すことなのだと。
人に嫌われて怒られる非行を好き好んでする子どもなどいない。そこには何か理由があり、非行は彼らが発する苦しみまたは悩みのシグナルだと受け止めるようになった
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著者の長期にわたる丁寧な調査が、永山という死刑囚の人物像を生き生きと描き出し、彼の経験してきた苦難の人生が胸に迫る。永山に自身の鑑定を否定され、犯罪心理研究を断念した石川医師が、永山の死後に、彼が死ぬまで鑑定書を大事に取っていたという事実を知り、自分の費やした時間と努力が無駄ではなかったと、報われた思いを味わうくだりは感動的だ。
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精神鑑定を通して姉以外の他者に理解され、ようやく自分を理解出来たのだと思う。
理解者を得て過去の自分の存在を認められたからこそ、心神喪失という鑑定記録を受け入れられなくなったように思えた。
無知、貧困、虐待、刑罰と償いなど様々な社会問題について考えさせられる。
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連続殺人犯として死刑になった永山則夫の膨大な精神鑑定書、その作成にあたって医師と交わした録音テープが残っていた!その録音テープと鑑定書から、永山則夫の半生と、彼がなぜ犯罪を犯すに至ったのかを徹底した調査で描き出す。そこには、永山家の家族、両親と四男四女の八人きょうだいの物語があった。幼い時に母親に置き去りにされ、網走の厳冬を子供だけで生き抜いた壮絶な体験、その後も兄たちからくわえられたリンチ、唯一の優しさを示してくれた姉の精神病…不幸には不幸の数だけ顔があることを思わせる迫真の記録である。