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親子愛、きょうだい愛、恋愛。全ての愛が詰まったお話。三浦綾子さんの愛の表現にはいつも参ります。好きな本です。
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2009.09.01. 小林多喜二の母(80代)が、東北の訛りそのままに多喜二やらの思い出を語る、という。本当に聞き語りのようで、三浦さんはこんな風にも書けるのかと驚きました。(T)
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計り知れぬ母の愛
「蟹工船」の著者として知られるプロレタリア文学の代表的作家、小林多喜二の母セキの、波乱に富んだ一生を描く。世の中の不条理に疑問を覚えながらも悲しみを乗り越えていく姿に胸を打たれ、我が母を想う。
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獄中で非業の死をとげた小林多喜二の母セキが自身の生涯を聞かれ、その中で家族や社会、貧しさゆえの苦悩、心のあり方を優しげな方言で実に素直に語る物語だ。小賢しい教育からは生まれない、素の感じ方には刺激される。
多喜二さんが繰り返す「世の中に貧しい人がいなくなって、みんな明るく楽しく生きられる世の中にしたい」 という言葉を同じように願う母。貧しく余裕のない生活でも笑いや歌が常にある家庭を営み、貧しさを恨むよりは、その中でさえより困った人に手を貸そうとする無類の強さ。売られた娘タミちゃんを引き取り、息子の嫁に……と考えられる本物の人格者。
キリスト教徒には、多喜二の活動と死がキリストのそれに薄く重なる部分もあり、特別の思いとして読めるかもしれない。小説ではあるけれど、登場する人々がそれぞれに美しい気性を見せる。良き人の周りには、また良き人が集まるということか……。
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『組曲虐殺』を観に行って、キリストと小林多喜二が似ている、と思った。一度そう思うと、どう考えても似ている気がして、大学に来てる牧師の先生に色々語ってみたら、「…そやなあ。確かに似てるわ」。
キリストの場合は、残された弟子がどう生きたか。(それが、「使徒言行録」)
小林多喜二の場合は、残された家族がどう生きたか。
というわけで(?)、三浦綾子『母』を読みたいのです。
ちなみにこの本は、中学生のとき、一度読もうとして挫折したものです。
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小林多喜二のお母さんのお話。
ドキュメント風に書かれているので、初めはちょっと読みづらいけど
お母さんの温かい東北弁がだんだん好きになる。
なじみある小樽の街並みが出てくるのもいい。
拷問された多喜二の遺体と対面するところなんて、泣きすぎて読めません。
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かの『蟹工船』作者、小林多喜二氏の母の物語。
とにかく純粋かつ真っすぐ、そして計り知れないほどの愛が伝わってくる小説です。この本を読んだ後に『蟹工船』を読んでみても良いのかも。
この本を読んだのは高校生の頃でしたが、母・セキさんによるおばあちゃん口調で進められるので非常に読みやすく、感情が入りやすくなっています。
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三浦綾子がなぜ小林多喜二(=共産主義)?と、意外な気持ちで読んだけど、これは・・・・母が方言で語る形式の効果もあると思うけど、よかった。
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小林 多喜二の母の物語。
母の愛、無償の愛に感動しました。
小林 多喜二などの人物、時代背景などの予備知識無しでも
読み進めることができるのでお勧めです。
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「わだしは小説を書くことが、あんなにおっかないことだとは思ってもみなかった。
あの多喜二が小説書いて殺されるなんて…」明治初頭、十七歳で結婚。小樽湾の岸壁に立つ小さなパン屋を営み、病弱の夫を支え、六人の子を育てた母セキ。
貧しくとも明るかった小林家に暗い影がさしたのは、次男多喜二の反戦小説『蟹工船』が大きな評判になってからだ。大らかな心で、多喜二の「理想」を見守り、人を信じ、愛し、懸命に生き抜いたセキの、波乱に富んだ一生を描き切った、感動の長編小説。三浦文学の集大成。
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タイトルだけ見たときは、作者のお母さんのことかと思いましたが、小説家小林多喜二の母を描いた小説です。三浦綾子の作品は、「塩狩峠」を読んだことがあります。遠藤周作同様、キリスト教がモチーフになっている小説が多いようです。
お母さんが、誰かに語りかける口調で昔を思い出しながら話す文体です。東北弁ではありますが、分かりやすいです。
私はこの本を読むまでは、小林多喜二といえば、文学史で習った「蟹工船」しか思い浮かばず、実際に蟹工船を読んだこともないので、どういう思想の持ち主だったか全く知りませんでした。言論の規制の厳しい時代に、共産党だということで、拷問でなくなったそうです。
物語は、多喜二の生まれ育った、秋田の貧しい村と、移り住んだ北海道小樽を舞台に展開します。昔はどの家も、貧しくても7人などたくさんの子供がいたのですね。一人ひとりの子どもへの負担や、犠牲も大きく、特に先に生まれた子は、後から生まれる幼子を食べさせていくというプレッシャーもあったようで、読んでいてとても気の毒でした。よくこんなに貧しいのに次々産むもんだ、と感心するというか、3人くらいにしておけばそこまで貧しくならないのにと思ったりします。でも、とても温かいというか、家族全員がお互いに思いやり、それぞれ家族のために努力し、貧しいながらも惨めな感じが無く、幸せだったことは伝わってきました。多喜二は、家族のために風俗店で働く女性を不憫に思い、助け出し、長年恋人だったもののついに結婚できませんでした。でも、これは時代背景上、仕方なかったのかなとも思います。多喜二が警察の拷問で殺された時の母の悲しみや悔しさは壮絶で、親より早く死んではいけないと、当たり前のことを改めて感じました。多喜二の母が、息子を失ってから入信した、小樽の教会の牧師さんが素晴らしい方で、最後は救われてほっとしました。
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小林多喜二のことについての話。
母親の一人称で話が進んでいく。
母を想う多喜二と息子を想う母の愛情の物語。
結構好きです。
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読み助2011年1月26日(水)を参照のこと。
http://yomisuke.tea-nifty.com/yomisuke/2011/01/post-933a.html
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自身の誕生日にこの作品を読み終えたことがとても感慨深いです。
物語の語り手やその時代に生きた人々の『苦』を想像すれば自分の人生で感じた悩みや苦労の小ささを知ることができ、彼らの『苦』の万分の一をも満たしていないことを思い、胸中の受け皿がよりいっそう大きくなったことを実感しています。
本当の『強さ』『やさしさ』『幸せ』について、もう一度零から見つめる決意を固めました。
一文だけ引用させていただきます。
「誰だって、隣の人とは仲よくつき合っていきたいんだよね。うまいぼた餅つくったら、つい近所に配りたくなるもんね。むずかしいことはわからんども、それが人間だとわだしは思う」
この中の『つい』が今までの、そしてこれからの自分の心の中に[在る]ことを信じて
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三浦綾子展が京都に来たきっかけで昨年6月旭川の記念文学館事務局次長さんとメル友になった。今後も機会を見て三浦さんの作品を読もうと思う。