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イランの名門女子校に通うファリンは、友達もいず両親にも理解されず、悪霊をやっつけるヒロインが登場するお話を書いて気をまぎらしている。そこへ転校生のサディーラがやってくる。二人は一気に仲良くなり親友となるが…
現代のイランから逃げてきた少女の話を元に書いたという。とにかく暗くて、救いがなく読んでいるのが辛かった。
それがイランの現実だと言うのかもしれないが、これを児童文学として出版する意義がわからない。
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これは児童書
でも子供たちに薦められるかなあ
LGBTとは、恋とは、愛とは?
革命後のイラン
知らない世界に唖然としてしまった
そこでの実話をもとにした物語。
すさまじい環境の中で貫くもの
彼女たちは……
≪ 極刑に 好きというだけ それだけで ≫
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中近東が舞台のLGBTQの本が出ました!
凄~い。
しかも大金持ちのお嬢さんと貧乏人の女の子の恋です。
こういう本は分類するならYAですが、日本の10代にここまで読むだけの(他人にかまってるほどの)ゆとりはないでしょう。
LGBTQの棚に入れるか、もう一般の棚に入れるか、YAコーナーを大人のところに引っ越しさせるか……。
自分のとこのお客さまに、どこにおいたら見つけてもらえるか考えて配置してください。
司書のみなさんは読んでおくほうがいいと思います。
日本の近代化はヨーロッパをお手本にしたので、中近東に関しては、ほぼ、知識がないのが普通ですが、児童書やYAは読みやすいですから。
2017/11/07 更新
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イラン・イラク戦争の頃の実話をもとにした話。
LGBTという言葉が浸透してきたこと、児童書ということもあり読んでみたが、お国柄というのだろうか、日本と違い過ぎてなかなか入り込めなかった。
二人の愛も何か自分にはしっくり来ないというか…
しかし、ラストに近づくにつれ、展開が気になり最後まで一気に読み進めた。結末以降のファリンの生き様が知りたくなりました。
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イラン・イラク戦争の終末期。イランの首都のテヘランの名門女子校に通う裕福な家の一人娘ファリンは、学校内では孤立し、家では秘密だらけの生活をしていた。母親が身分の低い友人を作ることを禁止し、内密に反革命政府活動をしていたため、常に目立たないよう言い渡されていたのである。彼女は、ある日転校してきたサディーラと出会い、魅了される。彼女はよき友人となったが、共に過ごす時間が増えるにつれ、お互いの感情は友情を超えるものとなっていく。
戦時下の少女たちが置かれた窮屈な環境と、戦後の政府による、女性の権利を主張するものや同性愛者等の処刑を、実話をもとに描く。
*******ここからはネタバレ*******
読みながらデボラ・エリスらしくない非現実的なストーリーに疑問を感じていたが、あとがきで、これは事実を基にした物語ということに驚いた。
LGBTが極刑の理由になるということもだが、15歳の少女が、死を目前にしても愛を貫こうとしたことが最も印象深かった。
また、このあとがきでは、作者自身がレズビアンだということも公表されている。
読者のLGBTに対する認識を問い正す作品であろう。
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15歳のファリンは、裕福な家の一人娘で、名門女子校に通っている。仲良しの友達もいないファリンの前に、転校生の少女サディーラが現われる。サディーラは美しく賢く、ファリンはサディーラに好意を持つが。
サディーラが素晴らしく、ファリンがサディーラに惹かれる理由はよくわかります。けれども、それが同性愛になるかどうか……微妙な判断だと思います。年頃の女の子によくあることかなと。
監獄に入れられても愛を捨てなかった二人は、素晴らしいというか強情というか……。若いゆえでしょうか。
私がこの作品でよいと思ったのは、出てくる大人の醜さです。児童文学には、意地悪で幼稚な大人も出てきますが、それと同時に優しくすばらしい大人も出てきます。ところが、この作品には、そんな大人がいないのです!
ファリンの両親は、牢獄にいる娘を見捨てて外国に逃げていきますし、サディーラの父も娘に怒り、いつまでたっても許してくれません。校長先生も牢獄にいるファリンに会いに来てくれますが、ちっとも助けになってくれませんし、命がけで助けに来てくれた使用人アーマドも。すごくリアルな現実に感じました。そして、救いのないラストも。
最後に、タイトルの『九時の月』となった作品中の場面がステキでした。離れた場所にいても、相手を想いながら同じものを眺めるっていいですね。
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重いですね。
時代に、そして、政治に翻弄された少女2人の物語。
「人権」というものはいったいなんなのだろうか。時の権力者に弄ばれた二人の運命・・・守らなくてはいけない「人権」
でもどうやって?
「知ること」「忘れないこと」「話すこと」「伝えること」「考えること」・・・
当たり前だから大丈夫では無いのかもしれない現実が、今の日本にもあるのかもしれない。声を出して主張することが、守ることにつながるのだ。
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イランと言う国の歴史。
そしてLGBTQ。
イランについてもっと勉強しなくちゃな、と思った。
作者のDeborah Ellisさんが、カナダのオンタリオ州在住という事や、“レズビアンに誇りを持って生きている”という後書きにもある事から
この話を聞いた時はどんな思いになったのか…と胸が痛い。
しかし、この物語を知れて良かった。
世の中の事をもっと知りたくなった。
…しかしラストに向かう話が衝撃的で…
ファリンのその後の幸せを心から祈りたい!
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夏休みの読書感想文にどうですか?シリーズ
革命や戦争によって長期間情勢不安が続くイランで起きた、実話に基づく物語です。
主人公のファリンは裕福な家庭に育ちながら、母親との考え方の違いや、窮屈なお嬢様学校での毎日にうんざりしていました。そんなある日、一人の美しい少女サディーラが転校してきました。つらい過去を持ちながらも、自分の考えをしっかり持つサディーラとファリンは互いに惹かれあっていきます。しかし、厳しい統制の続くイランで、二人の純粋な想いはやがて悲劇を招くことに。
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11/15 そしてこちらが二冊目(昨日のアイテム参照)。いやあ、ガツンと来る一冊だった。子供向け(小中)に紹介されていたが、果たしてこれ読んで大丈夫だろうか?心にずしりと来る。
ものすごく後味が悪い一冊←でも「後味が悪いから読むな」ではないのです。
テヘラン在住のお金持ちの娘が主人公。級長ににらまれる日々。車での送迎。自由は無い。もちろん友達はいない。毒親とも言える母。それが当たり前だった。でも親友が出来て一変する毎日。そして親友が…になる。
「明日死んでもいいように、生きて勉強してはたらこう。そうすれば後悔することないから」
そう誓ったのに。
刑務所での恐怖より、親に見捨てられ(親からすると同性愛に走るなんて見捨てられたのはコッチだ!なんでしょうが)使用人と結婚し、愛する人が処刑される、とトラウマになりそうだった←こんな軽い表現もどうかと思うが。
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あとがきで実話に基づくと知り、とても衝撃を受けました。
全ての人が自由に人を愛せるようになる事を、心から願います。ファリンとサディーラの互いを想う気持ちに胸を打たれた分、心が痛みました。
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80年代後半にイランの高校に通っていたレズビアンの少女たちが、同性愛者であるという罪で逮捕される。ふたりとも裁判なしに死刑判決をうける。同性愛が社会に対する犯罪って何の話よ。貧しい方の少女はそのまま処刑され、裕福な方の少女は娘が死刑になることの世間体の悪さを嫌った両親によって監獄から救い出され、そのまま貧しく年齢も離れているアフガニスタン難民の妻にさせられた。裁判らしきものをしていた気もするけれど、民主主義国で生まれ育った人が裁判だと認識できるような裁判はしていなかった。
この小説はイラン・イラク戦争が終わった1988年。その3年後に日本にもイランから逃げてきた、シェイダさんという同性愛者のアクティビストがいたらしい。
http://www.sukotan.jp/shayda/shayda_top.html
イランでは、同性愛は「自然界の秩序に反する」「逸脱」であり「公序良俗に対する背信行為と見なされ」、同性愛者の子どもは教育機関から排斥されることもある。
2018年に日本で初めて同性愛者への迫害から逃れるためという理由で難民認定された人がいた。あの人の出身はどこだったっけと調べたら、シェイダさんの支援サイトを見つけた。
日本初のLGBTQ難民認定者の詳細は、関係者の保護のために伏せられていた。それはそうか。
https://www.asahi.com/articles/ASM723SMMM72UTIL00Y.html
ちなみに小説内では、女性の権利を主張するポスターを作成して街角に貼っただけの主人公たちの同級生も、女性の権利を主張したことで罪に問われ処刑されている。女性の権利を求めるのが違法……日本にもそういう時代はたしかにあったし、今も問題はあるけれど、少なくともいまは女性の権利を求めることを違法だという時代錯誤な人間は……いないと書こうとして、杉田水脈を思い出した。たまにいないことはないけれど、彼女については良識の欠けた問題のある人という認識が大多数なので……杉田水脈みたいな連中が、より多くの権力を握るようになるとイランのような国になってしまうんだな……
アムネスティのサイトを見ると、集会の自由も表現の自由も女性の権利についてもイランは80年代から変化がなさそうだ。
https://www.amnesty.or.jp/news/index.html?limit=20&country=386
https://outrightinternational.org/
インターナショナル・ゲイ・レズビアン人権団体
https://irqr.ca/2016/
同性愛者難民のためのイラン鉄道
https://www.homan.se/
イラン同性愛者人権グループ ホ−マン
拠点はスウェーデンなのかな?
「この国、イランでは、つねに質問の答えを用意しておく必要がある。もちろん、その答えが正しければ問題はない。だが、もし間違っていたとしても、でまかせは許されない。少なくとも、政府の方針に沿ったものでなければならないのだ。」p.8
「ファリンが5歳のとき、イランの国王は、母親のいう「泥の家の住民たち」によって追放された。それから、すべてが変わった。女性はみな、頭をスカーフでおおわなければならなくなった。髪の毛がほんのひとふさでも見えようものなら、革命防衛隊がとんできて、しつこくいやがらせをする。女性の防衛隊員がつなに車で往来を見まわって、新しい規則に反する服装の女性���さがしているのだ。」p.13
「イランでは、女性のもっている金の装身具は女性の財産。どんな不運に見舞われるかわからない将来、身を守ってくれる唯一の宝だ。イランの女性は生涯を通じて、ことあるごとに金の装身具を贈られる。そして、それが結婚のさいの持参金となる。金は実質的でたしかな富であり、身に着ければまわりの人々に自分の価値を見せつけるものともなるのだ。」p.39−40
「バシジは、ホメイニ師の命令で集められた有志の準軍事組織で、少年たちを鼓舞してイラン・イラク戦争の前線に送り出している。」p.47
「親戚ではない男性と外出することは、未婚の女性にとって大変な罪になる。」p.48
「革命後のテヘランでは、ビデオや音楽、雑誌や本に関する政府の方針は行き当たりばったりだった。退廃的だとか不道徳だという理由で多くが禁止されたが、金のある人々は手に入れることができた。」p.56
「戦争によって得たものはかえさなければならない。なぜなら、暴力によって何かを得ることは盗と同じだから」p.121
「人がアルコールを飲んだらどんなにだらしなくなるかさんざん見てきたから、飲もうとも思わない。」p.137
「ふたりは未来を占おうとする人々の列に並んだ。イランで昔から信じられている占いで、どこでもやれるが、人々はとくにこの廟でやりたがる。ハーフィズの詩の本を適当に開き、目をつぶって、そのページの一箇所を指で差す。すると、そこに書かれていることばが未来を示してくれるというのだ。」p.154
「愛に歓喜する心に、死のつけいるすきまなし。われらの不死は、生命の本に刻みこまれていればなり」p.155
「いくら知識を仕入れても、文化に対する正しい理解なくしては、人は半人前にしかなれません。」p.162
「あの子たち、幼すぎて、わからないのよ。密告しようと他人を見張ることが、自分たちの品性にどういう影響をあたえるか。」p.188
「学校の制服を着て通学時間に通学路を歩いているかぎり、たとえ女の子だけだとしても、そう人目もひくことはない。だが、女の子が私服すがたで通学時間でもないときに外を歩いていたりすれば、革命防衛隊に逮捕してくださいと頼んでいるようなものだ。
かといって、ふたりを喜んで乗せてくれるようなタクシーをさがすのも、むずかしいだろう。自分たちは姉妹だといったとしても、タクシーの運転手は、なぜ父親や兄弟を伴わずに外出するのか知りたがるにちがいない。さらに、ハイウェイには検閲所がいくつもある。バス乗り場にもある。行く先々で、たくさんのおとなに山のような質問を浴びせられるのはまちがいない。」p.208
「供述書にサインする前、おまえは協力拒否の罪で絞首刑だった。罪をみとめた今、おまえはおまえの犯した罪によって絞首刑になる。以上だ」p.245
「どんなときも真実が一番大事。たとえ、それによって、暗い場所につれていかれるようなことになろうと」p.254
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1980年代の15歳のイラン人少女が主人公の物語。
イラン人少女が主人公の物語は読んだことがないな、と新鮮に感じて手に取った。
九時の月。
素敵な名前のこの物語は、15歳のファリンとサディーラ、2人の少女の温かい友情、熱い恋愛感情と、悲しい運命の「実話」の物語である。
本書は児童書に分類されると思うが、ティーンエイジャーはもちろん、ぜひどの世代にも読んでほしい本だ。
イランについて、同性愛について、物語を通してわかりやすく知ることができるので。
以下はネタバレを含むあらすじと感想なので(ブクログのあらすじにもほぼ書いてあるようなものだが)、ネタバレ気にする方は気をつけたし。
舞台は1988年イランの首都テヘラン。イラン・イラク戦争の真っ只中で、作中で戦争は終わる。
主人公は裕福な家庭の一人娘で頭の良い15歳の少女ファリン。名門女子校に通っている。
…私はイランの歴史や文化について何も知らなかったので、1979年、ほんの最近までイランが王政であり、革命によりアヤトラ・ホメイニ師が最高指揮者になり、その後サダム・フセインがイランに戦争をしかけてきた…という経緯ももちろん知らなかった。
ファリンの母親は国王派(革命後なのでもちろんバレたら逮捕)で、戦争の只中、毎夜国王派の人間を呼び豪勢なパーティーを催していた。
そこでアルコール(法で禁止されている)を飲んで現実逃避しかしない大人たちに囲まれて育ったファリンは、親の都合で目立たないよう友だちを作ることも許されず、学校にはファリンに目を付ける告げ口屋がいて、つまらない日々を送っていた。
そこに転校してきた、優秀で美しい少女サディーラ。
宗教的な音楽以外は禁止されたこの国で、学校の物置部屋で、サディーラは美しいサントゥールの音色を響かせていた。それを見つけたファリン。
2人の少女はすぐに仲良くなり、友情が恋愛に発展するまで時間はかからなかった。
あらすじを読まずに読み始め、単にこの時代のイラン人の少女たちの友情物語だと思っていた私は、この展開に冷や汗を書いた。
今でもイランは同性愛者に対して厳しい措置をとる国であり、イランだったかどうか忘れたが、最近イスラム圏の国ではLGBT運動の象徴であるレインボー柄のアイテムを取り締まりすらしている。
どうか、どうか2人の少女に助かってほしい…そう思いながらページをめくっていったが……
悲しい、と同時に怒りが湧いてきた。
なぜ同性愛者というだけでまともな裁判もなく死刑になるのか。
わずか15、6歳の少女が結婚を強要されるのは犯罪にならないのに、なぜ同性愛はいまだにこれほど厳しく取り締まられるのか。
同性愛者というだけで、ここまで家族に、親に見捨てられるのか。同性愛者というだけで我が子が死刑になっても当然だと思えるのか。
ファリンは物語の最後で元使用人の男の妻に勝手にされてしまうが(元使用人という時点で両親がファリンのことを全く尊重していないことが伺える)、その元使用人の男も、ファリンが妻になった途端横暴な態度を取る。
使用人だったころファリンが生意気だったというのもあるかもしれないが、それ以上に、男の方が偉いという価値観の中で、女に対等な態度を取られるのはありえない、屈辱だという感覚が浸透しているのだろう。
まったく訳がわからない。その状況が今でも続いていることが。
女性の権利について訴えるだけでも処刑される。
無学な私には、特にイスラム圏や他にも様々な国々で同性愛を犯罪とする理由が、宗教的なものなのか、政治的なものなのかは分からない。
作者あとがきにもあるように、2013年時点では、同性愛者らドミニカでは精神科の「治療」を受けなくてはならず、マレーシアではムチ打ちの刑に処されるとのこと。2000年代にもなって。
なぜ?
その人の命の重さよりも、同性愛であるということの罪の方が重いというのか…
人権とは。そう、人権について考えさせられる話だ。
戦争では、負けた国は戦争中に犯した罪(いわゆる戦犯)を償わされる(勝った国の戦争犯罪が無罪放免で許容されるのはおかしいと思っているが)。
日本で先の大戦で起こした戦争犯罪で考えると、満州で起こしたことや慰安婦問題、東南アジアなどの人たちにしたことなど。
逆に被害としては原爆を落とされたことなど。
それらは人権問題として、どう償い償われるのか考えるべきことだ。
同性愛者の処刑についても、同じことではないだろうか。これは大きな人権侵害だ。
果たして世界中で同性愛含めLGBTに対する価値観が変わった時(淡い期待かもしれないが、ぜひとも変わってほしい)、彼らを無意味に虐殺した罪を、各国家は償うだろうか。
そうでなければ、不浄とは、いったい何なのか。
作者自身もレズビアンとのことだが、あとがきにあるように、わたしも「ファリンのモデルである実在の女性が、今後の人生を、可能なかぎり平和に幸福に生きることができるよう願っています。」
彼女たちがお互いへの想いの象徴とした九時の月は、今でも輝いている。