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ブログ更新:『高架線』滝口悠生
親しい間柄、大切な人間関係だと思っていても、月日の経過にしたがって相手へのその思いがもはや希薄になっていることに気づき、淡い哀しみの情が沸くということがある。
http://earthcooler.ti-da.net/e10096285.html
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うーん。おもしろくないわけじゃないけど、茄子の輝きのほうがおもしろかったな。設定が長嶋有の「三の隣は五号室」に似ていて、あっちがすごくすごくおもしろかったので、地味で物足りないような印象が残る。
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幾人かのリレーで描かれる幾人かの生き様。
突拍子も無いようで、それぞれに思いがあって、下手くそな感じに生きている。時にはドラマみたいに、人間臭く。
高架からは色んな家々が見えて、そこに暮らしがある。色んな屋根の下に、色んな人がくらしている。
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★2017年12月3日読了『高架線』滝口悠生著 評価B
舞台設定が、またもや西武池袋線ということで、沿線住人であった私は個人的には盛り上がったのだが、文章、表現が今一歩現代風で過ぎて、スカスカに感じられる。直前に読んだ松家氏に比べると表現の密度が1/3って感じは否めない。
西武池袋線の東長崎駅近くの古い木造集合アパートである「かたばみ荘」は、住人が引っ越す時には、入居者を紹介して出ていくとという不思議な習慣があった。新井田千一も退去時に大学の知り合いだった片川三郎を紹介して退去したのだが、、、、
この片川三郎は、大学のバンドを辞めて、中退し、調理支援免許を取得して外食産業に就職する。しかし、ブラック職場で即失踪。そこから、彼探しが始まり、家主の万田敏郎、レイ子夫婦からの連絡で様々な人が巻き込まれる。結局は、三郎は見つかり、ハッピーエンド。その騒ぎの過程でそれぞれの人生模様が語られる物語。
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ひたすら他人の自分語りを聞いているだけなのに、なぜ先が気になってしまうのか…。登場した歴代の住人たちが、たぶん荘の名前の由来に気付いていない、ということを示すささいな描写が印象に残ったし気に入った。
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古アパート「かたばみ荘」では、出るときに次の入居者を自分で探してくることになっていた。部屋を引き継いだ住人がある日失踪して…。人々の記憶と語りで綴られていく16年間の物語。
2015年下期の芥川賞作家。私は受賞作を読んでいないけれど、本作は図書館で私の前後に予約が入っていたので、一定の人気はあるらしい。ただ本作に限って言えば、枚数を増やすため?つかこうへいの往年の名画のあらすじをダラダラ書いたり、登場人物のキャラが余り立っていないため「この人、誰だっけ?」と思わせたり、魅力に乏しかった。
(Ⅽ)
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茄子の輝きが面白かったので、こちらも図書館で借りた。茄子の輝きでは記憶がテーマになっていると思ったが、こちらでは時の経過のようなものがテーマになっていると思った。雰囲気もこちらのほうが明るくて読みやすかった。ただ、個人的には茄子の輝きのほうが好みだった、かな。
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かたばみ荘の住人が、前の住人の紹介によって決まるように、語り手もまた次々とバトンを託されてゆく。ゆらゆらと周縁をめぐるような語りは心地がよい。何箇所か思わせぶりな場面があって、けどそういうのは抜きに、あたたかな小説だったと思う。
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例のごとく、鉤括弧が一つもなく直接話法が地の文の中に溶けていたり(正確に言えば、約物の調整や改行、モダリティ等々によって書き分けられているのだが)、物語描写と読み手への語りかけがシームレスに入れ替わったりと、全体的に、本来あって然るべき語りの位相の奥行きが捨象されている。書割のような表紙の「かたばみ荘」のイラストはまさにこのようなのっぺりとした感触を適切に描出している。
そうしたあくまで語りの水準での境界の希薄さは、物語の進行に伴って、次第に別の水準での境界(現在/過去やここにいること/いないことの境界、形式上独立しているはずのそれぞれの語り手たちの境界、「かたばみ荘」の壁)の希薄さへと接続されていく。およそ聞こえるはずのない音がどこからともなく響いてくるという、滝口作品特有の「音響効果」はここにその淵源を持っているのだろう。
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高架線沿いにあるオンボロアパートかたばみ荘は、大家さんとの約束で、転居する際には、次の住人を連れてくることになっている昔ながらの賃貸契約を取っている。
かたばみ荘に住んでいた人、その人たちの関係者、近所の人達の話。
特に際立つ個性を持つ人達がいる訳ではないが、人には人の暮らしがあって、かたばみ荘を中心に話を聞くと、それはそれは面白い話が展開される。
和室のユニットバスは、表紙にもなっていて興味深い。
その秘密は最後に明かされるが、何とも驚きの内容。
サラサラと書かれた、印象に残りにくい話ではあるが、私にとっては好みの作品でした。
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家賃3万のぼろアパート「かたばみ荘」は、出るときに次の入居者を探すことになっている。そんな「かたばみ荘」繋がりの物語。
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最初はかったるくて読み進めるペースが遅かったけど、途中からじわじわ面白くなり、終盤は意外な展開で気がついたら はー面白かった!と本を閉じて終了。
奇しくも舞台となる東長崎は自転車での行動範囲内。西武池袋線沿いだからより身近に感じられた。ひとつひとつの風景がくっきりと目に浮かぶ。人物描写も丁寧だった(それが若干読んでいる中で不自然に感じられたが)のでイメージしやすい。人と街が脳内でこんなにくっきり再生できた作品も珍しい。
長嶋有ぽい? ちょっと違うかな?いずれにしても他の作品も読みたくなった。
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築50年超のアパート・かたばみ荘の1室の歴代の住人と彼らん取り巻く人々それぞれの人生が少しずつラップし、交錯していく。ラスト近くで、蒲田行進曲とシンクロさせるあたり、自分より若い作家の切り口というか視点が逆に斬新だった。
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装画に惹かれて手にした。かたばみ荘2号室の住人たちには、いろんな事情があるわけだけど、ちょっとだけ首を突っ込んだり突っ込まなかったりするマツコ・デラックスの「月曜から夜更かし」みたいな物語。知っても知らなくてもいいかたばみ荘の住人たちの事情に最後まで付き合ってしまったというのが正直な感想だ。でも、「蒲田行進曲」はもう1回観てみようと思った。随分前にテレビで観たことがあるけど、当時はあまり興味がなかったのでヤスの階段落ちしか覚えていない。
ガキのころ、新小岩のアパートに家族3人で住んでいたからなんとなく親近感を持って「高架線」を読み切ったのかな。オイラも目見さんと同じようにあの街がほとんどすべてという世界にいたことがあったわけだ。いまでも銭湯とか商店街とかを覚えているんだよなぁ。
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読んでいる最中は非常に興奮して、これは凄いメタフィクション小説だ、とわくわくしていた。というのも本作はまず小節の切り替え毎に冒頭で語り手が「〇〇です」と宣言してから一人称で語り始めるのだが、ちょいちょい丁寧語の部分が出てきて読み手に語りかける。これが斬新だと思い込んでしまった。さらに終盤に至ってメタフィクション映画の傑作である『蒲田行進曲』が前景化されていよいよ私の鼻息も荒くなったわけである。
つまり私はこう考えていた。『蒲田行進曲』は劇中劇に臨む役者を本物の役者が演じる、という構造を持つが、本作は各人が登場人物という役を演じつつ、度々、その役もかなぐり捨てて読み手にこんな風でよろしいか、と確認をとってくるような、そんな風に読めたのである。劇中劇に臨む役者を演じる役者、を演じる役者として本作内の登場人物たちは書き手たる滝口の操り人形でもなく、かといって読み手と共犯関係になるでもなく、テクストの中で自立していると読めなくはないか、と。
しかし事態は軟着陸してしまった。これはネタバレになるからどう軟着陸したかは述べないが、別にそんなに綺麗にまとめ上げる必要はなかったのである。投げっぱなしパワーボムで終わってくれりゃ、これは小島信夫を超えている、と堂々と書けたのに、と思ってしまった。
各エピソードの筋は良いし、センスは相変わらずあって、特別なドラマではないものの、きちんと読ませる辺りは流石とは思えただけに少々残念に思う。滝口悠生にはこんな風に日和ってしまわないで、もっともっと前衛的であってほしい、というのが読後の素直な感想。