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半分は脳科学と医療的な診療で、親のマルトリートメントで脳が変形した子供をどう矯正していくかの話なので難しい所もあるが、後半の「愛着形成」の話は興味深い。
親は安全基地をつくる
○親と同じように自分に接してくれる人は、安心していい
○自分を助けてくれる人は、他にもいる
この考えが愛着形成による賜物だとは知らなかった。
また、反応制愛着障害は、いわゆるツンデレもこれに含むのかなあと考察。
親から愛情をもらってはいても、「愛情のコミュニケーションがとれていない」と子供は1人で期待を負うことになる。人に甘えるという経験値がないのでうまく人を頼れず、人の好意を受け入れなかったり怒ったり無関心の反応をとる。なるほど
本著は自分の受けた育児の振り返り、またマルトリートメントを受けた人がどう心理形成してきたのか知るために読んだが、目的達成された。
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非常に読みやすい文体。内容がすっと入ってくる感じ。ただ、すっと入ってくるのと、読み応えがあるのはちょっと違うような気がして、結果論でうまく丸め込まれているような感覚を抱いた。それほど、この分野は複雑で、体系づけるのは難しいのだろう。
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自分の子育てを否定されるのではと怖くてしばらく積読してしまったが勇気を出して手に取った。結果、マルトリートメントをする親を責める論調ではないので落ち着いて読み進められた。
しかし極端ではないものの、やはり自分も子供に否定的なことを伝えてしまってると感じたので、アンガーマネジメントを腰を据えて学ぶ、ペアレントトレーニングについて調べてみる、あたりを次のタスクにしようかなと。
マルトリートメントを受けた子どもたちのトラウマを、「あなたが悪いわけではない」と伝え、いろいろな角度から見直して意味づけをし直すという工程は、行きづらさを感じているすべての人にとって有効な作業だと思った。
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虐待の種類によって脳の萎縮する場所が違うというのがとても驚きでした。
目に見えない心の傷と向き合うことの大切さを改めて感じました。
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子育てのお勉強。「科学的に考える子育て」で書かれている以上に、マルトリートメントが、重大で深刻であることがよく分かった。
虐待という言葉がもつ響きは強烈で、ときにその本質を見失うおそれがあるため、わたしたちの研究では、強者である大人から、弱者である子どもへの不適切なかかわり方を、「虐待」とは呼ばずに「マルトリートメント(maltreatment)」と呼んでいます。
…言葉による脅し、威嚇、罵倒、あるいは無視する、放っておくなどの行為のほか、子どもの前で繰り広げられる激しい夫婦げんかもマルトリートメントと見なします。
日々、子どもと接するなかで、こうしたマルトリートメントがまったくないという家庭など存在しないでしょう。
しかしながら、マルトリートメントの強度や頻度が増したとき、子どもの小さなこころは確実に傷つき、成長過程の脳は変形する可能性があることを、わたしたち大人は見逃してはいけません。
これまで、学習意欲の低下や非行、うつ病や摂食障害、統合失調症などの精神疾患は、主に生来的な要因がもとで起こると考えられてきました。しかし、脳科学の研究が進むにつれ、子ども時代に受けたマルトリートメントが脳に悪影響をおよぼし、結果、こうした症状が出現、もしくは悪化することが明らかになってきています。
子どもの人格を否定する言葉は「しつけ」にならない
体罰の項でも述べましたが、しつけとマルトリートメントは違います。
しつけとは、子どもの行動を正し、生きていくうえで必要なスキルやマナーを身につけさせることです。
子どもが他人に向かって物を投げつけたとしたら、「相手を傷つけることになるから、そういうことはしてはいけない」と、道理を教えるのがしつけです。「人に物を投げるなんて、お前はクズだ」、「だからあんたはダメなのよ」などと言うのは、決してしつけではありません。
罪を憎んで、人を憎まず―。
正すべきはその行動自体であって、成長段階にある子どもの人間性ではありません。人格を否定したところで、子どもは決して「人に物を投げてはいけない」という教訓を学びはしません。代わりに、「自分はだめな人間なのだ」という強いメッセージを受け取り、それが自己肯定感の低下につながります。何をするにも自信がもてなくなるばかりか、人の顔色を始終うかがい、その場しのぎの嘘や出まかせを、頻繁に口にするようにもなるのです。
子どもにとって、親の評価というのは絶対です。みなさんも子どものころはそうだったのではないでしょうか。成長して社会を知るようになれば、「大人だって間違えることはある。いつだって正しいわけじゃない」と、比較的冷静に受け止められるようにもなりますが、それでも親に言動を打ち消されるということは、何歳になってもこたえるものです。小さいうちはなおさらです。
幼い子どもにとって親から否定されるということは、全世界から否定されるのと同じです。たとえその場では口ごたえをしたり、聞いていないような素ぶりを見せても、子どもはちゃんと聞いています。そして、こころも身体もショックを受け、傷つ��のです。
親のほうはといえば、子どもから望ましい反応が得られないと、ますます冷静さを失い、子の状況など目に入らず、さらにきつい暴言を吐いてしまうこともあります。
いつしか、とげとげしい物言いが当たり前のようになってしまう家庭もあります。暴言の一つ一つは小さな毒かもしれませんが、感受性が強く、柔らかな子どもの脳には、ボディーブローのように、ダメージが少しずつ積み重なっていきます。
毎日の生活のなかで習慣化してしまうと、当の本人はなかなか気づかないものです。一度、自身の子育てを振り返り、ふだん子どもに対して使っている言葉、口調を見直してみてください。最近、少しきつくなっているかもしれない――そう感じたら、今日から軌道修正をしていきましょう。そして、その反省の気持ちをぜひ言葉にして伝えましょう。
子どもは許すことにおいて、天才です。
子どもは親からの評価があってこそ健やかに育つ
子の頑張りを親が否定してしまうということも、子育ての場面ではよくあることです。子どもが一生懸命何かに打ち込んでいるとき、本来ならばその姿勢を褒め、評価すべきであるのに、親の必死な気持ちが先走り、「いや、もっとできるはずだろう」、「なぜこんなこともできないの?」などと言って、子どもを傷つけてしまうことは多々あります。これはわたし自身の子育てを振り返っての反省点でもあります。
先日、次女からこんなことを言われました。
「子どものころ、人前で何度も暗算の練習をさせられたでしょう? うまくできないからと笑われて、とてもいやだった」
十年以上たったいまでも、つらい思い出として深くこころに刻まれているそうです。そういえば、彼女が小さいころ、苦手な暗算をどうにか克服させようと頑張っていた時期がありました。当時は、「プレッシャーに強い子にすること」が、わたしの子育て方針の一つだったのです。たしかに人前で練習させたこともありました。そして間違えると、愚痴まじり、謙遜まじりに「困ったことにねえ」と他人に苦笑いしてみせたのでしょう。わたしはそのことをちっとも覚えていませんでしたが、彼女はずっと忘れずにいたのです。
大勢の人の前であがらずに実力が発揮できるのはすばらしいことです。しかし、人間が生きていくうえでもっとも重要なことではありませんし、子どものプライドを傷つけてまで教え込むべきことではないと、いまならわかります。
親には子どもへの教育の義務があり、子の将来を思えば必死になるのも致し方のないことですが、冷静さを欠いた教育、しつけは、結局のところ子どもを傷つけ、成長の「のびしろ」を縮めてしまうこともあるのです。このことは、わたし自身の苦い経験とともに、 いま子育てをしているみなさんに強くお伝えしたいところです。
子どもにとって親に認められることは、人生の基盤になります。その事実を、われわれ 大人は今一度しっかりと認識する必要があります。
面前 DV~両親間の暴力・暴言を見聞きすること
精神的なマルトリートメントの多くは、子どもに対して強い言葉を使って脅したり、否定的な態度を示したりするものです。それに加えて近年では、直接子どもに向けられた言葉ではなく、たとえば両親間のDVを目撃させるような行為(面前DV)も、子どものこころと脳の発達に悪影響があるとして、精神的なマルトリートメントであると認識されるようになりました。
児童虐待防止法では、二〇〇四年の改正後、第二条の児童虐待の定義のなかに、
「児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力(配偶者〈婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。〉の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)」 という文言が含まれています。
先に引用した警察庁の調査でも、平成二八年に通告のあった「心理的虐待」の内訳をみ ると、面前DVは、全体の四六・一%を占め、以前より増えてきていることがわかりました。
DVとは、前述のとおり「ドメスティック・バイオレンス」、いわゆる家庭内暴力のこ とで、特に夫婦・恋人間の精神的・肉体的苦痛や暴力を指します。
内閣府男女共同参画局「配偶者からの暴力被害者支援情報」によると、平成二七年度 (平成七年四月~平成二八年三月)、婦人相談所や福祉事務所といった全国二六二か所の「配偶者暴力相談支援センター」に寄せられた、配偶者による暴力の相談件数は、約一一万一六○○件(平成二八年九月一六日発表)。平成二二年度の同調査結果(七万七三三四件)と比べ、四四%も増加しています。相談は圧倒的に女性からが多く、平成二三年度は七万六六一三件、二七年度は一○万九六二九件。一方、男性からの相談は、全体の約一~二%という割合です。
このように相談件数は圧倒的に女性が多いことから、ここでは女性を例に引きますが、
「自分にはひどい夫でも、子どもにはよい父親だ」という証言を、被害にあっている人たちからよく聞きます。
しかし、それは大きな間違いです。子どもは、暴力や暴言の被害に直接あっていなくても、それを目の前で見せられ、聞かされている時点で被害者なのです。いくら子どもにやさしい父親でも、子どもの気持ちを無視し、傷つけているのですから、決してよい父親などではありません。
子どもが直接被害を受けていないため、これまで子どもの発達との関連性はあまり指摘されてきませんでしたが、両親間のDVを目撃すると、実際、子どものこころと脳には多大なストレスがかかります。仮に目の前では起きていなくても、子どもというのは敏感に家庭内の出来事を察知しているものです。そして多くの場合、自分が家族を守れなかったことに対し、罪悪感をもちます。
あるいは、自分だけが被害にあっていないことに罪悪感を抱き、自分もまた加害者とし加担していると思い込んでしまうケースもあるようです。こうした罪悪感もまたトラウマ (こころの傷:心的外傷)となって、子どものこころと脳を蝕んでいきます。
講演会や診療の現場など、機会があるごとに面前DVが子どもに与える影響についてお話しし、夫婦げんかはメールやラインでするようアドバイスしています。これは決して冗談ではありません。話し合いがヒートアップしそうなことがあれば、少なくとも子どもが見聞きしない場所でする。ぜひ、このルールをご家庭に導入してください。
また、東京大学大学院医学系研究科のキタ���子氏らは、DV被害を受けた母親三八名、 およびその子ども五一名を対象に、加害者である父親から隔離された母親と子どもの健康状態に関する調査を実施しました。その結果、「DV家庭にいた子どもの情緒・行動的発達へのDV加害者である父親との面会交流がおよぼす影響」がわかってきました。
父親との面会が子どもの健康に与える悪影響として、内向的問題(たとえば、ひきこもり、 身体的訴え、不安/抑うつ症状)が、父親とまったく面会しない子どもに比べて、一二・六倍も増えることが判明したのです。研究ではDVの加害者が父親であるケースを取り上げていますが、DV加害者が母親である場合でも、同じことがいえると推測できます。
このことからも、DV加害者である父親(もしくは母親)と面会することは、慎重な判断が必要です。子どもの養育をめぐっては、現在、政治的にもさまざまな動きがありますが、子どもの健康や安全を第一に考えた早期介入や、養育環境の早急な整備が必要になってきています。
より脳に大きなダメージを与える言葉のDV
では、面前DVがもとで生じるトラウマは、子どもの脳にどのような影響をおよぼすのでしょうか。
わたしがアメリカ・ハーバード大学と共同研究を行ったところ、子ども時代にDVを目撃して育った人は、脳の後頭葉にある「視覚野」の一部で、単語の認知や、夢を見ることに関係している「舌状回」という部分の容積が、正常な脳と比べ、平均しておよそ六%小さくなっているという結果が出ました。
その萎縮率を見てみると、身体的なDVを目撃した場合は約三%でしたが、言葉によるDVの場合、二〇%も小さくなっており、実に六~七倍もの影響を示していたのです。つまり、身体的な暴力を目撃した場合よりも、罵倒や脅しなど、言葉による暴力を見聞きしたときのほうが、脳へのダメージが大きかったということです。
DVの目撃による深刻な影響は、別の調査でも明らかになっています。詳しくは第二章で触れますが、ハーバード大学の関連病院の一つであるアメリカ・マサチューセッツ州クリーン病院において、身体的虐待・精神的虐待とトラウマ反応との関連を調査したマーチン・タイチャー氏の研究によると、トラウマ反応がもっとも重篤なのは、「DV目撃と暴言による虐待」の組み合わせだということでした。
外から見える傷はなくても脳は傷ついている
精神的なマルトリートメントを受けても、外傷は残らないし、死に至ることもない―。本当にそうでしょうか?
確かに直接的な意味では、精神的なマルトリートメントで死に至ることもなければ、事件になることもほとんどないでしょう。やせ細った身体に、無数のあざといった、目に見えてわかる痛ましい姿はそこにはありません。しかし、「こころ」、すなわち「脳」には大きな傷が残ります。そしてその傷の影響は、じわじわと子どもに現れてきます。あるいは忘れたころに突然出現し、後遺症として子どもを苦しめることになるのです。
DVの目撃によって「舌状回」が萎縮するというのは、ほんの一例です。研究では、マルトリートメントの内容(種類)に応じて、脳の別の部位も変形することがわかっています。
その結果、うつ状態になる、他人に対して強い攻撃性を示すようになる、感情を正常に表せなくなるといった症状が出てくる場合があります。拒食症、自傷行為などで体を傷つける、薬に依存するなど、健康的な日常生活を送ることが困難になるケースも決して少なくないのが現状です。最悪の場合、犯罪や自殺に走る場合もあります。
精神的なマルトリートメントは、決して軽微な虐待などではありません。目には見えないものの、真綿で首を締めるように、長い年月をかけてじわじわと被害者を苦しめる、常に残虐な行為なのです。
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子供達にDV等の現場を見せず、虐待せずに、子どもを愛を持って接して褒めて、叱るときは短くてして育てていけばいいのかなと思った。
子どもがいなくてわからないけど、その余裕があるか不安になる。
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子育てのお勉強。「科学的に考える子育て」で書かれている以上に、マルトリートメントが、重大で深刻であることがよく分かった。
虐待という言葉がもつ響きは強烈で、ときにその本質を見失うおそれがあるため、わたしたちの研究では、強者である大人から、弱者である子どもへの不適切なかかわり方を、「虐待」とは呼ばずに「マルトリートメント(maltreatment)」と呼んでいます。
…言葉による脅し、威嚇、罵倒、あるいは無視する、放っておくなどの行為のほか、子どもの前で繰り広げられる激しい夫婦げんかもマルトリートメントと見なします。
日々、子どもと接するなかで、こうしたマルトリートメントがまったくないという家庭など存在しないでしょう。
しかしながら、マルトリートメントの強度や頻度が増したとき、子どもの小さなこころは確実に傷つき、成長過程の脳は変形する可能性があることを、わたしたち大人は見逃してはいけません。
これまで、学習意欲の低下や非行、うつ病や摂食障害、統合失調症などの精神疾患は、主に生来的な要因がもとで起こると考えられてきました。しかし、脳科学の研究が進むにつれ、子ども時代に受けたマルトリートメントが脳に悪影響をおよぼし、結果、こうした症状が出現、もしくは悪化することが明らかになってきています。
子どもの人格を否定する言葉は「しつけ」にならない
体罰の項でも述べましたが、しつけとマルトリートメントは違います。
しつけとは、子どもの行動を正し、生きていくうえで必要なスキルやマナーを身につけさせることです。
子どもが他人に向かって物を投げつけたとしたら、「相手を傷つけることになるから、そういうことはしてはいけない」と、道理を教えるのがしつけです。「人に物を投げるなんて、お前はクズだ」、「だからあんたはダメなのよ」などと言うのは、決してしつけではありません。
罪を憎んで、人を憎まず―。
正すべきはその行動自体であって、成長段階にある子どもの人間性ではありません。人格を否定したところで、子どもは決して「人に物を投げてはいけない」という教訓を学びはしません。代わりに、「自分はだめな人間なのだ」という強いメッセージを受け取り、それが自己肯定感の低下につながります。何をするにも自信がもてなくなるばかりか、人の顔色を始終うかがい、その場しのぎの嘘や出まかせを、頻繁に口にするようにもなるのです。
子どもにとって、親の評価というのは絶対です。みなさんも子どものころはそうだったのではないでしょうか。成長して社会を知るようになれば、「大人だって間違えることはある。いつだって正しいわけじゃない」と、比較的冷静に受け止められるようにもなりますが、それでも親に言動を打ち消されるということは、何歳になってもこたえるものです。小さいうちはなおさらです。
幼い子どもにとって親から否定されるということは、全世界から否定されるのと同じです。たとえその場では口ごたえをしたり、聞いていないような素ぶりを見せても、子どもはちゃんと聞いています。そして、こころも身体もショックを受け、傷つ���のです。
親のほうはといえば、子どもから望ましい反応が得られないと、ますます冷静さを失い、子の状況など目に入らず、さらにきつい暴言を吐いてしまうこともあります。
いつしか、とげとげしい物言いが当たり前のようになってしまう家庭もあります。暴言の一つ一つは小さな毒かもしれませんが、感受性が強く、柔らかな子どもの脳には、ボディーブローのように、ダメージが少しずつ積み重なっていきます。
毎日の生活のなかで習慣化してしまうと、当の本人はなかなか気づかないものです。一度、自身の子育てを振り返り、ふだん子どもに対して使っている言葉、口調を見直してみてください。最近、少しきつくなっているかもしれない――そう感じたら、今日から軌道修正をしていきましょう。そして、その反省の気持ちをぜひ言葉にして伝えましょう。
子どもは許すことにおいて、天才です。
子どもは親からの評価があってこそ健やかに育つ
子の頑張りを親が否定してしまうということも、子育ての場面ではよくあることです。子どもが一生懸命何かに打ち込んでいるとき、本来ならばその姿勢を褒め、評価すべきであるのに、親の必死な気持ちが先走り、「いや、もっとできるはずだろう」、「なぜこんなこともできないの?」などと言って、子どもを傷つけてしまうことは多々あります。これはわたし自身の子育てを振り返っての反省点でもあります。
先日、次女からこんなことを言われました。
「子どものころ、人前で何度も暗算の練習をさせられたでしょう? うまくできないからと笑われて、とてもいやだった」
十年以上たったいまでも、つらい思い出として深くこころに刻まれているそうです。そういえば、彼女が小さいころ、苦手な暗算をどうにか克服させようと頑張っていた時期がありました。当時は、「プレッシャーに強い子にすること」が、わたしの子育て方針の一つだったのです。たしかに人前で練習させたこともありました。そして間違えると、愚痴まじり、謙遜まじりに「困ったことにねえ」と他人に苦笑いしてみせたのでしょう。わたしはそのことをちっとも覚えていませんでしたが、彼女はずっと忘れずにいたのです。
大勢の人の前であがらずに実力が発揮できるのはすばらしいことです。しかし、人間が生きていくうえでもっとも重要なことではありませんし、子どものプライドを傷つけてまで教え込むべきことではないと、いまならわかります。
親には子どもへの教育の義務があり、子の将来を思えば必死になるのも致し方のないことですが、冷静さを欠いた教育、しつけは、結局のところ子どもを傷つけ、成長の「のびしろ」を縮めてしまうこともあるのです。このことは、わたし自身の苦い経験とともに、 いま子育てをしているみなさんに強くお伝えしたいところです。
子どもにとって親に認められることは、人生の基盤になります。その事実を、われわれ 大人は今一度しっかりと認識する必要があります。
面前 DV〜両親間の暴力・暴言を見聞きすること
精神的なマルトリートメントの多くは、子どもに対して強い言葉を使って脅したり、否定的な態度を示したりするものです。それに加えて近年では、直接子どもに向けられた言��ではなく、たとえば両親間のDVを目撃させるような行為(面前DV)も、子どものこころと脳の発達に悪影響があるとして、精神的なマルトリートメントであると認識されるようになりました。
児童虐待防止法では、二〇〇四年の改正後、第二条の児童虐待の定義のなかに、
「児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力(配偶者〈婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。〉の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)」 という文言が含まれています。
先に引用した警察庁の調査でも、平成二八年に通告のあった「心理的虐待」の内訳をみ ると、面前DVは、全体の四六・一%を占め、以前より増えてきていることがわかりました。
DVとは、前述のとおり「ドメスティック・バイオレンス」、いわゆる家庭内暴力のこ とで、特に夫婦・恋人間の精神的・肉体的苦痛や暴力を指します。
内閣府男女共同参画局「配偶者からの暴力被害者支援情報」によると、平成二七年度 (平成七年四月〜平成二八年三月)、婦人相談所や福祉事務所といった全国二六二か所の「配偶者暴力相談支援センター」に寄せられた、配偶者による暴力の相談件数は、約一一万一六○○件(平成二八年九月一六日発表)。平成二二年度の同調査結果(七万七三三四件)と比べ、四四%も増加しています。相談は圧倒的に女性からが多く、平成二三年度は七万六六一三件、二七年度は一○万九六二九件。一方、男性からの相談は、全体の約一〜二%という割合です。
このように相談件数は圧倒的に女性が多いことから、ここでは女性を例に引きますが、
「自分にはひどい夫でも、子どもにはよい父親だ」という証言を、被害にあっている人たちからよく聞きます。
しかし、それは大きな間違いです。子どもは、暴力や暴言の被害に直接あっていなくても、それを目の前で見せられ、聞かされている時点で被害者なのです。いくら子どもにやさしい父親でも、子どもの気持ちを無視し、傷つけているのですから、決してよい父親などではありません。
子どもが直接被害を受けていないため、これまで子どもの発達との関連性はあまり指摘されてきませんでしたが、両親間のDVを目撃すると、実際、子どものこころと脳には多大なストレスがかかります。仮に目の前では起きていなくても、子どもというのは敏感に家庭内の出来事を察知しているものです。そして多くの場合、自分が家族を守れなかったことに対し、罪悪感をもちます。
あるいは、自分だけが被害にあっていないことに罪悪感を抱き、自分もまた加害者とし加担していると思い込んでしまうケースもあるようです。こうした罪悪感もまたトラウマ (こころの傷:心的外傷)となって、子どものこころと脳を蝕んでいきます。
講演会や診療の現場など、機会があるごとに面前DVが子どもに与える影響についてお話しし、夫婦げんかはメールやラインでするようアドバイスしています。これは決して冗談ではありません。話し合いがヒートアップしそうなことがあれば、少なくとも子どもが見聞きしない場所でする。ぜひ、このルールをご家庭に導入してください。
また、東京大学大学院医学系研究科のキタ幸子氏らは、DV被害を受けた母親三八名、 およびその子ども五一名を対象に、加害者である父親から隔離された母親と子どもの健康状態に関する調査を実施しました。その結果、「DV家庭にいた子どもの情緒・行動的発達へのDV加害者である父親との面会交流がおよぼす影響」がわかってきました。
父親との面会が子どもの健康に与える悪影響として、内向的問題(たとえば、ひきこもり、 身体的訴え、不安/抑うつ症状)が、父親とまったく面会しない子どもに比べて、一二・六倍も増えることが判明したのです。研究ではDVの加害者が父親であるケースを取り上げていますが、DV加害者が母親である場合でも、同じことがいえると推測できます。
このことからも、DV加害者である父親(もしくは母親)と面会することは、慎重な判断が必要です。子どもの養育をめぐっては、現在、政治的にもさまざまな動きがありますが、子どもの健康や安全を第一に考えた早期介入や、養育環境の早急な整備が必要になってきています。
より脳に大きなダメージを与える言葉のDV
では、面前DVがもとで生じるトラウマは、子どもの脳にどのような影響をおよぼすのでしょうか。
わたしがアメリカ・ハーバード大学と共同研究を行ったところ、子ども時代にDVを目撃して育った人は、脳の後頭葉にある「視覚野」の一部で、単語の認知や、夢を見ることに関係している「舌状回」という部分の容積が、正常な脳と比べ、平均しておよそ六%小さくなっているという結果が出ました。
その萎縮率を見てみると、身体的なDVを目撃した場合は約三%でしたが、言葉によるDVの場合、二〇%も小さくなっており、実に六〜七倍もの影響を示していたのです。つまり、身体的な暴力を目撃した場合よりも、罵倒や脅しなど、言葉による暴力を見聞きしたときのほうが、脳へのダメージが大きかったということです。
DVの目撃による深刻な影響は、別の調査でも明らかになっています。詳しくは第二章で触れますが、ハーバード大学の関連病院の一つであるアメリカ・マサチューセッツ州クリーン病院において、身体的虐待・精神的虐待とトラウマ反応との関連を調査したマーチン・タイチャー氏の研究によると、トラウマ反応がもっとも重篤なのは、「DV目撃と暴言による虐待」の組み合わせだということでした。
外から見える傷はなくても脳は傷ついている
精神的なマルトリートメントを受けても、外傷は残らないし、死に至ることもない―。本当にそうでしょうか?
確かに直接的な意味では、精神的なマルトリートメントで死に至ることもなければ、事件になることもほとんどないでしょう。やせ細った身体に、無数のあざといった、目に見えてわかる痛ましい姿はそこにはありません。しかし、「こころ」、すなわち「脳」には大きな傷が残ります。そしてその傷の影響は、じわじわと子どもに現れてきます。あるいは忘れたころに突然出現し、後遺症として子どもを苦しめることになるのです。
DVの目撃によって「舌状回」が萎縮するというのは、ほんの一例です。研究では、マルトリートメントの内容(種類)に応じて、脳の別の部位も変形することがわかっています。
その結果、うつ状態になる、他人に対して強い攻撃性を示すようになる、感情��正常に表せなくなるといった症状が出てくる場合があります。拒食症、自傷行為などで体を傷つける、薬に依存するなど、健康的な日常生活を送ることが困難になるケースも決して少なくないのが現状です。最悪の場合、犯罪や自殺に走る場合もあります。
精神的なマルトリートメントは、決して軽微な虐待などではありません。目には見えないものの、真綿で首を締めるように、長い年月をかけてじわじわと被害者を苦しめる、常に残虐な行為なのです。
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虐待を受けた子どもの脳が目に見える形で変形していること、それにより視覚が狭まったり、すぐに記憶をなくしたり、色んな人格を持ったりすることは、防衛本能からくるものだということを知り、勉強になりました。
どんなに軽めでもこどもを叩くことはいけないことなんだと実感しました。痛さの有無ではなく、その子の心が傷つけば絶対にやってはいけないことだと思いました。
また虐待でも、暴力より言葉の暴力の方がダメージが大きいこと。直接虐待されていなくても、両親の喧嘩を見ることも虐待になり、脳に変化が見られることがわかりました。
この本を読んで、漠然といけないことだと思っていたことが、科学的に証明されていて説得力があり、何故やってはいけないか、やるとその子がどんなことになるのか、とても勉強になったし、色んな人に知ってほしいと思いました。
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私は怖すぎて子供を作る気は無いけれども、本書の中でマルトリートメント(不適切な養育)による子供の脳への影響は、非常に興味深い。またストレスによる親の脳への影響も同じく。
行為によるホルモンへの影響とそれによる&効果は、さらに研究が進むことを期待する。
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夏にこの先生の講演を聞いたので。マルトリ、虐待が及ぼす子供のこと。傷ついた子供たちを救う方法は適正に褒めてあなたは大切な存在だと伝え続けること。私に出来ることはなんだろう。
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自分の体験として不仲な親の間で育った私の脳は変形していると思う。
変形した脳のせいで苦しんでる大人は、実はたくさん居るのだろう。
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精神的なマルトリートメントによるストレスが、身体的なマルトリートメントによるストレスの方が、脳に与えるダメージが大きいという。
こころは目に見えないけど、確実に傷ついているということが、脳科学の観点からの解析を見ることができてタメになった。
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マルトリートメントによる子どもへの影響とその対策について脳という視点から分かりやすく書かれていた。
過去にマルトリートメントの被害者だった子どもが大人になって加害者となってしまうケースも多く存在するようなので、その連鎖を断ち切る為に周囲にできる支援についてもっと考えたいと思った。
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身体的性的暴力、ネグレクトなどの、あからさまな虐待のみならず、暴言を浴びせる、無視する、両親間DV(暴力、罵り合い)を見せる、なども成長途中の子どもの脳に強い影響を及ぼし、変形させてしまうのだそうです。
情緒不安、不眠、落ち着きのなさ、集中力や意思決定の低下、記憶容量減少、攻撃的になる、感覚鈍麻、人間関係の不調和、愛着障害など。
現在進行形の子ども時代だけでなく、これから社会と深く関わらなくてはならなくなる大人になっても続いてしまう障害が。
加害してる親(祖父母など養育者)もまた、かつての被害者であったりすることも多く、被虐待児のケアだけでなく親のケアも必要だ、と書かれていました。
何事も、負の連鎖は出来るだけ断ち切りたいですね。
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脳の発達、おかれた環境が及ぼす影響、子にとって養育者・親とはどんな存在か、親の立場になってみて想起する自らの親からのしつけや注がれた愛情。