投稿元:
レビューを見る
翻訳の読みづらさが気になるものの、短編で展開された謎解きには興味があったので、一計を講じました。
それは、ウィキペディアで短編の粗筋を押さえておき、その上で各章の終了の10ページくらいだけを読み込んで理解するというウルトラCです。
読みづらい本だが、読まないまま捨てるのが惜しい時には、お試しあれ!
では、具体的な悪文の例を見て見ましょう。
「この世間に疲れた紳士スティングを、神父はかつて緑色の血を持つ腰抜けだと非難したことがあるのだが、同じ緑は緑でも、この人物には良心の、あるいは昔ながらの名誉の、いわば冷たい緑色の炎が燃えていたのであり、この良心と名誉を重んじる精神のゆえに、まずは不正の影に蔽われた事業から手を引き、お次に、その事業を他人にたらい回しにしてしまったことを恥じたという次第だった。」(「ピンの意味」)
Greenという単語には「青二才」という意味がありますが、そのまま緑色の血だの緑色の炎などと訳されても何のことかわかりません。
英語のできる高校生(翻訳テクニックのない、という意味です)が訳すとこんな和訳文になりそうだな、と思える箇所がいっぱいでしたので内容を理解するだけで疲れました。
原文を翻訳がだめにしている残念な本でした。
投稿元:
レビューを見る
シリーズ最終巻。
読みにくい文章だけどやっぱり面白い。
一つの事象をいろんな視点で多角的に判断することがいかに重要であるか毎度教えられる。
今まで何度ブラウン神父の推理に「なるほどそういうことか!」と膝を打ったことか。
魅力溢れる短編ミステリーが読みたい時はぜひ。
投稿元:
レビューを見る
「0+0+0=0ということほど人にわからせにくいことはありません。どんなに奇妙なことでも、連続して起こると、人はそれを信じるものです。マクベスが三人の魔女の三つの言葉を信じたのもそのためです。もっとも、第一の言葉はマクベス自身が知っていたことですし、最後のは、マクベスにしか実現できないものでしたけれどもね」
2019/9/15読了
上記引用は『古書の呪い』より。イギリスの小説でしばしば引き合いに出されるシェイクスピア。こう言われると、『マクベス』を始め、諸作品を教養として目を通すべき? とか考えてしまう。
投稿元:
レビューを見る
シリーズ第5短編集にして最終作。風采の上がらなかった神父も世に知られる人物になったしフラウボーも前作で分かるよう過去の人物になった。
実は本書収録の『村の吸血鬼』は本短編集の後に発表されたものだが作者の死去に伴いここに掲載されるようになった模様。たぶんフラウボーが出てきた話が本当のラストで次作は新シリーズの構想があったのだろう。
今まで動揺に神父の逆説と文章で幻惑させてくる様な構成。映像化したら早々にバレそうなトリックもあるがそれ故に文章で楽しむ作品なのかもしれない(時代を変えてドラマ化され、そちらもシリーズ化はされている)。
これまでの探偵小説とは異なり相棒が記述するスタイルでないのもあるがその為かレギュラーキャラは僅少で事件そのものが主役で神父は狂言回しのような印象もある。