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『父』による虐待はもちろん、『母』もどうかしてる。気が付かないわけないし、『やめてあげて』のレベルじゃないし。
そんな母を庇ったり、父に対して『愛情がないわけではない』とか、虐待を受けると思考回路もおかしくなるのかしら。救済してほしい意思表示が出来ないのに、『何もしてくれなかった』なんて言われましても、1番何もしてくれないのは母でしょ?とムカムカした。
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ピアノレッスンを強要するだけでなく、暴行を加えるという実父からの虐待を受けた女性の苦難と再生のノンフィクションです。このように軽々しく書けないほどの、重苦しい本でした。広く読まれるべきものと思います。
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虐待はいけません。
みんなの目で、虐待を根絶しましょう。
先進国と呼ばれる国であれば、そんなことは言われなくても分かっている。
でも、虐待が生まれる理由、虐待を根絶するために、一人ひとりが考えるべき事を、この実話の中に見出した気がする。
誰かの人生を支配しようとした時、虐待の芽は生まれる。
それは、誰かの人生を悪くしようとした時だけでなく、よくしようと思った時であっても。
人は必ず誰かの人生に影響を与え、また、影響を受けながら生きている。しかしそれは、支配する、されるとは違うものだ。
身分や地位、犯罪歴など様々な立場の違いはあれど、人を人として捉えること、という考えに立脚しなければ、支配そして虐待はなくならない。
人類の歴史上、支配・被支配の関係で成り立っていた時代の方が圧倒的に長い。おそらくその考え方は、現代に生きるほとんどの人にDNAレベルで深く刻まれているに違いない。
しかし、人は知恵を得て、どんな人も同じく感情と自我を持っていることを知った。
支配・被支配から脱却した、人類の新しい生き方に向け、新たなDNAを彫み、後世の人達が豊かな人生を送れるように挑戦する時代を僕等は生き、その使命を負っているのだ。
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家族間の虐待に耐えるのも辛いと思うが、それを告発した後の著者の心の葛藤が痛ましい。
働くのは誰の頼りにもならない為だった。特に夫に頼る生き方はしたくなかった。自由でありたかったのだ。いちいち報告する義務なく、自分で選んだ道を生きると言う自由だ。
これは虐待されてなくとも、ある種の女性は考える事だと思う。
「過去を悔やむ者は現在を失い未来を危うくする」
「わたしは傷口であって刃物
わたしは打つ掌であって打たれる頬
わたしは四肢であって四肢を縛りつけた刑車
わたしは生け贄であって拷問者なのだ」
ボードレール[悪の華]