電子書籍
単なる本の紹介ではない、人生と精神の遍歴を描く
2017/12/25 15:38
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かすみ草 - この投稿者のレビュー一覧を見る
単に書評をまとめた本かと思ったら大間違い、作者の人生と精神の遍歴をその折々に出会った本との関わりを交えて描いています。作者がアイドルだった時代、どこかに暗さや淋しさのようなものを感じましたが、その原因が何だったのか、この本を読んで何となく分かった気がしました。複雑な家庭環境と特異な体験の中から、どうやって自分の居場所を見つけていったのか、その姿にはいろいろ考えさせられます。自慢話的なものは一切なく、この本自体が小説のようです。また、非常に文章が上手い。作者の作品の中では一番面白い。悩みを抱えて生きる人が読むと、心にしみる部分があるとおもいます。
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中江さんをテレビで見たのは、「週刊ブックレビュー」だった。きれいな女優さんなのに、本をたくさん読んでいて、すごいなーと思っていた。
この本を読んで、中江さんの幼いころから現在までを本で辿っていき、中江さんは様々な経験をし、様々な本と出会ってきたのだなと感じた。
文章がステキで読みやすく、文章まで上手に書けるなんて、神さまってずるいなと思いました。(うらやましい!)
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この方の人生と読書歴がよく表されていた。興味深くずんずん読んだ。素晴らしい記憶力(子どものころ読んだ本など)と文章力・表現力お持ちなのだなあと思った。
◆読みたいと思った本
種村季弘「雨の日はソファで散歩」
北條民雄「いのちの初夜」
高倉健「あなたに褒められたくて」
エマニュエル・ボーヴ「ぼくのともだち」
など
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知的コメンテーターなイメージだったけど、孤独な努力家だったんですね、中江有里さん。
来月講演会を聞きに行く機会があるので読みました。
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さらっと書いているように見える文章だけれど、すごい決意をもってこの本を書いたのではないだろうか。
なにしろ家庭の問題からコンプレックスまで、赤裸々に書かれているので、読んでいるこちらの心までざわざわしてしまうほどだった。
人と接するのが苦手で、本のなかに自分の居場所を求めること。
私は単純に物語の世界に入り込むことが楽しかっただけで、居場所を求めて本を読んでいたわけではないけれど、思春期の、自意識過剰な時期はやはり本の中でだけ心が解放されるような気がしたものです。
”頼ったり甘えたりしないのは、我慢することにつながる。だけど極度の我慢は、自分が何を欲しているのかをわからなくしてしまう。我慢の加減は、とてもむずかしい。”
という文章のあとに紹介されているのは、茨木のり子の『倚(よ)りかからず』
児玉清さんとの交流も、大切な記憶と共に記されていて、『週刊ブックレビュー』を懐かしく思い出しました。
最初は司会の児玉清さんの読書量、幅、深さにただただ感服していたのですが、アシスタントだった著者が、毎週必ず、紹介される4冊を読んでいること、そのほかに自分の好きな本もきちんと読んでいることに驚いたものでした。
その週によって、専門書だったり分厚い本を紹介されることもありましたが、著者は必ず事前に読んで収録に臨んでいました。
読まずに番組に参加する自信がなかったから、と著者は書いていますが、その自信のなさ、自分の足りないものを知っているということが、その後大学の通信課程で日本文学を学び直すことに繋がるのです。
出来ないことを知ること。
出来ない自分をさらすこと。
出来るように努力すること。
きっと彼女はこうやって生きてきたのでしょう。
強くて、賢くて、誠実な人なのだということが、この本を通して伝わってきました。
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ブックガイドというよりは、著者の来し方を綴ったエッセイ寄り。人生の節目節目を綴りつつ、そのときの心境に応じた書物を紹介する、という体。同じ形態のものとしては、又吉の読書案内が頭に浮かぶけど、個人的には後者に軍配。芸能人としての思い入れは、両者ともにそれほど無いので、大した差はないものと考える。とすると、当方の読書欲求の喚起力の違いが一番大きい訳だけど、語りの妙というか、心に響く部分が、本作には乏しかったということでせう。
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中江有里さんにとっての特別な本が、それを読んだ時の自分の状況などと共に紹介されている。かなり赤裸裸に語られているという印象。「本の本」であるけど、自伝としても面白い。
かつて週刊ブックレビューはたまに公録をしており、近くのホールなどに来てくれないかなと楽しみにしていたけど、ついにその機会はなかった。週刊ブックレビュー復活希望。
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本に向き合うことは、個人的な体験となる。自分で読んで、自分で想像する。こんな風に、本当の出会いを語ることができる著者がスゴイ。言葉の選び方が優れている。人生の変わり目の中で、本があったことをさりげなく語る。本が、まさに、著者の伴走者のように書かれている。
子供の時から、「おとなの私」になるまでに、出会った本たち。成長する時には本があった。
両親の離婚。父親につくのか、母親につくのか?その時に、屋根のない家を選ぶのか、壁のない家を選ぶのかの選択だったという。そして、たくさんのきらめく言葉が浮かび上がる。
わたしは捨て子だった。家なき子。
倚りかからず。しかし、椅子にある背にもたれていいんだよ。
大阪人は、アホを演じることができる。
愛を引っ掛ける釘があり、サヨナラにサヨナラする。
生きていく上では、笑いという自家発電を持つことだ。
変わらない過去ではなく、刻々と変わる不安定な現在に向き合う。
今という時代は、あらゆる時間が積み重なったもの。
生きることは切実なことだ。
砂糖の効いたあんのしっかりした甘さ。あんぱんは今日のわたしを励ます。
絶望して初めて欲望を自覚した。
何が正しいかわからなかった。赦しがたいほどの嫌悪感。
わたしはわたし以外になれません。
ひとりでいたいのに、ひとりでいることはとてつもなくさびしい。
帰るところがない。自立心が芽生える。
そろそろ夕飯だから、降りておいで。
一つの道を選ぶことは、他の道を捨てることだ。
何の夢も希望もない現状から逃げたかった。
本は自分をはかるものさしだ。
愛することは技術である。
どんな大きな画も、白いカンバスに最初の筆をおくことから始まる。
ぼくにとって、あきらめきれない人だから。
本は逃げるための手段で道具だ。使い方は、自分次第でいつだってページを開いた人の味方になってくれる。
ふーむ。言葉の切れ味が実にいい。言葉を感情という研磨機で磨いている。素敵だ。