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特攻を命じられたが9度生還した飛行士。
戦争当時のものを言えない空気、死ねと命じられる不合理さ。精神力を美化する者が指導層にいると本当に悲劇だと感じる。
だが、今の日本人にはその傾向がある。大勢の意見に迎合し、少数派を弾圧するような空気。たとえば嫌煙とか。民族性といえばそれまでだが危ういと感じる。
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俺にとって、鴻上尚史といえば、学生時代に聞いた金曜オールナイトの下品なおっさん。TV番組の企画として知った、特攻隊から生きて帰ってきた男の存在を「青空に飛ぶ」という小説と本作のノンフィクションにまとめたもの。
勝つため、国を守るための戦争だったのに、メンツを守るためだけの攻撃に成り下がっていった日本軍。勝てなかったのは必然です。
「軍神」とありますが、飛行機乗りとしてのプライドだけですよね、きっと本人は。
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ぼくは先に『特攻セズ』という本を読んでいたので、似たことをする人がほかにもいたのかと思い、しばらくは本書を手に取らなかったほどだ。本書は演出家で作家でもある鴻上さんが、9回出撃してそのつど帰還した特攻兵佐々木友次さんに関心を持ち、佐々木さんを病床に何度も訪ね重い口を開かせ、合わせて特攻の非合理さについて調べて書いたものである。佐々木さんは9回出撃するが、敵を攻撃できたのは二度で、それ以外は飛行機の故障や敵を見つけられず帰還したりしている。かれを何度も出撃させたのは、特攻に出た人が帰ってきては困るからである。現に佐々木さんの郷里ではかれが死んだものと思い、お葬式を二度も出している。だから、戦後佐々木さんが復員したときも、母親が喜んだ以外は、むしろ死ななかったことに当惑し、白眼視したほどだ。大衆もまた戦争に荷担した証左である。佐々木さんはだから、鴻上さんの訪問がなければ、自分のやってきたことをほこらかに語ることもなく、そのまま死んでいっただろう。鴻上さんが特攻の非合理性、非情性に怒りを感じるのは充分わかるが、ぼくは鴻上さんと佐々木さんの間には大きな温度差があると感じた。
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特に目新しい話はなかったが、保坂正康が言うとおり、戦争の話を知らない若い人たちが増えて「マーケットが変わった」のかもしれない。さすがに鴻上氏も、特攻隊でもデキのいい子は出撃させずに残したというところは書けなかったとみえる。
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今現在もこの地球上で、人が人を殺める行為を必然とした戦争が起きています。
この日本でもそう遠くない過去には戦争がありました。しかし、既に戦争を体験した方が少なくなった現在、私も含め戦争を知らない人々も、学校の授業や終戦記念日など何かのきっかけで、その実態を知り、考えることも大切なのではないかと思います。
私は年に一度くらいは戦争について真剣に考えようと思っています。本を読んだり映画を観たり、その方法は様々ですが、本作はそんな思いで手に取った一冊です。
<作品紹介>
太平洋戦争末期に実施された“特別攻撃隊”により、多くの若者が亡くなっていった。だが、「必ず死んでこい」という上官の命令に背き、9回の出撃から生還した特攻兵がいた。その特攻兵、佐々木友次氏に鴻上尚史氏がインタビュー。
飛行機がただ好きだった男が、なぜ、絶対命令から免れ、命の尊厳を守りぬけたのか。
「第一章:帰ってきた特攻兵」「第二章:戦争のリアル」「第三章:2015年のインタビュー」「第四章:特攻の実像」の4部構成になっているのですが、私は第二章を読み終えるまでに4ヶ月かかりました。辛くてなかなか読み進められなかったのです。
攻撃をして帰還した部下に対して、「次は死んでこい」という上司って何?目的が「死ぬこと」になってしまっている。
現代の自分が生きていく上でも、会社であったり人との関係であったりのなかで、目的達成のための方法はいくつもありますが、私はそれを取り違えてはいけない。といつも思っています。当時の日本軍の上層部においては、まさにその方法を間違えてしまったのだと思うのです。
劣勢になったときに、勝つためには国民を鼓舞しなければならない。そのためには、優秀な操縦士が先陣を切って特攻することに意味がある。と・・・。
冷静に考えれば、優秀な操縦士は貴重であり、先陣を切って後のものを率いて攻撃し、生還させることが重要だと思うのですが。生きていればまた出撃できますし、後に続くものを育成することもできます。
そもそも、生きて帰ることを前提としない攻撃なんてありえない。そんなことを考えた人もそれに同意した人も許可した人も、どうかしているとしか思えない。
ですが、時として人間は過ちを犯すのです。それは多かれ少なかれ自分も含めすべての人に言えることです。
当時の状況から、特攻兵でありながら、9回の出撃から生還するということがどれほど特異であることかは想像に難しくありません。
とにかく怒りを抱きながら、胃が痛くなるような辛さを抱えながら第二章までを読み終えました。
第三章では、それを成し遂げた佐々木友次(ともじ)さんへの、鴻上さんによるインタビューです。佐々木さんがお亡くなりになる数ヶ月前だったようです。体調もよくないなか淡々と鴻上さんの質問に答えられている様子でした。会話から、お人柄の良さが伝わってくる内容でした。
そして、佐々木さんは、ただただ純粋に飛行機を操縦することが大好きで、その操縦にも自信を持っていた。だからこその抵抗だったのかもしれないと思いました。
第四章では、特攻隊の実像について鴻上さんの見解が綴られていました。
また、後書きには佐々木さんのお墓に刻まれた文章が記されています。
21歳の時に9回の出撃にも関わらず生還し、92歳まで生き抜いた彼の言葉は、とても重く心に響きました。
佐々木友次さんのことや特攻隊の話については沢山の書物がありますが、それぞれ見解が違います。命令をする側と受ける側では見えている現実が違うのです。
また、誰かの思惑によって事実が湾曲されていることもあります。
それは遠い過去のことばかりではありません。現在でもそれを感じることが沢山あります。それに踊らされ振り回されてはいけないと心にとめたいと思います。
過去のことを変えることは出来ませんが、未来は変えられるはず。何かを判断する際は一度立ち止まってよく考えることが大切だなと思います。
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読了。
一言でいうと何も知らずにいた自分が情けなかった。特攻については人並みに知っているつもりでいた。そう思っていた自分を恥じた。知らなかった自分を情けなく思った。知らされていない事実が数多くあることも頭の中でわかってはいても、それでも悲しくなるほどの衝撃をうけた。
今の考えで、当時の軍部についてとやかくいうことはないが、軍部だけでなく国民までも、全ての人の思考を狂わせるのが戦争であり、人の時間を奪うのが戦争である。
能力のないものがリーダーとなった結果多くの命が失われていたことも事実。
特攻の話だけではなく、人の上に立つ立場の人も一読すると良いと思う。
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特攻隊で亡くなった方々の手紙や手記を読むと、悲しく無念な気持ちになります。そこには特攻兵の崇高で美しい心があると感じたからです。しかし、それは大きな間違いだったと気づかされました。命令した側と命令された側があること、その両者を一緒にしてはいけないこと、そして、命令した側に共感できることは一切なく、その罪を忘れてはいけないことを。
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子供の頃は特攻カッコいいと思ってた。
架空戦記や戦争体験記にハマり、昔の日本凄かった=自分凄いと思う、今でいうネトウヨだった。特攻関係の本もたくさん読んだけど、故郷を思う悲壮な遺書とか、散っていった英霊とか、通常攻撃より特攻の方が効果的だったとか、「特攻肯定」の本が多かった。
この本は逆で、特攻は効果なかったよと、データと共に当時の人の声が載っている貴重な本。当時のセリフはフィクションだけど、本人にインタビューもしていて、リアリティがある。
理不尽な時代に、合理的に生きようとした先人が居たと知って、勇気をもらえた。
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陸軍の第一回特攻を命じられながら生還し、有効な爆撃に成功しながら毎度生還し、2016年まで生きた特攻兵の記録。
先行書を元に、本人へインタビューを重ね、特攻を命じた側と命じられた側を通して起きていたことを推測する主張には、説得力があった。
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この本の根幹にある特攻に関して、とても心に刺さるものがある。特攻自体は意味不明な行為でそれを正論で訴えることができた佐々木さんは尊敬に値する。特攻を指示する上官は言葉の責任を軽視し、その場の雰囲気や流れで事を進める状況に考えさせられる。言葉の重みとともに自分の生き方を考える1冊だった。
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「永遠の0」は映画化された大ヒットする一方、この本の主役の佐々木友次さんのドラマは歴史に埋もれていく。
ご存命中だった佐々木さんのインタビューがこの本の一番のポイントかと。
組織の維持のために「死ぬこと」だけが目的となった特攻隊。現代の日本の組織のそこかしこに、「命令した側」は責任を取らなくてもよいという仕組みが生き続けているように感じる。
「第4章」は他の本からの引用が多く、リファレンスとしては役立つが、この本に蛇足だったように思える。
佐々木さんが、振武寮に送り込まれずに済んだのはなぜ?下士官だったから。将校では厳しかった。
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9回出撃命令を受けて9回生還した特攻兵がいるって、あの当時そんなことがあったのか半信半疑なところがあって読みましたが、その事実がこれまであまり紹介されていないことに驚きを感じました。物語も興味がありましたが、特攻という作戦を考えるといろいろさらに考えさせられますね。「集団我」って単語がありましたが、確かに、普通のマラソンよりリレーマラソンの方が力を発揮しやすかったり、力を発揮しないといけない「空気」が出来ています。これが国民性と言えばそうなのでしょう。だから特攻隊が出来たとも言えますが、その中にあっても、「普通であること」「論理的であること」、今は、そんな多様な価値観を理解できないといけない時代だってことを教えられます。
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飛行機で体当たりするって、徹甲弾よりも、スピードが出ず貫通力もないため、敵の艦船に与えるダメージは少ないってことをあらためて知った。当時の精神論一辺倒の軍の上層部には、特攻が作戦の外道と思いつつ命令し、責任を感じていた者は少ない。練習機の赤トンボで特攻をさせられた、急造の若い飛行兵がいたことが、本当に無念だ。いつの時代も、無能で責任もとらない上司は存在する。戦時中でも、特攻機にくくりつけられた爆弾を投下できるように改造したり、科学的根拠で反論し、しっかり対案を持っている現場の人間がいたことを知ることができた。
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9度出撃して帰ってきた元特攻隊員の佐々木友次さんから特攻について改めて考察する本。
特攻の実態は志願ではなく命令だったと、一方で部下を散々殺しておきながら自らは戦後ものうのうと生きた冨永司令官をはじめとする指揮官たちがいることに背筋が寒くなった。海兵出身者の特攻が少なく、「アナポリ出てきやがれ、沖縄で戦ってるのは予備学と予科練だけだぞ」と怒鳴って出撃した特攻隊員や「海軍のバカヤロ」と通信して死んでいった特攻隊員の存在はこの本で知った。
理をもって特攻に反対した美濃部少佐の存在は救い。
特攻批判を特攻隊員への批判と同義に捉えて封殺することのおかしさ、なぜ特攻が盛んになってしまったのかや、日本人の集団我に関する考察も面白い。
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帰還した特攻兵、佐々木友次さんのお話。
特攻の話を読むと、必ず組織の無能さに苛立ちを覚える。だから、ビジネス戦略でも反省と言う意味で良く使われるのだろうけど。なんか、今の会社も多少似ている気がするので、不安だなー。現場を理解せずに、戦略決めて、失敗を認めない。もっと経営と現場の透明性を高めて、現場を鼓舞して、120%の力を出せるようなマネジメントしないと。決めるのは経営側でも、実行するのは現場。現場がないと何も生み出せない。少なくとも、経営側は現場を理解する努力をしてもらいたい。
主役の佐々木さん、上司の岩本大尉、最後に紹介された美濃部少佐など、軍という絶対的な支配の中で、しっかりと現場力を高めて、上の方針が間違っていると思えば、しっかり提言して、否定されても、自分が正しいと思うことをやりきる。そんな姿勢に感服です。自分も、正しいと思うことをやりきる!!
筆者が最後に書いた、社会と世間の話は、すごく共感で、世間の中で私も生きていきたいのだろうなと感じた。チームビルディングが最近の私のテーマです。いいチーム作るぞ!!