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工場式畜産の是非。雑食主義者になるか、緩やかな菜食主義者か、完全な菜食主義者か。それは、自由だ。しかし、この本を読んで、「食べる」ことについて考えるきっかけになるのは、間違いない。
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1年間、自分で殺した動物の肉だけを食べて暮らすという決意。ハンティングだけでなく、釣り、ロードキル…なんとも根性のいる食生活であるが、それに果敢に挑む。
そして養豚場や屠畜場を見学しての衝撃と敬意。自分のため環境のため動物のため納得のいくものを口にするには、ヴィーガンか、ヴェジタリアンか、はたまた倫理的肉食者か。。。
自分の口に入るものの経緯が見えなくなっている現代、ここまで根性を据えて意識的に取り組まないと納得することは出来ないのか。
クリアは難しいにしろ、問題はかなり明らかになったのではないだろうか。
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''命の意味を考えさせられるわ。死を目にすると、自分の人生を使って何か少しでも生産的なことをしたいと思う。わからないけど、たくさんお金を稼いで、くだらないことに使うなんてことはやめて、価値あることをしなくちゃ、と。
そう、命の意味は、世界をよりよくするために自分がしたことで決まるのよ''
1年間、動物は自分が殺したものしか食べないと決め行動した著者の実録。
正直デンマークの加工工場の話は正視できなかった。
生理的嫌悪感が気分を悪くさせる。
でも、これはまぎれもない事実なのだ。肉を食べるとはそういうことを含んだ行為なのだ。
私はしじみを買ってきて砂抜きし熱湯に入れるときにいつも罪悪感と覚悟を感じる。まだ生きている命を奪うんだと。
狩猟も釣りもしない私が食べ物に対して感じる「生きている/いたものの命をいただく」と実感する瞬間はそのくらいだ。
そのくらい、私の食と生き物の死は普段遠い。
でも私が食べるすべてのものは生きていたものたちだ。私が意識しなくて済む状況にいるだけで。
それを痛いくらいに突きつける1冊。
ひとつ疑問に思うのは動物に対する人道的配慮を理由に菜食主義を主張するひとたちはなぜ動物の肉を食べのるはダメで植物は良いのかということ。
植物だって命を奪うことに変わりはないのに、なぜ植物はよくて動物はだめなのか。
まあ本書のテーマとはずれるけど、結局命をいただくことには変わりないのにと思う。
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自分で獲った生き物を殺して食べることにこだわった生き方。獲らないときはヴェジタリアン。現代人が自分で動物を殺さなくなって食物を無駄にするようになったのでは?
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何年か前からできるだけ食肉を控えるようにしていて、それは食の倫理の観点、つまり環境や社会的な観点から肉を食べることから生まれる様々な影響とその大きさを確信したから。著者は実践的に、今では普段の私たちの視界から消えている食の生産・加工の現場を取材しまわり、文章にし、伝えている。それは狩猟の場であり、屠畜場であり、養殖の場であり、生きた動物が人の食べ物、つまり食肉に変化する境目みたいなところを自ら見に行った記録になっている。
ドキュメンタリ―映画や短い動画などでも近年はよく伝えられるようになっているこのテーマの話ではあり、私自身の考えがこの本を読んで大きく変わったわけではない。
何か学んだといえば、実際に自分で経験すること、そしてその経験をどう社会に生かすかということは自分次第であるということ。また、伝える、ということの難しさも改めて感じた。
私も鶏を鶏肉にする場面を見るだけでなく自ら体験したこともあるし、様々な文献や資料から畜産業の与える環境への負荷、工場型の食肉生産の問題について知る機会を得てきた。
この世の中の矛盾を知ると、自分の内部の矛盾がさらに拡大する。同時にその矛盾に対する考えをさらに深めてくれるのも知識であると信じる。
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子供のころ感じた食肉の疑問】
↓
『生き物を殺して食べる』
まさにダイレクトなタイトルの本を発見。
今後、急速に海外から、多様な『食肉』の考え方が入ってくる気がする。
なので、動物の命を扱っている仕事をしている者として、よく知らない・考えないままではいられないと思い、読んでみた。
著者はイギリス人環境ジャーナリスト。
長年の取材の中で、環境破壊の観点から『食肉』を減らす必要性に気がつく。
しかし、彼女は『おすそ分けの肉』がよく転がり込む農家の娘。
ヴェジタリアンになるのも難しい。
そして彼女は、自分の殺めた動物のみを食べるということが、いちばんまっとうなやり方だという結論にいたる。
そして、1年間、自分の殺めた動物の肉のみを食べ続け、その記録を本にまとめた。
予想では『ダメ、絶対。大規模畜産』、『家畜を解放しろ!』といった反・大規模畜産、動物愛護推進論的な内容かと思っていた。
けれど、予想とは裏腹に、自らの意見は主張しつつも、屠畜業者や生産者など各立場の人々のことを、しっかりと丁寧に、かつ平等に書かれていて、誠実さを感じる。
命は『平等で大切』。
それを奪って『食す』のだから、常に感謝は忘れずにいたつもり。
けれど、作中の『肉は、それにふさわしい敬意と感謝をもって食べるべきご馳走』 との言葉に、自分は適正な感謝レベルだったのかと、再考。
ヴィーガン(絶対菜食主義)、ハラール屠畜、ロードキルの都市型狩猟などなど、食肉について知らないことも多かったなぁ。
『職場』と『食卓』で考える幅が広がった一冊となった。
とりあえず、今日も、
いただきます!ありがとう。
ごちそうさま!ありがとう。
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イギリスの女性ジャーナリストが、狩猟、釣り、ロードキルなどによって自分で手に入れた肉・魚だけを食べた2年間の体験と、養鶏場やと畜場、食肉加工場や養殖現場の取材を通じて、環境負荷が低く、倫理的に許容できる”食肉”のあり方(「倫理的食肉」)を模索していく。
釣りたてのイカを捌く動画が”かわいそうだ”とバズったことがあったが、”倫理的”食肉とは「かわいそうだから食べない」ということではない。本書では、(特に大規模な)畜産業・養殖業が、いかに動物福祉と環境面への配慮が足りないかについて告発しており、倫理的食肉という言葉には、”生物・環境に対する人間の責任”という意味が含まれている。
しかしこの本がすごいのはやはりタイトルの「生き物を殺して」を著者が実体験しているところであり、おそらく体験したものにしかわからない感覚がある。
そもそも、スーパーで買った肉であれ、自分で獲った肉であれ、「食べる」という行為は、本来、タイトル通り「生き物を殺して」「食べる」なのだ。だけど、「スーパーで買う」か「自分で獲る」かで、その食肉体験は別物になる。
『適切に屠畜をすること、すべてに注意を払い、行為に深く浸り、家畜の匂いや血にまみれ、ぐったり消耗すること、何もかもがたぐいまれな経験だった。それに引き換え、デンマークではすべてが殺菌され、非現実的だった。感情の入りこむ隙がどこにもなかった。...(中略)...自分で手をくださないようになったせいで、何かを犠牲にしたような気がする。アンガスたちに最初に話したのは、誰も屠畜という行為を評価しようとしない...(中略)...家畜を尊重することの大切さを』(p.170)
『最初から最後まで、自分で手に入れて捌いて料理して食べたとき、食べ物と深く繋がった気がする』(p.249)
”食べ物と深く繋がる”
この言葉を反芻しながら、2年前に鶏を初めてシメて捌いたときを思い出した。あのとき、自分でシメた鶏に対する愛着と責任を感じた。こんなに重い行為であるなら、あまりたくさん肉を食べなくていいや、とも思った。
当時のブログ http://bonvori.jugem.jp/manage/?mode=write&eid=1
くわえて。
今は山菜やキノコを食べる機会がグンと増え、2週間くらい前は、毎日キノコの処理におわれていたような気がする。めんどくさいのだけど、西和賀の山とつながって生きているという実感もあった。ここにも”食べ物と深く繋がる”感覚がある。そしてそれは山や水や森が綺麗で豊かであってほしいと願う気持ちになる。自然が好きとかいう以前に、自分の身体に入るものを生み出す場所だから。
”食べ物と深く繋がる”ことが、世界を愛することになる。という予感。
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ハンティングや通常の工場方式以外で育てた肉と工場で育てた一般的な食肉を本物とそれ以外で分ける筆者の姿勢には傲慢や驕りを感じる。生命の価値に序列をつける行為をしておきながら生命の尊さについてくどくどと語る。何様だろうか。
私自身、子牛や鶏などを屠殺し捌いたことがあるのでエアプでは無いことを先に述べておく。
食のあり方を知るといったご立派な志のもと始めた取り組みだが、蓋を開けてみると昔ながらのやり方を推奨するだけで、数十年にわたり生物学者や農家たちが食環境を良くする為にと取り組んできた事は全て無視する始末。途中、過度な擬人化は良くないと苦言を呈される描写があるが私も同じことを思った。ヒトと他の動物では知覚する世界が異なり(ウンヴェルト、環世界ともいう)、感じるストレスや幸福が異なる。筆者はこれらについて専門外であるが故に擬人化し憶測で述べるばかりでなんら説得力がない。
これはあくまで個人的な感想文でしかなく、真に受けるのは違うのではないかと感じた。しかし、食の多様性は尊重されるべきでありこうした手法について興味を持つきっかけとしてはいいのではないか。
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「これからもずっとこの星で生き続けたいのなら」というくだりがあったが、私のこの問題に対する興味はそこじゃない。そもそもの根本が違うから、なにかしら同意できないところも多かった。私は単に自分が生きながらえるために、もとより自分の口を楽しませるために、ほかの動物を殺すようなことはしたくない。食べなくてもちゃんと元気に生きていけるのだから。そう、こんなに単純なことなのだ。