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下巻の旅はクレムリンから。
モスクワの日ソ友の会事務所を訪れる。
ここで事務所の篠原氏・日下氏らと、著者の浦和高校合格祝いが催される。
篠原氏は旧陸軍の情報将校であり、ソ連に抑留されていた。現在は日ソ友の会で日ソの友好に尽くしている。
しかし、彼は決してソ連を崇拝しているとか、共産党に被れている訳ではない。もう二度と日本とソ連が戦うようなことが無いようにという想いで活動している。
篠原氏は人間には卑しい心理があるという。シベリアの収容所で強制労働させられたように、圧倒的な権力者の前では、不当なことをされればされるほど、相手に迎合する傾向があり、皇国神話に取り付かれていた将兵ほど、共産主義思想に引き寄せられ、天皇の代わりにスターリンを崇拝するようになったという。
この旅行で本当に様々な人達と交流し、見聞し、貪欲に知識を習得していく様には本当に感心した。
そんな旅の最後に、横浜行きの船で知り合った元北大生に、著者のお土産のタバコとワイン(未成年が持ち込むと有税となる)を無税で通関してあげようと言われ、軽い気持ちでお願いするも発覚し、罰金を徴収されるというトラブルがあった。
後に外交官となり、鈴木宗男事件で逮捕される直前に、公安警察の情報として、1975年夏に活動家の高校教師(旅の途中で知り合っただけの日本人旅行者)とソ連を旅行し、密輸容疑で逮捕されたとの情報を出されたとの事。公安はなかなか恐ろしい。
なお、著者の母方の伯父は沖縄の方だが、在日朝鮮人の帰国を支援していた。伯父は日本人から酷い目に遭わされているということでは、沖縄人も朝鮮人も一緒だといつも言っていたらしい。だから現在でも警察官が沖縄県人を土人と呼んだりするのだなと納得した。
15歳のときにこの本を読んでみたかったなぁ。
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日ソ協会/共産党、日ソ親善協会/社会党、日ソ交流協会/自民党
ソ連の砂糖 なかなか溶けない
人生で逃げなくてはいけないことがある。その時は自分は逃げたという認識をきちんともつことだ。逃げていないと強弁や合理化をしてはならない
人間は誰もが平等に一日24時間の時間をもっている。この時間をどのように配分するかで、その人の人生が変わってくる
教師が覚えてほしいと思うことを学生は記憶せず、どうでもよいことばかり覚えている。学生からされば逆だろう。教師は学生にとって重要なことは何一つ覚えておらず、つまらないことばかり覚えていると思うだろう。しかし、サトウくん、教師と学生の間のこの非対称性が面白いんだ。結局教師が学生に伝えられることはほとんどない。教育とは関係にはいることなのだ。師弟の関係を構築することができれば、それで十分なんだ。君は僕にそのことを思い出せてくれた。佐藤君ありがとう。
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無茶苦茶面白かったです。今年ベスト作品でしょう。著者の人となりが十五の夏の経験から形成されたことがよくわかります。この時の経験から、検察にも屈せず、512日の塀の中の困苦にも負けずに、より一層知の巨人として復活した鋼の精神力が培われたのだと思料します。これを読んで「国家の罠」を再読したくなりました。必読の書です。
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佐藤少年が十五の夏に一人で東欧旅行に出たのは1975年。東西冷戦は永遠に続くかと思われ、壁の向こうは全く違う世界が広がっているかのように思われていた。日本を含む西側諸国がボイコットをしたモスクワのオリンピックは5年先の1980年。そんな時代に佐藤少年は、スイス(チューリッヒ)から入って、チェコ(プラハ)、ポーランド(ワルシャワ)、ハンガリー(ブダペスト)、ルーマニア(ブカレスト)、ソ連(モスクワ、キエフ、タシケント、ブハラ)と旅をしている。きっと、これができたのだから、できないと思われることも、トライをすれば可能になるのだということを覚えたのではないか。また、人生何とかなるものだということも。世の中には色々な価値観があるのだということも。
自分が二十三の夏に東欧旅行をしたのは1993年 - 佐藤少年が東欧の土を踏んでから18年後。ギリシアからブルガリア(ソフィア)に入り、ルーマニア(ブカレスト、ブラショフ)、ハンガリー(ブタペスト)、チェコ(プラハ)、ポーランド(クラコフ)、ドイツ(ベルリン、ミュンヘン)と巡り、そして偶然にも佐藤少年が入ったスイス(チューリッヒ)から出国した。また、モスクワにはその半年後の1994年3月に北アフリカへの旅のトランジットで立ち寄った。どことなく似通った国と町に行っているので、本を読んで、18年の時を経た東欧での体験を思い出した。1989年のベルリンの壁の突然の崩壊から約4年。まだまだ混乱は続き、国によって大きな差が見られた。 佐藤少年が日本では魚を生のまま食べると言って驚かれたが、18年後でも同じく魚を生で食べる習慣は日本の食文化を説明するときに役立った。今ではすっかりと街並みも人も変わっているだろうし、どの町でも寿司屋も見つけることができるだろう。そのときにその場所に実際にいることは何かしらの価値があるのだ。
「日本から見ると、ソ連も東ドイツもハンガリーも似たような社会主義国だが、それぞれの国柄がすべて異なる」ー 佐藤少年はそう実感したと書いているが、正しくその通りである。
まず、佐藤少年は現地の人と親密な関係を結ぶことができたポーランドやハンガリーのことをお気に入りで、チェコでの体験をよくは思わなかったようだ。その後、チェコの神学者フロマートカに強く惹かれて、外交官の身分でチェコに行くことも熱望するようになることを考えると不思議な巡りだ。ポーランドでもハンガリーでも現地の人が初めて会った佐藤少年を家に招待したり、奢ったりしてくれて、それまで持っていた社会主義国家のイメ―ジとは違ったという。自分はルーマニアからチェコに入ったので、チェコの印象はとてもよいのだけれどもどこかよそよそしさはあったかもしれない。ハンガリーでは、民家に泊めてもらって確かによい思い出が多いが、まだインフレが厳しかったのか、冷蔵庫は冷凍された肉でいっぱいだった。ブタペストは温泉でも有名だが、ゲイの人たちがいて驚いた。ハンガリーは1975年頃から他と比べても少し生活水準が高かったようだ。
ポーランドという国にはそれほど強い印象はない、アウシュビッツの印象が強すぎたからかもしれない。佐藤少年はアウシュビッツに行こうという思いにはならなかったのだろうか。
ルーマニアは、ブカレストに入った佐藤少年がチャウチェスク大統領の肖像画が掲げられていて驚いたというところから始まる。自分がブカレストに行ったときにはすでにチャウシェスクは民衆によって処刑され、政権は倒れた後だったので肖像画はなかったが独裁政治の後遺症で他のどの東欧諸国と比べても荒んでいた。軍と民衆との間で銃撃戦があった広場に面した建物にはまだ無数の弾痕が残り、チャウシェスクの宮殿と呼ばれた国民の館に至る広い道は寂れて人がいなかった。1975年当時のブカレストでは資本主義国からのお客を泊めることができるのはインターコンチネンタル・ホテルだけと書かれているが、もしかしたら18年後もほとんど同じ状況だったかもしれない。少なくとも外国人用の限定された高額なホテルしか泊まれないと言われた。そこで節約のために、一般の家に泊まったら行ったら、夜中に荷物をまさぐられるというひどい目にあった。夜行列車では、車掌にコンパ―メントを独占させてあげる(さもないと危険だと脅され)と袖の下を要求された。雨宿りをしていたホテルのドアマンに傘を10ドルで売られそうになり、列車で席が一緒になったジプシーにはこっそりとわからないようにカバンの中のボールペンを取られた。
佐藤少年は、ルーマニアは独裁国家で酷い国だと言われ、ルーマニアには外国人を受け入れる充分な体制がないと言われた。それは、18年後も同じだったかもしれない。しかし、ルーマニア人はお客さんが好きで、観光客には親切な民族だ、というのは18年の時間があっても共通していた。都会のブカレストでは不快な思い(それもよい思い出)が多かったが、少し田舎のブラショフの町を旅したときに人の素朴さを強く感じた。犬を連れた地元の子供たちは一緒にハイキングをしてくれた。新婚旅行に来たというカップルは海外に行くなんて夢の又夢と言って日本のことを興味津々に聞き、お礼に地元の歌をうたってくれた。自分はお返しに日本の同様ということでなぜか「赤とんぼ」をうたった。そんな田舎の風景だったからだと思う。
ソ連では、空港や駅からの送迎とインツーリストの観光ガイドがないとビザが取れなかったらしい。1994年のときはもうそんなことはなかったが、ビザは日本で申請して空港で受け取ることになっていた。空港到着の飛行機が少しだけ遅れて、夕方のオフィス終了時間に間に合わなかったのだが、まだ事務員がそこにいてビザが目の前にあるのに、時間が来たからとその日ビザを受け取ることができなかった。おかげで入国できずにその日一泊空港のホテルで過ごすことになった。アエロフロートの酸っぱいパンと不愛想なスチュワーデスとともによくない思い出だ。そういえばモスクワから東京のアエロフロートのビジネスクラスには麻原彰晃とそのお付きが十数名は乗っていただろうか。それも時代だ。
佐藤氏は自身の十五の夏の経験について、若い神学生に語ることがあるという。
「若いうちに外の世界を見ておくと、後でそれは必ず生きる。そのことをきかっけにして、自分がほんとうに好きなことが見つかるかもしれない。ほんとうに好きなことをしていて、食べていけない人を僕は一人も見たことはない。ただし、中途半端に好きなことではなく、ほんとうに好きなことでないとダメだよ。十五の夏にソ連・東欧を旅行したことは、��になって振りかえると、僕が一生かけて追いかけることになるフロマートカという神学者と出会うため神様が準備してくださった道だと思う」
自分はほんとうに好きなことを見つけることができたのだろうか、と自問するとき、じっとりと頭の中に汗が染み出すような感覚にもなるのだ。
少なくとも東欧一人旅のおかげで、きっと他の人よりもこの本のことを楽しめたのは確かだけれど。
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1975年高1の青年が立った一人で東欧とソ連を旅したドキュメント。勇気と工夫があれば何でも出来るということを教えてくれた。当時の東欧事情も面白いが、佐藤少年の考えること全てが刺激的。凄い本だった。
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人生を変える旅立ったのだと思う。なによりも、送り出した両親が素晴らしい。
本当に好きなことに出会えるのは幸せだと感じた。
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自分の生きる糧となる経験をしていることが、何かを成し遂げることができるかどうかに大きく影響することになるのではないか。
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モスクワ→サマルカンド→ブハラ→タシケント→ハバロフスク→ナホトカ→バイカル号→横浜と下巻はソ連中心だが、旅行記の雰囲気はほぼ無くなり、社会共産主義色が色強くなる。
それにしても最終章が余計。これがある事で結局何が書きたかったのかが全く伝わらなくなってしまった。
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こちらは旅行前後のことも書かれていて面白かったです。
15歳の時に体験したことが佐藤優を作ったのがよく分かりました。
出身の県立浦和高校のことも書かれていますが、それほど良く思ってないのかな。周りでも評価は半々ですが、佐藤優がもし都会の早稲田の高校に行って大学に進んでたら…また違った道を歩んでいそう。
北方領土のこと、ロシアの歴史や政治のことも細かく書かれていて上巻とは別の楽しさがありました。
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読了。
ソ連入国から日本帰国まで。800ページを超える大作なのだが、あっという間に読めてしまう。しかし、驚くべきは氏の記憶力。特に食事の描写はとにかくリアルで本当に美味しそう。でもいくら何でもコーラ飲みすぎ(笑)。シンプルな青春旅行記、とでも言うべき上巻に比し、下巻はややイデオロギーに関する叙述が増えるが、それでも抜群に面白い。惜しむらくは、十五歳の時にこの作品を読みたかったな(余談だが、現在はちっこい西郷さんか太った三浦大知にしか見えない著者が、意外と美少年だった…という衝撃の事実も明らかに)。
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上巻ほどのワクワク感はなし。
https://booklog.jp/users/yaj1102/archives/1/4344032705
いかにして”外務省のラスプーチン”の基礎が作られていったかを、旅行前後のエピソードも交えながらの展開が、上巻ほどのドライブ感を生んでいないのが残念。
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レビュー『15の夏(下)』(佐藤優)
(上)からの旅行記は続くのだが、(上)に比べ、思想とか、近現代史の回想か多くなり、その基礎教養がないと読みづらさを感じさせ、それにページを割かれ多た分(上)で味わった“高1の佐藤優君が東欧・ソ連を旅行した夏”のみずみずしい体験談は影を潜めていく。
人が成長していくためには、深く、広い意味の世界を背景にした、身体及び感覚器官 への強烈な刺激を受ける必要がある。単なる刺激とそれへの反応だけの繰り返しであれば動物的な身体の成長に踏み止まるが、深淵で広大な意味の世界を背景にした刺激と反応の繰り返しは、その人物の人格的な成長だけでなく、その人間の背景の世界を拡張していく。
その例えにあてはめれば、(上)は東欧の社会主義の国々を巡って様々な刺激を受け、感じとった体験の過程が感じられる、一般人にはなかなか持つことができない旅行体験記である。
対して(下)は巡る国も残すところソ連ということもあり、その後の佐藤優氏の社会人としての歩み方を匂わせるよう回想が多くなっていく。そこに出てくる人たちは、(上)で出会った人たちより、より今の佐藤優氏を描くのにより近くにいる人たちだというように思える。
とはいえ、日本に帰国した翌日の始業後に予定されている数学のテストが、読んでいる私にも気になって仕方がなかった。眠りこけていたり、食事を堪能しているときに「優。ここは勉強しといたほうがいいんじゃないか!」と幾度思ったことか。
いろんな人と出会って、いろんなことを観て、いろんなことを考えたのは、この旅行の後も続いたことだろう。そして521日の拘留生活もあっての今の作家、客員教授になったわけだけれど、その分岐点は、もしかしたらこの旅行から帰国した翌日の数学のテストで30点という結果だったことが決定づけたようにも思えてくる。
『人間万事塞翁が馬』なんて簡単に言ってはいけないけれど、私自身も人生を振り返るとそう思えてくる。
最後になりますが、純粋な学生の佐藤優君と実質的に佐藤優を同志社大学神学部にスカウトした樋口先生との素敵な会話を紹介して終わりにします。
佐藤「社会に出ると妥協が必要で、好きなことをして食べていくことなはできないですね」
樋口先生「佐藤君、そんなことはありません。ほんとうに好きなことをしていて、食べていけない人を私は一度も見たことがありません」
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出国から東欧訪問を描いた上巻よりも面白い。何故ソ連東欧を訪れたいと思ったのかが過去の出来事を通じて語られる。ここまでディテールに渡って覚えているのは記録を残していたからだとわかるが、それも出会った大人からのアドバイスを受けたからのようだ。失敗もあったが(後に起訴された時にその事が取り沙汰されてしまう)、旅の間色んな大人に出会い知識や知恵を吸収していく様がよく描かれている。「ロシア人は共産主義なんて信じてないんだ。」「帝政時代と今の共産主義社会は思ってるほど断絶していない。」とかロシア人は食を楽しむとか興味深い事柄が多く書かれている。
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★4.1(4.30)2018年3月発行。上巻を読み終わってから少し時間が開いたが、下巻はモスクワからブハラ、タシケント、ハバロフスク、ナホトカ経由日本までの記録。高校1年生の少年が、1975年当時ここまで東欧とソ連、中央アジアで英語を駆使して現地の人と交流したとは何と素晴らしいことか。僕が東欧諸国を1か月旅行したのは、1988年。色々交流はあったが、その13年前にそれも高校1年生が。本書は多分30年後に書いたものであり、どこまでが事実なのかという感じはするが、著者の原点、意外な一面を伺い知ることができた。
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2019/02/20 図書館
上巻に続き,圧巻の下巻!
ソビエトの旅が中心であるが,スーパー高校生の海外ひとり旅の最後の結末がすごい!!!
この人の人生,こういう人生というオチになんか,考えさせられる。
それと,怖いのが日本の公安。
高校生のときの記録まで,すべて調べているのがすごい。
分厚いが,ぜひとも現在の高校生に読んでもらいたい一冊。
これにインスピレーション受けなければ,バカだなと思う。