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かつてあった社会的な問題が解決され、世の中がスマートになればなるほど「人間的な繋がり」は希薄になって地域の力は減衰する、というのはなんとも皮肉で、今では逆回しでコミュニティを活性化するアイデアが必要とされるようになった。それでも「生きるか、死ぬか」の物質的な喫緊の問題を解決しようとして、それを多くの犠牲の上に達成した先達たちに比べれば、「失われた人間性の回復」のために働く現代人は、相対的にはずいぶん幸福だろうと思う。
----------(以下、引用)----------
「人々が居住地の改善に取り組めないのには、アメリカ人が強く信奉している5つの価値観、すなわい移動、富、標準化、技術、専門化が関わっていて、そのどれもが都市生活に副作用をもたらし、自体を悪化させている。移動は私たちを場所から自由にするが、同時に根無し草にもする。私たちは住んでいる場所やそこに暮らす人々に関心を持たなくなる。もし人々が受け入れてくれなければ引っ越しするか、誰とも関わり合わないようないくつかの居所を転々とすればいい。富は私たちのコミュニティないの相互依存から自由にする一方で、たとえばハリウッドの住民が見せた公共への恐怖[public phobia]と阻害を生み出す。標準化は私たちを逸脱の恐れから自由にしながら、非場所性をもたらしている。つまり地域のアイデンティティが失われる。技術は地域内で循環している環境プロセスから私たちを自由にし、そしてそれは生態的な無知を招いている。私たちは、皆で毎日のように分かち合っていた自然の魔法を失っている。たとえば冷暖房機器によって環境が制御されている世界の人々は、自然の力で冷暖房を得ている人々に比して、天候と無縁な日常を過ごす。社会が専門化されるにしたがい、私たちは場所についての全般的な知識の習得や、社会的かつ生態的にきわめて複雑な現象を考える必要から解放された。そして今度は、この自由によって日々の問題を解決できなくなってしまった。都市のデザイン上の問題にも対症療法的で単純な対応しかできなくなり、一人ひとりの置かれる状態がさらに不安定担っていく。こうして私たちは、ファッションとしての環境保護や高い社会的地位をますます追い求めてしまうことになる。
5つの価値観の副作用が及ぼす影響はとても大きい。その影響は表面的には私たちの大切な価値観そのものに複雑に絡み合っていて、とっても対処できないように思われる。だから都市のランドスケープ・デザインはここであげたような問題には無力で、できることは何もない、と降参するのは簡単なことだ。この問題を克服していくには、人々の価値観と行動の変更がどうしても必要になる」
ランドルフ・T. ヘスター (2018), 「エコロジカル・デモクラシー:まちづくりと生態的多様性をつなぐデザイン」, p.20