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教育学は教育学自身からよりも、周辺の哲学から発展を受けてきた。
「誰しも、『よくしてくれた先生』のことは覚えている。」(扉)
「古代から、教師は次の世代に知恵を伝える役割を評価されてきた。」(p6)
「教育哲学が教室での実践を形成したさまを捉え」(p8)
「あらゆる文化において、非公式な教育を子どもに与えるのは伝統的に親であったが、教師もまた知識を伝え、子どもの知性と教養を形成するうえで主たる役割を担った。」(p11)
(プラトン,BC427-347、アリストテレス,BC384-322)「プラトン、アリストテレスなどの哲学者たちが、若者に教育をし、成人の生活と社会的責任に向けた準備をさせる適切な方法を理論づけた。」(p12)
(貴族マヘセットの息子カイ)「『書記であれ、記憶を留めよ。』」(p12)
(コメニウス,1592-1670)「教師は生徒の年齢を考慮し、勉強を現実に沿った楽しいものにすべきである。彼は生徒に丸暗記を強要する教え方に反対し、自然や日常生活のなかから拾った事例を用いるのをよしとした。」(p25)
(ルソー,1712-78)「教師は『自然』が教えるに任せ、子どもに探検、発見、創造させればよい。」(p25)
(ランカスター,1778-1838)(モニトリアル・システムについて)「効率的な教え方であること、教員不足を助けると同時に、生徒に教師になる訓練ができる」(p46)
(ホレス・マン,1796-1859)「『公立学校運動の父』であり、無償の普通教育の熱心な推進者であった。」(p66)
(19世紀)「同時に、教える『技術』が教育舎たちの関心を引き、『自然な』魅力的な教授法の工夫が尊重された。」(p70)
(ペスタロッチ,1746-1827)「今日の初等教育の根底にある原理の多くは、スイスの教育者ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチの思想に由来している。彼はジャン・ジャック・ルソーの影響を受け、自然との関わり、身体的活動、生徒にとって有益で楽しい勉強が必要であることを強調した。」(p79)
(フレーベル,1782-1852)「ジャン・ジャック・ルソーとヨハン・ペスタロッチに影響を受けたドイツの教育者フリードリヒ・フレーベルは、小学校教師の養成に従事、幼児教育に関する彼自身の理論を編み出した。」
(デューイ,1859-1952)「教師の訓練は、授業のテクニックや規律を教えることに留まってはならないと彼は主張した。それよりも教師は知識に対する自分の情熱を生徒たちに共有させ、彼らに知的好奇心を育てる方法を身につけるべきである。」(p73)
(F.デニスン・モリス)「学校教員の目標は単なる知識の伝達かもしれない。しかし、大学の教員は原理の理解へと学生を導かねばならない。」(p83)
(20世紀)「教育という専門的教養は心理学の発達に影響され、教職に関する『科学的』研究によって大きく進歩した。」(p89)
「生徒たちは自分たちの学校について当事者意識を大きく持つようになり、19世紀には禁止事項が多かった教室は、子どもたちが自分たちの作品を展示し、自分たちのものを保管し、季節の装飾を施す部屋へと変わった。」(p90)
(ブーバー,1878-1965)「つまり、子どもたちは創造や経験の意図に関わりたいと思っている。この自発的な創造性には、教師との触��合いが必要である。教師は感化し、指導し、批評するが、教師の関与は控えめで対話的であるべきだ。」(p92)「ブーバーにとって、教育は自由と関連し、思想・信条の自由、表現の自由と結びついている。教師の役割は、概説や概論を押し付けることより、学習や調査・探査の手助けをすることだとした。ブーバーは教育学の細部にはあまり興味を示さず、教師がどう生徒にたちにアイデンティティ意識を与えるか、教師がどうすれば生徒たちが責任感と愛を持って行動出来るようになるかということに、より興味を示した。」(p97)
(リンドン B.ジョンソン)「われわれの学校制度の三つのRは三つのTに支えられねばならない。それは、優れた教師たち、近代的な教育テクニック、そして教育についての思索で、教育は私たちすべての計画と願いの第一歩だ。」(p111)
「教師や教育者はたゆまずに学ぶ喜びを共有して、生徒たちが身体的、経済的、社会的課題をなんとか克服するよう助力する。」(p166)
キーワード
話す、書く、記憶する、対話する、問う、答える、哲学
教育、家庭、哲学、教会、古典、活版印刷、女性教育、差別、人権、学校建築、戦争、恐慌
メモ
自分で考える、価値や権威を前提としない