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幕末維新以降の急速な近代化の中、対外戦争についてはなぜか失敗体験を持っていなかった当時の国民。
比較的広い視野を有するはずの文化人たちでさえ「行け行けドンドン!」な見識なのだから、我々のような一般ピープル庶民だったら、なんの憂いもなくバンザーイ!と叫んでしまうのだろうな。
コテンパンに負かされ、敗戦後の辛苦を体験してきた国の国民だからこそ、平和の尊さは今や当然わかっているはずだ。
戦争ダメ!ゼッタイ!
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予想通り誰もが閉塞感の打破に繋がる開戦の報に感激していた。埴谷は我が身が殺される日だと感じ、「自分達の責任を感じた」清沢洌は終戦までに病死した。私はこの身をこれからどう処すのかと自問する契機にはなる一冊。
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昭和16年12月8日。
この日、日本は戦争を始めた訳だけれど、そんな日に当時の知識人、著名人らがどんなことを思ったり感じたりしたのか、当時の日記や回想録から記事を集めたもの。
現代だと、Twitterのまとめサイト的なものになるのだろうか。
全部で54人(下は当時17歳の吉本隆明から上は78歳の徳富蘇峰まで)、プラス当時のラジオニュース(大本営陸海軍部発表、というやつで、開戦から日本の目覚ましい戦いの模様を伝えている)の内容が8本、それに太宰治の掌編が1本。
誰がどんな内容のことを書き残しているかは置いといて、殆どの人がこの開戦を「感動をもって出迎えて」いる。
ここには昭和16年12月8日に至るまでの経緯が記されていないが、近代史の本やネット、テレビなどで断片的に得た情報をまとめてみれば、さもありなん、という感じもしなくもない。
それでも「今日みたいうれしい日はまたとない」「ばんざあいと大声で叫びながら駆け出したいような衝動」「無限の感動に打たれるのみ」といった記述をみると、やはり奇異な印象を受ける。
もちろん、何名かはこの戦争に対して否定的な内容を書き残しているけれど、少数派と言うのも躊躇してしまう人数なのだ。
軍部や政治家ならともかく、当時の日本の市井の人々までが、こうも「戦争」を待ち望んでおり、いざ開戦すると「感動に涙する」人々がこれほどにも多かったのか、という事実に驚く。
でも……自分自身のことを顧みると、僕はこの人たちのことを悪く言ったり、笑ったり、「先見の明がないな」と批判したりすることは出来ない。
この戦争に至るまでの経緯や、戦時中の様子、敗戦、敗戦後の今、それらを既に知っているから奇異に感じるだけなのだ。
僕のような短絡的で思慮が浅く、おっちょこちょいな人間は、当時の日本に漂っていた拭い去れない雰囲気の中では、きっと「お国のためだ!」と意気に感じ、「天皇陛下万歳!」と叫びながら命を投げ出していたと思う。
そんなことを徒然と考えてしまうような読書体験だった。
本書は1時間もあれば読み終えてしまえるくらいの分量ではあるけれど、内容はそれ以上のものを含んでいると思う。
ああ、それともう一つ。
「開戦」当日の人々の暮らしって、意外と「普通」だったんだなぁと思った。
これから先、どんなに凄惨な状況が待っているのかを知っている身としては、とてつもなく悲しくなってしまう。
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著名人が当時開戦の報にどう感じたかが続く。開戦時のラジオ放送などの報道が時々挟み込まれ、リアリティを感じる。この辺りの編集は上手いと思う。高揚感を覚える人が多いのに驚いた。(え、この人が)と最初こそ驚いていたが、その視点を持つのは後の結果を知っているからであって不遜だと思い、途中でそうした視点を排除して読み進めた。啓蒙的な文章があるわけではない。しかし手元に置いて時々何かを確かめるように読みたいと思わせる一冊。
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太平洋戦争開戦のラジオ放送があった1941年12月8日午前7時。
吉本隆明の、鶴見俊輔の、岡本太郎の、中島敦の、火野葦平の、坂口安吾の、伊藤整の、古川ロッパの、中野重治の、井伏鱒二の、金子光晴の。室生犀星の、折口信夫の、高村光太郎の、松岡洋右の、永井荷風の。
名だたる人たちのその日のその朝の一言や日常の風景が淡々と連ねてあります。
「身が引き締まる」思いがしたり「ばんざあいと叫びながら駆け出したいやうな衝動」に駆られた人も「感動」し「慟哭」した人もいて「なすすべもなくじっと聞いているくやしさ」を感じ「厳粛な表情」となった様々な立場の人々。
正常値バイアスという言葉の本当の姿・怖さが感じられます。同時に、今の私たちのこの状況は大丈夫なのか自分たちの声を自分たちで蓋をしながら、見なくてはいけないものから目を伏せて見えているのに気が付かないふりをしていないか、とわが身を振り返る必要を感じました。
私が親近感を感じたのは野口富士男さん。
開戦を聞き「アメリカと戦闘状態に入ればアメリカの映画は見られなくなる」と思い妻子を伴い映画を見に行く。新宿昭和座でフィルムは『スミス都へ行く』。
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言論統制が厳しいイメージがあった開戦当時、誰もが口をつぐみ、静かに開戦を見守っていた・・・なんてことはなく、意外と多くの言葉が語られてた。しかももっと意外だったのは、国威発揚に近い発言が多かったこと。あの人も実は狂ってた?
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多くの人が、この戦争に明るい未来を感じていたことを意外と思うとともに、この時代を描いた小説やらマンガやらの様々な作品が、敗戦というその後の事実を知っているからこそ、「暗い未来への一歩」的に書かれるのだと思った。
「戦争は愚かなこと」と言える今の日本が平和で幸せなんだと感じた。
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太平洋前夜、開戦の報を聞いた著名人たちが書き記した当時の心情を列挙しただけの本です。主観を排して色々な人々の色々な文章を載せています。
当たり前ですが、開戦を意気揚々と受け入れ、あまつさえ泣いて感動する人(むしろ喜んでいる人の方が多い)、戦争に否定的な意見。2つに分かれています。
特高警察が絶大な力を持っている時代ですから、文面通りに受け取るのは早計というものでありましょう。致し方なく戦意高揚のための文章を記した人もいる事だと思います。
この文集で重要なのは誰が何を言ったのかという事ではなく、戦争なんて普通に寝て起きたら勝手に国が決めて、知らないうちに全員突撃という風になってしまうんだという事です。この中に書いている人達の殆どは緊張感なんてありません。
今のご時世も不穏ではありつつも、大丈夫だろうという意識をみんなが持っていると思います。でもある朝「戦争開始」というテロップが流れてもおかしくないのです。特に投票率が異常に低い昨今、意識的に戦争と政治という事を繋げて考えないととんでもない事になると思っています。
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太平洋戦争開戦日の日記などをまとめたものに当日のラジオニュースの書き起こしを付けたもの。年齢の若い順。
だいたいの人は意気揚揚としている(がフツーに灯火管制されてることに少し驚いたが、日中戦争は先に始まって続いてるから当然か)。まさに時代の変わり目を経験したのだ、との喜びも感じられる。
意外に感じたのは、一部の軍上層部の話。山本五十六は「一年目はどうにか保つが二年目からの勝算はない」(概略)などと近衛文麿に語ったようだ。勢力をちゃんと認識している。やはり馬鹿ではない。が「大命降れば従う、緒戦大勝利を挙げた後に政府外交手腕で」なんとかしてほしい、とか言ったようで、そこは資源を持つ米国に対しての戦略としては甘いんじゃなかろうか五十六。
一人ひとりの文は短いし文字サイズも大きいので、あっという間に読める。ただし旧字旧仮名遣いで文体も現在と異なるものが多いため、スラスラ読めないところもあり、少しは調べなきゃいかん。ただ、大事を起こしたときの世間の風潮がどうであったか、ということは知れる。厭戦な人は少ない(まあ当時の記事になったものは自己検閲してるかもしれんけど)。万人が一読すべし。
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日本が太平洋戦争に踏み切った瞬間、市井の人々や文筆家、思想家、芸術家、政治家たちはどういう思いでいたのか、当時の回想や日記をまとめたもの。
正直、びっくりした。かなり多くの人たちが、戦争を受け入れ感動し奮起している様子が見て取れた。反対派の方が圧倒的にマイノリティーだった印象を受けた。
その中でも、戦争を憂い、今後自分に起こるであろうことを悲観している岡本太郎と、メディアと自己の反省を感じているジャーナリストの清沢洌(はじめて知った)の言葉がとても響いた。
事後の批評や客観ではなく、当時の人たちの主観をそのまままとめた本著は、戦争考察の一端として非常に価値のあるものだと思った。
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昭和16年12月8日、朝のラジオニュースで国民は日本が戦争に突入したことを知った。
朝7時から夜9時までの8回のラジオニュースを挟み、その事実を日本人はどう受け止めたのか、著名人の日記等から読み解く。
掲載は吉本隆明(17歳)から徳富蘇峰(78歳)まで、年齢順。
若いからイケイケであるとか、歳を重ねた人が慎重論などということはなく、思った以上に閉塞感からの脱却を喜ぶ声が多かった。
「閉塞感」?
日中戦争の賠償を返納させられたこと、日露戦争でほとんど戦果を得られなかったことが、国民の閉塞感になっていたとしたら、これは明治政府の教育が行きわたったことの結果なのか。
それとも単純に、経済的な低迷が社会の閉塞感となっていただけなのか。
古川ロッパ コメディアン 38歳 『古川ロッパ昭和日記 戦中篇』
”十一時起こされる。起しに来た女房が「いよいよ始まりましたよ。」と言ふ。日米つひに開戦。風呂へ入る、ラヂオが盛に軍歌を放送してゐる。……それから三時迄待たされ、三時から支度して、芝居小屋のセットへ入ったら、暫くして中止となる、ナンだい全く。”
近衛文麿 元首相 50歳 『風説五十年』内田信也
”今朝はハワイを奇襲した筈だ。僕の在任中山本五十六君を呼んで、日米戦についての意見を叩いたところ、彼は初めの一年はどうにか保ちこたえられるが、二年目からは全然勝算はない。故に軍人としては廟議一決し宣戦の大命降れば、ただ最善を尽して御奉公するのみで、湊川出陣と同じだ、といつておつたが、山本君の気持としては緒戦に最大の勝利を挙げ、その後は政府の外交手腕発揮に待つというのが心底らしかった。それで山本君はそれとなくハワイ奇襲を仄めかしていたんですヨ。”
清沢洌 ジャーナリスト 51歳 『文壇五十年』正宗白鳥
”清沢は「けさ開戦の知らせを聞いた時に、僕は自分達の責任を感じた。こういう事にならぬように僕達が努力しなかったのが悪かったと、感慨をもらした。”
東條英機 首相 57歳 『東條内閣総理大臣機密記録 東條英機大将言行録』東京大学出版会
”予想以上だったね。いよいよルーズベルトも失脚だね。”
松岡洋右 元外務大臣 61歳 『欺かれた歴史 松岡と三国同盟の裏側』斎藤良衛
”三国同盟の締結は、僕一生の不覚だったことを、今更ながら痛感する。……世間から僕は侵略戦争の片棒かつぎと誤解されている。僕の不徳の致すところとはいいながら、誠に遺憾だ。殊に三国同盟は、アメリカの参戦防止によって、世界戦争の再起を予防し、世界平和を回復し、国家を泰山の安きにおくことを目的としたのだが、事ことごとく志と違い、今度のような不祥事件の遠因と考えられるに至った。これを思うと、死んでも死にきれない。”
夜になると灯火管制で街は暗く、けれど電車や自動車は灯りを消していなかったというのだから、高揚しつつも現実感はまだまだ乏しかったのだろう。(永井荷風はさすがに冷静に街の様子を描写している)
神聖なる国土をアメリカ兵に踏ませてなるものか、という決意を述べてい��人もいた。
解説の「始まりは、大々的には始まらない」もよい。
”とんでもないことになったとわかった時、わたしたちは、これはとんでもないことだ、と思わないようにする。これはいつもの毎日と変わらないのではないかと信じようとする。(中略)有事には、ひとまず日常が幅を利かせるのだ。”
これを「正常性バイアス」と心理学では言うのだそうで、巻末の太宰治の小説『十二月八日』は正にそのもの。
今回のコロナかで右往左往している私たちは、いつかこの日が来た時に、冷静に対応できるのだろうか。
考えさせられること多し。
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たまたま書店で手に取ってしまい即購入した作品。今と違ってインターネットもなく報道手段も限られているあの時代、何か不穏な予感はあったのだろうけど知らないうちに戦争が始まっていたその日についての作家、文化人、知識人による記述を集めたもの。開戦当日はラジオで何度か開戦の報道があったようでその都度に書かれたコメントをほぼ見開き一ページにまとめてある。もちろんいろんな人の意見であるので開戦の報に際して感動した、スッキリした、という人もいれば何故これを止められなかったのか、という人もいたりと賛否両論あるわけで本作の素晴らしいところはそれらを敢えて論評せずに淡々と載せていっているところ。後知恵というか結果を知った上で後世の我々が安易に批判をするのは簡単であるけれど本作品はそこが目的ではなく、言わば「なんとなくよく分かってないうちにとてつもなく重大な事態に直面していた」という状況を描きだすところにあったのでは、と思ったりした。その意味では一見平和に見える今だからこそむしろ考察のために読まれるべきものではないか、という気がした。非常に興味深い作品。