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『情報生産者になる』(上野 千鶴子著/筑摩書房)vol.473
https://shirayu.com/blog/topstory/idea/7365.html
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「自分があたりまえだと思っているところに情報は生まれない、あたりまえにならないような環境に身を置き、誰も立てたことのない問いを立てなさい」と著者はいう。
データ分析は、「外れ値」除く量的分析より、「外れ値」含む質的分析法が有効、この本にあるKJ法の説明はドキッとするほど、腹落ちする。
#情報生産者になる#KJ法#発想法#京都学派#うえの式質的分析法
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怖ええ!自分のしていることが何の価値もないということをガンガン怒られた感じ。適当な本の感想を書いていることが情けなくなった。
この本のメインは、論文の書き方。そういえば、卒論は書いていたものの、書き方って習ったことがなかったと思った。書き方だけでなく、司会の仕方やコメントの仕方も。この本を大学時代に読んでいたら、もう少しまともな研究ができたと思う(そもそもテーマ決めから)。自分って勉強してこなかったんだな、ってつくづく思う。
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自分自身がちょうど一つの論文を書き終えた時期に、本書を手に取り読み始めた。冒頭の「研究は極道だ」「学問は極道だ」というフレーズは、そこ時だからこそ身に染みた。
本書の表題は『情報生産者』になるとあるが、内容は自分が手間・暇かけて作り出した新しい知見を論文形式でまとめる方法を説明したものと言い換えられる。新書で380頁の量だから教科書1.5冊以上に相当するだろう。読者の関心がおよそ社会科学の範囲の領域に入るのならば、必読文献となる。大学院の入学前の課題、初年次科目や基礎的なゼミの導入に、本書を学生に課すことで、教員側・学生の双方がその後の学習時間を有効に使うことができるのではないか。
例えば、「答えの出る問を立てる」「手に負える問を立てる」「データアクセスのある対象を選ぶ」(p.41)といった現実的なコメントは、ゼミで初めて言われるより、学生はあらかじめ了解しておいたほうが良い点だ。またテーマと仮説をあれこれ考えている時期は、「同じ主題を異なる分野や異なる文脈においたときーあなたが予想もしなかった問と答えが、すでに登場しているかもしれ」(p.55)ないといった趣旨の指導は、早い時期に受けておきたい事柄の一つである。
私自身がこれまで進めてきた研究のスタイルが明確になった。それは仮説生成型(p.77)であり、よくわからない対象に、これは何か、何が起きているのか、という興味・関心でアプローチし、研究の過程で浮き上がってくるパターンである。実際に、直近の論文では結果が出た後、後半に表題と問いを固めた経験をした。
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タイトルから、このデジタル・ソーシャル時代の有意義なアウトプットの術を学べるかと思ったら、研究論文の書き方、ロジカルシンキング、クリティカル(批判的)シンキングの要素を足して内容を薄くした感じ。書き方も小難しいので読みづらく頭に入ってこない。
あとがきに、「本書のタイトルを『情報生産者になる』にしてよかった、と思います。『研究者になるには』とか、『論文の書き方』でもよかったかもしれませんが、本書はそれより広い情報発信者になるためのノウハウを網羅しているからです。」と書かれているが、まさに『論文の書き方』とかにしておいてくれれば手に取らずに済んだ。苦笑
(かと言って自分が論理的な構成で文章を書けるというわけではないが…)本書にもある通り、“コメンテーター”になってみた。
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論文の書き方の指南書。
昔読んだ『サヨナラ、学校化社会』(だったか?)で、上野さんが、生の現象から情報を作り出す力がこれからは求められる、といった趣旨のことを書いていた。
それにとても惹かれ、どうやってそれを実現するのか、知りたかった。
本書は、私にとって、積年の願いを叶えてくれるもの。
論文の書き方の大筋は、類書とも重なる部分が多い。
まあ、論文が型を持つ文章なのだから、当然。
教科書的に使うなら、用語の定義があったりなかったりするのが気になるかもしれない(定義がなく実例での説明に雪崩れていく部分もある)。
でも、言説分析の方法は、むしろ実例によって説明されたほうが分かりやすい。
どうやったら恣意的な分析にならずに済むのかということが幾分見えてきた気がする。
やはり一流の研究者の凄みを感じるのが、データ分析から情報化する部分だ。
ここまで手法をシステム化し、磨き上げてきたからこそ、あれだけの業績を残したのだなあ、と思う。
KJ法をさらに発展させた「うえの式質的分析法」。
やってみたいと思った。
まあ、やってみたら、やっぱりわからないことがどんどん出てきそうだが。
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高等教育以上の段階では、まだ答えのない問いを立て、みずからその問いに答えるべし。証拠を集め、論理を組立て、答えを示し、相手を説得する。消費者より生産者の方がえらい。何倍も楽しいし、やりがいと手応えもある。
いっぱい消費しているから、少しくらいは生産に寄与しなくちゃ、っと思ったくらいでできるものじゃないのですね。そうです。世の中に有為な人材を沢山育てた実績まさに教育です。
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必要に迫られて・・。
論文を書く必要のある方。研究者のための本。
なのか。
①オリジナリティとは何か。
今までにどんな問いが出て、
どんな答えが出たのかを知っていなければ、
オリジナリティは出せない。
そりゃそうだ。
②論文は結論先行型で。
③引用の仕方。
他人の考えと自分の考えを区別し、
その違いが分かるような書き方をする。
すごい人のすごい論文なんか(先行研究のため)
見ちゃうと、その文体などが乗り移っちゃう
っていうの、分かるなあ。
太宰治が好きで、太宰治みたいな
文体になっちゃう、っていうのと
同じかな。
でも、論文においては
文体がにているというだけで、
考えや研究していることが違うのであるならば
そこはよし、の範囲なのだろうか。
よし、の範囲であってほしい。
じゃないと全部借り物になってしまうではないか。
音楽や小説など、芸術的なことは難しいよね。
線引きできない。
ミスチルが好きだったら、どうしたって
作ったものもミスチルっぽくなっちゃいそうだもん。
ああいう分野で新しいものを作っていく
オリジナリティを出していく方々は
本当にすごいと思う。
論文は
9割借り物
1割オリジナル
でよいといった人もいるそうだ。
まあ、ほんのちょっと変えるだけでも、
十分に研究としては通用すると思う、
そのオリジナルな部分が
本当にオリジナルでなければならないのだろうが。
借り物、を自分の中で
どこまで消化するかも
大事だな。
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斬新な発想で時代を切り拓いてきた、上野さんの方法論。
参考になる点は多いし、剽窃禁止や訪問時の靴下など
教える側の常識からスタートしないのは、
やはり教育現場の人だな、と思う。
本の指導通りに、コメントを試みると
多くの人が情報生産者になろうとしている割には
共通のルールが普及していない今、こういう形で
実例を交えたテキストの存在意義は大きい。
ただ、議論の射程は学術的な論文、レポートを
書こうとする人。エッセイ的な内容をSNSで
書く人は関係ないかも。
また、梅棹、川喜多的なカード主義、
精緻化したデジタル技術を活用した、
令和バージョンは、本当にないのか?
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『情報生産者になる』上野千鶴子氏
1.購読動機
上野さん執筆の記事を通じて、
①どんな授業なのか?
②どんな思考なのか?
を知りたかったことからです。
そして、さらに
③情報消費→生産の変化に必要なことは何か学ぶためです。
2.結論
①なぜ情報生産者なのか?
ずばり、そちらの方が楽しいからと記載あります。
②どの分野で目指すのか?
自己の関心があること。
情報にリーチできること。
解決できる、回答に辿りつけること。
3.最後に
8割は、論文を書くに関することです。
しかし、上野氏がタイトルに情報生産者になるを選択したにはわけがあります。
それは、長年、学生にそのテーマで教えつづけた自負、そして今社会に必要とされるスキルだからです。
本。比較的に読むほうです。
こちらの書籍の日本語は『綺麗でした。』
それは、書き手上野氏が読み手を意識して執筆していることが後書きからも読み取れます。
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研究のしかたをきわめて具体的にノウハウ開示してくれている本。すみっコぐらしの中高年でももしかしたら今からでも情報を生産できる人間になれるんじゃないかと、目がひらかれる思い。
ちゃんと勉強してこなかった自分にとってとてもためになった。
P009 もはや勉強ではなく学問(学んで問う)ことが必要です。つまり正解のある問いではなく、まだ答えのない問いを立て、自らその問いに答えなければなりません。それが研究(問いを極める)というものです。
P016 情報とは、システムとシステムの境界に生まれます。複数のシステムに股をかけたり、システムの周辺に位置したりすることは、情報生産性を高めます。
P022 その分野で何が問われてきてどこまでが明らかにされているかというreview essayは研究の前段階にすぎません。
P023 情報が相手に伝わらない責任は、もっぱら情報生産者にあります。もし誤解を生むとしたら、その責任も専ら情報生産者にあります。その点で研究という情報生産の特徴は、詩や文学のような多義性を許さない、という点にあります。
P025 わたしは学問を、伝達可能な知の共有材と定義しています【中略】わたしは研究者を、アーチストよりはアルチザンだと考えています。
P037 情報生産者が立てる問いは、第一に答えの出る問いです。(×「人生に生きる意味はあるか?」〇「どんな時に人は生きる意味を感じるか?」)
P065 批判はいつでも、後から来た者(late comer)の特権だからです。
P077 「キミの研究の仮説は?」と聞かれてうまく答えられなかったら「仮説生成型です」と答えればよいのです。
P093 時代区分を60年代、70年代、80年代というように十進法で区分するのは最低です。時代区分には画期となるepoch-making指標indexを用います。
P102 問題が問題になるのは、現状に満足できない誰かが、それを問題と言い立てるからにほかなりません。ですから問題には必ず「宛先addresse」があります。
P124 「孤独死」に先立つ「孤立生」は家族のいないシングル男性問題とも言えますが、他人と交わらない、助けを求めないのは彼らの選択でもあるので、当事者が問題とみなさないことに「解決」が必要かどうかはわかりません。そうなれば、「孤独死」はますます「死ぬ側」の問題ではなく、迷惑をかけられる周囲、すなわち死なれる側の問題だ、ということになるでしょう。
P138 参与観察とは、その場に入り込んで同じような経験をしながら、観察の結果得られたデータをもとに記述する方法を言います。
P149 研究の時間とエネルギーの配分から言えば、研究計画書からデータ・コレクションまでがほぼ半分、残りの半分は分析と論文執筆に充てる、つまり情報のインプットに1/2、アウトプットに1/2くらいのつもりでいたほうがよいでしょう。
P136 言語情報には、1)語(Word)2)言説(discourse)3)物語(narative)の3つの次元があります。【中略】言語情報とは言説の集合、それを文脈化して物語を紡ぐのが「論文を書くということだといってもかまいません。なぜなら論文とは言語作品だからです。
P170 のちに脱文脈化するために、情報をユニットに分解すること。これを情報ユニットの生産と言います。【中略】1時間半から2時間の面接調査で生産される情報ユニット数は100から150、話が弾んで情報量が多いなと思っても200が限度です。
P193 およそ100から150ユニットの情報処理の結果、得られるグループ数の経験則はなぜだか20から30内に収まります。おそらくそれが、目と手で情報処理する人間の身体的限界なのかもしれません。
経験則とは面白いもので、なぜそうなるかはよくわからないが、何度やっても結果的にそうなる、という傾向のことを言います。社会学にはインフォーマルグループについての小集団研究がありますが、なぜだかその最大サイズは15人、それを越すと集団は二つに分解する傾向がある、とわかっています。
P240 研究のアウトプットとは、根拠に基づいて発見を示すことですから、基本は結論先取り、AはBである、なぜならば・・という書き方をします。【中略】論文のコミュニケーション技術とは説得の技術であって、共感の技術ではありません。
P287 「しろうとにわからないことは、くろうとにもわからない」説明不足や論理の飛躍、過度な一般化などは、どんな読者にも見抜けます。
P291 内在的コメントと外在的コメントとを区別するのが役に立ちます。【中略】外在的コメントには「あれがない」「これが触れられていない」というものがありますが、いちいちまともに取り合う必要はありません。「あれがない」とは、翻訳すれば「オレの知りたいことが書かれていない」と同義のことが多く、それってあなたの問いでしょ、あなたの問いに私が答える責任はない、と言い放てばそれでよい。裏返しに言えば、コメンテーターとは、まず論者の立てた問いを共有したうえで、その問いの射程の中で、よりよい答えを出すお手伝いをする役割です。
P297 コメントは、コメントする側と受ける側、両方に立つことが大事です。
P300 ディフェンス力とは、自分の主張を通すためのスキルです。適切なコメントならありがたく採用したらよいし、そうでなければ反論し、場合によっては突っぱねる・・当たり前のことです。これもまた場数を踏むことによって培われる能力です。
P361 読者には正統な読者と非正統な読者とがいます。正統な読者とは、その人に充てて読んでもらいたいストライクゾーンど真ん中の読者。非正統な読者とは、直接宛先にしたわけではないがたまたま立ち聞きした読者のことです。正統な読者がどんなに少数派でも、読者の宛先が鮮明に見えているほど、非正統な読者もまた「立ち聞き」から心を動かされる・・書物とはそういうものです。
P368 無能なあなたもプロデューサーになれます。有能な誰かを使う能力さえあれば。但し自分がほしいまだ見ぬものが何か、がわかっている必要があります。いわば夢を見る能力、それだけでなく夢を形にする能力と言ってもよいでしょうか。
P370 最後にプロデューサーになることを追加したのは、情報生産者は、同時に自分自身のプロデューサーでもなければならないからです。
P371 「まだ見ぬもの」とは、もともとその人の中に存在しています。それにかたちを与えてこの世に引���出すのが、教育者の役目です。
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同著 サヨナラ、学校化社会 (ちくま文庫) を読んだのがきっかけです。
私は専門学校でソフトウェア開発関連の勉強をしていました。
大学の様に研究をした経験が少ないので、この本を教本にさせてもらいたくて読みました。
サヨナラ、学校化社会 (ちくま文庫)では、著者の上野さんが実際に大学で講義した流れをそのまま解説してくださっていて、いいなぁ〜私も同じ様な講義を受けてみたいな〜と感じて、この本を読めて嬉しかったです。
図書館で借りて読んだのですが、買って手元に置いておきたいですね。
マグカップの横に置いておきたいぐらいです。
P281
誰が宛先か?
心にグッと来た章でした。
私はWebで文章を書いています。
誰に読んで欲しいのか、誰に宛てて書いているのか?が定まらないまま、自分が調べたことを書き並べている時に文体も構成もぐちゃぐちゃになることが悩みのタネでした。
20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)
古賀史健
→10年前の自分に向けて書くか、たった一人の特定の人に向けて書く。
いますぐ書け、の文章法 (ちくま新書)
堀井憲一郎
→基本は相手の身になって書け。
こちらも参考になりました。
上野さんは”自分の理解者でもあり、もっともきびしい批判者でもある読み手を想定しましょう”と書かれていて、妙に腑に落ちました。
そっか!
こちらの想いや意図を受け取ってくれる優しさがあって、批判で応援してくれる。
そういうイメージを持ちながら書けたら嬉しい気持ちがする!確かにそんな気持ちで書ける!
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具体的な方法論の部分はカスタマイズする必要はあるけれど、基礎ゼミや特別研究(卒論)の導入時に使うといいかも。
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情報生産者、新しい情報を世の中に示す者になるための具体的な方法が1から10まで書いてある本でした。本当の意味で情報生産者になろうと思ったらここまでする必要があるんだな...と敷居が高く感じてしまいました。
論文を書く人、研究する人には良い本だと思います。
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情報はノイズから生まれる。
ノイズとは違和感、こだわり、疑問、ひっかかりなど。
当たり前を当たり前だと思うところにノイズつまり情報は生まれない。
情報には2種類ある。一次情報と二次情報。
一次情報は自分が経験したことや目と手で手に入れた情報のこと。
二次情報とは誰かの手を介して得られた情報のこと。つまりこの感想文も二次情報(セコハン)(second hand dataの略)である。
情報生産者になるには一次情報を発信しなくてはならない。つまり、論文において先行研究を、つぎはぎしてセコハンの絵画を描いてもそれは情報生産には値しない。論文に求められるのは一次情報。よって、論文はデータを集め、検討して、そこから何が見出せるのかを発信しなくてはならない。
その際に必要になる調査法などの記載があった。
大学の卒論を書く前などに読みたい本である。