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蹴る。底辺で這いずり回るようにしながらも生きることに執着しているような話でもなくて、ただ惰性で生きている、底辺で。そしてそこに付随する暴力、それ自体の得体が知れないカタルシスが諦念にまみれた人たちの悲しみのようですらあったが、ただその潔さというべきか、極限まで削ぎ落とされた言葉が小説にストイシズムを与えているように思えた。過剰な比喩を切り捨てることによってドライヴ感が生まれ、その奔流によって解放感が生まれる。物語は救いのないものなのに、読者はなぜか救われる不謹慎な作品。
PET。裸の中年男が高層ビルの上からペットボトルを投下して「来いよ来いよ」と言っている冒頭からして終末の気配が漂う。平凡そのものだった男が高層ビルに住むことによって暴力的ななにかに魅入られるようになりそれまでの世界が変わりゆく。その象徴としての肉芽種が高層ビルと呼応するように蠢く様も薄気味悪い。人も死ぬ。意味なんてあってないようなものだ。主人公が最後にたどり着いた境地、俺たちはどうせ死ぬ、なぜなら生きるに値しないほどの救い難いクズだからというべき無常を身に纏った怪物の断末魔がこちらをも蔑むように魂を抉っていくようだ。
ヘリックス・B。マイナンバー制度の施行に呼応するように国民全体を監視管理しようと目論む国家規模の闇と、その闇を生み出した若き官僚の怪物性。主人公は亡くなった友人の弟であるその男に結婚式のスピーチを頼まれたのをきっかけに、怪物の深淵を覗くことになる。徐々に明らかになるその男の実像は、まさに虚像のような概念を秘めていて、怪物の名にふさわしく、掴み所がない。そして彼の周辺には死がまとわりつく。読み進めていきながらこちらまで何かに感染していくような錯覚に陥る。思索を深めていく小説がそれ自体怪物のようですらあった。書き手もこの作品を生み出す過程で異常に張りつめられた緊張を狂気へとシフトさせたのかもしれない。悪夢が繰り返すような作品。
三編ともに我々が生きるこの世界が本当は紛争地帯なのだということを暗示している。何も気づかぬふりをして生きるのもまたある種の享受ではあるけれど、この作家のように深淵に踏み込んでしまうならば神曲地獄篇のように険しい道を歩むことになる。深淵を覗き込みすぎて怪物になってしまったのは書き手なのか、あるいは読者なのか。深淵のその先にある胸糞悪さを繊細かつ詩情で幻視する小説として志と決意に震わされる傑作。