投稿元:
レビューを見る
本書を読んで、メルカリが成功するべくして成功したということがよく分かった
優秀なチームの大切さが身に染みる、だからこそ、こういった起業家同士のコミュニティで色んな人と関係を持っていくことの大切さがよくわかる。
世界で活躍するサービスを目指して、日本では満足せず果敢にアメリカで勝負を仕掛けるシーンは痺れた。こういう人たちが日本でもっと増えていったら日本の未来は明るくなるだろうな
フリマとの戦略の違いにも触れていて、かつ各シリーズ毎に何をしていったのか、事業を拡大させていくことについてイメージが全くなかった自分にとっては、イメージがつくきっかけになった、学びの多い本だった。
大きく考えることの強さがよくわかった
シリコンバレーではこの比じゃないんだろうな、スケール感の大きさに驚きを隠せない
投稿元:
レビューを見る
2021.18
・1人ではビジネスは成功できない。志の合う仲間を見つけて一緒に進んでいけるか
・経験が豊富な人間には価値がつく
投稿元:
レビューを見る
ウノウの成功、優秀な人材の確保、増資も順調で面白みは少ない。
アメリカ進出も半ばなのか、中途半端な印象を受けた。
もう一度読むことはなさそう。
追記
もっと失敗談がみたかったというのが本音で、逆に言えばユニコーン企業をつくるハードルを下げてくれる良書。サイバーの藤田さんの本はめちゃめちゃ大変な印象を受けたので。
投稿元:
レビューを見る
ワクワクして貪るように読んでしまった
「新たな価値を生みだす世界的なマーケットプレイスを創る」
ビジョンドリブンをとても感じた
投稿元:
レビューを見る
2013年のメルカリの創業からの5年間の軌跡を綴った一冊。いわゆるスタートアップ創業期の苦労話が紙面の大半を割いて語られる。今では押しも押されもせぬ地位を確立したかに見えるメルカリも、幾度もの窮地をギリギリの「賭け」で勝ち抜いてきたことがよく分かる一冊。
個人的には、後書きに「起業はひとりの天才の仕事ではない」ともある通り、「仲間」の大切さを強く感じた(これは起業に限らないとも思う)。いかに頼れる仲間に助けてもらえるか、それが今後の自分の人生でいかに大事かがハラに落ちた感覚。つい一人でやれることを軸に考えてしまうので、この点はこれから継続的に意識していこうと思う。
投稿元:
レビューを見る
1.一度もサービスを使ったことはないけれど、ビジネスモデルとして気になってたので読みました。
2.日本人の生活構造を変えたアプリのメルカリがどのように創業されたのかが述べられています。メルカリは山田進太郎、石塚亮、富島寛の3名による共同創業者によって生まれました。発端は山田氏ですが、それを取り巻く環境の劇的な変化がとても面白いです。メルカリは最高のスタートアップを迎えたとは言えない状況でスタートし、上場してもなお不安定な状況が続きます。そのような中、どのような葛藤があったのか、どのように変化してきたのかが俯瞰して読むことができます。
3.スピード感が求められる現代企業の象徴を伝えてくれる本でした。最近の自分もこんな感じで常にやることが舞い込んできており、悩むことがあります。本書を読んでると毎日が休みのない戦いに明け暮れている様子が鮮明にかかれているため、焦燥感が伝わってきます。
ただ、現代における仕事はこうでなくては生き残っていけないことなのだと感じました。消費者の飽きが早くなってしまったことで
企業のプロダクト寿命は短くなってしまい、より多くの価値を提供しなければならない。そこの戦いに敗れて倒産するのがいわゆる「負け」ということです。改めて、現代の変化スピードの速さを痛感させられた一冊でした。
投稿元:
レビューを見る
メルカリという会社の創業ストーリーが詳細に知れる。
個人的にはメルカリではなく、途中で出てきたフリルの創業ストーリーが面白かった。
「スタンフォードに行った時に、新学期に中古品の売買が行われていたことから着想し、日本で子ども用品の売買を託児所で行おうと思った。しかし、託児所にヒアリングに行くと掲示板があるので、必要ないと言われた。そこで諦めず、若い女性がブログで中古品の売買をしていることを思い出し、そこに参入したらうまく立ち上がった。」
リアルで行われていることからの着想、ターゲットを絞ってヒアリングした時にニーズのなさを実感したが、諦めずに若い女性に絞ることでフリマアプリという大きな市場を作ることに成功した。プロダクトを作ることへの姿勢を問い直された。
ーーーーーーーーーーーー
スタートアップ企業の経営者は、預金通帳の残高が減っていく恐怖との戦いを余儀なくされる。メルカリはどうにか残高がゼロになる前にサービスを始められた幸運な一社だが、初日のダウンロード数はわずか400だった。
2月に会社を登記した直後には8人のエンジニアを確保して開発をスタートすることができた。だが、問題もあった。この時点では多くのエンジニアはまだ「本業」を持っており、すぐにコウゾウにかかりきりになるわけにはいかなかった。比較的自由に動くことができるのは平日の夜間と週末となる。だが、このままでは十分な時間を確保できない。困った山田と富島は一計を案じ、?奇策?を思いついた。皆が休みの週末に働けばいい──。振り返ってみると驚くほどシンプルなアイデアだが、半年ほどの間は「土曜日稼動、月曜日休業」というのがコウゾウの公式カレンダーになった。
この時期には手痛い失敗もあった。アプリの開発言語に「HTML5」を採用したことだ。
この少し前のことだった。開発の中核を担っていたエンジニアのひとりが山田に退職したいと伝えた。
スタンフォード大学に足を運ぶと、広々としたキャンパスのあちこちで中古品を売るためのチラシが目に入った。進学や進級の時期には売買のニーズが高まるためだ。白いコピー用紙に売りたい商品の情報と連絡先のメールアドレスを記してある。「地域を限定し、そこで売り買いが発生するような仕組みがいいのではないか」。起業を検討していた堀井はこう考えた。シリコンバレーで目にしたサービスのトレンド、そしてスタンフォード大で目にしたおびただしい数のチラシが原点だった。国内でこうした特定の場所で中古品を売買するサービスが必要とされているのはどこか。米国の大学は入寮者が大半を占めるので生活用品を売買するニーズが発生しやすいが、国内は事情が異なる。堀井たちが思いついたのは託児所や児童館を拠点とした子ども用品の売買だった。だが、本当にニーズがあるという確信はない。しかもイベンタップなどこれまでつくったプロダクトはことごとく鳴かず飛ばずだったこともあり、自分たちの「選球眼」への自信が揺らいでいた。いくら考えても分からないのであれば、聞くしかない。実際に託児所などに足を運んでみると目からうろこだった。すでにスタンフォード大で見たようなチラシが掲示板に貼ってあったのだ。プロトタイプを見せたお母さんたちも「もう掲示板でやっていますよ」という反応だった。事業として成立するか自信が持てず、規模拡大となるとさらにおぼつかない。フリーマーケットを意味する英語の一部をとって「Jumble」と名付けたプロダクトを開発しかけていたが、ぎりぎりのところで踏みとどまることができた。この経験がフリルで大いに役立つことになる。地域限定にあまり意味がないことは分かったが、かといって無制限にするのも不安がある。思案するなかでふと思い出したのが堀井のECナビにおける経験だった。2007年の入社当時、社内の大半がパソコン向けのサービスに向いていた。ところが、配属先は新入りの堀井を含めてもわずか4人の携帯電話向けサービスの担当部門だった。これを振り出しにほぼ一貫して携帯電話のサービスを担当する。途中から様々な携帯電話向けのサイトに広告を売り込む仕事を担当し、この経験を通じて若い女性がブログで中古の衣料品を売買していることを知っていた。「これだ!」と思う。ただ、以前の経験を通じて慎重さも身につけていた。当時は交流サイト(SNS)のミクシィを使って服やアクセサリーを売っている若い女性が多かった。そうした人を見つけては片っ端からメッセージを送り、話を聞いて回る。メッセージの送信回数があまりにも多くスパムに認定されかける場面もあったが、大量のユーザー調査がフリルの基盤となった。開発中のアプリも想定するユーザーに見せ、実際に出品の操作を試してもらう。どこで手の動きが止まるか、どこが分かりにくいかをあぶり出し、徹底的に直していった
先行したフリルにとっては、読者モデルのブログへの書き込みといった口コミがダウンロード数を伸ばす切り札になっていたが、後発のメルカリの戦い方はまったく違うものだった。インターネット広告に多くの資金を回し、それによって赤字が膨らむことへのためらいはなかった。
黒ウィズがヒットした要因を尋ねられた馬場はテレビCMの効果について熱心に語った。まずインターネット広告を使って累計ダウンロード数を100万単位まで増やし、その段階でCMを流す。CMの最後でダウンロード数を示すとユーザーの拡大を加速できる。こんな説明だった
証券会社出身でミクシィのCFOも務めた小泉が入社したことにより、どうにか体制が整った。だが、当時はスタートアップ企業のテレビCMは珍しく、あったとしてもゲームがほぼすべてだった。フリマアプリのCMを流し、ユーザーを一気に獲得することが可能なのか。前代未聞の大勝負が始まろうとしていた
「インターネット業界には7〜8年のスパンで大きな波がやってくる。1990年代後半のヤフーや楽天、2000年代半ばのミクシィやグリー、次はメルカリやアカツキだ」
ミクシィは日本のSNSの代表格となったが、実はこの分野で先行していたのはグリーだった。後発のミクシィは追撃に向け、一足早く安定的な成長軌道に乗っていた求人サイト運営事業からの収益を、集中的に投下した。プロダクトの力はさることながら、資金力の差で勝った──。こう痛感した。
「無事に入金されていました」���2014年3月31日、小泉はメルカリの管理部門をみていた掛川から連絡を受けると、即座に博報堂の担当者に連絡を入れた。「話を進めてください」
然、CMでも目に見える違いである「オールジャンル」を訴えるのが王道だが、このときのメルカリの考え方は違っていた。「トレンドセッターの20代、30代の女性をまず動かしたい」。小泉は社内で説明した。当然、フリルの「得意客」を一気に奪いにいく思惑もあった。
映したCMには「メルカリ」という、やや高い声が特徴的な早口のサウンドロゴが複数回にわたって入っている。これは多くの候補を用意し、そのなかから選んだものだ。コンマ一秒単位で違うものをつくり、博報堂の女性社員、友人や知人のツテを使って集めた20?50代の男女に聞いてもらい、反応をみて決めた
どうしたらいいか──。関係者が頭を抱えるなか、小泉は大和証券での経験を思い出した。証券会社では企業の新規上場をサポートするにあたり、「上場審査資料」をつくって社内に回すプロセスがある。これを応用できないかと考えたのだ。小泉が急いで用意した資料にはこうした項目が並んでいた。会社概要、強み、弱点、リスクファクター……。上場審査資料の項目を踏襲したものだ。
メルカリは資金調達とテレビCMの放映を予定していたが、ひとつ欠けているピースがあった。顧客サポートだ。山田進太郎がウノウでヒットさせたソーシャルゲーム「まちつく!」にしても、小泉が5年半ほどを過ごしたミクシィにしても、ユーザーの満足度という点で大きな役割を果たすのは顧客サポートだった。
小泉も退社後に社員の離脱が相次いでいると聞き、心を痛めた。「プロダクトが強い会社はその成長が組織をけん引していく。自然と組織がまとまるので楽といえば楽だが、逆にプロダクト任せになって人や組織に向き合いきれていなかった」だからこそ、求心力を高め、維持するための支柱としてミッションとバリューをまず決めておきたかった。
ミッションとバリューの発表がこの「社員合宿」の目的だった。会議室に集合した社員にミッションとバリューを伝えるとともに、これをどう行き渡らせるかについても説明した。ミッションの浸透は経営を率いる山田が担当する。「大胆にやろう」は米国展開を担うことが決まっていた石塚、「すべては成功のために」は管理部門の担当として人事や組織づくりを担当する小泉、そして「プロフェッショナルであれ」はプロダクトをみていた富島を「担当役員」とし、常に意識して言葉や行動で示すことにする。標語を刷り込んだTシャツをつくり、しばらくしてから構えた自前のオフィスでは会議室の名前などにもやはりこうした言葉を採用した。会社で配るミネラル水にもミッションやバリューを記し、あらゆる場面で刷り込もうとしている。「迷ったときはミッションやバリューに立ち返って判断しよう」というのが経営陣の一貫したメッセージだ。そこには、メルカリというプロダクトではなく、実現すべき使命や重視する価値観を求心力としたいという考え方がある。
2016年2月、女性には産前10週と産後約6カ月間、男性には産後8週の給与を全額保障する制度を導入した[3]。実はこのころ、小泉が第一子を授かっている。こ���経験を通じて「育児の負担は生半可ではない。なんとかしたい」と痛感し、スタートアップ企業としては破格のサポート体制になった。ただ、この制度を導入しても「本当に公平か」という疑問が残った。さらに議論を進めるなかで浮上したのが、不妊治療への支援だった。約5カ月後に追加した制度では保険適用の不妊治療を受ける場合、本来は本人が払う治療費の3割を会社が負担することにした。保険適用外でも治療費の7割を会社が払い、本人負担は3割とする。期間は治療開始から10年間、所得制限や年齢、回数の制約を設けず、こちらも太っ腹な仕組みといえる。おおっぴらにはしていないものでは、恋愛・婚活アプリの利用補助といったものまで制度に加えている。このほかにも、子どもが病気になって臨時で保育施設やベビーシッターを利用した際の費用を補助する病児保育費の支援では、利用時間の制限を外し「使い放題」とした。出産や育児と並ぶ一大ライフイベントである介護に関しては、最大3カ月間にわたって休業中の給与を全額保障する
石塚は複雑だった。当然、自分で続けてやりたいという思いはあるものの、十分に結果を残せていないことも理解している。この場で結論は出ず、翌週の経営合宿に持ち越された。