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しんしんと降り積もる雪のように、静かで、穢れのない、無垢な世界が広がっていた。ページをめくる度、その真っ白な世界に、さく、さく、っと音を響かせながら足を踏み出すような感覚がずっと続いていた。切ないでも苦しいでもない無の感情が湧き上がる。
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立体的な詩を読んでるみたい、アートを見ているみたい。
途中で紙の質が変わるなんて粋。紙はすべて白だけど、いろんな白がある。五感で楽しめる作品。
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『82年生まれ、キム・ジヨン』で韓国文学に興味がわいたので、@mountainbookcaseさんが紹介していて気になっていた『すべての、白いものたちの』を手にとってみる。
短編集というかエッセイ集というか全編、美しい詩のような作品。美しいといってもオシャレな美しさではなく、静謐で哀しみを湛えた美しさ。何枚か掲載されている写真(Douglas Seok とクレジットされている)のような、コンクリート打ちっ放しの、ガランとした、殺風景で無機質な冷たいモノトーンの美しさ。
@mountainbookcaseさんが紹介していたのは「タルトック」と「白い石」の一節なのだけど、特別な言葉は使われていないのに妙に心に残っていた。適当にページを開いて読んでみるとどのページも何かしらが心に残る。
一気に読み飛ばしてしまうのが惜しくて、一日に数ページずつ、大切に読みました。
韓国語はまったくわからないので、文章の美しさ、力強さに、斎藤真理子さんの訳がどれだけ貢献しているのか判別できないが、ハン・ガンという作家の作品をもっと読みたいと思う。
5種類の紙が使われていたり、天(ページの上の部分)が切り揃えていなかったり、装丁も静かに凝っている。
表紙の写真はベビー服だと思うが、生ではなく死を象徴しているところに愕然とする。
以下、引用。
これを書く時間の中で、何かを変えることができそうだと思った。傷口に塗る白い軟膏と、そこにかぶせる白いガーゼのようなものが私には必要だったのだと。
ひばりによく似た声の鳥が鳴き、鬱蒼たる樹々が無数の腕と腕をさしかわしている小道に沿って歩いていくうちに、気がついた。つまりこれらのすべては一度、死んだのだと。この樹木、鳥たち、路地も通りも、家並みも電車も、そしてすべての人々が。
霜がおりはじめるころから、陽の光は少し青みを帯びてくる。人々の口から白い息が漏れてくる。木々は葉を落としてしだいに軽くなる。石や建物など固いものたちは、微妙に重くなったように見える。
ひたぶるに雪片は舞い散る。
街灯の明かりがもう届かない、真っ暗な虚空に。
語ることを持たない黒い木の枝の上に。
うつむいて歩く人々の髪に。
生は誰にも対しても特段に好意的ではない。それを知りつつ歩むとき、私に降りかかってくるのはみぞれ。
洗い上げてきっぱりと乾いた白い枕カバーとふとんカバーが、何ごとか話しているように感じることがある。そこに彼女の肌が触れるとき、純綿の白い布は語りかけてくるかのよう。あなたは大切な人であり、あなたは清潔な眠りに守られるべきで、あなたが生きていることは恥ではないと。
いかなる苦痛も味わったことがない人のように、彼女は机の前に座っている。
さっきまで泣いていた人でも、今にもまた泣きだしそうな人でもないみたいに。
打ちのめされたことがない人であるみたいに。
我々は永遠を手に入れることができないという事実だけが慰めだった日など、なかったように。
壊れたことのない人の歩き方を真似てここまで歩いてきた。繕えなかったところにはきれいなカーテンをかけて、隠してきた。訣別と哀惜は省略した。今までもこれからも、壊れたことはないと信じてきた。
私の母国語で白い色を表す言葉に、「ハヤン(まっしろな)」と「ヒン(しろい)」がある。綿あめのようにひたすら清潔な白「ハヤン」とは違い、「ヒン」は、生と死の寂しさをこもごもたたえた色をである。私が書きたかったのは「ヒン」についての本だった。
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作者が生まれる前に女の子が生まれていた。この世に二時間だけの生を受けて亡くなった。この話を作者は母親から聞いて育った。タルトック(月のように丸い餅)のような赤ちゃんだったという。この本はエッセーであるが、詩集でもあるようだ。白(흰)にまつわる、その赤ちゃん、언니(姉)にまつわる詩から始まる。
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冒頭にハン・ガンはこう書いている。
「白いものについて書こうと決めた」
その言葉通り、彼女が思う白いものが次々と語られてく。
雪、霜、霧、白樺、白夜、笑顔、病気、生、死。
様々な白い紙で束ねられたこの本のように、
幾重にも重ねられた白い言葉たちの痛みと光。
いつかこの本を抱え、
真っ白な雪原の中吐く白い息を見つめられたらな。
すべての本好きな人の書棚に。
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真っ白な喪の話。白という共通項で変奏される様々な白いものたちは、互いに互いを喚起させ合う。ポーランド の街に重ね合わされた私と姉さんの身体。「生き延びた古い柱や壁が、その上に積まれた新しい壁や柱とふしぎな形で抱き合っているーーそんな形で生きてきた人。」もうここにはいない誰かと生きるために、自身の肉体のうごめきと損なわれない部分を探る。生きてほしいと声をかけること、この身の内に未だ存在してほしいと願うことは、ひとつの喪のあり方なのかもしれない。
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書店で手に取ったとき、最初の数ページと「ドア」を読んで衝撃をうけて思わず購入したのだが、読むのに覚悟が要るような気がして長らく積ん読していた。
読む時の体調や心境で全然ちがった受け取り方をしてしまう詩集みたいな本だった。
日常の泥臭さとか現実を引き倒すような感じではなくて、何歩も引いた目線と時間軸から語っている。阿弥陀如来が3メートルから5メートルくらいの上空から生き物を見下ろしてる感じ。著者の方は仏教徒なのだろうか。何も信じていないとも書いてあったけど。仏教的ななにかを感じる。
それから5種類の紙で印刷されてるのは何故?バラバラの日記や断片のようなものだから?特にP113からP160までは真っ白なページが挟まれているのは、もっとも象徴的な白、漂白された象徴としての白を描いた部分だからだろうか。あまりにも真っ白だからそのあとに続く結婚式で他界している親へ向けた白い衣装を燃やす節や、いたかもしれないお姉ちゃんの節がくると突然暖かくて驚く。ここがようやく「あたたかい血が流れる」っていう部分なのかな。生まれ壊され再生し、復活するそういう道筋をを辿る本だった。
つきたての餅や炊きたての米、白菜のいちばん奥のあかるく白いところがどんなものだか直感的にわかる文化圏に育ってこの作品を読めてよかった。
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この本を読んでいる間、誰かの中を漂っているような気持ちになれる。あたりの白さ、手元の白さ、暗がりの明るさ、真っ白な中に浮かんでいる私がいる。
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一つの節が長くて4頁程度。でも、1節読むごとに一息いれたくなる。動いた心をしばらくそのままにしたくなる。文の連なり、描写の連なり、思いの連なりが美しい。訳文に使われる言葉も美しい。作者の思いが静かに伝わってくる。
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微妙に変わっていく白い紙たちに手伝ってもらいながら色々な白い情景に静かに包まれ、何とも言えない不思議な感覚が味わえる。悲しさを感じたのに癒されたんだ、と後から気づく詩のような本。
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今求められているのはこういう世界なのか…とても繊細で個人的。他人事なのだけれど想像力で入り込める。白いものがこんなにも溢れている、韓国という国の文化。やはり近くて遠い国。
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紙好きにはたまらない装丁の本でした。
表紙のモノクロ写真。産着の白さが放つ哀しみ。(読むと分かるのだが…)
見返しも前と後ろでは紙が違う。本扉の前に挟まれた小さな紙、本文も何種類もの紙に綴られている。純白に何らかの別の色がほんの少し混じった感じの白。オフホワイト。その色合いも手触りも違う、さまざまな表情を持った白い紙たち。
紙を撫でながら読んだ。
「白いものについて書こうと決めた」から始まるこの話。おくるみ、うぶぎ、しお、ゆき、こおり…白いものを取り上げながら、その白に別の色がほんの少し混じるようにハン・ガンの想いが混じり、哀しみが漂う。
あとがきを読んで納得した。
「私の母語で白い色を表す言葉に『ハヤン(まっしろな)』と『ヒン(しろい)』がある。清潔な白「ハヤン」とは違い「ヒン」は、生と死の哀しみをこもごもたたえた色。私が書きたかったのは「ヒン」についての本だった。」とあった。
すべての白いものたちの中に、祈りを求めているように感じた。
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最近、思っていた事
誰にも言えてなかった事
それをこの本の中で見つけた時
とても嬉しかった。
それから、私もそうだ、
そうしなければと気づかしてくれた時嬉しかった。
長年、連れ添ってきた感覚と向き合い、
それを、大切に包んだ本。
何度も涙が出そうになった。
不思議とバラバラに出てきたそれらが、読む側の頭の中でも重なって、形にできないその感覚を見せてくれる。
何度も泣きそうになったのに、刹那さや苦さや寒さがあるのに、最後は温かい愛を感じる。
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周りを薄氷に覆われているような冷たさを感じながら読み続けた。異なる紙の手触り、文字、すべてが「白」を構成していた。二階堂奥歯の『八本脚の蝶』を思い出した。
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韓国を遠く離れ、ワルシャワで〈白いものたち〉に思いを馳せる「わたし」は、いつしか母が産み落としてから2時間後に亡くなった〈姉〉が生き得たかもしれない時間を、自分自身のそれと重ね合わせてみる。シルトックのように綺麗な顔をして、白いおくるみのなかで息を引き取った〈姉〉。さまざまな白の白さに関する断章からなる、散文詩のような祈りの物語。
戦争の傷をそのままに遺す冬のワルシャワの空気を吸いながら、故郷と歴史、出会うことのなかった〈姉〉と母を哀悼するという、何層にも折り重なった連想を〈白さ〉というキーワードでまとめている。「わたし」と「彼女」の物語は同じようで少し違う。あなたが生きていたらきっとわたしはいなかった、と思いながら顔も知らない〈姉〉を思うとは、粉雪を頰に受けるような感触のある経験なのだろうか。 断章形式で語られるエッセイとも私小説ともつかない物語は、雪のように降り積もり、溶けていく。
実際の作者がどのような方かは知らないし実像と関係もないが、「すごく痩せている人の書いた話だな」と思った。読者の私が想定する〈モデル作者〉として、細い手首をした姿勢のよい女性の姿が浮かび上がってくる。