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今までに読んだ農業の経営論というか、資本主義的に見た農業というか、そういった内容を語る本たちとは、また違ったアプローチで中々の文章量だが楽しく読めた。
これを読んで、「そんなわけないだろ、調べてみよ」って思った人が農業従事に向いているという話には、個人的な同意をしたい。農業知識だけではない、土壌や農薬などの化学的知識や、政治や経済などの社会的知識をつけてこそ、その地域の農業の現実を知ってこそ、うまく農業がやれる可能性が上がるのだと思う。戦うための武器、それは農業知識だけではない。
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いろんな農業に対する批判集。大筋としては適切だと思うが、細部はツッコミどころ満載で、上から目線おじさん臭が満載。たとえば、パソコンで仕事の自動化は一部の企業でしか進んでないとか、え、20年前の話? 農家になった時代のままだと思っているのだろうか。批判の割には提案はしょぼく首都を農業県に移すとか、それは誰にメリットがあるんだろうか。農協でスマホを販売するというのは確かに着眼点がいいと思うが、農協のメリットでしかない。とツッコミどころは多いが、中身は濃いので楽しめる。
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農業関係の新聞の書評で紹介されていたので、買って読んだ。とてもいい本でした。
農業に関連する仕事(農業ではない)をしている私は、農業に関連しない仕事をしている人から、「日本の農業はさぁ、もう少し、○○すればいいのにねぇ」とか言われることがある。そのたびに、”農家にもいろいろなバリエーションがあって、そんな単純な話ではないのになぁ”と感じつつも、はっきり反論できなかった。今後、そういうことを言われたら、この本を紹介すればいい。
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過去の分析が的確であると思った。世の中が誤解している部分を理解され、かつ正確に指摘している。未来への提言は少々微妙だが、読み応えがあった。
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農薬や遺伝子組替えなど、豊富な知識で語られていた。
ただ、文章が長過ぎたり、表現がネガティヴなトーンが多く、自分にとっては読むのがヘビーでした。
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長いし重いがファクトフルネス的な、新しい事実を教えてくれる。管理徹底されているからこそ農薬の危険性は少なく、思想で走る有機農法の方が体に悪い可能性があるということ。農業IOTは地域振興と矛盾する。進めば進むほど働き手が必要なくなり、過疎はすすむ。など。
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●「誰も農業を知らない」。衝撃的なタイトルだ。国民や政治家、専門家だけでなく、農家も農業を知らないと著者は言う。というのも、多様な作物や地域の農家を一括りにして農業を語れないということだ。一元的に農業改革を叫んでも、コメ農家ならできることでも、トマト農家ではできないことだってある。そういった事情を知らず、知ろうともせず農業論ぶっても農家には響かないのである。
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農業者の側から農業を論じた一冊。
農業論で多いのは非農業系(ビジネスマン等)であり、的外れなものが多い、というのは同意できる。
そして、「適正規模」に着目して、野放図な大規模化はむしろ生産性を下げる等の主張にも納得できる。
そもそも大規模化に向いている土地は、既に住宅地や工場といったものに姿を変えているだろうに。それらを全て更地にして、新たに農地にするのだろうか?
細部において同意しかねる論もあるにはあるが、面白く読めた。
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ファーマータナカの本棚。
一農業者だったので、日本や世界の農業が気にかかる。
メディアを大手を振ってまかり通る、知識も経験もない論者達による定番の①大規模農業論②無農薬農業論③農業工場論④六次産業論⑤保護主義論を一刀両断、現場で感じていたことも多く説得力あり。
又車社会が既にそうなりつつあるように、旧態依然とした農業界も、あと20年で激変するとの筆者の予想が興味深い。
各項目につき、気になった点をアットランダムに記しておく。
①大規模農業論
日本農家は専業3割、アメリカ2割弱
適正規模を超えると所得増が困難になる
アメリカでも農地分散顕著で、かつ大型機械で効率はよくない
大規模程価格下落で赤字幅拡大破産する
②無農薬農業論
無農薬の対応は、目視でとる・農薬以外・何もしない(益虫にまかせる)
農薬の手間はかからない(水田用除草剤では袋を投げ入れるだけ)
農薬代は60~3000円/10a
③農業工場論
JFEライフ、カゴメ/黒字までに10年、ハイポニカ等成功例もある
オランダが見本とされるが、価格低下・新興国台頭・代替作物不透明の問題あり
④六次産業論
1品で大きな利益を叩き出す商品開発が必要
⑤保護主義論
僅かな負担で、耕作放棄地の拡大が食い止められる
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次々と気の重くなる「日本農業の真実」が突きつけられてくる。さすがに読むのが辛い。これでは「希望」が無い。
もっともそうであるからこそ、日本農業の従事者が平均年齢が60代後半という瀕死の状態に陥っているのだろう。
この誰もが見たくない「不都合な真実」を本書は赤裸々に語っている。しかし、これではやはり「解」は無いのではないかとの思いを持った。
本書も終章に「農業プラン」を提起しているが、どれも今ひとつ。やはり日本の農業の再生はなかなか難しいことを再確認したが、提起するからにはもう少し説得力のある解決策も欲しいと思った。
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川崎磯信さんの話は興味深かった。富山県民。
フィトンチッドは多くの虫に取って毒であること
大根おろしやワサビ等が生成するアリルイソチオシアネートや唐辛子のカプサイシンも毒であること
そういった植物が作り出す毒を人間は楽しんできたという事。
農薬は昔のような危険なものではないという事。
興味深い内容だった。
何かを読んだり聞いたりして鵜吞みにして自分で勉強を行わない者は農業以外も向いていないと思うよ。
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中学受験以来農業政策について考える機会が全くなかったこと、そして巷で耳にする農業論があまりに単純化されすぎているという著者の指摘に共感したため本書を手に取った。
著者の経験をもとに書かれており、政策の視点、農家の視点、消費者の視点をうまく使い分けて記述されている部分には説得力があり理解が深まった。一方で、低級な議論に対する反駁にページを割きすぎている印象もあり、おそらく個人的な不満も込められているのであろうが、読者からすると冗長に感じられた。仮想敵への反駁に多くのページを割き、最終章でようやく提言のようなものに帰着するが、それらは内容としても議論としても質の高いものではなかった。各項目の擁護にもう少し重点を置けばそれだけで随分マシになっていただろう。コンセプトには深く共感できるし貴重なバックグラウンドを持っているだけに非常に残念な印象。
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【感想】
素人は黙ってろ――
農業を現場から見てきた有坪氏は怒りを突き付ける。怒りの矛先は、農業の実情を知らないのに改善案を語りたがる論客と、根も葉もない思い込みをする消費者に対してだ。
思えば、農業は偏見に晒されている。
論客は日本の農業の現状を憂いながら、「より効率的な農業を」という自己哲学のもと現場感覚の無い農業論をぶつ。我々消費者も、手にする商品の価格に注目する程度であり、栽培過程における安全性や収益性を確保する仕組みについては理解を示そうとしない。
大勢が無知であるにもかかわらず、「農薬の害」といった悪いうわさだけが独り歩きし、農業は「利益率の低いお荷物産業」とみなされている。
本書はこうした偏見を真っ向から打ち砕き、「リテラシー」のレベルから消費者を教育しようとする一冊である。遺伝子組み換え作物の悪影響、大規模農業の問題点、農協不要論など、一般人が持つ「農業ってこういうものだよね」という偏見を取り上げ、解説を交えながら丁寧に実情を論じている。
その中でも特に力を入れて語られるのが「無農薬神話」についてだ。
例えば、農薬の一成分である「ピレスロイド」。
除虫菊に含まれる天然殺虫成分を「ピレトリン」という。ピレスロイドはピレトリンに似た化合物という意味であり、蚊取り線香の成分として用いられている。
しかしこのピレスロイドは、殺虫性能は高かったが、光に弱く、昼間に散布すると速やかに分解されて無毒化されてしまう。また、もともと哺乳類や鳥類には安全性の高い化合物だったが、魚には強い害があった。こうした理由から、かつては農薬として使い物にならず、蚊取り線香ぐらいにしか用途がなかったのだ。
しかし、度重なる研究と数多くの合成ピレスロイドの開発により、耐候性や魚毒性が劇的に改善された。今や見かけは同じでも中身は全くの別物であり、とうの昔に安全が確保されている農薬の一つである。
一方で、世間の人々はいまだに「農薬=危険、無農薬=安全」という神話を抱いている。
脱サラする新規就農者の多くが「無農薬野菜を作りたい」と言うが、無農薬であることが安全とは限らない。農薬の代わりとして使われる木酢液は、農薬以上に人間の身体にとって毒であるし、農薬を使わない農法(人間が手で害虫を取り除く、防虫効果のある機械を設置する等)は、いずれもコストが高く、費用対効果に見合わない。
筆者への「新規就農に向いている性格は?」という質問に対して「農薬を否定しない人」と答えるあたり、よほど農薬に無理解な人間に苦しめられ続けてきたのだろう。
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本書のタイトルである「誰も農業を知らない」という言葉の意味は、「農業はあまりにも複雑すぎて誰にも把握しきれない」ということである。
農業といってもそのジャンルは幅広い。大きく分けてもコメ、野菜、果物、花き、畜産などがある。野菜の中でも品種によって育て方が違うのは言うまでもない。
また、コメ農家といっても、北海道と新潟と瀬戸内海で���気候が違うため、取るべき対応が異なってくる。
農業は一言では語れないほど巨大産業なのだ。悲しむべきは、複雑化した農業において「委細を語れるほど」農業論が出来上がっていないことにあり、出来上がっていないにもかかわらず、「これからの農業はこうするべきだ」という訳知り顔の人間が多いことなのである。
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【本書のまとめ】
1 最新の農業事情
現在進行しつつある第二次農業機械革命には、ふたつの特徴がある。ひとつは自動運転。もうひとつは精密農業。
また、日本にはまだ普及していない技術として、遺伝子組み換えやゲノム編集がある。
遺伝子組み換え技術は一部の反対論者が声高に批判している(そのほとんどが農薬に関連する組み換え技術だ)。遺伝子組み換え作物は、まだ市場において影も形もなかったころから、安全性確保のための研究が進められてきた。また、環境への影響についても、元は作物であることの安全性を確保しながら、さらに入念な遺伝子変異リスクの研究が行われている。
にもかかわらず、反対論者の大きい声のせいで、日本の遺伝子組み換え作物の導入がもう20年以上も遅れている。
2 農業のイノベーションの歴史
戦後から現在までのあいだに、農業はさまざまな分野でイノベーションを経験している。
・品種改良
・栽培環境の整備
・化学肥料
中でも目覚ましく発展したのは農薬だ。
蚊取り線香の成分でもあるピレスロイドは、度重なる研究と数多くの合成ピレスロイドの開発により、耐候性や魚毒性が改善されて、とうの昔に安全が確保されている。
農薬は今やずっと安全な肥料なのだ。昔よりも費用対効果が上がり、散布量も減ったため、作物への残有量も当初の30分の1以下になっている。
見た目は同じ量でも有効成分は少なくなっており、毒性レベルも以前に比べて格段に低くなっている。そんな状況の中で、散布回数を減らした「減農薬作物」を選ぶことに意味はあるのか、再考する必要がある。
3 的外れの農業論
農業論をぶちたい人の多くが「農業にビジネス感覚を」とのたまう。しかし、ビジネス感覚を持ってやろうとしても、農業に使える経営資源はあまりにも少ない。特に足りないのは時間だ。
農業論者には大規模農業派、無農薬農業派、農業工場派、6次産業派、保護主義派など様々な論客がいるが、彼らの主張は「机上の空論」が多い。
●大規模農業論者
農業には一番効率の良い「適正規模」があり、適正規模を超えてしまうと所得を増やすことが難しくなっていく。需要が2倍になったとしても、工業製品のように直ちに生産数を2倍にすることなど不可能だ。
また、畑は飛び地で存在していることが多いため、規模を拡大しても作業効率が落ちる場合がある。大規模化することで作物を管理しきれなくなるというデメリットも発生する。
大規模農業の先進国であるアメリカでも同様の問題が起こっている。
●無農薬農業論者
単純に難易度が高い。農薬以外による病害虫の駆除や除草が、素人が思う以上に効果がない。
また、無農薬栽培は総じて手間ひまがかかり苦労の多い農法である。その分のコストを商品に上乗せしたとして、消費者が買ってくれるのか?
●六次産業化論者
六次産業化とは、1次産業としての農林漁業と、2次産業としての製造業、3次産業としての小売業等を組み合わせて新たな付加価値を生み出すことだ。農家が農作物生産だけをやるのではなく、農作物を使った加工食品を生産し、自前で流通させることで利益を得ることが期待される。
→そこまで複雑なことをするには、人材や時間が足りない。また、成功するには一品で大きな売上を叩き出す商品開発が必要である。(少量多品種だと儲けが少ない)
当然だが、プロだらけの業界で素人が一発当てるのは難易度が高いだろう。
●ハイテク農業論者
日本は気候が千差万別のため、立地している場所によって環境制御が必要になる。
また、施設農業、工場栽培は投下資本が高くつく。カゴメのトマト栽培やワタミの有機農業でも、何十年単位で赤字を垂れ流し続けた。潤沢な資金がある大企業でも黒字化に時間がかかるため、素人が気軽に手を出せるものではない。
4 農業の何が難しいのか?
農業が儲からない原因は、何よりもまず回転率の低さが挙げられる。回転率とは財産と比較してどれだけ多くのお金を一定期間に生み出したかであるが、農業は作物生産にかかる時間が長い割には利益が少ない。
日本が米ばかり作るようになったのは、米が1ヘクタールあたりの労力が一番少ないからである。多くの田畑を持つ大規模農家では、他の作物を作ろうとしても米より多くの労力がかかってしまい、仕事が回せなくなる。
そして、大規模農家ほど価格下落のダメージが大きいのだ。
それに対し、兼業農家・零細農家は赤字になろうとも市場から撤退しようとしない。稲作をやめて他の作物を作ろうとしても時間が足りず、本業に影響が出てしまう。だから多少赤字でも稲作を続けるのだが、その結果割を食うのは、価格負けする大規模農家だ。
結局のところ、農業と言っても一言ではくくれないぐらい複雑なのだ。しかし、各メディアや知識人はこぞって「日本の農業」という大きなテーマで話をしようとする。それが的外れになるのは当たり前のことだ。加えて彼らの大半は皮膚感覚(現場感覚)が無い。
この「現場を知らない外野の声」が、無能な農業論を生み出す。
例えばTPPについての是非。農作物の輸入を自由化し、市場原理にまかせれば、日本の消費者は現在よりも安価にコメを買えるようになるのは事実かもしれない(そこまで大きな値下げにならないが)。しかしその結果、大規模化しているコメの専業農家が退場して、新潟や秋田、そして北海道といったコメどころですら耕作放棄地が激増し、農村が荒廃するかもしれない。
そうした事実を知らずに、「農業にも市場原理を」と無責任なことを言い出す人たちがいる。
たかが数百円の節約のために日本中に荒地を増やすことがいいことなのか、再考してみてほしい。
5 新規就農
どんな人が新規就農に向いた性格だろうか。それは、「農薬を否定しない人」である。
農村では「農薬を危険だと考え、安全な農作物を作ろうとする農家」が一番嫌われる。それは、「農薬さえつかわなければ安全が確保できる」という、単純かつ間違った考え方をしているからだ。
そもそも、安全性について考えなければならないのは、毒性が強いか弱いかであり、農薬か農薬でないかではない。ニコチン液、木酢液といった「自然農薬」は、下手な農薬より遥かに毒性が高い。
また、農作物には本来人間が口にすると毒である成分も含まれている。そうした自然由来の防御性を取り入れた農薬も多く流通している。人間の身体にとって何を「危険な物質」と取るかは曖昧なのだ。
食の安全性を問題にするなら、
・防除に使う物質の、人間および環境に対する毒性の高低
・物質の使用量
・物質の分解速度が速いか、遅いか、どの程度残留するか
を気にするべきである。
端的に言ってしまえば、「無農薬=安全」と考えるのはやめるべきということだ。
6 21世紀の農業プラン
今後の農業はどうあるべきか?
農家も農協も農水省もやれる手は尽くしている。そのため、これまで通りの農業保護策や振興策を基本として続けていくしかない。そのうえで加えられるべきは、
・消費者にとって明らかにメリットのある遺伝子組み換え作物を優先して開発し、発売を実現させる→消費者の遺伝子組み換え作物へのマインドを変える
・兼業農家を育成する→新規参入のハードルを下げる
・残す集落とそうでない集落を選別して、山間部の集落を大胆に減らす
・農協の経済部門をアマゾン化する
等である。
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本書の始まりは、『「農業は手厚く保護すべき」派と「市場原理にまかせれば農業は強くなる」派の論争は、もう三〇年以上続いています』で始まる。実に攻撃的な姿勢である。農家目線というのが欲しいけど、どうもコンサルタントの目線が強いね。しかし、現場で上がっている声をうまく拾い上げているところはいい。私も、このような本を書きたいと思っていた。
農水省は、「強い農業」を語っている。それは、市場原理にまかせればという立場ではない。基本的には、大規模農業を志向している。
確かに、六次産業化、アグリテックを使ったハイテク農業を目指している。
筆者のいう「農業はあまりに多様」という指摘が正しい。気候、地理的条件、土壌の条件、品種、栽培条件、施設なのか路地なのかなど実に様々ある。それを一律的に、農業は、〇〇だとは言い切れないのに、勝手に決めつける傾向があるのは、農業を知らないから起こるのだろう。
簡単に言えば、農業にそんなに関心がないのだ。そして、関心がある人でも、農業の現場に行ってなかったり、そんなにたくさんの現場を見ていないのだろう。農業者においても、あまり農業本が読まれないし、情報がわずかな中で、農業の限界を感じているのかもしれない。
「誰も農業を知らない」というよりも、「誰も農業を知ろうとしない」ということであり、農業者も情報を発信しないということだと思う。
遺伝子組み換え技術、そしてゲノム編集に関しては、筆者とほとんど同意見である。「カルタヘナ議定書」(2003年)に基づいて作られ、認可されている遺伝子組み換えに関しての植物は、世界で、ダイズの80%、トウモロコシの30%は、遺伝子組み換えとなっている。科学的に見ても、害はない。ゲノム編集は、さらに問題がない。どこに問題があるのか?日本では、遺伝子組み換えを受け入れない気風があることは確かだ。たんに好き嫌いの問題だと思う。花粉緩和米は、早く開発されたので、実用化すべきだと思う。現在売り出されている高ギャバトマト「シシリアンルージュハイギャバ」も、興味がある。
日本のオフィスにパソコンが導入されたスピードと農家に田植え機とコンバインが導入されたスピードでは、農家の方が早く取り入れているという筆者の指摘は確かにそうだ。そのことによって、人手がかからなくなり、兼業化が進んだ。そして、家族が行うには、適正規模があるという指摘も最もだ。大規模農家ほど、倒産しやすい可能性を潜在性があるという指摘も正しい。
とりわけ、単一作物で大規模化することによって、価格が下落すれば大きなダメージがある。少品種大量生産は、時代に合わなくなってきている。多品種少量生産を組み立てて、規模拡大するのが農業者の生きる道である。「農家にビジネス感覚がない」「農業にマーケティングがない」という指摘は、あくまでもの農作物の販売について、農協を通している限りでは、当たっていると思う。販売を農協が引き受けているからだ。だから、農協において、ビジネス感覚とマーケティングはもっと必要だろう。農協に販売委託しない農家は、ビジネス感覚もあり、マーケティングもしている。常に、儲かるものを追いかけざるを得ないからだ。
ただ、これはコメ以外の作物を扱っているところは、農協も積極的だ。コメをベースにした農協は、かなり厳しいだろう。農家の問題は、自分の作ったものを自分で価格を決められないことにある。
「農薬を否定する人は農業の適性がない」というのは、少し厳しすぎるなぁ。まぁ。農薬を使わないで農業する人もいていいと思う。自然農法は、農薬を使わないと言って、食用酢や木酢などを使っていたら、自然農法と言えないと思うけどね。牛肉を食べたくないと言って、フェイクミートを食べてる感じがある。別に肉味を求めなくてもいいのでは。
六次産業化に関しては、農家では無理だ。筆者のいうように人材不足は明らかだ。そのようなスタッフや技術をどう習得するかということだ。六次化といって、特色のない漬物を作っても、そんなに売れないよ。確かに、机の上で計画されている。
著者の21世紀農業プランについて、①遺伝子組み換え作物の栽培。②兼業農家の育成。③東京一極化から、官庁移転せよ。④海外市場は開拓可能。⑤辺境過疎は選別せよ。⑥農協の経済部門は、アマゾン化せよ。⑦地元優秀農家育成。⑧農業経済学入らない。⑨学校給食予算を増額。と言っているが、なぜかプライオリティがあまりはっきりしていないなぁ。ちょっと、トリッキーな感じがする。読者向けリップサービスかな。遺伝子組み換えが、第1番には来ないでしょうね。農協のアマゾン化はおもしい。農協はアマゾンと契約結べばいい。
私のプランは、①多品種少量生産農家を育成する。②地元で消費できるような地元マルシェの設立。地元の伝統的な野菜と食を普及する。③過疎を、農業の多様性の中で、創造農村にする。④コメは、本格的に海外に輸出せよ。コメは過剰生産なので、コメの多様な商品開発を加速させる。
著者のいくつかの誤解。①コシヒカリは寒さに弱くない、冷害で影響を受けたのはササニシキ。②日本の現在の農地・農業技術で4億人分の食料生産が可能。うーん。根拠がないなぁ。③夜逃げする無農薬農家というが、農薬を使っている農家の夜逃げしている。④気象情報を活用して、とよのかを売っているというが、台風がくるときは、苗の育成や定植時なので、イチゴは関係ない。夏野菜でしょうね。それに、「とよのか」って、古すぎる。
まぁ。本書は、刺激的だった。
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日本の農業はヤバい、というのは聞いていたが、具体的に何がヤバいのかはわかっていなかった。
この本を読んで何がヤバくてどう対処するべきなのかが理解できた。
・今の農薬は安全
・遺伝子組み換え作物の普及
日本の遺伝子組み換え危険思想はいかがなものかと本書を読んで思った。