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作家生活30周年記念作品
と謳うだけある作品。
読み終わったあとずっと身震いが止まらない。
奇妙。とにかく奇妙。信じがたいほどな関係であり、
怖いのがフィクションでないということ。
作者の父井上光晴と、私の不倫が始まった時、作者は五歳だった。
と、瀬戸内寂聴が寄せているのも、褒め称えているのも奇妙。
ずっと怖かった。これが創作も踏まえたうえでの事実であったことが。
すごい作品だし、だれにも書くことができない作品。
荒野さんの作品、すごく好きですがこれはまたちょっと違う。
好きとか嫌いとか、そういうのとは離れた、すごい一冊。
これを読めて、よかった。
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男はばかだよねー
自分の自尊心をくすぐられたがり、
女は、そうされたいだろうなってことを
使いこなしてうまくやってる
2019.03
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作者の父・井上光晴さんと瀬戸内寂聴さんの不倫と井上家との関わりが題材の小説。この題材を小説にした井上荒野さんに作家としての凄味を感じます。題名の中の「鬼」は作家である登場人物達、「あちら」は作家の世界の事だと感じました。
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小説家とは業の深いものだ。
浮気性の旦那の敢えてバレる嘘をついていても家族と生活を守って、自らも嘘をついていた母を、娘が描いていることが興味深かった。
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作家である父とその愛人。そして母。とりまく人々。
よくもまぁ、こんなスキャンダラスな事実をモデルに書いたものだ。それがまた恐ろしく淡々と平穏な風情で描かれているからすごい。
愛のかたち、女性の強さ。愛される弱き男。愚かな女たち。その行方。
心の拠りどころを探すように読破しました。
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自分の父親である小説家・井上光晴と、瀬戸内寂聴の三角関係をモデルとして描いた、異色にして出色の一冊。
実際の関係がどれほどのものだったのかは知る由もないが、それを上質な小説に仕立て上げた著者の手腕は、お見事としか言いようがない。その上質さを構成する要因のひとつは、小説家(=著者の父親がモデル)に語らせず、小説家の妻(=著者の母親がモデル)と愛人(=寂聴がモデル)を語り手としたところだろう。これによって、読者はどちらかの立場に肩入れするわけでもなく、客観的に三人の関係を見守ることになる。言葉を交わしたこともない二人の女性の語りは、まるで一人の男を間に置いて会話をしているかのようで、その距離は一頁毎に縮まってゆく。会いたい、話したい、という二人の思いと、それが叶わないもどかしさ。この小説の読みどころはここだろう。
そして、この読みどころを支えているのは、小説家の妻の溢れる知性と品格。寂聴がこの小説を絶賛してしているのも、この点ではないかと思う。
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自分の父親の愛人を描いていく覚悟はなかなか。登場人物に誰にも感情移入できないのがいい。
作家として一段上がった感じがする。
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1組の夫婦とその夫の不倫相手の女性、2人の女性の人生が描かれている。情熱に溢れたものというよりは内に秘めながらの想い。ドロドロもしていないけれど1人の男に対する想いの強さが伝わってくる。それが年を重ねるのとに増していき女性を揺さぶる。憎しみとかそういうものではなく、友人とも違う2人の女性の関係や、男を介してそれぞれの人生のなかにある人を想うということ。離れることはできないなにかがそこにはあって他人からはわからない特別なものがある。『ママがやった』を読んだ時にも思ったけれどここまで圧倒されるものはなかなかない。
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井上荒野の父(井上光晴)と瀬戸内寂聴との(恋愛?というか宿命というか)関係と父と母の関係というか(これまた宿命というか...)
を瀬戸内寂聴の著書を参考文献にして書き綴った小説...
みはる=寂聴の声が、語り口が聞こえてきそうなその文体
笙子=母親...その佇まいが目に浮かぶ
小説とはここまで自分の身体(身も心も)を輪切りにしてま
で書くものなのか?
書かねばならないものなのか??
著者、井上荒野が書いた父のこと、瀬戸内寂聴が書いた井上光晴のことも小説になっているようだ...
井上荒野を通して描かれる寂聴のその内面、それが本当かどうかはわからないが、とても魅力的に表現されている。そしてきっと寂聴はそういう人間なんだろうとも思う。
瀬戸内寂聴...人間、人間らしい人間...そんな気がした。
寂聴の本も、井上荒野の本も読んでみたいなぁ...と思う。
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井上荒野という素晴らしい作家を始めて知りました。
人間とはどのような生き物なのか、愛とは何かを考えさせられた。最後を読み涙が出そうになった。この作家の他の作品も読んでみたくなりました。
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少し前に著者と瀬戸内寂聴さんの対談を読んで「つやのよる」の著者が井上光晴の娘さんだと初めて知った。対談を読んで二人の関係を知り、驚いた。全身小説家のあの人の娘さんが作家になっていたこと、波乱の人生で知られる寂聴さんの恋人の一人、それも特別な一人があの人だったこと。愛人と正妻の娘が笑顔で雑誌に載り、恋人と父について語り合っていること。全部が小説の中の出来事のようで、こういう経験を持つ人たちが小説家になるんだというか、こんな人生を経験したらこれはもう小説という形で掻き出すしかないだろうと思った。
ノンフィクションとフィクションがごっちゃになった不思議な感覚と、物語の持つ力に押されて一気に読んだ。一人の男と二人の女の人生が見事に切り取ってあり、目が離せなかった。
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荒野さんの作品が好きなので、何の情報を持たぬまま読み始めました。途中で、あれ?これは、、、と気が付いてから読むのとでは大違いの感想になる。まず荒野さんの作品、ひどい感じー父を読んでいなかった事を大いに悔やんだ。そして私のような凡人には理解出来ない荒野さんの感性。作家だから書けたのでしょうが、もしも両親が健在だったらこの作品を執筆しようと思ったのだろうか。父親が不倫し、その愛人の気持ちや母親の感情などを冷静に客観視できている荒野さんの文章に何度も言葉が詰まる思いで読了しました。
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図書館で借りたけど、これは文庫化したら読書会したいと思う。
両親と愛人の話を視点を変えて書くのがたぶん良かったと思う。ひとつの視点だけだとここまで面白くなかったたぶん。
例えば長内はるみが出家したところとかがもしも、もしも本当だとしたらそれはとても激しくて止まらない気持ちがあふれているし、愛は形を変えても存在し続けるし相手に伝わらなくても自分一人でも愛する気持ちは本当なのかもとかめっちゃ考えたりした。
瀬戸内寂聴を読んでみたくなる作品。なぜか井上光晴作品はそうでもない(笑)
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題名からして、もっとドロドロした話かと思っていたけど、全然そんなことはなかった。
女の小説家がいて、男の小説家がいて、そしてその妻と後に小説家になる娘がいる。
男女2人は不倫と言えば不倫だが、世間によくある取った取られたの関係ではなく、どちらかというと小説家としての同志愛、人間愛に近いものに昇華されていく。
それはそこにいる人々がそういったことを信じられる知性と余裕を持っていたからだろう。
あちらにいる鬼・・は意外といい人だった・・みたいな感じでした。
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自分の母と父とその愛人とのことを、ここまでフィクションとして成立させて書けるものなのか。恐れ入りました。
文章のうまさでは随一になったと思いました。これからも読んでいきますよ。