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下流工程を目標とするプログラミングの教育はいらない。
問題解決方法としてのプログラミング的思考を育む教育に著者は賛成。
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雑誌で、文系向けの本としておススメされていたのを見て購入。著者の岡島裕史氏は、中央大学の准教授で、富士総研にいたことも。
感想。
難しいことを、平易な言葉で、わかりやすい文章に置き換えてくれている(プログラミングか)。好きな文章。
後半のプログラミング教育に関する議論には、あまり関心を抱けず。
備忘録。
・ITコンサルのやる上流工程、SE、プログラマーの違いが初めてわかりました。
・上流工程:悩みを聞く→解決策を立案する→システムで対応するところを抽出→ざっくりした設計図作成
・SEがやるところ:詳細な設計図の作成→設計図を具体的な指示に細分化
・プログラマー:指示をコンピュータが理解できるプログラミング言語に翻訳。(こんな簡単に線引きはできないだろうが)
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挑発的なタイトルをつけたかった、プログラムの授業を受け持っている著者による、プログラミング教育についての本。
なので、こんなタイトルなのに著者自身はプログラミング教育に否定的というわけではないミスリードな本。
では、何がいらないかというと、具体的なプログラミング言語による開発についての教育はいらないけど、文科省が2020年度に必須化するプログラミング教育の目的である、「プログラミング的思考」を身に着けることについては賛成的な立場だそう。確かに、プログラミング教育というと、具体的なプログラミングによる開発を連想するだろうしね。そういう意味でこういうタイトルにしたというのは分からなくないかもしれない。
実際、著者のいうように天才プログラマだからといって億万長者になれるわけではないとのこと。フェイスブックのザッカーバーグやマイクロソフトのビルゲイツのプログラミング能力はすばらしいけれども、それ以上に優れている人はいるだろうとのことだ。やっぱり、プログラミング能力だけではなく、アイデア力と実行力が重要なんだろうなとは思った。
そういえば、プログラミング教室(学校の教育ではない)について、講師一人でみる生徒には限界があるということが書いてあったのだけど、なんで複数見る前提なんだろうなと思った。楽器の習い事なら大抵の場合、講師と生徒は1対1だろうと思うし、プログラミング教室もそういうふうにできないのだろうか。少数の生徒につきっきりだと月謝が高くなるみたいなことも書いてあったけど、自分が子供の時に習っていたピアノは基本的に1対1だったけど、この本に例としてだされてたプログラミング教室より月謝は安かった気がする。まあ、そのピアノ教室は個人でやってたものだからまた違うかもしれないけど。
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このような本を読んでいつも思うのだけど、子どもに本当にプログラミング教育をしていくのが正しいのかどうかって実際、プログラミングの考え方ってゲームをしてるだけで想像できるものでしょう。できない?
ただし、それと実際プログラミング思考が身につくのとは違う事だけど、本当に必要なことは電車の中でスマのゲームを抱えているような人間にはなるなよという事。
あれだけ、虜にするゲームの作り手になりなさいという事、だとすればプログラムもプログラム思考も関係なくなってくるわけでしょう。要はそれだけ夢中にさせる中毒性のあるものを少ない人数で(できれば一人で)考え出すことが主になると思うのだけど、無論それが現実味を帯びていない事は分かるよ。だけど実際ゲームとかシステムのプログラムを作るのにどれだけ遠回りしていると思う。
一つのゲームそれもドラクエとか一つのシステムワードやエクセルみたいなものの作り方、できあがり方を学ぶのが一番だと自分は思う。
そんな、本やサイトなんてないでしょ。あったらやりたいと思わない。皆さんどう思います??
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タイトルだけ。実際にはタイトルと正反対の意見。すべての論調が新書の方針のために不十分。ところどころは面白いところもある。例えば、ITについての仕事のレベルについてはわかりやすく書いてある。プログラミング的思考については説明があるものの実証性はない。哲学の重要性は述べていることは評価できるが、これも専門的なこと、つまりどの本のどの部分であるか、ということが不足である。光文社新書という立場上あまりにも読者におもねる姿勢がありあり。
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プログラミング教育は問題解決能力、プロジェクトマネジメント能力、コミュニケーション能力を鍛えることができる。
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IT人材不足やフリーランスで高収入などの文言に騙されて下手なプログラミングスクールにお金を払わないようにしようと自戒。下流工程やSESだと低単価になる傾向。オフショアリングや外注で叩かれる可能性。プログラミングを極めるというより、他の立脚点を持ってそのアイデアを実現するツールとしてプログラミングを理解する人材になったほうがよい。コーディングの技術ではなくプログラミング思考(コミュ力、論理的思考、問題解決能力)。中級者をケアする書籍が極端に少ない。
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https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334043971
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【概略】
2020年から小学校で必修化となる「プログラミング教育」を、プログラミング教育に携わる著者が斬る。プログラミング教育とは、優秀なプログラマーを育成するものなのか、またはコンピューター技術を磨くためのものなのか、プログラミング教育を通じて育まれる本来の能力、そのための土壌づくりについて踏み込んでいくと、「プログラミング教育はいらない」というタイトルの意味が見えてくる。
2019年12月01日 読了
【書評】
年が明けた1月に学習塾の先生方にこのプログラミング教育に関連して講演をする(といってもプログラミング教育そのものではない)お仕事を頂戴してね。いくらプログラミング教育そのものについての講演でないにせよ、やはり勉強&下ごしらえをする必要がある、ということでまずは一冊目。
この本が一冊目でよかったかも。タイトルが与える挑戦的なインパクトとは裏腹に、プログラミング教育という素材を通じてもう一段抽象度が上がった「プログラミング教育を通じて、生徒達はどういった事柄・思考を育むべきか?」という箇所にしっかりとウェイトが置かれてて。「今、目の前で行なわれている作業が、どういった完成形となるのか?」というヴィジョンを忘れてはならないなと再認識。
本書では、その世界に疎い自分のような立場の人間が持っている「プログラミング教育とは?」についての知識矯正からはじまる。そしてここ興味深いのは、「上流・下流」という言葉でもって仕事・業務の種類(または個別のプロジェクトならばそのプロジェクト内の分担)を分けて説明していたのだけど、その部分がまさしく「具体と抽象」の考え方と同じだということ。上流というのはその仕事やプロジェクトの方向性を司るもの、下流は上流で決まった方向性や水質によってより具体的・枝葉の仕事に分派していく。ここで「プログラミング教育」で「本当に学んで欲しいこと」「育んでもらいたいこと」が、実は上流を意識したものであることにつながったりしている。
根拠も薄い、自分自身の感覚で、自分自身も陥ってるのだけど、(こういう括り、よくないのだけどね)とかくこの国では「下流」の仕事を美化しすぎることがある。もちろん「仕事に貴賎なし」なのだけど、職人気質からくる敬意が色濃く反映されてると思うのだよね。本当は、よりコアな、より神の領域にまで踏み込んでいる職人ほど、あらうる意味で上流を意識してるハズなのだけどね。ところが今後の世界の変動や、他国から良いところをどんどん盗もう!って意味でいうと、自分達はもっともっと上流を意識してもいいと思う・・・そのキッカケとして、このプログラミング教育が役立ってくれたら、ということなんだと思う。
・・・と同時に、リアルタイムで事件が起こっている現場が抱える慢性的な問題とこのプログラミング教育は、見事に・・・衝突してる。これは素人立場の自分から見ても、容易に想像できる。ヒトがいないのだ、(多分)カネもないのだ、(そしてこちらも多分)モノがないのだ。都会と田舎との格差なども、起きやすいだろうね。多くの人達がこの「プログラミング教��」を「狭義におけるプログラミング教育」として捉えてしまいがちで、その箇所に(現場を円滑にまわす、または盛り上げる)アイデアが加わり、「広義の、というより、本来の目的達成のためのプログラミング教育」が活用されたらいいのだよね。
もうちょっとこのプログラミング教育、勉強することにする。
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中々挑戦的なタイトルであるが、プログラミング教育を通して思考力とコミュニケーションを磨こうという筆者の主張を強く感じられた。
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いまの日本のIT産業を理解することはできた。ただ、副題にあるGAFAで求めらる力が、本書で語られている内容には違和感が残りました。
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・コーディング(狭義のプログラミング)の教育 → いらない
プログラミング的思考(も含めた広義のプログラミング)の教育 → すごくいい
(13)
・プログラミングと前工程(26-7)
①お客の悩みを聞く
②悩みの本質を洞察、分析し、解決策を立案する
③解決策のうち、情報システムでやるべき部分を抽出する
④やるべきことのざっくりした設計図を作る
⑤ざっくりした設計図を、もうちょっと詳細な設計図や日本語(別に英語でもいいけど)による指示に細分化(ブレイクダウン)する
⑥それをさらに、コンピュータにとってちょうどよいサイズに細分化する
⑦適切なサイズになった指示は、日本語で書かれているだろうから、コンピュータが理解できるプログラミング言語に翻訳する(←ココが一般的に言われているプログラミング‼)
基本的にはプログラミングとは最後の工程(⑦)か、ちょっと拡大解釈しても、もう1つ前の工程(⑥)を含めたもののみを指す。この部分の仕事を担当するのが、プログラマ(コーディング技術者)
超上流工程(①~③)を担当するのがコンサルタントやシステムアナリスト
④~⑥、あるいは④~⑤を担当するのがSE(システムエンジニア)
・システム作りのプロセス(65-7)
-会社全体:経営戦略、システム化の方向性、システム化計画
-業務:要件定義
-システム:システム要件定義、システム方式設計
-ソフトウェア:ソフトウェア要件定義、ソフトウェア方式設計、ソフトウェア詳細設計、ソフトウェアコード作成(プログラミング)
・プログラミングは異文化コミュニケーション:プログラミングとは、常に自分とは違う他者について考え続ける作業(115-7)
・どこまで指示を分解するか(174)
-幼稚園の子に「はみがき」という仕事を説明するにはどこまで分解するか
・コンピュータは論理でしか動かない(176)
-最後は気合い、と思っているうちは、国際社会で議論もできないし、長時間労働もなくならない
・哲学を含む教養の重要性(197-9)
-「やれること」と「やっていいこと」
-哲学とは、当たり前だと思って歯牙にもかけなかったことに目を向ける学問
・ルール(プロトコル)を作る人間になる(201)
-ルール制定は高度なコミュニケーション能力と政治力を駆使する場
-ルールは決める側が圧倒的に有利
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プログラミングは異文化コミュニケーションという言葉がもっとも心に残っている。
自分とは異なる言語を理解しようとして、相手の言葉で相手にわかるように語りかける。
ヴィトゲンシュタインの言語ゲームでいう相手の言語を学ぶことなのだと感じた。
プログラミングを学ぼうと思いながらパイソンに手を出したりしたけど、うまいこといかず、ずっと迷走していたけれど、この本を読んですっきりした。
著者は実際に大学院で情報科学を教えている先生であり、その人がこんなタイトルの本を書くのか?とおもったけれど、意図としては、末端のソースコードを書く意義は低くなっているということだ。
それよりも上流にあるなぜそのプログラミングをするのかを考えることの方がよっぽど重要で、実際に著者が考えるプロジェクトを進めるにあたり大事な能力は、
論理的思考能力
問題解決能力
プロジェクトマネジメント能力
コミュニケーション能力
といったビジネスで必要なポータブルスキルに他ならなかった。
そしてさらには、なぜその課題を解決する必要があるのか?なぜその方法を使うのかなど、本質的な疑問を抱ける哲学的思考も大事だといわれていたことに、心から納得した。
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プログラミング的思考(も含めた広義のプログラミング)の教育がいいというお話でした。コーディング(狭義のプログラミング)の教育は低学年向けであるほど少人数の指導が効果的で、民間教室は都市部の方が多く費用負担から格差が生じている。学生、新入社員、社会人、経営者の場面を想定しても、論理的思考能力、問題解決能力、プロジェクトマネジメント能力、コミュニケーション能力といったプログラミング的思考に加え、情報技術の発展と活用に対し、「やれること」と「やっていいこと」は同義ではなく定め方と抑止力の指針を持つための哲学が必要な学びであるとの指摘に共感しました。
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C言語にオブジェクト指向を取り入れたのがC++
オブジェクト指向→巨大で複雑なprogramを作る際に大きな武器になる
P.62
SIerシステムインテグレータ