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私の両親の世代(昭和一桁生まれ)はほとんど大学には行っていないだろう。私の世代(昭和30~40年代生まれ)は大学卒も増える。私は社会に出てから、職場では大卒の人ばかりと接してきた。顧客にも大卒が多かったと思う。しかし、お付き合いのあるご近所さんには非大卒の方もいる。職業は様々だが、皆我が家と同じくらいの生活レベルである。(同じような家に暮らしている。)本書を読んでいて、5章あたりまで、ずっと違和感があった。非大卒より大卒の方が幸せである。と受け取れるように感じたからである。著者自身が書いていたが、例外を探せばいくらでもいる。相対的にそういう傾向があるということ。でも、やはり身近で感じるのは違う。親自身非大卒で、子どもにも大学進学を希望しない、けれども、いつも子どもと野球をしていて楽しそうである。幸せそうである。そんな家庭がいくつもある。幸せの形は人それぞれだろう。ただ、極端に貧しいのは困る。そのためのセーフティネットは必要だろう。教育政策は万人に有効なものは難しい。それぞれの現場で、それぞれに対応するしかない。システムの改善は常に必要だが、教職員にゆだねられる部分が大きい。だから教職を魅力あるものにすることが必要だ。ただそれも、何を魅力と感じるかは人それぞれで難しい。難しいけれども大事なことだから考えなければならない。試行錯誤を続けなければならない。教育社会学を科学的にするには、地球科学の手法が使える気がする。実験・検証というのは難しい。が、過去の具体的ないろいろな動きを見る中で共通性は見出せるのではないか。一般化可能なこともあるだろう。それも、ときと場合、人によるのだろうが。うーん、難しい問題だ。
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日本は「生まれ」によって機会と結果に格差のある「緩やかな身分社会」他国に比べて平均的な教育水準は高いが、教育格差については極めて凡庸な国。格差は未就学時点で存在、
高校受験で学校間格差がより大きくなる。
ーデータで検証。
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教育格差(ちくま新書)
非大卒より大卒の方が幸せである。と受け取れるように感じたからである。著者自身が書いていたが、例外を探せばいくらでもいる。相対的にそういう傾向があるということ。
タイムライン
https://booklog.jp/timeline/users/collabo39698
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著者は、本著の執筆を「学術的雪かき」と表現している。
誰もやらないが、やらなければならない「教育格差」の明示を「やれやれ」と肩を竦めて行ったというエピローグを読むと、この問題の切実さを感じる。
『過去の現状を把握せず、内省もしないのに「主体的で深い学び」? 批判的思考? それって悪い冗談だよね」という15歳の著者の怒りがひしひしと伝わってきた。
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本書で著者は繰り返し言う。
・「生まれ」による学力格差について日本は凡庸な社会である。
・教育改革は行われるが、分析可能なデータの取得は十分には行われず、そのためその意味について検証が行われないまま改革が繰り返されてきた。
社会経済的地位が高い親を持つ子供の学歴獲得競争における優位性について、様々なデータを用いて説明する。就学前段階から既に教育格差が生じ、小学校、中学校、高校、大学、就業という流れの中で、その格差は縮小することはなく拡大し続けるという。
漠然と人々が感じている「そうだろうな」という結論に至る過程を、丁寧にデータを積み上げて説明してくれる。日本は他国と比べてPISA平均値は高いかもしれないが、凡庸な教育格差のある社会なのだと。
その格差は緩やかゆえ、自覚しにくい。自分がどの階層の所属集団に属するのかはっきりとはわからないし、普段あまり意識しないのではないか。しかし、「生まれ」と学歴獲得競争の結果についてのデータ分析による「答え合わせ」(明確な因果関係の立証は難しいため、こういう表現が使われている)によれば、例外はあるものの、マクロに見れば大多数の人々は「生まれ」によってその後の学歴、職歴がある程度決まってしまう。そして、その格差は再生産されていく。
著者は本書の執筆に長く逡巡したという。なぜなら本書が教育格差の再生産を強化してしまう可能性があるからだ。教育格差が「生まれ」によって決まってしまうということに自覚的になった社会経済的地位の高い層(本書の読者の多くはこの層だろう)は、自分の子供が学歴獲得競争を優位に進めることに意識的になるのは想像に難くない。しかし、目の前に厳然と存在するし教育格差を正しく認識するところから始め、一人一人の潜在可能性を最大化するための教育環境整備の重要性を訴える。
本書は様々な読みができる本だと思う。もちろん、日本の教育格差の現実をデータで示すことが主眼だ。しかし、そのデータの積み上げの過程で触れる、他国の教育環境や民族構成(使用言語を含む)や、教師の児童・生徒への期待が実際の学力に影響を与えるという「教師のラベリングによる予言の自己成就」など、もっと知りたくなる論点が散りばめられている。そして著者が繰り返し嘆いているのが、日本の教育に関するデータの貧しさと、「教育改革」のやりっぱなし、なのだ。最低でも、私たち大人が「ちゃんと見直して自分の弱点を把握」しないことには、現実は一歩も前に進まない、という身につまされる事実を突きつけらる一冊だ。
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日本の教育制度って結局のところ「生まれ」で決定される格差社会だよね、という身も蓋もない話をえぐいくらい描き出す。出身地域や親の学歴といった「生まれ」の初期条件によって、格差は小学校入学前から存在し、小・中・高と持続する。そしてそれは、職業や収入まで左右する。数多くの定量研究を縦横無尽に駆使して、「本人の能力と努力があれば生まれに関係なく進路を選択できる」という美しい建前を徹底的に打ち砕く。
教育というのは誰もが何かしらの言いたくなる分野ではあるが、こういうきちんとしたデータを以って事実を示すことは、議論の前提として意義がある。
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論文調で聞き慣れないデータソースや新定義のワードが頻出するので読み進めるのに根気が要る。
受験の結果、偏差値帯別に振り分けられた進学校・進路多様校の生徒を対象に、「生まれ」=SES(socioeconomic status)と学力の相関を調査している。SESは家庭所得、両親それぞれの学歴からスコア化されるが、要は偏差値の高い学校に通う子供は生まれが良い育ちがいいという一般的に言われていることがデータで数値化されている。
15歳の学力を測る国際的な学習到達度調査PISAのデータから、SESが下位25%であっても認知能力=学力偏差値が上位25%である生徒の平均割合は11.3%という結果。上位25%とは偏差値57前後であり、偏差値57以上の学校では100人に10人ちょっとが低出身階層ということになる。日本は11.6%、アメリカは11.3%、フィンランドは14.1%と、世界的に見ても不利な条件から学歴を獲得したするのは総じて難しい。
PISAの結果、日本は調査参加OECD加盟国35カ国のうち数学・理科で1位、読解力で6位と義務教育の成功、ゆとり教育からの挽回が叫ばれることが多い。ただし、テスト上位ランク常連の東アジアの国では移民の割合が低く、また学習塾産業の発達度合いも大きいことから、この結果を義務教育の成功と結びつけることは早計かもしれない。
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公立学校が平等化装置として機能するためには、「生まれ」による不利さを埋めなければならないが、様々な格差は早い段階で存在し、それらは縮小せずに学年が上がるにつれ拡大する傾向にある。(p.108)
私たちにとって「そういうもの」と(実質的に)受け入れている、高校ランキング制度は世界的にかなり特殊だ。日本では制度として、学力選抜の結果であるので間接的ではあるが、結果的には生徒をS E Sによって異なる学校空間に送り込む選別――社会経済的背景による分離(Socioeconomic segregation)政策を行っていることになる。義務教育段階で「生まれ」による学力格差を埋めないままの「能力」選別は、S E Sによる分離(隔離)を制度として行なっていることになるのだ。この学校間の生徒のS E Sの大きな偏りは、学校文化や生徒の進学意欲や学習行動などの基盤になっていると考えられる。(p.206)
理想的な教育を語るのはよいが、現実的に実施し結果に結びつかないのであれば、子供たちの人生の可能性を拡大することにはならない。「平等」なのか「自由」なのか、どちらに軸足を置くのか自覚することが重要だ。換言すれば、一つの実践・政策・制度では、どちらかを重視すると、一方を軽視することになる。どちらに進んでも誰かの可能性が失われる――血が流れるのだ。もちろん、どちらを重視するかによって「誰」の血がどれだけながれるかは変わる。(p.260)
学校や若者グループのような小さな「世界」で「個性」を認めたり「仲間」として連帯したりすることで一時的な居場所を確保し、資本主義の現実から匿ったところで、(死が訪れるまで一切の外出を禁じるカルトでもない限り)何の解決にもならない。少なくとも「理想」に基づいたカリキュラム改革で、主に低S E S層の進学機会を閉ざし、実際の就業機会につながらない教育をしたところで、生徒一人ひとりが数十年にわたって生きていける助けにはならないのだ。(p.280)
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日本の問題は、社会が既に階層化されているのに、
階層化は、良くないと、言うだけで、具体的政策がほとんどないことだと思います。要は見たくない現実を直視しないで、なんとなく対策をする。子供の貧困等問題クローズアップされていますが、学費免除、食費免除にしても、貧困から抜け出すことが、非常に難しくなっているのが日本です。また、社会階層の底辺にいる人自体が、声を挙げにくく、また、底辺にいて、一生そのままの状態になるだろうことを認識していない点です。もちろん、この著作を仮に無償で配っても、啓蒙しても、ほとんど効果がないでしょう。
一昔前に経済格差の問題が非常に注目されました。
小泉純一郎首相の頃です。あれから15年経過し、経済格差は一般化し、中流層が分裂し、社会が階層化しました。それを明確に裏付ける根拠が、この著作で多数のデータとして提示されています。いわば、良いネタの宝庫です。
ただ、ネタが良くても、それを使用する人が無能ならば意味がないですし、そのネタに価値を見出す人の目利きも大事になります。後者全ては、日本では、絶望的に不得意です。問題提起をしても、民主的に解決に向かうシステムが日本では、崩壊しているからです。
階層化は、絶対悪とは言いませんが、もう明らかに階層化し、社会的流動性が失われています。こういった社会にいることを、覚悟するべきだと思います。階層間では、全くコミュニケーションも、繋がることも出来ず、社会は、どんどん混乱していきます。その代償は、全て弱者に行き着き、多くの社会問題が以前とは比較にならないほど、起こるでしょう。
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平等に教育を受ける機会があるということが建前になっているここ日本における、リアルな教育格差とその再生産。
家庭の社会経済的地位(SES)による格差の存在はイメージしやすいが、日本の高校受験システムがその格差助長に拍車をかけている点などは衝撃的だった。そして衝撃的にはだが、納得感がある。
膨大なデータを積み重ね、その構造をあぶり出す本書はなにも我々に絶望を与えようとしているわけではない。
未来をよりよいものにするためには、直視し辛い現実を直視する必要がある。
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経済的に豊かであれば、良い学歴を手に入れる確率が高い。何となくそういうものだろうと受け流していたが、それがデータで裏付けられた主張によってこんなに潔く文章にされると迫力がある。
そしてこの「緩やかに再生産される身分格差」を見て見ぬ振りしているとしか言いようのない現状に歯がゆさを感じた。
幼児の頃から、家庭内の会話内容、休日の過ごし方、周囲の大人、住環境などによって人格形成は始まっている。大都市圏と地方では学歴格差が存在し、公立の小中学校間にも格差がある。偏差値の高さと親のSES(社会経済的地位)は比例している。偏差値は「学力」を示しているのか?
習い事や塾、大卒の大人に囲まれた子とそうではない子の学習意欲に差があるのは、人間が環境に依存する社会的な生き物であるが故に当然だ。だからといって、1人の人間の可能性を挑戦させることもなく、あるいはそれを想像させることもなく諦めさせるのは社会の為にも不利益である。
著者によると、日本では教育実践、政策に還元できるようなデータが少ないという。目に見える効果が期待できる分野ではないとは思うが、国が率先してデータを収集、分析し、教育格差に挑戦していくことを望む。
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すばらしい本。
あらゆる人が読むべきだと思う。
データは豊富で詳細に分析されている。
1つの結論に対して複数の資料、複数の視点から検証されている。数字や統計データと言うのはトリオによってどうとも取れるものもあるがそういうことをちゃんと踏まえた上で結論を出している。
導かれる結論現状の社会に対しても非常に厳しく、リアルに、きれいごとではなく現実はこうなんだと示している。
教育による格差は昔から常にありそれはどの国でも同じでしかも解決が難しくいまだ途上である。
みんな子供の時からあるいは今現在大人な金持ちが有利に勉強していい高校いい大学に行くんだと言うなんとなく感じていてみんながそうだろうと思っていることをもはっきりと示している。
著者は、アメリカ比較して有用で継続的豊富な統計データがないことを嘆いている。そして研究結果を政策に反映させる検証するということがなされていないことを問題として挙げている。しかし、これに関しては何も教育、社会学の分野だけではなくて日本ではあらゆる分野で論理的で継続的な統計データが乏しい。そして政策には知見が反映されず検証も全くされないっていうのも周知の通り。
読者によっては著者は大学に行くことが素晴らしくそうでは無いのは良くないと言うふうに見ていると思われるかもしれないが、そうではなくて著者が最終章でも書かれているように重要なのは可能性を増やすことで大学へ行けばそれだけ多くの選択肢と可能性が増える。小学生や中学生の段階でその可能性をつまれてしまっている現状が問題だと言う事。
最終章に著者の悔しさと思いが凝縮されていてなかなか辛い。
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難しい内容でしたが、各章の終わりにまとめが書かれていて、理解しやすかったです。
今まで何となく感じていた、学力と経済力や生まれの関係というものが、膨大な数値とともに分析されていました。
以下印象の強い内容
・経済力の他にも地域差というものがある
・学校という「箱」を全国で同じにしても、「誰が」通うかによっても差がでる
・格差の拡大は経済力の弱い家庭出身者の遺伝的才能を失わせる危険性がある
・全体的な底上げが必要だが、解決策の1つとして教育学のカリキュラムに教育格差の講義を組み込む方法がある
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2章から5章までの年齢別校種分析は、そうだろうなという感覚を追認するデータ。
6章の国際比較では、日本は教育の平等のための施策を頑張っているが、格差是正にはいたっていない、という結論。
通して読んでみて、この分野の難しさはよく分かったが、結論と提案はありきたりという印象だった。
今後の出版計画に期待したい。
・公立の小学校は多様な人がいると言っても、学校間格差はある。住んでいる場所に格差があるから。
・複線トラックが低年齢化するほど、教育格差は拡大する。
・土曜の休みでSES(Socio-economic Status)による教育格差が拡大した。
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教育格差についてデータによる分析がなされ、問題への意識が高まった。しかし、膨大なデータの結果、改善策が教職課程の改善とは、期待外れだった。