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舞台はアフリカだったりアメリカだったり、登場人物たちも様々な人種ですが、あっこの感覚は味わったことがある…と思うことしきりでした。
生きづらさはどこにでもある、でもそんな中でも強く生きる女性たちが眩しい。
「ひそかな経験」「なにかが首のまわりに」「明日は遠すぎて」が特に印象的でした。ひそかな経験、はここにいたらなかなか出くわさないけど緊張感が凄かったです。
これまで接する機会のなかった地域の文学…色々と読みたくなりました。まずは知るの大事。
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この感想を書いてるのは読んでから1年以上経ってからのことです。
12の短編全てを思い出すことは出来ないので12タイトルは他の方の読書感想からコピペしてきた。
おそらく多くの方のベストは「ジャンピングモンキーヒル」か表題の「なにかが首のまわりに」もしくは「震え」とかでしょうか。
私も読んだ直後はそうだったかも知れない。でも思い出せない。
今は「イミテーション」のあらすじだけが残ってる。
不思議。
セル・ワン
イミテーション
ひそかな経験
ゴースト
先週の月曜日に
ジャンピング・モンキー・ヒル
なにかが首のまわりに
アメリカ大使館
震え
結婚の世話人
明日は遠すぎて
がんこな歴史家
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翻訳本だから、少し難しい日本語になっていて読みにくさはあった。
世界にはいろいろな夫婦形式や、状況があるんやなと、自分の「世界」の概念が少し変わった。
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ひとを愛するということは自分が知らない人生を知ることだ、と私が敬愛する灰谷健次郎さんは言ったが、この本を読むまでは私には知るべくもなかった、全く風土の異なる遠い異国の地の価値観や生き方を、匂いや温度をもった風のように感じられたことは私にとって得がたい喜びであり、それは作者の瑞々しい感性によって解き放たれた文章のおかげである。
個人的には『震え』がたまらなく良いと思う。全編にわたり訳者の力量の高さも感じる。
視点の幅が狭くなりがちなこの島国日本に生きる私たちにとって、固定化されかけたものの見方を、爽やかに一蹴するようなこの本の持つ意味は大きい。
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We should All Be Feminists.
TEDでも有名になった、ナイジェリアの女性作家による短編集。
引き込まれる文章を書く人だな、と思った。するすると感情移入できる。
そして人種、ジェンダー、文化、宗教によるさまざまな問題が緻密に描かれている。重すぎず軽すぎず。日常生活の中の抑圧を顕在化させる。でも抑圧されている側を悲劇的に描かず、あくまでフラットなところがよい。
アフリカ文化なんて今までほとんど触れたこともなかったけど、すんなり入ってきた。
「アメリカ移民」という文化もはじめて知る。
「イミテーション」と「なにかが首のまわりに」がすき。相容れないものに対して、私たちはどうあるべきか。
翻訳の方がとても上手で読みやすかった。相性かな。
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3月初めに小さな旅をしている途中、小川洋子の読書ラジオ番組を聴いていた。初めて聴く番組で、初めて知る作家の小説だった。アナウンサーの朗読と共に小川洋子さんが一冊の本を解説する番組だった。
1時間で、アルジェリアからアメリカに渡った女性の青春をすっかり知った気になり、私の知らない世界を垣間見た気になった。ちょっと気になって本を取り寄せたのだが、まさかあんな豊潤な世界が、こんな18ページほどの短編だったとは思いもしなかった。私は少なくとも、中編のよく練られた黒人女性のアメリカ留学の1年間を見せられたのだと思っていた。しかも、フィクションはあるかもしれないが、これは作家の経験したことだと確信していた。それほどまでに、ひとつひとつの「言葉」が立っていて、しかも無駄な「言葉」はひとつもなく、詩のように語られていた。
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ
この舌を噛むような作家は、12の短編全てで、12の人生を切り取り、そして鮮やかに表現している。ホントに自分の経験を書いていないのか?と思ったが書いてないのだ。読んでいくと、現在のアメリカ黒人差別運動の現場に居合わせている気分になるような描写もある。
表題作に戻ると、朗読では気がつかなかったことに、3つ気がついた。ひとつ、会話には「」は使われていない。よって、まるで詩を読んでいる気分になる。ひとつ、ずっと(主人公の女性のことを)「きみは‥‥と思った」と過去形で語られている。朗読では女性の恋人になる白人男性からの呟きだと勘違いしていたが、白人男性は「彼」と語られていた。だからもう一つのことも、私は確信を持った。主人公女性はアルジェリアから留学して親戚のおじさん家に間借りするが、レイプを強要されそうになり、家を出てレストランで働き出す。そこでまるきり違う「アメリカという人間の世界」で生きることになる。その時「何かが首のまわりに絡みついている」のを感じるのである(この「なにか」は精霊なのかもしれない)。自分を理解してくれそうな白人男性と付き合うことで、その感触は薄れるのではあるが、父親の急死を聞いて彼女はいっとき故郷に帰ることになる。白人男性は「帰ってくるよな」と聞くが黙って彼女は別れるのである。
果たして彼女は帰ってくるのか?
小川洋子さんは「帰ってこない」派だった。実はこの文体そのものが、彼女と白人男性はうまくいかないことを証明していた。ということが読んでみてはっきりわかった。
こんな波乱万丈の物語を短編で見せて、なお、余白を感じさせるストーリーテラー。すごいと思うが、一編読むのに物凄く疲れて、この一冊でもういいや、という気になった。黒人文化に興味ある人には、必読文学だと思う。
アディーチェの文学が文庫化されたのは、これが初めてらしい。ただし高い。300ページちょっとで、1150円(税別)である。もちろん、内容の濃さはそれ以上だ。
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ナイジェリア出身の作家で、近年では『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』などのスピーチでオピニオンリーダーとしても注目されているチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの短編集。
軽やかなユーモアとペーソスを交えながら、描かれているのは人種、歴史、ジェンダーをめぐる問題で、なかなか打ちのめされる迫力です。
私のほとんど知らないアフリカの政治的混乱、植民地としての歴史。それゆえの貧困。アメリカに暮らすアフリカ人としての違和感。
「アフリカ」ってひとことで言ってしまってますが、ジャマイカ人だと思われたり、サファリに行ってみたいと言われた経験が作品の中に出てきて、それがひとつの人種差別であることも感じます。
アメリカが求めるアフリカを描くことを強要される『ジャンピング・モンキー・ヒル』の作家たち!
文学を通して知る異国っておもしろい。
彼女の名前チママンダ・ンゴズィ・アディーチェを私は上手に発音できません。
私の名前もアメリカ人には発音しにくいらしく「チャキー」のようになってしまうのですが、少し前に流行った英語で通じる名前を子供につけるという風潮に私は微妙な違和感を感じていました。
英語で発音しやすいこともありますが、ヨーコとかイチローって本人が海外でも存在を確立したらちゃんと名前を覚えてもらえますよね。名前のほうを英語にあわせるのは逆じゃないかと。作品の中にもアメリカ人が発音しやすいようにアフリカ的な名前を変えることに対する奇妙さが書かれています。
名前を変えるのは些細な(!)ことですが、そんなふうに自分の国の料理や風習、言語や宗教を捨てていかなければアメリカで暮らしていけない移民としての視点がすごく新鮮でした。
以下、引用
兄がカルトに入るために必要なものーガッツとか自信のなさーを、もっているとは、どうしても思えなかった。
英国人は人を殺したり物を盗んだりすることを「遠征」とか「平定」という語を使って表現する。何千という仮面が「戦利品」として持ち去られて、世界中の博物館や美術館に展示されているんだ。
われわれはいつだって自分がもっているものをちゃんと評価しない。
BBCラジオから流れる声が、死者と暴動についてー「少数民族間の緊張の背景にある宗教的なもの」と述べるのをチカはあとから聞くことになる。それで彼女はラジオを壁に投げつけ、あれほど多くの死体のことを、わずかなことばに押し込めて、都合の悪い部分は削って無菌化してしまうやり方に、烈しく、燃えるような怒りが全身を駆け抜けるのを感じることになる。
自分の新生活のことはなにもいわずに電話を切った。話している相手に脚がないのに、自分には靴がないなんて不満はいえなかったのだ。
ダンブゾー・マレチェラはすごい、アラン・ペイトンは恩着せがましい、イサク・ディネセンは許せない、という点で意見が一致した。
ジンバブエ人がアチェベって退屈、文体のセンスがないもの、というと、ケニア人が、それは冒涜だ、といってジンバブエ人のワイングラスを取りあげた。すると彼女は笑いながら、もちろんアチェベはえらいえらい、と前言を撤回した。
「お父さんのことを書いてる?」とケニア人が訊ねたので、ウジュンワは断固たる「ノー」を返した。フィクションがセラピーだと考えたことはなかったからだ。タンザニア人がフィクションはすべてセラピーだよ、ある種のセラピーさ、だれがなんといおうと、といった。
アメリカを理解すること、アメリカはギブ・アンド・テイクだと知ること、それがこつだ。諦めることもたくさんあったが、得るものも多かった、と。
人が皿にたくさん食べ物を残し、しわくちゃのドル札を数枚、まるでお供えみたいに、無駄にした食べ物への罪滅ぼしみたいに置いていくことも書きたかった。
お金持ちのアメリカ人は痩せていて、貧しいアメリカ人は太っている
アフリカを過度に好きな白人とアフリカを全然好きじゃない白人はおなじー腰は低いが人を見下す態度をとるからだ。
白人の男女のなかには「すてきなペアだこと」と、いかにも明るく、大声でいう人もいた。まるで自分の偏見のなさを自分自身に納得させようとしてるみたいに。
彼らを見ていて、きみは感謝の気持ちでいっぱいになった。きみを象牙製品のように、エキゾチックな戦利品みたいに品定めしなかったからだ。
血とか縛るとか、信仰心をボクシングの練習みたいにしなくたっていいじゃないの、といってやりたかった。生きるってことは槍を振りかざすサタンとたたかうことじゃなくて自分とたたかうことなんだから、信仰ってのは良心をいつも研ぎ澄ましているかどうかってことなんだから。
一度、彼が不快に思っていることを、わたしが残念ねといったら、彼、叫び出したことがあってね。あなたがそう思っているのが残念だなんて言い方はよせ、独創性に欠けるって。
「どうして人は口では愛してるっていいながら、自分にだけ都合のいいことを人にやらせたがるんだろ?」
ここにはどこか屈辱的なほど、おおっぴらな感じ、どこか品位に欠ける感じがあった。やたらたくさんテーブルがあって、やたらたくさん食べ物がある、このオープンスペースには。
蛇ってのは「エチ・エテカ(明日は遠すぎて)」っていわれているんだ、ひと咬みで十分後にはお陀仏だからね
あの黒いアメリカ女はわたしの息子を縛って自分のポケットに入れてしまったんだ。
人が人を支配するのはよりすぐれているからではなく、より上等な銃をもっているからで、結局、自分の氏族がンワムバの氏族とおなじようにちゃんと軍備を整えていたなら、父親は奴隷人として連行されることなどなかったのだ
「私たちの歴史のなかでビアフラはとても重要な部分です。あの戦争をめぐる多くの問題がいまも未解決のままですから。でもいちばん心配なのは、そんな問題はなかったことにすれば消えてしまう、と私たちが考えているらしいということです」
「真のアフリカ」といった表現で語られがちなステレオタイプを強化する文学イメージを突き崩したい、とアディーチェは語ってきた。ステレオタイプの色眼鏡から解放されなければ、人はいつまでも対等に出会うことがで���ないと。
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2020.9
女であること、黒人のこと、国、歴史。私は知らないことが多い。いかに無知なまま歳を重ねてきたか恥じる思い。この本の中の女性たちがその生き方で知らない世界を教えてくれる。境遇は違えど自分の足で歩いている人たち。この世界は知り尽くせないほど広くて多様で個人だってそれ以上に多様で複雑で。海外文学読んでいこうと思う。
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まだ数本しか読んでいないけれどこれまでに読んだことのない感覚の本。
文体も独特だしそこはかとない不安を漂わせたまま終わる物語も。
この一冊だけでなく何冊か読んでみたい著者。
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ナイジェリア出身のグローバルレベルの超エリート著者が書いた短編小説集。たくさんの「違い」や「断絶」が多層的に展開される。それぞれの主人公は、染まる方が、もしくは染まっているふりをする方が社会的に有利で楽だろうと思われる価値観に馴染むことのできないがんこさを持っている。もしくはその価値観が自分たちのものと、どれだけどのように違うかを感じる繊細さを持っている。そこに共感するし、魅力を感じる。二項対立とかじゃなくて多様性(ダイバーシティ)の世界の文学。今はみな多様性の中に生きてるので、誰でも何かに引っかかりそう。ナイジェリアとアメリカ、男女とかだけじゃなく、「違い」は多層的。ナイジェリア国内の貧富、教育格差、民族、イボ語と英語、宗教。ナイジェリアと先進国の経済格差、米国と英国、男の子と女の子、世代間格差、本家と分家、帝国主義と植民地、アフリカの中での国と男女、、、etc.
時に居心地の悪さや、どうにもならないあきらめや乾いたせつなさを感じたり、時には快哉を叫んだりや滑稽さを感じることもある。
みんな良い作品で好きだけど、特に、ジャンピング・モンキー・ヒル、何かが首のまわりに、がんこな歴史家 が好きかなぁ。
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彼女のTED Talksが好きで、〈The danger of a single story. 〉と〈We all should be feminists.〉を過去に何度も聴いていたのだけど、最近、友人がおすすめしていたこの本の筆者が彼女だと知って手に取った。
私もシングルストーリーしか知らずにアフリカを思い描いていたことを思い知らされる。
ナイジェリアの人の名前は「ン」から始まるものが多いのかな。そもそも日本語で「ン」から始まる単語はないし、その音を正しく捉えてはいないんだろうな。一体どんな響きなんだろう。
色んな短編があったけど、言葉にならない違和感の奥で、本当の私が死んでいくような感覚を覚えた。そこから個人個人がどう折り合いをつけていくか。
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個人的な話、
デンマークに留学しているとき、「世界一幸福な国の幸福」について散歩しながらペアで話し合う授業があったのだけど、その時に、南アフリカ出身の友人が私に言った言葉を思い出した。
「ここは世界一幸福な国かもしれないけど、私にとっての一番の幸福はこの国では無い。と思ったかな。」「他の国の文化や価値観も知らない現地の人が、色んな国から来たわたし達に、デンマークの幸せを考えさせてるのって、なんだか馬鹿らしくない?笑」「あ。これ秘密ね(笑)」
ナイジェリアの物語を読んでいるのに、南アフリカ出身の子を思い出すのも、これまたアフリカのシングルストーリーかもしれないけど。
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アフリカの小説、というだけで先入観があった。
読んでみたら、かわらない人間の悲喜こもごもの話だった。
明日には遠すぎて ってタイトルがいい。
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アフリカ世界だけど(ナイジェリア)、フェミニズムな内容も含まれている。遠い世界だけど、この屈辱わかる、と共感を覚えることが多い。
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アフリカの作家による小説第2弾。今回は短編集で、一つ一つの話が長くなく、軽快でテンポもよく、読みやすい。どの小説にも共通しているのは、「人種差別」と「土着文化とアメリカ文化の大きな違い」。これは、なかなか無くならないもので、「なにかが首の周りにある」という不気味な表現(当事者には感覚なのだろう)は言い得て妙。自虐的でもあり、賞賛でもあり、戻りたいような、帰りたくないような、そんな複雑な感情に共感できることが多い一冊。
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あらゆる差別や偏見,戦争,階級闘争,断絶と断罪,信仰と信念…あらゆるものが混ざり合って出来上がっている世の中と言う「壺の底」から眺めた風景を擬似体験する様に読んだ.
無知と傲慢を,抉り出して曝け出されたような気分…
アフリカ系の名前の馴染みのなさについて行けず,没入しきれなかったか,また時間を置いて読み直したい.