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原書で読みたい。
先に哲学の入門書を読んで予習しておく事をお勧めする。
疑ってかかるという哲学のお作法を頭に入れてから読めば、割とすんなり内容は入ってくる。
問題はその内容のどこを受け入れ、どこを拒絶するか。
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頓挫。議論を始める前に重要な単語を一つ一つ定義づけしていく、という哲学の講義ならではのプロセスの段階でギブアップしてしまった。すごい興味深いテーマだから読むのを楽しみにしてたんだけど。今のわたしには本じゃ無理だったようだ、、、講義として聞けばもう少し頭に入ってきたかもしれない。
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まず、人が生きているというのはどういうことか、自分とは何なのか、ということから考える。身体説と人格説という2つの考えがある。身体の機能が実行していれば生きている(本書ではB機能という)という身体説、思考や推論、意志疎通したり、愛したり、物事を認識したり出来ていること(本書ではP機能という)を生きているという人格説だ。どちらの機能が無くなると人は死んだというのだろうか。身体は生きているが、人格を持った人間ではないという脳死のような異常なケースがあるが、この場合、人格がすでに消滅しているというのが重要になる。人は殺されない権利をもっており、これを生存権というが、生存権を持っているのは誰か、人格を持っている私なのか、それとも、私の身体なのかということだ。自分を認識できない状態であれば、生存権を持つという意識を持てないので、認識できないので、生存権をもつのはあくまでも人格を持っている私だということだと思うのだ。
ただ、寝ているときはどうなのか、P機能が果たせていないということで死んでいるというのか。死と寝ているときを区別するため、人格説の言う死とは、P機能が果たせなくなってしまった時を言うことになる。寝ているときは、まだ、P機能が果たせる状態だからだ。
とまあ、この辺までは感心しながら、勉強になるなーと思いながら読んでいたが、以降は、例えばなしもあまり的を得ているようにもおもえず、定量的に説明しているとこも、そもそも定量化できないじゃないと突っ込みを入れたくなる。直訳のような訳のわからないくだりもあり、訳者の技量なのかなーと思ったが、哲学の教授らしいし、英語力の問題なのだろうか。まあ、自分の理解力の問題か。
これから正義の話をしよう、のように、最後まで興味をもって読めるようなものではなかったので残念。
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死とは人格がない時期、胎児の時、小学生、中学生の時と変わらないらしい。すぐには理解できない…
自殺は、末期の患者以外にとっては悪。死にたいなど相談されたら、反対するよりも他の可能性に気づくように諭すのがいい。
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良い本だった。分厚い本だが読みやすくどんどん進む。普段あまり考えない、そもそも死は悪い事なのか、といった根本的なことに踏み込み、様々な仮説などを繰り広げ考察していきます。考えるというのはこういうものだというお手本になりそうです。大学生の頃こういう授業を受けてみたかった。
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前著も読んだ。前著と完全版との違いは魂は存在するか?を語っている前半部分。魂が存在するとしたら?を哲学的に様々な観点から考察した内容となっている。とても勉強になる。しかし、本著で最も伝えたい「どのように生きるべきか」は完全版でなくとも前著で十分と思う。より深く知りたい人向け。
本書の結論は次の通り。私たちに魂は存在せず、人間というのは肉体を持った機械にすぎない。しかし、ただの機械ではなく「愛したり、夢を抱いたり、創造したり、計画と立てたり、それらを共有できる」人格を持った驚くべき機械である。
死はその機能を果たす機械が壊れただけのこと。なので死を過度に恐れるのは不適切な反応といえる。
不死は良いものではなく、人間にとって災いになる。でも死はいつも早く訪れ過ぎる。
どんな状況でも「生き続けるほうが幸せだ」とはいえない。死んだほうがマシな状況は存在する。しかし自殺はある条件を満たしたとき決断するべき。
完全版の胆である、魂が存在するか?については「信じるにたる真っ当な理由がない」と結論していた。二元論者(魂を信じる人)は「自由意志があるのは魂があるからだ」と主張する。しかし、最新物理論では「自由意志はAIでも再現可能で、量子の振る舞いは自由意志そのもの」とされている。これは自分がなるほどと思った一説。
自分が死について恐れているのは「経験できることを剥奪される」からだと納得できた。若いときに死ぬのは「経験するであろう未来を剥奪される」意味で悪い。しかし、年老いて「なにかを経験できることより生活するほうが辛い」ことがあり得る。その場合死ぬのは良い気がするので、自分は「年老いたら死を選ぶ権利」が欲しいと思った。
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今必要な本ではなかった
いままで考えたことがある内容だったかも。
将来の可能性が奪われる剥奪説、
自殺が認められるかどうか 一部は認められる
2元論、身体説
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読み終わることより、自分で考えながら読むことを重視すると良い本。
死に向き合うことで、「どう死ぬか」を学び、「自分はどう生きるべきか」を考えてほしい、ってのが著者のメッセージ。自分にとってのより良い生き方を考えるかっかけになる。
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話題になるだけあって、読みやすい!例えると、どんな揚げ足取りにも分かりやすい例で説き伏せる、みたいな。読んでて納得したり、「うーん」って考えながら読みすめめられました!
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死ぬってどういうことなんだろう?多角的な視点から死についてとりあげ、議論をしていく本。
ただ、この本を読んで、自分の死生観にいくつかの解像度を高めるヒントとなった。正直答えがない問題だと思って読み始めて、結局全員が納得する答えなんてなかった。結局場面によって死が良いことか悪いことかは変わってくるって話で、なんか不完全燃焼って感じ。その点では自分の仮説を補強するためにやけに長ったらしい議論だったなと思う.論説も、仮説が空想というか、もしこうなら?っていう話で、いや、実際そんなことありえんやんってなって途中から入ってこなかった部分も多々。
読み終わって死について考えてみても、結局生きる希望をもとうとか、人生生きていればいいことがあるよっていう価値観は変わっていない。合理的ではないのかもしれないけど、それが人間であって、合理的ではない、予測不可能なことをするからこそ楽しい人生なんだろうなって思う。
もし絶望することが起こったとしても、スピノザの主張を引用して、自分の人生はこう決まった必然の物だった。と割り切ったりする、ある種の逃避行動をとると思う。全く合理的ではない判断だが、人生その方が楽に生きていけることもあると思う。絶望の中でも希望を見つけて、小さなことでも幸せに生きていければいいなと思う。自分の幸せの総量なんて自分の感じ方次第なんだから、そこに合理性とかないし、自分という絶対的な評価軸をいかにプラスに振ることができるか。それが人生よく生きていくためのヒントだなと思う。
合理的に+か-かなんて結局客観的な視点での議論でしかないからね。
ただ、いつか死ぬことを時々思い出して、本当にやりたかったことはこんなことか?と問うて行きたいと思う。限りある人生は無駄にしたくない。そういう意味で、死ぬということは自分にとっては人生を改善していく観点であるなと思う。より素敵な人生を思い描いて、残りの人生を楽しんで行けたらと思う。
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【死を恐れる人と受容する人の違い】
・恐れる人
死ななかったらもっといい人生が未来があったはずなのに...
・受容する人
やりたい事、やりきった
未来を恐れず
過去に執着せず
今を生きろ。
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とても興味深く、時に面白く読めた。700ページを超える本書だがそれを感じさせない読みやすさだった。
哲学は気難しいイメージだった。そして読み終えてそれは変わらず。ただ、物事を多面的に見るのは深い事だなと感じた。
内容としては、プラトンの下りあたりが読みにくかった。どうも昔の人物が出てきて、細かい話をするようなエピソードは苦手なのかもしれない。あと、例え話は突飛もないものが多かったが、納得出来る話が多く、死をテーマにしながらクスリとする事も。ただ著者の恐れに関する感情はあまり同意出来なかった。また読みたい。
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人の死とは何か、何を得るのかについて論じた哲学の本。
船の部品が全て入れ替わった時にその船が当初と同じ船なのか、それを人に置き換えた場合について、死の意味する人の機能停止とは、睡眠と死の類似性等多岐にわたり死について論じている。
とはいえ、結局は今を全力で生きて、ゴールを大小設定して達成感を満たしていくしかない。
そして自殺の問題もある。自殺は認められうるケースは全てではないがあり得ると著者は言う。その通りなのだろう、但し大多数に置いてはその十分性を充たせていないと思う。
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人間が人生で望んでいることは、人格を保って生きていること。
ここでの人格は、欲望・目標・恐怖など。
この人格は、人生の中で少しづつ変わっている。変わりながら、人格を保っていたいと思いながら生きている。
快楽主義であることが、最も適格でシンプル。欲求を満たしていながら、生きていることが幸せになる。それだけでは、目先のことだけになってしまうので、大きな目的も視野に入れておく。
死はどのような状態を示すのか
死は、体が動かかなくなった時だという。体が動かなければ人格も働かなくなるからなのだ。
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死とは何かについて、心身二元論と物理主義、魂と人格と身体の違い、死は良いことなのか悪いことなのか、それはなぜか、自殺が許容される場合があることについて、など
これでもかというくらい優しい言葉と豊富な例え話で説明している。
死を恐れるのは不適切な対応だ、と言っているように、確かにこの本を読んでいくと、死を恐れる適切な理由が消えていく。(もちろん、今すぐ死ねる!怖くない!という意味ではなく、死に対する私の姿勢が疎かなものだったと自覚するという意味で。)
死が必ず訪れる人生をあなたはどう生きるか、という部分の考察は多くを読者に任せている。誰も傷つくことがないように無難にまとめようとしたり、感動的にしようとしたりせず、シェリー先生の考えそのものをつきつけているだけなので、真剣に死について考えたい人にとってはありがたいのではないだろうか。
本文でも言及されていたがシェリー先生は西洋の人間である。東洋や仏教の思想については数行程度しか登場しない。本書の中で神学的で宗教色の強い論はほとんど否定しているが、東洋の死のとらえかたはほとんど批判検討していない。
仏教には草や木も人間と同じように成仏できるとする考えや輪廻転生の教えがあり、西洋の心身二元論へのよくある批判として、生命とは有機的に一つに統合されたものであるとする考えが挙げられている。
今までの人生が仏教の影響を受けその文化の中で暮らしている限り、この本だけをもって死とは何かについて考えを巡らせるのは不十分かもしれない。
生まれることについても死ぬことについても、何かについて選択を迫られる状況があるのに、それを公然と議論するのがタブーな気配がある。周囲からの評価や恥の意識から、選択の結果に責任を持ちたくないのか、かつて選択を迫られた人達に気をつかっているのか、ややこしい感情を伴う話題はそうっとしておきたいのか、