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『学び合い』関連の本を何冊か読まれている方ならば、半分くらいはさっと読み通せます。
個別最適化に向けた社会的な背景、学術的な根拠の多様な引き出しはさすが西川先生…圧倒されます。
ただ、個別最適化の教育=『学び合い』
とするのはまだ自分の中で疑問です。
学び方の個別最適化の手段の1つとしては『学び合い』はかなり有効だと思います。
しかし、学習内容の個別最適化を目指すのであれば、子ども集団の成長もしくは、教師の個々のカンファランスによるものが大きいような気がします。
その辺のもやもやを解決するためにも、改めて『学び合い』を勉強しなおし、実践してみようと思いました。
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今、求められる教育の在り方が書かれている。
その点で、とても納得させられる。
一方、将来的なビジョンには疑問も。
これは幸せの定義が違うからで、仕方の無い部分ではあるけど、共感までには至らなかった。
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文部科学省が言っている「個別最適化」について考えたくて、Amazonで「個別最適化」を検索、本書を購入しました。しかし、この本で言うところの「個別最適化」は、文科が言っている「個別最適化」とは違うということが分かりました。(p.16 ただし、文部科学省では「公正な個別最適化された学び」と表現し、公正という文言がつけられています。)
日本の公立学校が行っている集団指導で、本当に「個別最適化」した学習が可能なのだろうか、というのが私の問題意識です。以前、「個に応じた指導」が言われ始めた頃、とても学校現場では対応できないだろうと思っていました。そのうち、特別支援教育みたいな話も出てきました。どこまで学校に、一人の教師に負担を強いるつもりなのだろう、少なくとも私はそう感じていました。
そして、働き方改革です(笑)。矛盾です。仕事は増えて、時間は減らせ、という話です。さらに「個別最適化」、おいおい、責任者はどなたですか?
筆者が主張するところの「学び合い」が答えになるのかは分かりません。確かに、画期的なアイディアではありますが、子どもたちの意欲、能力を過大評価しているのではないでしょうか。でも、「個別最適化」を学校、教師だけの力で実現できないことは確かです。教師はもちろん、子ども、保護者が(意図的に地域は省きます)力を合わせなければ、「個別最適化」は実現できません。
10年後の学校はどうなっているでしょうか。残念ながら私には想像できません。
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個別最適化の教育とは、「子ども本人や保護者が勉強する分野を自由に選択できる」こと。大学のような最高学府からではなく、小・中・高の時代から選べるようにするのが特徴である。
子ども達が主体的に学ぶことを実現させるカリキュラムが、「学び合い」である。
「学び合い」とは次のような教え方である。
①教師は、「目標は、クラスの全員が数学の問題を達成することです」と伝える。
②子どもは、自分が問題を解いた後、他の子に教えるためにクラス中を移動していく。
③できる子ができない子をサポートし、その子が違う子をサポートする、という連鎖が生まれる。
④教師は授業中アドバイスをしない。授業の最後に、「全員が自分の課題を解決できたか」を確認するだけ。
学び合いに対する意見に、「大人が介在せず、子どもたちだけで学ばせることに問題はないのか?」というものがある。これへの対抗意見は次の通り。
・子どもがつまづいている箇所は、大抵はささいなポイントであるため、教師が教えずとも子どもが教えるだけで足りる。
・知識が深ければ教え方が上手くなるわけではない。教え教えられる両者の理解が適度であるときに、学びが成立する。
・分からない子たちにとって、どの箇所が分からないのかはバラバラである。こうした子たちに必要なのは、画一的な知識よりも、一人ひとりとの対話である。
・「一人も見捨てないのは得」と子供たちが理解することで、学びの輪が広がっていく。
学力向上のポイントは、本人が学力を向上させたいと思うことである。そのためには、教師による一方的な命令よりも、クラスという集団が、「学びたい」「教えたい」という雰囲気を作ることがカギになる。
また、「学び合い」は時間がかかると思われているが、実は逆である。従来の授業形式では、先生が黒板に書いて問題を解かせる間、優秀な子は時間を持て余していた。
学び合いならば、解き終わった子が遅い子を教えに回ることで、効率よくカリキュラムを終えられる。中には教えるためだけに全て予習してくる子もいる。
結局のところ、「何がわからないか」「何を教えてほしいか」を理解しているのは子供たち自身なのである。
また、それすら理解できない子供たちに対しては、同じ目線にいる仲間たちが一番的確にサポートできるのだ。
障害を持つ子や勉強ができない子にとって大切なのは、四則演算よりも、「人とのつながりを持てるようにすること」なのだ。学び合いがそのつながりに最適なカリキュラムである。
【まとめ】
「学び合い」の肝は、「教師が子ども達を信用する」ことである。
同時に、「知識ではなく、自ら学ぶという姿勢に意味がある」という理念を子ども達に理解してもらうことが、自発的で優れた学びを生んでいくのだ。
【感想】
人生100年時代を生き抜く子を育てる! 個別最適化の教育 を読んで
教育の現場において「学び合い」を実践してきた筆者は、
これこそが社会に必要な人材を育てるカリキュラムであり、硬直化した教育制度そのものも変えることができると主張している。
今までの学校教育は、個人の特性を無視して画一的な教育をしてきた。
生徒によって得意な教科、苦手な教科はバラバラであり、一人ひとり頭の良し悪しが違うのは当然である。
そうした多種多様な子たちを一つの「塊」にまとめ、教師が一方的に授業を行っていては、頭のいい子は時間を持て余す一方、悪い子は問題を理解できないままみんなに取り残されてしまう。大変非効率で不平等な教育法だ。
これに対する「学び合い」の授業は、教師はあくまで助手の立場である。
生徒に課題を出すものの、教師は子ども達を手助けしない。代わりに教師になるのは課題を早く解ける子どもである。
解ける子ができない子に教え、更にその子が別のできない子に教える、というトリクルダウンを通して、「取り残される子」がいない学びの場を作っている。
また、これは頭の悪い子をサポートするだけでなく、できる子に知識を定着させる効果もある。自分が覚えたことを人に説明できるようになると、その知識が深く頭に刻み込まれるからだ。
また、「学び合い」は信頼関係の形成にもつながる。
「学び合い」は教室における主役を、先生から子どもに移す。そこには子どもを信頼し、子どもは先生から信頼されているという相互関係が生まれる。そしてできる子―できない子の間にも信頼関係が生まれる。この相互の信頼関係を通じて、「自主性」が育まれる。
学びには自主性が一番大切なのだ。数学であろうと歴史であろうと、生活に必要のない知識はいずれ忘れてしまう。しかし、学び合いを通して身に着けた「自主性」は、簡単に忘れるものではない。
従来の受験勉強のように、大学に合格したら学びを辞めてしまうことが無くなり、自分を成長させ続けるための「学びのクセ」が付く。そうした一生もののスキルを身に着けることが、VUCAの時代に活躍する人材を育成していく。
また、優秀な人材を育てるだけでなく、その逆、つまり落ちこぼれを無くすことにも役立つ。
学業が出来ない生徒に必要なものは、知識ではなく、「他人に必要とされている感覚」である。「学び合い」によりクラスメートとつながり、自分がコミュニティの一員であるという自覚を身につけることは、不登校や引きこもりといった社会からの脱落を防ぐファクターになる。
この本は、学び合いの実施によるテストの点の変化や、学び合いで育った生徒のその後の社会実績といったデータを明示しないため、いささか主張に根拠がなく、中には絵空事のような提案で終わっている項目もある。
しかし、筆者が目指しているものはテストの点といった「数字」ではなく、「自分の人生に主体的に向き合い、世の中を変えていける人材の育成」であるため、定量化することは難しいだろう。
今後何十年かかけて経過を見ていかなければならないが、従来の教育に一石を投じる「学び合い」は、きっと日本の将来に役立つに違いない。
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『学び合い』という手段によって、児童生徒が自ら未来を生み出すような成長をするという主張が書かれている。
詳細な結果や授業内容について、もう少し踏み込んだ情報が欲しいと感じた。
新たな問いや新たな視点に気付かせるといったことは生まれるのだろうか。
児童生徒間の関係のオンオフの判断は児童生徒が持っているというところには妙に納得した自分がいる。
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たしかに!と思うことばかり。
例えば、「確固とした基礎的・基本的な学力なんて存在しない。そんな幻想よりも、解決するネットワークを活用する方が重要。」
教員は今まで縛られてきた、呪縛にも似た固定観念を捨てなければ前には進めない。
ぜひ「教え合い」を自分の授業にも取り入れたいと思った。
しかし、「1人も見捨てないのは得だ」とは生徒にどのように伝えるのだろう?教え合いを通じて生徒は自分自身でこれは得だ、と思うようになるのだろうか。
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今の時代、様々な事柄について並の水準程度まで知識・技能をつける教育ではなく、強みに焦点を当てて伸ばす教育が求められている。
その方法として、『学び合い』こそが有効である。
読んでいて「たしかに…」と思うことも多かった。
教師がいかに授業技術を上げて一斉指導を行ったとしても、多様な子どもがそれぞれのレベルに合った『学び合い』を行うことの方が効果はある。
子どものつまずきは、過半数がとるに足らない小さなこと。ただ先生1人ではそれを全て訂正できないから、子どもはわからないままになってしまう。だから『学び合い』…なるほど。
自身の持つ教師の授業観を変えるためにも、まずは少しずつ『学び合い』を始めてみたい。
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教育における「個別最適化」の必要性・重要性を説く一冊。個別最適化といっても、個人の個性尊重一辺倒ではなく、「学び合い」、「一人も見捨てない」というように、共存・人人とのつながりが中心となっていて、個人的に共感が持てた。
ただし、個別最適化・学び合いの良い面だけが強調されており、失敗例なども本書で取り上げてほしかった。また、子供に「一人も見捨てない」ことが「得」だとわからせるのは、少し難しい気がした(将来の転職、再就職に有利と言われても、子供はピンと来ないのではないか)。それでも、個性、個性といいつつ、画一的な教育しかできない現状の学校教育制度に対して啓発的・挑発的な内容で、教育者にはすごく刺激になる本だと思う。