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正義とは
常に主観と偏見の産物
この人の本を読んでいると、おお!俺という人間も案外素直な人間なんじゃないか? と…
物事斜めに見ている訳ではないけど、垂れ流されるニュースやバラエティ番組に毒を吐きまくってると、ふと自分が面倒臭い偏屈野郎のような気がして来る。
そんな私が、
著者の「思惑通り」に、非人道的な医者のやり方に憤り、その背景を知ってちょっと同情したり…
お約束のカップル誕生にニヤついてるのだから。
奇抜でも新くもない設定の物語にこうも引き込まれるのは、提示される大きなテーマが、まさに医療現場で起きている…けれど、日常の生活をしている限りは直面しない問題。
それでも、いつかは必ず判断を迫られる問題だからなのだろうか…
最後まで悩む事、考える事を放棄しない人間でいたい
(1)秋海棠の季節
美琴の働く梓川病院に一年目研修医の桂正太郎がやって来る。奇妙な言動と粗雑な風体ながら、真心こもった応対を見せる男に次第に心惹かれてゆく美琴だった。桂の担当患者・長坂は末期の膵癌。秋海棠を愛し、妻子を愛するこの患者にせめて満開の秋海棠をと願うも、悪化の一途を辿り還らぬ人に。
長坂の教えてくれたダイコンを切りながら神を呪い、それでも人間の…そして医師の可能性を信じると語る桂だった。
一方美琴は、大滝の後任として主任への昇進を打診される。三島は、病院のVIP患者の知人から届いた投書を見て決めたという…
(2)ダリア・ダイアリー
三島の下での消化器内科研修を終えた桂は、高齢の患者の急変には追加の治療をせず片っ端から看取る事から「死神の谷崎」の異名とる男の下で循環器内科の研修に入る。
高齢者を枝葉と言い切り、切り捨てなければならないと明言して憚らない指導医との仕事で、強度のストレスから疲弊してゆく。
さらに、感染症等の問題から病院内の生花を禁止する案が採択されそうになり桂は強く反発するが…
循環器科研修も終盤に入る頃、ついに指導医の指示に逆らい追加の治療を施した事を咎められた桂は、その理由を問われ答えた…
家族に繋ぐために・・・
花を飾ろう作戦のアドバイスのお礼に、美琴の奢りで行ったランチの道中、意を決した桂はついに告白する。
(3)山茶花の咲く道
日勤を終え、大滝に頼まれヘルプで入った食事介助を引き継ぎ、帰ろうした美琴と京子の前で、80才の患者・山口が食事を誤嚥し死亡に至る。
保身に走る病院は、事前に慰謝料を支払い鎮静化を図ろうとする。
何がおかしいのか…
会議の中、湧き上がる違和感の本質を論理的に説明出来ない美琴に桂の的確なサポートが…
「未来の為に・・・」
(4)カタクリ賛歌
腹痛と発熱で救急搬送されてきた患者は95才の女性・内島やゑだった。総胆管結石による急性胆管炎。ERCPによる処置がもっとも適切と言えるが、安全とは言い難い上に95才という年齢によりリスクは一気に跳ね上がる。加えて、もう十分に生きた」というやゑの言葉に治療を断念する。
一方、同室の患者・田々井は殆ど意識の無い状態で胃瘻造設を検討するが、桂は孫の投げ槍とも言える態度に違和感を覚えるが、三島から「胃瘻を作るか作らないかではなく、胃瘻を作るか患者を死なせるかの選択」だと突きつけられ愕然となる。
久々ののデートでカタクリの群生地を訪れた美琴と桂は短期外泊していた内島親子と遭遇する。
生まれ育った美しい風景の中、穏やかで満ち足りた表情を見せるやゑと、それを優しく見守る息子を見た桂の心に、かすかに火がともる。
田々井の孫を呼び出した桂は、相変わらず「悩む」事を放棄し医師に丸投げする孫に、カタクリの花の話を聞かせ「看取り」を勧める。
一方、95才の内島やゑは「まだ根が切れていない」とERCPの治療に踏み切り、施術を三島に依頼するのだった。
◯月岡美琴・・梓川病院三年目の看護師。
◯桂正太郎・・花屋の息子。一年目の研修医。
◯三島先生・・副院長で内科部長。特に消化器領域の権威。「小さな巨人」と呼ばれ観世流の謡を嗜む。
◯谷崎先生・・循環器内科20年のベテラン指導医。過去に、高齢者の大量輸血とタイミングが被り妻を失った…?
◯沢野京子・・美琴の同期。髪の色が奇抜。
◯大滝主任・・170cmの大柄。看護師達の信頼が厚い5年先輩の主任看護師。
美琴を自分の後任に推薦。
◯内島親子・・口の悪いハゲ息子と、人生に諦念している95才の胆管炎患者。
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現在の日本で避けることができない地方の高齢者医療についての物語。難しいテーマだが大変読みやすい物語となっており、色々考えさせられる本。
医療物語だけでなく、主人公の恋愛模様もあり大変面白い。
さすが夏川さんと感じた。
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松本郊外の病院で、実家が花屋の研修医と地元生まれで一途で芯のある看護師の恋物語を軸に、地方の病院の老人医療を考える。
残念ながら一止はかすったけれど登場しなかった。
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安曇野の病院に研修医としてやって来た桂正太郎。ここでは入院患者は老人ばかりで胃瘻など終末期医療について悩む。月岡美琴は3年目の看護師。無茶を言う患者家族や事なかれ主義の上層部に噛みつく。
とっても面白かった。
「神様のカルテ」とは別のシリーズだけれど流れる哲学は同じ。
回復の可能性のない老人を生かし続ける事の意味や、医者に任せるだけで考えようとしない患者家族など色々かんがえされられる。
「テレビや小説では"劇的な死"や"感動的な死"ばかりが描かれる一方で、地味で汚くて不快な臭気を発する"現実の死"は、施設や病院に押し込んで黙殺する。そういう現代の医療が直面している闇の一端が、社会の縮図が、桂の前に立ちはだかっている問題なのである」
続編をぜひ読みたいけれど、連載が3年もかかっているので、いつになることやら。
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神様のカルテの別バージョンかな。
看護師の美琴と研修医の桂とが、地域医療が抱える問題をテーマとした物語をすすめていく過程で、お互いに成長していく様が描かれています。
この本を通じて、医療とは生と死とはについて考えさせられます。また、「花」をうまく題材に組み込んでいるなと思いました。
二人の関係も発展していくので、その意味でも今後が楽しみです。
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基本辛い話だけど。
若い二人が安曇野で愛を育む話でもあって、松本が素晴らしい土地だから、なんとか読むことが出来る。
そこが上手。
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長野県松本市郊外にある梓川病院に勤務して3年目の看護師・月岡美琴と内科医を目指す1年目研修医・桂光太郎。ふたりの主人公の成長を通して、“高齢者医療”や“延命治療”の現実に向き合う連作短編集。
誤嚥性肺炎で入院した88歳の新村さんは、すっかり食欲を失ってほとんど寝たきりとなっている。桂がなんだったら食べるか、と聞くと、「ナマダイコンのコヌカヅケ」という。しかし東京出身・実家は花屋の桂には、「ナマダイコンのコヌカヅケ」がわからない。生まれも育ちも信州松本である美琴やほかの看護師さえも知らなかった。そこに「沢庵のことですよ」と助け舟を出したのは48歳の膵臓癌患者、長坂さんだった。長坂さんには物静かな奥さんとまだ小学生の男の子がいて、ふたりのために「少しでも生きたい」と願い、治療に専念している。しかし、神様は彼にその時間を与えてはくれなかった。
長坂さんを看取った夜、桂が駅前で手に入れた沢庵を美琴がみじん切りにして、朝、新村さんの朝ごはんに出す。新村さんは数週間ぶりにスプーンを手に取って沢庵を食べ、やがて車椅子で院外まで散歩に出られるまでに回復していく――。
第一話「秋海棠の季節」で描かれる40代と80代、ふたりの患者の生と死の明暗。
それはどんなに医師が力を尽くそうと、誰がどれだけ渇望しようと、「生きる人は生き、死ぬ人は死ぬ」というドラマも奇跡もなく、理不尽に、あっけなく簡単に消えていく命のふるまいを通して、人の死がなぜ哀しいのかを教えてくれる。
思わず祖母を、そして祖母が入院していた地方の小病院を思い出さずにはいられない物語だった。
舞台となっている梓川病院の内科病棟は、近隣の特養や老健といった施設から心不全や肺炎のために搬送されてくるたくさんの高齢者で埋め尽くされ、半ば介護施設のような状態となっている。認知症で徘徊し、寝たきりで奇声をあげ、胃瘻で管理され微動だにしない患者たち。会話ができるものは半分にも満たない。
異様ともいえる光景かもしれないが、実際地方の多くの病院はこのような感じになっているし、そのような患者たちの数に対して、医師や看護師の数は圧倒的に足りていない。医療現場は極限状態に陥っている。
ふたりの若い主人公の周囲には、さまざまな信念や価値観を持つ医師や看護師が登場するが、なかでも循環器内科のベテラン医師・谷崎が印象に残る。彼は80歳を越えた患者は全身状態にかかわらずみんな看取りに持っていく。点滴も酸素も最低限しか使わない。ついた綽名が「死神の谷崎」。
彼は淡々と現実を教えてくれる存在だ。この国はもう、かつての医療大国ではない。山のような高齢者の重みに耐えかねて悲鳴を上げている、倒壊寸前の陋屋のようである。もう、どんな患者でもがむしゃらに延命治療を続ければよい時代ではなくなっている――。
谷崎の考え方は一見冷酷に見える。けれど谷崎は、投げ捨てられてしまったその問題を、周囲から「死神」と誹られながらひとりで正面から受け止める不器用な真面目さと、若い看護師や医師たちを思いやる、伝わりにくい優しさを持っている。
医療制度が完全に崩壊してしまえば、医者も患者もみな不幸にな��。彼は必死に、その未来を回避しようとしているのだ。
できれば谷崎を主人公とした物語をいくつか読んでみたいと思う。『神様のカルテ』シリーズは、キャラクター造形が漫画っぽくて「こんな人現実にいない」感じが強かった。本作はそういった「漫画っぽさ」がなくごく自然で、クセのない読みやすさがある。長く読んでいきたい作品だと思う。
KADOKAWAさんの文芸情報サイト『カドブン(https://kadobun.jp/)』にて書評を書かせていただきました。
https://kadobun.jp/reviews/a0qjlp1hm9kw.html
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やっぱりこの著者の作品はとても好きだ。
神様のカルテの登場人物もチラリと出てきて嬉しかった。
こちらも続編を読んでみたい。
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この方は、長野の、自然と混乱する戦場のような病院を融合させるのがすごくうまいと思う。研修医と看護士の恋も加えて、医療、特に高齢者の措置や対応の難しさを人の心の動きと共に表現されてて、とても良かった。
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梓川病院に勤める看護師月岡美琴と研修医桂正太郎の感動の診療奮闘記。
高齢者の病人を抱えている人に突き付けられる延命治療と看取りについて考えるのに参考になる物語である。
第四話カタクリ賛歌と第二話ダリア・ダイアリーは読み応え十分で非常に参考になる。一番印象に残ったのは第四話で研修医桂が治る見込みのない患者の家族に看取りを勧める場面である。こう言った事を言える医師は素晴らしい。延命治療をどうするかは治療の知識に乏しい患者の家族側に任されるからである。
プロローグとエピローグと四話からなる連作小説でそれぞれに花の名前が付いた題名になっているところが、まさに物語に花を添えている。
素晴らしい小説である。
何で本屋大賞の候補にならなかったのか?不思議。
印象に残った文章
⒈ 花の美しさに気づかない者に、人の痛みはわからない
⒉ 胃瘻か死か、間はない。二者択一なのだ。
⒊ 患者の人生は患者自身が決めるものだと、内科の教科書には書いてある。
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四季を通じての花と共に安曇野の美しい景色が目に浮かぶような優しい文体で綴られている。しかし、テーマは高齢者医療における治療か看とりかと厳しい話。研修医桂正太郎が看護師月岡美琴や指導医三島などに支えられて経験を積んでいく。高齢化が進み世界有数の長寿国の日本だが、管に繋がれ人工呼吸器で生かされている老人が多いことは事実だ。高齢者をいかに生かすでなく、いかに死なすか、命の尊厳か無駄な医療行為の中止かなど死に対して無知な人々に医師としての接し方が難しいと思う。ますます終末医療がクローズアップされるのだろうなぁ。
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「神様のカルテ」
とても好きな本だ
これは主人公は違うけれど、
現代の日本の高齢者医療の問題点を真正面から描き出している
厳しい現実を安曇野の自然と花が柔らかく包んでくれる
夏川草介先生 これからも良い著作を
≪ 忘れないで 真実の愛 花言葉 ≫
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神様のカルテの登場人物たちに比べると物足りなさを感じる。
地方の病院が抱える問題についてはあらゆる視点から考えさせられる作品。
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厳しいけれど日本のどこでもある光景であり
これが地域医療、終末医療の現実だ。
谷崎医師の考え方も頭では理解できるけれど
さて、自分の家族がとなるとどうだろうか。
駆けつける家族が到着するまでの数時間の延命など
考えさせられた。
看護師、月岡美琴と研修医、
桂正太郎のゆっくり始まる恋愛が厳しい現実に
小さな花が咲いたようだった。
私は植物園でしか見たことないけれど
満開のカタクリの花は見たいなぁ。
可愛い花なんだよなぁと思いつつ読了。
きちんと?「神様のカルテ」とのリンクもあって嬉しい。
いつか行きたい夢見る信州、松本。
神戸から飛行機が飛んでいるではないか!
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安曇野のみずみずしい景色がまるで映像のように伝わってくる描写がとても好き。
神様のカルテファンとしては、栗原先生が出てきそうで出てこないのが「くぅー、憎いねぇ」となりました(笑)
今回は主人公が研修医ということで、神カルよりもフレッシュなイメージ。
医療が発達した現代では自分で物が食べられなくても、呼吸が出来なくても、機械に繋げば生きられてしまう。そんな時代だからこそ「看取り方」は難しい問題だなと。
医療現場の現実を通して「生きること」「死ぬこと」について考えさせられました。
そしてなんと言っても医療のお話の中に散りばめられた正太郎と琴美の恋模様。
夏川さんの書く夫婦愛や恋愛模様が大好きなので、つい頬が緩んでしまうのを自覚しながら読んでいました。
神カルでの一止と榛名夫婦の穏やかな空気感が大好きだけれど、正太郎と琴美の甘酸っぱい恋もいいなぁ。
続編があるならぜひ読みたいです。